部屋の片付けをしていた
チット
が、
大学時代のノート
を 見つけて
よみふけっていました。
「これ、大人気の講義でさあ。岸田達也先生っていう、すごい西洋史の先生がいたのよ。
私、日本史専攻したから
週一しか聞けなかったけど、
これぞ、歴史で学問だ!っていうお話だったわ
卒業してから、『大ファンでした♪』って
お手紙出しちゃった
」 (チット)
その時、いただいたお返事には、
「小生、講義とくに史学概論においては
片々たる知識を伝えることではなく、
全身を通して何ものかの存在を伝えることを念じ
全力で傾注いたしました。」
と
かかれていました

E・H・カーも、ランケも、ヘロドトスも、ツキジデスも知らず、
「形而上」も「形而下」も
イデアもアイオンも
わからないチットたちに、
奥深い世界を見せてくれた 岸田先生
。
今回、近況を知りたくて
ググってみたチット
は、
先生が、一年前に お亡くなりになっていたことがわかって
しずんでしまいました
何がかいてあるのか、クリンには分かりませんが、
ノートの余白にかきとめられた
「先生語録」が
あつく・ユーモラスなのを みとめました
(上記写真:「歴史はドラマであります
」)
「想像を絶する大問題が、諸君の眼前に立ちはだかったのであります
」(6月9日、ギリシャ時間とキリスト教時間)
「われわれの時代の学生でこのことを知らない者は恥ずべきものであります。」
(※ランケの「あらゆる時代は神に直接する」を黒板に書いて)
「消えれば永久に消えるのであります。」
(と言って淋しそうに消した。)
「諸君の知らない世界は広く深い世界なのであります
しかし、わたくしには小宇宙の一端であります。」(6月16日、アウグスティヌスとヨアキム)
「本質(アブストラクト)は何であるか?を見抜かなければならないのであります
コンクリートを研究しながら本質を見抜くのであります。」(6月23日、ベーコンのキリスト教)
「諸君もこの講義が終わった時は、しられざる世界が展開するでありましょう
ノアの方舟に、いざ乗らん
」 (6月30日)
「赤ん坊をブックセンターに連れて行きましても、岩波文庫には目をひらかないのであります
成熟するにしたがって、そういうものが面白くなるのであります。」 (7月7日、ピレースの「ヨーロッパ世界の誕生」を指し、一層の勉強を促して前期終了)
「これから数回の講義によって、明らかにされるのであります
」 (後期に入って一発目は科学革命の17世紀でした)
「わたくしの背後にある関心は、西洋近代とは何か?ということであります
」(9月22日、バターフィールドにとっての歴史文明を概説した先生は、自らの研究を語る)
ちなみにこの日は、卒論についてもご指導がありました
「単に、ずんべらぼうに書いていっても、卒論は書けましぇん!
コンストラックションが大事でごじゃる
」
「ちゃらんぽらんは言語道断
わたくしの講義が分からない者は無縁のものであります!史学科なんで来ないほうがよろし
」 (アルテスリベラルスとアルテスメカニカエから、現代大学の問題を想起して)
「西洋近代とは何か?っちゅうことが、わたくしの講義の根底なのであります
」(10月6日)
「歴史学は人間の問題の発見でありまして、これが面白くないわけないのであります
」(10月13日)
「西洋の二大根幹は、ギリシャとキリスト教であります
」(10月20日)
「
このころから、 先生は 核心に触れることをどんどん仰るようになった。」(チット)
「・・・しかしこのような要素還元主義で、意味を持った人間世界である歴史を捉えることができるか?と言えば、それは不可能である。
なぜなら、エクステンショ(魂)をすっぽり抜いているから。それで何で人間を捉えることができますか
」 (10月27日、西洋近代自然科学のパラダイムを語る)
「言葉の奥にある魂を発見する。これが歴史なのであります
」 (11月10日、デカルトとビーコ)
「一般常識をいったんぶちこわす!のが、学問では大事なのであります
」 (11月17日、ベーコンのキリスト教的自然観)
「いまや、アジアは恥ずべき停滞状態である。いまや学生は恥ずべき停滞状態である。」 (1月12日、コンドルセのアジア停滞論になぞらえて)

そして、
1月19日の「最終講義」は
「ヘルダーの歴史哲学概説」
だったけど、
先生は
さいごの言葉にそえて、
自分の若いころにうたった「矢野峰人の行春哀歌」を
黒板にかいたそうです
「心の歌であります。・・・」
「 静かに来たれ
なつかしき
友よ うれひの手をとらん 」
先生は、三高から東大に入った後、2年で「学徒出陣」して
友だちを亡くし
南洋から 一人帰った、というお話を
折にふれて
チットたちに
きかせてくれたそうです
それもふくめて、
学生たちは 岸田先生のお話を
とくべつなものとして
とてもよく きいていました
あのころ、先生のこうぎ(講義)は
ネコに小判だったけど、
きっとこれからは 金言としていかせるはず
そう心にちかう、
チットでした。