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クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

忠臣蔵論争の決着

2025-03-13 | 歴史

先日、津和野銘菓の「源氏巻」を いただいたのですが

 島根県で元禄時代から作られているという・この、カステラあん巻き

その箱書きを読んでみたら、

このお菓子のすごい由来が 書いてありました👀

「頃は元禄十一年、赤穂の浅町内匠守の刃傷が起きる前のことです。

当時の津和野藩主、亀井滋親公が勅使接待役を命じられ、吉良上野介に典儀故例の指導を受けていましたが、浅野同様、数々の辱めをうけて大いに憤り、吉良を斬って自らも自害する決意をしました。

それを知り、国家老多胡外記が、御家の一大事と早速吉良家に進物を贈りつけたところ、吉良の態度は一変、殿様は無事大役を果たす事ができました。

その時の進物、「小判を包んだ形のお菓子」が源氏巻の原型になったということです。

津和野を救った縁起の良いお菓子として、広く親しまれています。」

 つまり、あの『忠臣蔵』で知られる・赤穂事件前に、

吉良上野介義央にいじめられていた・別の藩主(浅野内匠頭長矩以外の殿様)が存在した

というのです

 つわのはん(津和野藩)は、吉良に「袖の下」を贈り、

これ以上因縁をつけられないようにしたという・・

 

今まで、数限りなく・論じられてきた、

「浅野内匠頭と吉良上野介、どっちが悪いやつなの!?っていう・論争・・

 クリンたち都民だし、なんとなく・吉良上野介は本当は悪くなかったんじゃないか

って思いたかったけど・・

遠くはなれた・津和野藩で、このような歴史的証言をするお菓子が作られてしまっていては、

もう、かばいようもありません

 というわけで、忠臣蔵論争は「浅野はやっぱり悪くない。吉良が悪人」

という・裏付けがとれちゃったこと、ここに ご報告申し上げます🐻

 

 

(なお、史実ではない場合が、あります

 

 

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ゴダィヴァ夫人

2025-02-14 | 歴史

毎年バレンタインの友チョコをもらっていますが、

今年はふつうにゴディバ(GODIVA)だったので、かえって・しんせん(新鮮)でした

贈り主いわく、

 私、ゴダイヴァ夫人の伝説が好きなの。」

 ゴダイヴァ夫人とは、11世紀のイギリスで、領主の奥さまだった美しい女性。

夫が領民から過酷な取り立てをするのをやめさせよう、といさめたら

「お前が裸で馬に乗って街中を練り歩いたら、やめてやるよ」

と言われ、

 その通りにして民衆を助けたという、聖女です。

 ベルギー王室御用達チョコレートショップ・ゴディバは

このゴダイヴァ夫人に感銘を受けて、ブランドネームにし、

ロゴデザインにも「馬に乗った裸の女性」を つけている🐴

・・・

それは、けっこう世に知られたネタだけど、

実はゴダイヴァ夫人の「裸・馬乗り伝説」は史実ではない。

なんて話も 聞いています。

 でも、そんなことはいちいち・してき(指摘)しない。

したくない。

 目下、映画公開中の「ベルサイユのばら」。

ベルばらといえば、
オスカルのほか、

マリー・アントワネットとフェルゼン伯のラブ・ストーリー(禁断)も 欠かせませんが、

「実際、不倫していたという確証はないですよ」

などと言って、

みんなの夢とロマンをこわそうとする・歴史学者たち、

彼らは、おろかなやぼてん(野暮天)です

(2021年には、X線蛍光分光法を使って、アントワネットが処刑直前にフェルゼンに送った手紙の塗りつぶし部分も解読したのだそうです

ブルボン王朝に、科学のメスを入れるな~~

あの二人が愛し合ってないわけないだろ~~~~🐻←ベルばらファンの叫び

 話をもとに戻しますが

今年もらったチョコレートは 

いつもより数が少ないけど、

それは昨今の、カカオ高、円安、物価高とう(騰)が関係しているのでしょう

でも、

そんなことは、いちいち口にしないのがお約束。

 ゴダイヴァ夫人の伝説だって、

もちろん真実のものとして、ありがたくゴディバをいただく

クリンであります🐻🍫



(やっぱゴディバ美味しい💛)

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色川大吉さんの功績

2021-12-28 | 歴史

一昨日、

「瀬戸内寂聴さんのご逝去」について、

ちょっとふれましたが、

今年、ふほう(訃報)が伝えられて、わが家でたいへん・惜しまれた方が 

います

 色川大吉(いろかわ だいきち)さんです。

大正生まれの歴史家・色川大吉さんの 

せんもん(専門)は、

日本近代史。

歴女である、うちのチットが

とても・そんけい(尊敬)している方です。

 直接教わった・けいけん(経験)はない・チットですが

若いころ、

色川さんが「責任編集」した、この『日本歴史展望』に 出会い、

その・叙述のすばらしさ

深いものの考え方

良心的なたいど(態度)

ことごとく・かんめい(感銘)を受け

 以来、ず~~~~っと、この本を、「どこに何が書いてあるか?」

記おく(憶)するまで 読みつづけました。

歴史家としての色川さんの功績は、

自由民権運動の広がりを示す『五日市憲法草案の発見』

ってことに とどまっているけど、、

私という個人を含めた、後に続く人たちに与えた影響は はかり知れないものがあるよね

私にとって、この本は

まぎれもなく、運命の本だったわ。

・・・・

ご存命のうちに、感謝の気持ちを お伝えしたかった。」

 

って

言ってました。

 

色川先生・・

 うちのチットが 長年、お世話になり、

ありがとうございました🐻

 

 

 
 
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蒲郡クラシックホテルの歴史と、池波正太郎のエッセイ

2020-12-15 | 歴史

 「海辺の文学記念館」(愛知県蒲郡市)で、

クリンは

たくさんの 文ごう(豪)による、

「蒲郡クラシックホテル」についての 

文章を 読みました。


 たとえば・・グルメな時代小説家、

いけなみしょうたろう(池波正太郎)

エッセイ『よい匂いのする一夜』で、

レストランの ビーフカツレツを

登場させてますし、

 その他・大物(谷崎潤一郎や、菊池寛、川端康成、志賀直哉、与謝野晶子etc.)

も、

エッセイに、小説に

 ホテルの姿を、かれい(華麗)に 立ちあがらせています


 もちろん・・、ホテル自体が

ステキだから、

自然に 物語が生まれちゃう

と いうのはあります


でも・・

 それは、実は・・この「蒲郡」と立派なホテルに

人を呼ぶ、

国をあげての「PR活動」

として

行われた・しっぴつ(執筆)だったのだ

そうです

 

つまり・・



 ホテルや、行政が、有名作家に

いらい(依頼)し、

(みんながあこがれる観光地として、作品に書いてよ

根回しを していた

結果だ、と いうのです

 

・・・・・・

 

 

きけば・・

ホテルがオープンし、

作家たちが 招かれていた

昭和9年


日本は すごく貧乏で(恐慌のまっただ中)

中国や、欧米とは ケンカばかり、、

ハッキリ言って、

ちょう(超) 行きづまっていたころだった

らしい

(※太平洋戦争開戦の7年前です)

 

 そんな中で・・ ムリして打った 大々的な

「ウェルカム・トゥ・ジャパン・キャンペーン

は、

政治・けいざい(経済)の どんづまり

一挙に かいけつしうる

「起死回生の策

と して、

 政府や、役人の 肝いりで はじめられた

一大国家プロジェクト

でした



 つまり・・ がまごおりホテルは、川奈ホテル、

うんぜん(雲仙観光)ホテル、

と ならび、

「外国人観光客向け」に たてられた

国家のいしん(威信)と

めいうん(命運)を かけた、

ホテル

 

だったのです

 

しかし、、



 どれほど・一部で がんばったところで、

大きな方向性

軍国主義であった 時代・・

 

「観光立国」なんて、

企画だおれに おわってしまう

かなしい 定め、、


 大日本ていこく(帝国)の 野心
は・・

観光立国」や

「貿易立国」を 目指すのなんかに

おさまらず

かくだいろせん(拡大路線)を つきすすんで、

 

ほうかい(崩壊)して しまいました・・


 先の見えない、不たしか(確か)な

時代に、

国のふっかつ(復活)の

いちよく(一翼)を になうために

たてられた

がまごおり(蒲郡)クラシックホテル・・

 それは、まさに こんとん(混沌)の昭和

が、

なんざん(難産)して

生みおとした、

きりんじ(麒麟児)であった

 

と 

いうわけでしょうか・・。

 



 ちなみに、このたび・・ 昭和9年について

ちょっと

しらべなおしてみたら、

 

・日比谷に、東京宝塚劇場が 完成したり

・渋谷に、ハチ公像と東急東横デパートが オープンしたり

・築地本願寺が、古代インド様式で復活したり、、

 

 「建築史」として、わりあい・おもしろい

てんかい(展開)が あったことが

わかりました

 

 世はまさに、「欠食児童

に「娘身売り」、

「満州国は帝政に移行」して

「思想犯」はひどい目に あっている

いうじき(時期)に・・

 

ふしぎと

前に すすんでいる部分も あったのです。。


 ぼうとう(冒頭)で・・

池波正太郎さんが

ホテルのエッセイを 書いている

ご紹介しましたが、、

 その中で、池波さんの

連れの 紳士が、

こんなことを おっしゃっています

 

 正ちゃん、切羽つまった生き方をしてはいけませんよ。たとえ気分だけでも余裕(ゆとり)の皮を
一枚残しておかなくてはいけない。」

 池波さんが、その方から「何度も聞かされた」

という

言葉は・・

 

がまごおりクラシックホテルのできた 

時代において、

本当に 

いみ(意味)をもった、

心からの発言 だったんじゃないかな・・?

 

 ・・・って、クリンたち、話しました。

 

 

コメント (16)
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