クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

飯田龍太・春の俳句

2017-10-29 | 文芸

 クリンたちが、「俳人・飯田蛇笏」の そんざい(存在)

を 知ったのは、

実家のお母さんに

教えてもらったから 

です

 知らなかったけど、俳句の世界では すごく有名な

いいだ・だこつ(飯田蛇笏)


 しかし、その息子、いいだ・りゅうた(飯田龍太)

は、

同じくらい有名な、はいじん(俳人)

だそうで、

 こちらは、「春」を すばらしく・春めかしく

よんでいます


と、いうわけで・・



<飯田龍太・スプリングコレクション

 「 紺絣(こんがすり) 春月重く 出しかな 」


「 竹林の 月の奥より 二月来る 」 


 「 文旦の 実のぶらぶらと 春の町 」

「 花桃の 紅が甘えて 山の雨 」 


 「 樺の花 アイヌは和人より 清し 」


 父・だこつ(蛇笏)と同じ、「俳句の正統」を 引きながら、

さらに、

すなおで わかりやすい

息子・りゅうた(龍太)の句・・

 

昨日、だこつ(蛇笏)の秋の句について

ふれました()が、

 同じ秋の句を よんでいても、より・してん(視点)が

やさしく

おおらか なのが、

りゅうた(龍太)です


 「 海よりも 川なつかしき

晩夏かな 」


 「 草木みな 日暮れやさしき 竹の秋 」


かんかく(感覚)のさいしゅ(採取)

重きをおいた

りゅうた(龍太)は、

冬になると・・


 「 さむすぎて 何事もなき 山の色 」

な~んていう、

シンプルな良句を

生み出します。


 

 「生きた時代の 違いもあるけど、のびやかで いい心の

持ち主だよね

人生の厳しさや哀しみを

詠まざるを得なかった

蛇笏に、

こんな、明るい、いい息子がいたなんて・・


救われる思いが するね


チットが 言いました。



 「 もろこしを 折る音にひびく 至福かな 」

(飯田龍太・夏の句)










 


 





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飯田蛇笏・秋の俳句

2017-10-28 | 文芸

 「喪中はがき」を 書いてたこともあって、

さいきん

元気がなかった、クリンたち

 うちのチットなど、たまたま・よんでいた

「俳句集

に、

 「 父逝くや 凍雲(いてぐも)闇に ひそむ夜を 」


なんて

書いてあるものだから、

ますます

追いうちをかけられ

元気が 低下しました・・


 この句を よんだのは、せん(戦)前を代表する

はい(俳)人

いいだ・だこつ(かんじ:飯田蛇笏)


息子が 二人も

せんし(戦死)している

だこつ(蛇笏)の句

には、

 「 遺児の手の かくもやはらか 秋の風 」


のように、

かこく(過酷)な時代に

生きた 

かげりも ありますが・・

 「 くろがねの 秋の風鈴 なりにけり 」

代表されるような、

王道の名句、

 とりわけ 秋の句に いい表げん(現)が 

あつまっているように 思えるので

クリン、

いくつか 秋のいい句を

ピックアップ・していきたい

思います


<飯田蛇笏・オータムコレクション

 「 秋たつや 川瀬にまじる 風の音 」


「 秋の星 遠くしづみぬ 桑畑 」 


 「 いわし雲 大いなる瀬を さかのぼる 」


「 秋の昼 一基の墓の かすみたる 」 


 「 をりとりて はらりとおもき すすきかな 」


・・・・・


 「 田を截(き)って 大地真冬の

鮮(あた)らしさ 」


・・・・・


そして、季節は

冬へと つながってゆく。



蛇笏の俳句は、夏の終わりからして

  秀句ぞろいだね。

 『 あな痩せし 耳のうしろよ 夏女 』

な~んて、

まさに、

わかる、わかる~

って 感じだもんね


チットが 言いました。


「・・わざわざ、せいのう(性能)いいカメラで

耳のうら、

写さないでよ


















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喪中はがき

2017-10-27 | くらし

先日、

お母さんと 話していたら、

 「あんたの家、喪中はがきは 用意したの?」

きかれたので、

 クリン、あわてて・ゆうびん(郵便)局に

買いに 行きました。

 きけば、11月から「年賀はがき」が 発売されるから、

その前に

 もちゅう(喪中)の人は、書いておかなきゃ・ならない

のだそうです

(11月くらいに出すのが、ベストらしい


 毎年、家ぞくシャシン(写真)を 入れてつくる、クリン家の 

ねんが(年賀)状・・

 今年も、金沢旅行とかしたし・・、本当は、こういうかんじに

したかったのに、な。。



 「お父さんのバカ エーンエーン





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マイナンバーカードを発行する前の注意点

2017-10-26 | くらし

 今さら・・では ありますが、うちのチットが、

マイナンバーカード

つくりました

 おととし、マイナンバーが交付されてから・しばらくは、

「特に必要ない。」

思っていたものの、

お父さんが亡くなってからの

手つづき関係、

しかく(資格)を取るさいの「本人確認」

に、

 「写真付証明書が 2点無いと、いろいろ不便なことがあった。」

と、

かんじた のだそうです。。


 それもこれも、パスポートが「期限切れ」になってしまった、

ため、

いろいろ 

ふべん(不便)が 生じたのですが

しばらく

海外旅行する

予定もないチットは、

 パスポートのこうしん・ひよう(更新費用)を せつやく(節約)し、

「証明写真代」以外・タダ(無料)

マイナンバーカードを 

発行する

けつだん(決断)に、いたりました


 ・・とはいえ、マイナンバーカードも、

けっきょく(結局)は、

申し込んだ後の 受け取りに、

「本人確認できるもの2点」

ひつよう(必要)で、 

しかもその前に、

受け取り・手つづきの予約を入れ

受け取りには、車で15分かかる・市役所まで行く

という

一定の 足労が、まっていました。


 「本人確認がうるさい時代とはいえね~。いちいち

面倒くさいわね

このマイナンバーカードだって、

せっかく作っても

たったの10年で

有効期限が 切れるんだから。。」(チット)



・・・・・


(10年間ものあいだ、

 同じシャシンが、毎回、本人かくにんに

 つかわれる


 カード発行前に、もっとも・ジュンビすべきは、しょうめい・シャシン

とるための、

「美肌ケア」ではないか、と








 

 

 

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多摩の日常風景

2017-10-25 | 地元

 駅に向かう・とちゅう(途中)・・

 駅前の、京王プラザホテル

うら(裏)手の

草地に、

 ヤギが、ほうぼく(放牧)・・


あの子達見ると、元気出るわ~」(チット)


 地元・たま(多摩)の、日じょう(常)ふうけい(風景)

でした

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金メダルよりうれしいニュース

2017-10-24 | フィギュアスケート

(2位でもやっぱり、主役はゆづ・・

 フィギュアスケートグランプリシリーズの

ロシア大会は、

すがすがしく

あたたかい・フンイキの中で

エキシビションが

行われ、

見ている者の心を なごませました

 

しかも!

あいする・ゆづ(羽生結弦選手)は

エキシ後に、

 「いずれ4回転アクセルを跳びたい。オリンピック前は

さすがに

きびしいけど・・」

というような

だんわ(談話)を のこし、

ピョンチャン後も、

げんえき(現役)をつづける・むねを

しさ(示唆)しました

 

 しあい(試合)はネイサンが か(勝)ちゃうし、

せんきょ(選挙)も あって、

あらし(嵐)の週末

 

でしたが・・

 

ゆづの、インタビューで

そんな気もちも

だいぶ・スッキリ

 

 すべてを リセットさせてくれた(?)と、

さっかく(錯覚)

しそうな、

台風いっか(一過)

せいてん(晴天)に、

いっしゅん、

これからの タイヘンそうな道のり・すべてを 

わすれた、

クリンでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ボートマッチのすすめ

2017-10-22 | 国際・政治

 「ただいま~。  かなり、ぬれちゃったよ~。」

(フキフキ・・) 今日は、しゅういんせん(衆議院議員選挙)

とうひょう(投票)日。

 さしせまった・モンダイが 山せき(積)する

今回のせんきょ(選挙)は、

かなり

ダイジらしい のですが、

 台風がせまって、雨がすごい・ふっているのと、

 かいさん(解散)しての せんきょ(選挙)のため、

日てい(程)的に

よゆう(余裕)バッチシ

とは

いえないのと、

 しんとう(新党)も できちゃったりして

各党の

主ちょう(張)

いきおい

いまいち、よみにくい・・

のとで、

 (どこに入れるのがベストなの)と むずかしがってる

有けん(権)者も

多いみたいです


ご多分にもれず、

クリンも

そのひとり、だったのですが・・

 「ボートマッチしてみれば?」と、チットに

アドバイス・されて、

かんがえが

まとまりました


 ボートマッチ(Vote match)とは、

「自分の考えと、適合するのは

 どの政党の政策か?」

インターネットで おしえてくれる

サイトのことで、

 だいたい・20~30問のアンケートに、答えていくと、

じどう(自動)的に

とうひょう(投票)すべき・人や政党が

みちびきだされる、

べんり(便利)な ツールです


 ニュースをあまり見てない人にも、見ていても「今回の争点」

わかりにくいっていう人には、

おすすめ


 いがい(意外)と、「えっ?」と 思うような・せいとう(政党)と 

いっち(一致)してたり、

「こんなことも争点だったの

おどろくような・ハッケンも

あったりして、

べんきょう(勉強)に なります。。


 見た目のフンイキや、パッケージだけでは、本当の味のちがいなんて

わからない


 食べてみるまでは、「リッツ」と「ルヴァン」のちがいだって

けっして

わからないのです


(けっこう、

 さ(差)があるのに・・)


 せんきょは、おかし(菓子)とちがって、両方食べることは

できないのです (※味見は、ダイジ
















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ゆづが負けたときのテレビ

2017-10-21 | フィギュアスケート

 大きなテレビに 買いかえてまで、あいする

ゆづ(羽生結弦選手)

グランプリシリーズに そなえた

クリン家でしたが・・

 ゆづは、なんだか・ちょうし(調子)がわるくて、ネイサン=チェンに

やぶれました。。(2位)

 

 大画面になって・はじめて、はっきりと気づく、

不ちょう(調)な日の

ゆづの、

 きんちょう(緊張)に ひきつった・表じょう(情)(※SPの前)

 バタバタ・えんぎ(演技)のとちゅう(途中)の

しょうそう(焦燥)(※FSの最中)

 

・・・・・

 

 ゆづの かんき(歓喜)のえがお(笑顔)や、ステキな

しゅんかん(瞬間)を 

とらえたくて

大きなテレビ、

買ったのに・・・

 

 

こ、

こんな、

おそろしいものを 

 

見るはめになるなんて・・ クリンたち、バカみたい

 

 

「アアーン 

 おにいちゃあん~

10インチのテレビに、買い換えるか・・」(おにいちゃん)

 

 

 

 

 

 

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ゆづのためにテレビ買う。

2017-10-20 | フィギュアスケート

 フィギュアスケート・シーズンの、本格しどう(始動)に

ともない、

 クリン家では、テレビを 買いかえました

 実は、1ヶ月ほど前、うっかり・前のテレビ画面の

まん中に、

アルコールスプレーを

かけてしまい

 えきしょう(液晶)の画面に、とけた?かのような、

もや(靄)が 

かかって しまったのです

 

 (これでは、あいするゆづ(羽生結弦選手)の

美しいかお(顔)や

えんぎ(演技)を

たんのう(堪能)できない・・

 

(しかも、オリンピックイヤーなのに

 

 というわけで、このさい、気合を入れて、前より

大きい、

43型に しました

 プロやきゅう(野球)中けい(継)の、お客さんのかお(顔)まで

よく見える レベルです

 

(・・・

 このへんに、

 ゆづのかおが 来るはずだから、

キスする・れんしゅう(練習)しよう(ブチュ

 はやく、ゆづ、はじまらないかなあ・・)※ロシア大会まであと数時間

 

 

 

 

 

 

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羽生結弦クリアファイル♪

2017-10-19 | フィギュアスケート

 フィギュアスケート・グランプリシリーズ・2017

が、

いよいよ、

明日から はじまります

 

 初せん(戦)の「ロステレコム杯(ロシア大会)」

から、

いきなり・ゆづ(羽生結弦選手)

が 出るので、

スポンサーやマスコミが

もりあげてきていますが、

 ロッテも、この「ゆづ・クリアファイル」を キシリトールガムボトル

けい(景)品として 

つけてきました

 4しゅるい(種類)あるうち、いちばん・かっこいい、

このシャシン(写真)のがなくなると

イヤなので、

キャンペーン初日に

すぐ

買いに行った、クリンです 「ゆづ~~

 

 「あら、いいじゃ~ん」(ひょいっ)←チット。

 「お昼のパンも、買っておいてくれたんだ。

サンキュー」(チット)

 

「だれが、ゆづをやるって言ったよあ、ごめんなさい。。」(チット)

 

 

 

 

 

 

 

 

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小田急ボイスの林真理子エッセイ

2017-10-18 | 本と雑誌

 「江戸散歩」からの かえり道、小田急せん(線)の

駅でとった、

 小田急でんてつ(電鉄)のフリーペーパー、

「ODAKYU VOICE

開き、

 クリンとチットは、がっかりしました

 ここ・数年、小田急せん(線)にのるたびに、

たのしみによんでいた、

作家、

はやしまりこ(林真理子)先生

の コラム

「Beautiful Voice」が、

今月号で

さいしゅう(最終)回を 

むかえてしまったのです・・


 大人の女子たちが、「なるほど~。そうかもね~。」

共かん(感)できる、

はやし先生の エッセイ・・

 女子力の高さや、セレブな日じょう(常)が

チラ見えするところ

や、

おおごしょ(大御所)なのに

てきとう(適当)な「サゲ感」を

つけるところが

ぜつみょう(絶妙)で、

れんさい(連載)中は

(月・一発行のフリーペーパーなのに、ぜいたくだよな

って

思って よんでいました

(※はやし先生、昔よりガンチク(含蓄)出てます


 コラムは4年間・つづいてたそうですが、その中で 

クリンが

いちばん

印しょう(象)に のこったのが、

2016年6月号の

「もうひとつの要素」

っていう 

お話に出てくる、

 はやし先生が、「ある人から言われた」という ことば

です・・。


それは、

 「五十歳を過ぎたら、仕事の三割は お金を

貰えないことをしなきゃいけない」


というもの


このとき、はやし先生は、

「災害ボランティア」について 

述べており、

仕事と家庭だけでは、

 人は十分ではない。

 ボランティアという要素は、

 人を成長させ、変えてくれる。」

むすんでいます。


 うちのチットは これをよんだ時、50になっても、

そんなことしなきゃ ならないの~

20代のころから、

常に3割以上、

お金貰えない仕事 してきているのに・・。

 50歳過ぎたら、逆に 3割増で、お手当てもらいたいわ


なんて

ほえてましたが、

しかし その後も、

 3わり(割)以上、お金にならないしごと(仕事)を

しつづけて、

「今年は少し、成長できた

とかいって

よろこんでいました


 クリンも、ふだんから、お金にならない「家事手伝い」を していますが、

 これからも 気にせず、家ぞく(族)のために

いっしょうけんめい

がんばって、

「せいちょう(成長)したいな とか思ってます


 (ひととして、女子として・・)はやし先生、ありがとね

















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江戸の二大刑場~大森散歩・7

2017-10-16 | クリン江戸散歩

 今回おとずれた、品川区・南大井の すずがもり(鈴ヶ森)刑場


 江戸には、ここと もうひとつ、あらかわ(荒川)区・南千住に、

「小塚原刑場

というのがあり、

 江戸の人々から、「二大刑場」として、

おそれられていた

らしい・・。

 「日本橋から西国の者は、鈴ヶ森に、東国の者は小塚原に

送られて処刑されたんだよ。」

話す・チットは、

 15年位前に、江戸のざい(罪)人の「市中引き回しルート

自分でしらべて 

たどってみて

 すごくおもしろかったことから、以来、「江戸散歩」を

シュミ(趣味)に 

しています


チットは 言います。

 小塚原のあたり・・、もう一回行きたいな。『クリン江戸散歩』

もう少し ふくらませてみたいの また取材に、行こう」と。

 

「・・う、うん。」 (また、こわいところに 行くのか・・

 

 (・・それにしても、今回、何のジュンビもせずに 来ちゃったけど、

『大森散歩』、たのしかったな 

 シブヤ(渋谷)から南のほうは、あまり来ること

なかったけど、、

 このへん、どうやら、おいしい・のり(海苔)も 

あるらしいし、


きょうみ(興味)深いところ

なのかも

しれないな・・。


チットと

よっちゃんに、

 品川さんぽ(散歩)やることも、ていあん(提案)してみよう

 

 

 

 

 

 

(大森散歩・完)

 

 

 

 

 

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鈴ヶ森刑場跡~大森散歩・6

2017-10-15 | クリン江戸散歩

 大森には、駅をはさんで、2つのエリアが あります

戦前から「住宅街」だった、山がわ(側)のエリアと、 

 ビルや大型店が、たちならぶ、海がわ(側)の エリア 

 その、海にほど近い「大森海岸駅」から、

だいいち(第一)京浜沿いを  歩いていくと

 クリンたちの目的地、「鈴ヶ森刑場跡地」が

見えてきます

(※品川区南大井)

 江戸時代、このあたりは、追いはぎが出ることで 有名で、

 らくご(落語)には、ここで 追いはぎのれんしゅう(練習)を

すべく、

親分に つれてこられた

ドジで 弱気な

しんまい・どろぼう(新米泥棒が、

 逆に、旅人に 身ぐるみ・はがれる っていう、オチ話が

あるらしい

 平成の今でも、ひと気が少なく、となりは国道なのに、

なんだか、

うらさびしい・かんじが します。。 

 この場所に、「処刑場」がおかれたのが、江戸時代の

はじめ。

 明治いしん(維新)までの間に、たくさんの 犯ざい(罪)者が、

 ここで、首を切られたり、はりつけにされたり、火あぶりにされた

わけです・・。

 有名どころとしては、ばくふ・てんぷく(幕府転覆)を

図った、「丸橋忠弥

恋する放火少女「八百屋お七」。


 彼を、はりつけ(磔)にした台や、

彼女を 火あぶりにした台・・  さらに、

 処刑後に、血をあらったという、「首洗いの井戸」なるものが

のこってて、

 「・・・こわい

 「なに言ってんの キリシタンたちなんて、そこの海の

波打ち際で、水磔の刑だよ

 引き潮になると、息吹き返すから なかなか死ねなくて、

一週間かけて 

じわじわ殺されたんだから。」

 と、チットが、海のほうを ゆびさして、言いました

そんな、しょけい(処刑)者を とむらうため、 

 刑場あとの 後ろにたっているのが、だいきょうじ(経)寺

っていうお寺です。


こちらは

ぜったいに、

 おまいり・ひっす(必須)


なのですが・・


お寺の中には

こわいシャシンが 

かざってあるので、


ようちゅうい  「ギャオオォォ~・・






(その7、「江戸の二大刑場」に、つづく)



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徳富蘇峰と戦争責任(山王草堂記念館にて)~大森散歩・5

2017-10-14 | クリン江戸散歩

 「馬込文士村」のボス、おざきしろう(尾崎士郎)

さんか(参加)していた、

「日本文学報国会」  (※ペンで、お国に報いようっていう、戦前の団体)


 その会長をつとめていたのは、「マスコミで

お国に報いよう

っていう

「大日本言論報国会」

の会長も

けん(兼)任していた、

 とくとみ・そほう(徳富蘇峰) と、いう人です。


(ここに、住んでたらしい・・) 


 れきし(歴史)にくわしい・チットいわく

 「徳富蘇峰は 近代思想史をたどる上で、絶対に欠かせない、

大物言論人

だそうです。


 ふくざわゆきち(福沢諭吉)を、明治前半のトップジャーナリスト

と 

するならば、

とくとみそほう(徳富蘇峰)

明治後半の トップジャーナリスト


 しかも、その後の「太平洋戦争・終結」に いたるまで、

この人ほど、

しんぶん(新聞)・ざっし(雑誌)の世界

で、

大きな力を ふるった人は、

たぶん・いない


らしい。。


「・・にしては、知名度ないね~。」 (記念館は内部撮影・可

 ・・弟の、徳富蘆花のほうが、有名かもね。

蘇峰は

ながらく、研究対象として

語られることが

タブー視されてきたから・・。」


 チットは、その人物について、語りはじめました。


 とくとみ・そほう(徳富蘇峰)が、その名を 知られ

はじめたのは、

明治はじめの

「自由民権運動」の ころのこと


 「おいおい、明治政府 あんたらだけが、突っ走って 

近代化して どうするんだよ

民衆の 声も聞けよ

これからの日本は、

平民レベルで、文明開化するんだぜ」 

 と、いきまいては、明治政府を「青息吐息」させた、

すじ金入りの

「平民主義者」、

それが、そほう(蘇峰)でした


 ところが

 中国(清)との戦争を けいけん(経験)したり

 欧米の圧力に、くっする・日本を いろいろ

目のあたりにする

うち、

 そほう(蘇峰)の中で、だんだん「平民主義」は ぼやけていき

 (・・もしかして、今は、民権なんて 守っている

場合じゃないのかも

甘っちょろいこと言ってたら、

たちまち・植民地にされるな。。


政府に 

多少 強引なことをさせてでも、

 とにかく、国を強くするのが、先決だったぜ


と、

考え方を

180度、かえてしまいます


こうして、


「国家主義者・徳富蘇峰」が、生まれました。


 ちょうど、そほう(蘇峰)みたいな・協力者を 

さがしていた 

明治末の日本政府は、

そほう(蘇峰)に

「これからの日本を、思想でひとつにまとめて

 国策を 後押ししてほしい。」

いらい(依頼)し、

 そほう(蘇峰)に、けん(権)力を 与えます

 政界に 入り込んだことにより、「魔法の杖」を 

手に入れた・そほう(蘇峰)は、

「大日本帝国の オピニオン・リーダー」

という

地位を えて、

 ついには、戦争すいこう(遂行)キャンペーンを とりまとめる、

言ろん(論)界の 大ごしょ(御所)

に、

のぼりつめて 

いったのでした



まわりは、こんらん(混乱)します。


 ・・・かつて、本気のデモクラシーを 唱え、民しゅう(衆)のために

政府にかみついていた、

青年・そほう(蘇峰)

は、

どこへいって しまったのか・・ 


 世間は、そほう(蘇峰)を「変節漢」と ののしり

 戦後は、その・言ろん(論)を ふうさつ(封殺)しました。。


(だから、今、あまり知られてないのかも・しれません。)


 うちのチットは、このそほう(蘇峰)を見ると、

近代日本の いきけんこう(意気軒昂)と、

ざせつ(挫折)と、

こじれを 

全部見る 思いがする・・


って

言ってます。


 明治~大正~昭和、と 94さい(歳)まで

生きつづけ、

その人生の大半を

日本国民に 

えいきょう(影響)しつづけた、

「大思想家」、とくとみ・そほう(徳富蘇峰)・・

 彼の戦争責任は、もちろん重い。けど・・・

 蘇峰の言論を あげつらうばかりでは どうしようも

ないんだよね。


その蘇峰の

言論をつくったのは、

時代の要請

 

 だからつまり・・ 当時のできごと・政策・世論・気運を、

同時に 

見直してみないことには、

日本近代史の真相には、

近づけない

 

意図的でない視点で

冷静な人が、

今一度、蘇峰を 研究することには

現代史的な

意味があるはずだよ。

 

 歴史が 後ろ暗いといって、そこを うやむやにしてしまっては、

日本という国は 

この先も、

政府・国民ともに

『無責任主義』っていう、

お定まりの 原点に、回帰し続けてしまう。


って

おもうんだよね。」


 と、チットは 言いました。(そうかもしれないけど、

今回の「大森散歩」、

やけにないよう(内容)がヘビーだな!







(その6、「鈴ヶ森刑場跡地」に、つづく)

 

 










 

















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馬込文士村レリーフの明暗~大森散歩・4

2017-10-12 | クリン江戸散歩

<大森駅西口にて>

 「ねえ、すぐそこから『馬込文士村』だから、ちょっと見て

みたいんだけど「うん、いいよ~。」


(・・・・あそこ?) 

 (とりい(鳥居)が、ある。。)

「・・すごい急な、かいだん(階段)だね。」

 

 上は、「天祖神社」という 神社のようですが、そこに 

もう(詣)でる

かいだん(階段)横の 

うかいろ(迂回路)

が、

 「馬込文士村・散策のみち」に なっていて、なにやら、

レリーフが

かざってあります

 「このへんが、かの有名な『馬込文士村』かあ~。」(チット)


 大正~昭和の初め、このあたりの高台は、

まごめ・ぶんしむら(馬込文士村)

といって、

作家や、画家が

はなやかに 交流していた

そうです


 たばた(田端)文士村や、おちあい(落合)文士村

ならぶ、

東京三大文士村の、ひとつ

・川端康成、・萩原朔太郎、・山本周五郎、・北原白秋

etc

したしく・行き来した

「丘の上の、文芸コミュニティ」

それが、

この、大森の

「馬込文士村

だったらしい

 

 (・・・丘の上には、文士たちの旧居あと(跡) 

ぜっこうの

文学さんぽ(散歩)コースじゃん


いうとこで、

クリンたち、

レリーフを ひとつひとつ見ながら

かいだん(階段)を

のぼりました


 さいしょは、<昭和8年の大森駅風景>です (かんさんとしてます!)


そして

次が、

<大森丘の会>

 「望翠楼ホテルっていうのがあったんだね~。」(リゾートっぽい


こちらが、<尾崎士郎と宇野千代>

 「馬込文士村の、ボス夫妻だね

 <広津和郎と、マージャンに興じる文士たち>

あっ、吉屋信子 「モガだね

 <ダンスパーティーに集う、文士とそのパートナー>

 「むろう・さいせい(室生犀星)も、ここにいたんだね

あ~、村岡花子さん<女性活躍の時代>


 <相撲に熱中し、みずから取り組む文士たち>

・・みなさん、お盛んね~。」


ってなかんじで、

 上にのぼるまでの間に、文士村の人々が 

どんちゃんさわぎ

していた 

ようすが、


 実によく わかりました 

 (・・・バンカラ青年が、そのまま大人になったみたいだな。)


お酒が好きで

人づきあいがこ(濃)くて

れんあい(恋愛)関係が

わりと、ふくざつ・・

 昔の文士って、そういうものだ と、イメージで

りかい(理解)

していながらも、

 なんとなく いわかん(違和感)をおぼえる、

いい大人の

あそびくるいっぷり・・


 「ダンスパーティー」のレリーフ横に 書かれていた

せつめい(説明)文の、


「昭和の初期、文学の世界は転換期を迎えていました。

 まだ若かった馬込の文士たちにとっても

 将来に不安の多い時代であったといえます。

 仲間同士集まって 気を紛らわそうというのか、

 麻雀に続いて 馬込の面々が凝り始めたのは

 ダンスでした。・・・」


 の、一文に 引っかかった うちのチットが、

家にかえってから、

文士村のボス

「尾崎士郎」について

しらべはじめました。



この人、社会主義から国家社会主義に移行してるのかあ。

1933年に

都新聞に『人生劇場』を連載、ねえ。。


 1933年っていえばさ 満州事変開始の2年後で、

政財界の大物が

暗殺されまくって

軍部内閣が 成立したころだよ

・・・

そんなときに、娯楽小説で大当たり

・・・・・

これって、

一種の 処世術、なのかね??

世をしのぐ文筆ならば

アリだけど、

これが 素だったとしたら、

私、ちょっと 感心しないわ。。」


まゆ(眉)を ひそめました


 このころ、日本は、政治・けいざい(経済)・外交、すべてに

行きづまっていて

政府に

反対いけん(意見)をのべる・人たちは

つかまってしまう

息苦しい世の中

だったそうです。。

 おざき(尾崎)士郎たちは、びんぼう(貧乏)な人たちのための

「プロレタリア文学」

かいめつ(壊滅)するのを

横目に

政治抜きの文学を めざす、

「新興芸術派っていう

グループを

つくっていたらしい。。


 くらし(暮らし)をたのしみ、人々からあいされた

馬込の番長・「尾崎士郎」

と、

才のう(能)ほとばしる

ゆかいな 仲間たち


 クリンたちが 昼間・見たのは、そんな

きらめきの青春を

型抜いた、

文士村のレリーフでした。


 しかし・・、彼らの「新興芸術派」は、文学りろん(理論)

かくりつ(確立)しないまま、

けいはく(軽薄)な都会生活を

追いつづけ、

読者から 見放されたそうです。。


 また、士郎自身は、戦時中に ほかのアーティストたち

同よう、

せんそう(戦争)に 協力して

せん(戦)後は

追放される・・

という

 「この時代の文化人の宿命的道筋」をたどっている・・

って

チットが しらべて 言いました。


 「あの、楽しくて明るい散歩道のレリーフの裏に、そんな

苦悩を

感じたくないね~~


と、


自分でしらべたくせに

ボヤく、

チットでした。




(その5、「徳富蘇峰の山王草堂記念館」に、つづく)


























 





 



コメント (2)
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