クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

洲崎遊廓と永井荷風~木場散歩・5

2016-04-30 | クリン江戸散歩

 すさき(洲崎)神社の入り口で、とつぜん・チットが、

永井かふう(荷風)の本を

取り出して、

こう 

言いました。


 「ここから、東陽町方面にかけては、昔、有名な洲崎遊廓ってのが

あったらしいのよ

ここらで働く男たちが

行きつけて、

一時は、吉原と肩を並べるほど

盛況だったらしいわ


 荷風が『深川の唄』で、こう書いてるの。・・・」


「夏中洲崎の遊廓に 

 燈籠の催しのあった時分、

 夜おそく舟で通った景色をも、

 自分は一生忘れない。

 苫のかげから漏れる鈍い火影が、

 酒に酔って喧嘩している裸体の船頭を照らす。

 川沿いの小家の裏窓から、いやらしい姿をした女が、

 ほりものをした男と酒を呑んでいるのが見える。

 水門の忍返しから老木の松が、水の上に枝を延ばした庭構え、

 燈影しずかな料理屋の二階から 

 芸者の歌う唄が聞える。

 

 月が出る。

 

  倉庫の屋根のかげになって、片側は真っ暗な河岸縁

 を

 新内のながしが通る。

 水の光で明るく見える板橋の上を 

 提灯つけた車が走る。

 それらの景色をば

 言い知れず美しく悲しく・・」




 「戦後は、『洲崎パラダイス』に名前をかえて

栄えたみたい

今はもう、

当時の建物ひとつふたつしか

のこってないみたいだけど、

ちょっと、

行ってみない?」 (チット)


 「ダメ 今日はこれから、こてん(個展)に行くんだよ!」


(つづく)

 







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洲崎神社の波除碑~木場散歩・4

2016-04-29 | クリン江戸散歩

木場のほりわり(掘割)

ブラブラしていて

ふと・見つけた、

あかい鳥居・・


 すさき(洲崎)神社・・。

  (弁天さまの、お社か) 

 しき地も、はいでん(拝殿)も、小さくて、

いかにも、地元・みっちゃく型 ってかんじです 



しかし・・

 (・・・ん?)

 「津波警告の碑  (こんなところに、なぜ・・?)

 <寛政三年(1791)、深川洲崎一帯に襲来した

高潮により、

付近の家屋がことごとく流されて

多数の死者・行方不明者が出た。


幕府はこの災害を重視し、

洲崎弁天社から西方一帯を買い上げて

空き地とした。>


・・・・・・・

 (このへん、海だったんだっけ・・


れきし(歴史)にくわしい・チット

によれば、

江戸時代は

「埋立地の造成」がすすみ、

 もと・海があった、すみだ(隅田)川・左岸が、

どんどん・りく(陸)地に

かわっていった

らしい


こちらの「波除碑」と、

「平久橋」のたもとの「波除碑」とを

むすぶと、

 当時の海岸せん(線)がわかる。。


ばくふ(江戸幕府)は、

「人は住んじゃダメ

おふれを出しましたが、

けっきょく

明治になってからも、

木場関係者は住んだり

「洲崎遊郭」の女の子たちが

住んだりして、

 住民は、たびたび・海あらし(嵐)に おそわれたそうです


そんな

「江戸の埋立地」には、

もとの海を 

れんそう(連想)させる・地名が、

つけられています


 この近くだけでも、「越中島」「大島」「永代島」・・・

ちょっとはなれて、

「向島」「佃島」「石川島」「豊洲」「築地」「汐留」・・・


つまり、

そういう名前の場所は、

漁民でもないかぎり

住むことが

あまり しょうれい(奨励)されて

いない。。


なのに、

今は、

うめたて地が さらにふえて、

タワーマンションとかが

いっぱいたっている・・


 (れきし(歴史)の きょうくん(教訓)は


(つづく)








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木遣り歌と川並~木場散歩・3

2016-04-28 | クリン江戸散歩

 木場こうえん(公園)の反対がわ(側)、永代通り・うら手の

ほりわり(掘割)の あたりには、 

 ちょっとだけ、なつかしの下町ふぜい(風情)が ただよいます


 「物流の動脈」として、江戸の各地につくられたという、うんが(運河)


木場にも、

木材をあつめて

はこぶための ほりわりが、

何本も

せいび(整備)されました


 このあたりの水は、淡水と海水が入りまじり、

木材にとっては

ほどよい・らしく、

ふだんは

水面に 丸太を 

うかべっぱなしにし、

注文がきたら 引き上げて

かんそう(乾燥)させて

使ったそうです


 その・丸太をはこぶのは、「川並さん」とよばれる

しょく(職)人さんたちで、

かわなみさんは

丸太の上に 

一本のりして、

水面で

木を あやつることが

できたらしい


 木場の川並さんたちが、「労働歌」として うたっていたという

きやりうた(木遣歌)は、

うちのチット

お気に入り

よって、

クリンも 家で何度か

CDを

きいたことが あります

 

でも・・・

 今、このあたりで、耳をすましても、きやりうたは、ひとふしも 

きこえては

きません


ほりわりの両サイドを

見わたしても、

 材木おき場や、材木ぎょう(業)者を、ほとんど 

見かけません


 材木問屋のならびに、たくさん・うえられていたという、

大きな黒松も、

一本も

はえては いません。


 木場・いったい(一帯)に ただよっていたという、

ステキな木の香りも しません。。


 げんざい・のこっているのは、ゆたかな水ばかりです。


・・・

どうやら

木場のみりょく(魅力)は、

川魚釣りとかに、

うつってしまった 

ようです。


 (つり好きのおにいちゃんは、このまち、気に入るかも・・


(つづく)



 








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木場公園今昔~木場散歩・2

2016-04-26 | クリン江戸散歩

お友だちの

ジェマちゃんに

さそわれて、

 クリンは、江東区・木場に 出かけました


「木場」という

地名は

江戸時代、

 ここに、材木おき場があったのに、由来しています

江戸時代は、火事がとても多く、

 しょっちゅう・まち(街)が もえていたので

 「建築資材」である木を、たくさん・ひつよう(必要)とした

らしい

そこで、この地に 木があつめられ、

 材木商たちも、たくさん・あつまってきました


材木商の中には、

キブン(かんじ:「紀文」=紀伊国屋文左衛門)

ナラモ(かんじ:「奈良屋茂左衛門」)

など、

 天下にその名をとどろかせた大金もちたちも、

いました

かれらが、ひいきにした深川だって、

 またたく間に、有名花まち(街)になりました


 しかし、今、都立公えん(園)となった・木場には、

そんな

はんえい(繁栄)の名ごりは、

見あたりません。。


昭和までは

このあたりに、

 「貯め木」がおかれていた・そうですが、

「材木置き場」が

しんきば(新木場)に 

うつってからは、

年に一度

「伝統芸能の角乗り」

ひろう(披露)されるくらいで、

 ふだんは、江東区民のいこい(憩い)のスペース以外の

何ものでも

ないかんじ。。



・・・・・・


木場の、

木場たるゆえんは

なくなったのに・・・

うんが(運河)や、かし(河岸)のあとには、

 江戸時代のおもかげが かいま見える気がするのは、

なんで

なのでしょう・・?


(つづく)















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木場散歩・1

2016-04-25 | クリン江戸散歩

 

「次にヨコハマに行った時には、

 馬車道で、牛なべも 食べちゃいます

 

 

「クリンちゃん~。

 横浜もいいけど、

 今、木場で

 知り合いの個展やってるんだ。

 よかったら、一緒に行かない?」 (ジェマ)

  「行く行く!!」 

 

 

・・・・・・・

 

(きば?)


 「ねえ、チット~。きばってどこよ?」


江東区だよ。

 江戸時代に 

 材木置き場だったところ。

 だから、木場。」(チット)


    (・・・・・江戸時代?) 


 (江戸さんぽに つづいちゃう


(つづく)

 


 

 

 

 

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木村曙と、いろは牛鍋店~横浜散歩・11

2016-04-24 | まち歩き

 さて、今回のヨコハマさんぽ(散歩)

 

さいごに

おとずれた 馬車道は

文明開化グルメの

発しょう(祥)の地です


 文明開化・食のシンボルは、牛なべ(鍋)

で、

「牛鍋食はねば ひらけぬやつ」

うたわれて、

「新時代人」を名のる人の 

しきん(試金)石 でした。


 それまで、肉をとおざけていた・日本人ですが、

牛なべ(鍋)から

肉食に

めざめていった

そうです


 この牛なべ(鍋)屋を チェーンてんかい(展開)し、

大当たりをとった

明治時代の実ぎょう(業)家が、

木村しょうへい(荘平)

いう人なのですが、

 その荘平の娘である、木村あけぼの(曙) 

っていう女の子に、

うちのチット

前から 

関心を いだいています


 木村荘平が社長をつとめる・「いろは牛鍋店」は、

さいせいき(最盛期)には、

20もの支店を

もっていました


 「いろは大王」とよばれた・荘平は、支店のかんり(管理)を

それぞれ 

おめかけ(妾)さんたちに

まかせ、

商売を かく(拡)大


「牛肉食って、精力絶倫を、

まさに 

地でいく男でした


 この、いろは大王が作った・30人の子どもの

長女が、

木村あけぼの(曙)

です。


 チットが、あけぼのに注目したのは、彼女が「かわいいお嬢さん」だから、

では ありません

彼女が、

若くして小説を書き

当時、

「才女」の名を

ほしいままにして いたからです


 あけぼのは 父に似て、「想像力」と「行動力」のある

女の子でした


しかし、

父のぎせい(犠牲)になり、

19さいで

死んでしまいました


あけぼの

お父さんに、

 ゆめ(夢)だった・留学を 反対され、

好きだった東大生と

別れさせられ、

知らない男に

とつがされ、

夫の浮気に 

苦しんで、

 りこん(離婚)したあげく、病にたおれ、

しつい(失意)のうちに

亡くなったのでした・・。



 生前、父おや(親)の荘平は、

あけぼの

同い年くらいの若い娘を

次々 

めかけにとり

一方で、

娘のあけぼのを

てってい・かんり(徹底管理)しました


 「つけ文をする男がいた。」というだけで、かみ(髪)を切られた

日、

あけぼの

父のことを

にくんだはずです。

 


 そんな・あけぼのが書いた、小説の主人公は、

留学のゆめ(夢)をかなえ

けんこう(健康)な体で

自由に羽ばたく

みずからの

分身でした


 クリンは この話をきき、あけぼの

かわいそうで

なりませんでした。。


そして、

お父さんの荘平に、

晩年

バチが当たっていればいいな

思いました


 しらべてみると、荘平は エビスビールの社長になったり

政界に進出したり

しながら、

67さいまで

生きているのですが、


荘平・亡き後!

 「いろは帝国」は、子どもたちによって、一気に

つぶされていきました


 あとつぎの「荘蔵」は、売上金を使いまくって 店をとうさん(倒産)させ

次の「荘太」と

「荘五」と

「荘十」は、

文学にぼっとう(没頭)・・

「荘六」は弁士になり、

「荘七」は役者、

「荘八」はさし(挿)絵画家

「荘九」も画家

「荘十二(そとじ)」は 映画かんとく(監督)


好きな道にすすんで、

だれも

牛なべ屋の実家を

かえりみませんでした。。



この

すばらしい

兄弟のれんけい(連携)プレーには、


 お姉ちゃんのあけぼのも、浮かばれたことでしょう


(みんな、

 女ぐるいのお父さんのこと、

 キライだったにちがいありません!)



(横浜散歩・完)











 























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サムライ商会~横浜散歩・11

2016-04-23 | まち歩き

 うちのチットは、昔、「アート関連会社」のカブ(株)を

もっていたさい、

その会社が主さい(催)する

オークションを見に行き、

そこで

「サムライ商会」という

お店の存在を 

知りました。


 

 「サムライ商会」というのは、明治~大正時代の

ヨコハマで、

外国人向けの

びじゅつ(美術)品を

売っていたお店


 

 朱ぬり(塗)・ハデハデ店がまえ やね(屋根)の上の

大ワシ(鷲)、

外に向かって・にらみをきかせる

仁王ぞう(像)


外国人に対し、

より・エキセントリックに

ジャパンが

伝わるような 店がまえで、

本町通りでは

有名だったそうです


 (表参道にある、外国人向け・おみやげショップ、

「オリエンタル・バザール」は

ちょっと

同じニオイがします


サムライ商会は、

 とうき(陶器)、こっとう(骨董)品、家具・ぎんき(銀器)を 

商うだけでなく、

名工のはっくつ(発掘)にも

きよ(寄与)しました


 関東大しんさい(震災)で、店がなくなるまで、

商売は

かなり・うまくいっていた

らしい

 

 

店主の のむらさん(野村洋三)は、

のち

ホテルニューグランドの

2代目支配人となり、

せん(戦)前・せん(戦)後を

その才かく(覚)で

切り抜けた、

「ヨコハマ商業界」の

けつぶつ(傑物)だったとか


 「この野村っていう人、原三渓とも親しくて、

マッカーサーからも

気に入られていたみたいよ!

これは

なかなかの人物に違いないわ

暇になったら、 

調べてみよう」 


チットが言いました。



ヨコハマは、

 れき(歴)女の知的好奇心を、しげき(刺激)するまち(街)です


(つづく)



 



 

 

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三菱自動車の株主

2016-04-22 | 社会・経済

かつて、

「ビッグ・5」の 一角で、

 「日本郵船」の所有ざいばつ(財閥)でもあった、みつびし(三菱)

その 

さん(傘)下にある

みつびしじどうしゃ(三菱自動車)が、

今、

たいへんなことに

なっています

 

 不正が、はっかく(発覚)したのです

 

「三菱自動車」は

30年前、

 うちのおにいちゃんを むちゅう(夢中)にさせた・車を、売っていました

おにいちゃんの青春は、

黄金時代の

みつびし車、

パジェロや、ランサーと、ともにありました 

 その・みつびしが、相当まずいことを してしまったそうで、

 けいえい・きき(経営危機)に おちいりかけているらしい


 ぎんこう(三菱東京UFJ銀行)から、イージス艦(三菱重工)

「商事」に

「地所」に

「電機」に

ほけん(明治安田生命)、

食品・のみもの(キリン)

コンビニ(ローソン)

まで

したがえている

みつびしは、

「日本最大のグループ企業」です


 その、みつびしが、2000年の「リコール隠し事件」より・このかた、

おにもつに

なっている

「自動車部門」を、

今回も 

グループで

守りぬくか

世間は、そこに 注目しているらしい・・ 

 しかし!10年以上、株主やってる・チットは、

そんなことより

怒り・しんとう(心頭)


 「何やってんの 三菱 リコール以来、ただでさえ

目をつけられているんだから、

誠実な態度を 

とり続けなきゃならないのに、

立場を

わかってないんじゃないの

データ改ざんなんて

他もやってるかもしれないけど、

それが問題にされないくらい、

三菱自動車にだけ

そういうイメージが

ついちゃっているんだから

 今まで、無配でも、マイナスでも、ずっと持ち続けてきた株なのに、

事業撤退したら

おしまいだわ

・・・

さすがに今回は、

グループからも

見捨てられてしまうかも。。

ああ~どうなるんだろう

読めない~~


困りはてています。。



 かぶ(株)のねだんは、買った時の 3分の1以下に下がりました


が、

チットは

とうさん(倒産)さえ・しないでくれれば、

「塩漬け」にして、

 あと30年くらい、もっていてもいい と思っている

らしい。。


 なにしろ・チットは、「応援株」しか買わない、ちょうき・とうし(長期投資)家


そして

みつびしは、

 おにいちゃんが、今でも おうえん(応援)する・きぎょう(企業)です


だから、

かぶは

なんとしても

売らない方向で

いくそうですが、


チットの怒りは

しばらく つづき・・・


 「お兄ちゃんがファンじゃなかったら、とっくの昔に損切りしてるから!

コンプライアンスが

ずさんな会社の株なんて

本来持ちたくないのよ、

私は

 まったく、技術力があるのに、なんでやらかすかね

社員がかわいそうだわ

バカ会社


あ~あ、

つくづく

信用取引に 

自分自身以外の意向を 

採り入れちゃいけないって

わかったわ・・

 私、株でマイナスなんて、はじめてよ お兄ちゃんの

せいだ!

おにいちゃんの貧乏神


アアーン・・



おにいちゃんに、

はげしく・あたっていました。。 (あわれおにいちゃん








 
















 

 

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馬車道のカフェ「オムニバス」~横浜散歩・10

2016-04-21 | まち歩き

 馬車道駅の ま(真)上にたつ、「旧第一銀行」のたてものは、

今、

YCC ヨコハマ創造都市センター

という

アートしせつ(施設)に、

りのべーしょん・されています


 そこには しずかなカフェもあり、長居できるので、馬車道周辺では

穴場です

 

しかし!

このような 

「歴史的空間」で

お茶してしまうと

どうなるか

 

 ねえ!昭和初期のビッグ5、って知ってる?三井・三菱・住友・安田・

そしてこの第一銀行を含めた

5大銀行

昭和2年に「渡辺銀行破たん」に端を発する

金融恐慌が起こった際、

中小銀行が

休業や閉店に追い込まれるんだけども、

その時、ビッグ5がそれらを統合して

金融業界を牛耳って・・・」


 

 

 

歴女の語りが とまらなくなります 要ちゅうい(注意) (つづく)

 

 

 

 

 

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横浜の歴史的建造物めぐり・万国橋周辺~横浜散歩・9

2016-04-20 | まち歩き

 では ヨコハマの「歴史的建造物めぐり」、後半いきます

 「横浜税関」から、うめ(埋)立て地の方向に 

すすんでいくと

右手に、赤レンガそうこ(倉庫) 

 左手に、日本ゆうせん(郵船)のそうこ(倉庫)が 

見えてきます

 

ヨコハマのはってん(発展)を

かたる上で、

「赤レンガ倉庫」は

外せないような

気もしますが、

 ここは、何度も来ているし、今や・たてなおされて

かん(観)光地

みなとみらい地区と あわせ、

別のきかい(機会)に

とりあげるべきかな、

思いますので・・

 今日は、馬車道方面に もどることにしました

 万国ばし(橋)をわたると、そこには・・・

 

これぞ、

港・ヨコハマの

れきし(歴史)的けんぞうぶつ

 

 日本ゆうせん(郵船)会社が、そのいよう(威容)を

ほこっています!


 明治時代、ぼうえき(貿易)の さいぜんせん(最前線)にいた、

日本ゆうせん(郵船)会社

 

みつびし(三菱)と、

共同うんゆ(運輸)が

合同して

できた会社で、

数々の

「遠洋航路」を ひらきました

 

 インド・ヨーロッパ・北米・オーストラリア・・・


うちの歴女・チットは、

この会社が 所有する

「氷川丸」が

大好きで、

この 「ハマ散歩シリーズ」の

トリに

「氷川丸」を

とってあるらしい。。


だから、

次に ヨコハマに来る時には

クリンも、

ジェマちゃんも、

たぶん・「氷川丸」に

じょうせん(乗船)することに

なります



さて、


 このかいわい(界隈)には、大会社のほか、

官庁やぎんこう(銀行)が

目白おし

  「横浜地方法務局」

 「旧・富士銀行(その前は旧安田銀行)」

   「帝蚕倉庫」 

 「旧・第一銀行」 と、せまい・エリアに、そこそこの

ストーリーをもつ

歴史的けんぞうぶつ(建造物)が

ひしめいていて、

なんだか

まち(街)が 今でも

イキイキしてるのが

見てとれました


とくに、

近代ぼうえき(貿易)の

カナメであった、

商社せんもんの

とくしゅ・ぎんこう(特殊銀行)

「横浜正金銀行」

は、

日本史ファンを 

コウフンさせる

 白みどり(緑)色のドームつき・バロックけんちく(建築)が、

宮でん(殿)みたいで 

ビックリします


(つづく)



















 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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横浜土産「横浜三塔物語」~横浜散歩・8

2016-04-19 | グルメ

 「キング」とよばれる、「神奈川県庁本庁舎

「クイーン」とよばれる、「横浜税関」 

 「ジャック」とよばれる、「横浜市開港記念会館


この、

ヨコハマ三とう(塔)は

 実は、スティック・ケーキにも なっています


<横浜三塔物語

 茶色いレンガに合わせた、チョコチップ・ケーキの「キング

  (モグモグ・・) 

 うすら・黄色いたてもの(建物)からの れんそう(連想)か

オレンジケーキの「クイーン」  (パクパク・・)

 深い紅茶色の外へき(壁)が ロマンチックな

「ジャック」は、

アールグレイ・ナッツ・ケーキ  (ムシャムシャ・・)



私、こういう、

 由来系のお菓子、大好き~

  『石坂浩二賞受賞』だって 陸蒸気サブレも売ってるわ。

この店、おもしろい!」

チットが よろこびました


(・・・・ん


 「願いが叶うという伝説


ケーキといっしょに

入っていたカードには、

こんな 

おトクな・じょうほう(情報)が、

かかれていました。


「外国から来た船乗りたちが名付けた、

 3つの塔。

 船乗りたちは3塔に航海の安全を願いました。

 また、

 震災などの試練を乗り越えてきた3塔を

 一望できるスポットを訪れると、

 願いがかなう、

 という伝説があります。」




ねがいがかなう、

3塔・全部見・スポット。。


 ・・・・そんなのあったの、知らなかった (先におしえてよ・・)


(つづく)










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横浜の歴史的建造物めぐり・「横浜三搭」~横浜散歩・7

2016-04-18 | まち歩き

 「横浜情報文化センター」の近く、

日本大通りには

開港期の

ヨコハマの中心、

 「神奈川県庁・本庁舎」が、どうどう(堂々)と いすわっていて、

すごいです


この、ていかん(帝冠)様式の

たてものは、

「キング」と呼ばれ、

 近りん(隣)の「ジャック」(横浜開港記念会館)や、

 「クイーン」(横浜税関)とならんで、

「横浜三塔」

しょう(称)される


 ちなみに、「ジャック」のたつ場所は、かつての「横浜町会所」

 &、「横浜商工会議所」

 &、「岡倉天心生誕の地」 でもあります。

 

お役所である、「キング」や、

 まやく(麻薬)など、「入国審査関連」を てんじしている、

「クイーン」と 

くらべると、

 ジャックは、時計とう(搭)がステキだし

  中に入りやすいし

 ヨコハマかん(観)光気分を 高めてくれるし

ステンドグラスは 美しいし、で、

 いちばん・見ごたえのある、しせつ(施設)です


まあ、

クリン的には、

「クイーン」のたてものも

ぜいかん(税関)に

似つかわしくなく、

 アラビアン・ナイト、というか、中近東なふぜい(風情)で

ゾクゾクきますが・・


(つづく)







 

 

 

 

 

 

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横浜情報文化センター・雑感~横浜散歩・6

2016-04-17 | まち歩き

 海岸教会のならびに、「横浜情報文化センター」という、

一部

部分保存されている

「歴史的建造物」が

あります。

 (←奥は、今風の新しいビルで、手前が昔ながら



ここは、

もともと

関東大しんさい(震災)・後の

ヨコハマの商工ぎょう(業)を

ふっこう(復興)する目的で

たてられました


今は

「情報関連企業」が

入るビルとして

きのう(機能)しています


 (向かいには、「電信発祥の地」の碑もあります


ヨコハマも、

関東大しんさい(震災)では

かいめつ(壊滅)的な

ひがい(被害)をこうむった

場所


・・・・・・

 90年以上たつ今なお、まち(街)には あえて・そのきずあとが

のこされていたりします。


 「熊本大震災」の発生で、(のんきに、まち歩きしている

場合じゃないのかも・・)

いっしゅん(一瞬)

じしゅく(自粛)ムードに

なりかけた

クリンでしたが、

 あいする・くまもとじょう(熊本城)が、

じしん(地震)で

ほうかい(崩壊)のきき(危機)にひんし、

かなしむ・おにいちゃんを

見て、

チットが、

い(異)を 唱えました

 

 「今ある古きよき建物たちだって、次に関東大震災がきたら

危ないよ

・・・

たとえば、あの

『海洋会館』みたいな、

私たちが

愛している建物だって、

いつどうなるか、わからない


これからは、

そういうことも踏まえて、

いっそう、

街の記憶をのこすために

ハマ散歩や

江戸散歩を やるべき」 (チット)


・・・・・・


「そっか・・ そうだね、そうだよね 」 (つづく)















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横浜の歴史的建造物めぐり・山下町編~横浜散歩・5

2016-04-16 | まち歩き

元町をぬけて

「山下公園通り」に出ると、

 ホテル・ニューグランド (※チットとおにいちゃんの「結婚式場」)や、

 居りゅう(留)地時代の「外国商館」があり、(※今は創価学会の施設)

  ほどよく・クラシカルです 

 ニューグランドについては、何度か・ふれてるし

 右手の山下公えん(園)は、別のきかい(機会)に

あそびに来たいと

思っているので、

今回は

スルーします


「歴史的建造物」が

バンバン・出はじめるのは、

「公園通り」のつきあたり


「開港広場」前あたりからです


 「英一番館跡」&「シルク博物館」

  「横浜海岸教会」 

 「横浜開港資料館」


 開港しりょうかん(資料館)には、

中庭に、

 「ペリー来航図」に描かれた、たまくすの木(楠)

ドドンと 立っているので、必見  

 しかも、そのうら(裏)手に、「旧英国総領事館」のたてものもあって、

れきし(歴史)を まのあたりにすることができます

 (いいかんじのカフェも 見つけました♪


しかし、

このエリアでは

クリンたち、

そのとなりに立つ、

海岸教会にこそ

 もっと きざみこまれた・れきし(歴史)のおもみを かんじたのです


 教会のリーフレットをよんで 知ったのですが、

ここの 

チャーチベルは、

1875年

教会が たてられたさい、

アメリカから 

おくられたものだそうで、

長い間、

礼はい(拝)の時を告げる・かね(鐘)の音として

この一たい(帯)に

ひびきわたっていました


 しかし、「第二次世界大戦」が おこると、

ご多分にもれず

「金属回収令」で

もっていかれそうになり

その時

教会は、

ぼくし(牧師)さんたちを

中心に、

必死で ていこう(抵抗)して

守りぬいた・らしい。。


「アメリカからの 愛の贈り物を、鉄砲の玉にして

送り返すことはできない!」


わたなべぼくし(渡辺連平牧師)

がんとして

つっぱね、

とうごく(投獄)されても

かね(鐘)を 

わたしませんでした



そんな気もちの上に 

たっているからなのか・・


 海岸教会は、白百合のように、りん(凛)とした

フンイキが

あります


(つづく)















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横浜散歩のつづきは、明日に順延します

2016-04-15 | ニュース

 

 

<昨夜、熊本で震度7の大地震が発生


 (お、お、お、おにいちゃんのこきょう(故郷)、くまもとが・・・

(くまもとが、たいへんだあーーーー






(※というわけで、クリン・ヨコハマさんぽのつづきは、明日かきます。)


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