キャロリン。の日記

いつも、熱く、楽しく、全速力で、生きること。

夫のニューファッション~天才と暮らす

2011年11月30日 | 家族
久しぶりに、夫が、右と左の靴を別のものを履いて行きました。



子どもたちが、唖然としていました。

ということは、10年ぶりくらいでしょうか?


子どもが覚えていないということは・・・・



そして、その後、洗濯を畳んでいると、

ドロの白い学校用の靴下が、4本。

干すときには気がつかなかったのですが、


よく見ると、4本とも種類が異なっています。


そこで、また、組ませられないので4本をそのまま畳んでまとめておく。


きっと、手当たり次第にとって、履いていくのでしょうね。


そして、再びちぐはぐな靴下の洗濯物に、苛立つのは私だけなんでしょうね。


天才が3人も揃っていると、暮らしは大変です。



それでも、いいこともあります。


学校から、泣いて帰ったハイジ。


どうしたのか聞くと、


「算数の計算がのろいって、毎日怒られてたけれど、今日は残り勉に更に延々と怒られた。」


と言うので、


帰宅した夫に、


「そろばんを習わせたらどうだろう?」

と提案したら、夫に反対された。



そして、夫が、ハイジに


「ハイジね。計算が遅くても、数学ができないことではない。一生懸命やっても遅いものは仕方がないよね。計算が遅い人のほうが本当の数学は出来るものだよ。今日の数学の公式や定理を見つけた人たちの多くは、計算が苦手だったんだよ。お父さんも、のろかったから、お父さんに似たんだね。」


と言っていた。


変人(我家の天才1号)に救われることもあるのですね。
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認知症は続くよどこまでも~止まらない物忘れ

2011年11月27日 | 家族
少し良くなってきたと思う認知症でしたが、

このところ、やはり、失態は続きます。


まずは駐車場の場所。この間も間違えたのですが、また、間違えて隣の駐車場に停めてしまいました。

そして、出掛ける度に、忘れ物が続き、最初は駅でストックを落としたのですが、行きの駅だったので、帰りに、遺失物として届いていたので良かったです。

その後は、お店の方に、お忘れですよ。と、靴を履いているときに届けて貰いました。

さすがの神も、忘れ物の多さに見放したのでしょう。


しかし、その後は、いつも入れている薬のポーチや、限定コレット(こんなものでも、すごく気に入っていたので、)記憶を手繰って、あちらこちらに電話をしてみるのですが、


出て来ません。


今度買ったら、消えないマジックで、名前と電話を書いておこう!
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紅葉狩り~村の文化祭

2011年11月25日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害





大学で知り合った友人が、就職した。

なんと、車で2時間以上もかけて通っている。


そこで、文化祭が行われるので、一緒に行こうと誘ってもらった。


綺麗な空気と、壮大なるパノラマ。


村の人たちも気さくで、まだ働き始めたばかりなのに、たくさんの人が彼女のことを知っていて、声を掛けて来る。


ガタイの大きな彼女、


なんと、

「ジャンボ姉ちゃん」

と呼ばれていた。


なんてマッチした呼び方!


彼女のバッグの中はいつもドラえもんのポケット!

いつもいろんなもので、子どもたちを楽しませてくれる。

昨日は、木っ端で熊の木細工つくり、どんぐりのこまを作ってくれた。

なので、ごんたはお気に入り。

「△さん」

「△さん」

「△さん」

「△さん」

と連呼していた。


彼女は、森を作る仕事をしてきて、行き詰ったときに知り合った友人ですが、

やはり、彼女は、森を作る仕事がすきなのかと思います。

生き生きしていました。

彼女のお陰で、素敵な1日となりました。
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立ち直れる日はいつ?~受診

2011年11月25日 | 家族
今朝、阿武隈川から500億ベクレルの放射性セシウム計測。
のニュースを聞き、思い出した。


23日の福島県の被災者の方の話のなかで、


最近、現地では、耳のないうさぎや、奇形の猫が産まれてきているのが目立つようです。


長い間には人間にも・・・・・影響があるんだろうね。

と言ってました。

計測数値だって、東電の天下りが多い中で、・・・・・・・・

とも。



はたと、思ったのですが、

実は、昨日、子どもの掛かっている先生の受診がありました。

そこで、今日は愚痴るまい。泣くまい。

と決意して行った。


自分の中の結論は、

人間の(私の)一生は、精神力を鍛える旅なのだ。


と言う、親に言われ続けた。

頑張れ頑張れ。精神力が足りない。気が弛んでいるからだ。


でも、そうやって自分を叱咤激励しながら、

今までの生き方をしていくことが、一番良い気がした。


しかし、子どもの先生に、いざ呼ばれて、いろいろ聞かれるうちに、

大丈夫!大丈夫!大丈夫!

の私の連発に、

先生は、

「明らかに前回変だったでしょう。最近はそういうこと起きていないか、聞いているんだけれど・・・・。


大丈夫じゃ分からないわよ。具体的な失敗談はない?」

と、言われて、

結局、号泣してしまった。


ドクター:「先生から診ては、(気のせいではなく)確かにいろいろな諸症状があると思うのよね。」


私:「どこの科に行っても、みんな気のせいだから精神科へ行けって言われるし・・・・。私の、この間の認知症状は鬱病なんじゃないかと思った。でも、精神科では、鬱じゃないって言われるし。」


ドクター:「確かに、鬱で認知症になることはあるけれど、鬱の認知症であるとは今までの普段の状態からは考えられないと思った。気分が沈んでいる部分の鬱だけ診て欲しかったんだけれど・・・・。」


私:「循環器だけは、先生が言ってくれて、何とか信じてくれるようになったのだけれど。この間腎臓リウマチ科の先生が相談会に来ていて、起きた状況を詳しく話してというので話したら、やはりその先生も、パニックではなく、循環器系だと思う。と言ってた。

言っても、気のせいって言われるから、だったら精神力を鍛えるためだって、今までどおり生きていったほうが、悩まなくて済むと思う。」

ドクター:「本当に不調なわけだし、ある症状は正直に言って、調べて貰って、何もなくても否定しておくことは必要かも。」

私:「調べても分からない摩訶不思議がいっぱいあって、人は1度生まれたら1度必ず死ぬのだし、
だからと言って、投げやりなわけではなく、太く短く生きればいいといつも思ってきた。25歳のときからは、いつ死んでも、悔いはない、充実した人生だったと思っている。いつも全力疾走してきた。

その中で、ずっと、何で自分は虚弱体質なんだろう。どうしてみんなは、あんなに仕事がバリバリ出来るんだろう。何で徹夜が出来るんだろう。

と、心の中で自問自答をしていた。


発熱は、慣れたのか39度とか出ても仕事が出来るようになった。20歳代の頃の腹痛は死ぬかと思うほどだったけれど、最近はなくなったし、しつこいものを食べなくなってからは、激痛に襲われることはなくなった。

それでも、疲れると口内炎や、結節性紅斑が出てくるのは分かってきていたので、出ると、家事を手抜きしたり、横になる時間を意識して取ってきた。

それでも、心のどこかで、みんなは何であんなにもタフなんだろうって、思っていたのが、病名診断が35年も経って付いて、同じ病気の人たちの疲れやすいという声を聞いたときに、はじめてほっとした。嬉しかったのです。

自分が、頑張りが足りないのではなく、病気のためだったんだ。自分は頑張ってきたんだ。頑張っても、頑張っても、疲れると、諸症状が出るのは病気のためだったのだと分かって。





でも、結局どこへ行っても、データとして出ないから、採血など、本当に優等生なんです。
だから、信じて貰えない。


今回私の出した結論は、やはり、父と母が育ててくれたように、

人生は、精神力を鍛える旅だと思って、また頑張ることにした。」


ドクター:「それで、その生き方が楽?苦しくない?」

私:「そう割り切ったほうが、悩まなくて済む。実の父も、働かないのは人間のくずみたいに言うし、義母も、行く度に働き者だっていうから貰ってやったのに!弱い嫁貰って損した!とか、嫌味三昧。良くも悪くも、そう考えないとやっていかれない。」

ドクター:「周りの協力が得られ難い環境でもあるからねえ。ご主人も含めて、相手のご両親と、ドロと、相手の気持ちを思いやるとかいう部分は欠けているから、大変だと思う。人生下り坂の人は、どんどん頑固になるだけなので、育たないからね。」



先生も、なかなかしつこい。


最終的に、

「とにかく、今度は、リアルタイムで予約外で診察してもらえるか、検査も異常時になるべく早く検査してもらえるか聞いて来なさい。それと、先の見通しが、少し分かるように言ってもらえるように頼んでみたほうがいいよ。」

となった。


また、ドロが、やっと自分の言葉で、やったことの顛末や、事態の大きさを少し感じ始めてきていることを感じられるようになった。

と言われた。

ドロは、これから、まだ、少しずつ育っていくだろう。

そのためには、

親も、

怒ったときの気持ちを汲んで、言葉にしてあげてから、人の感情を教えていくといい。

と、課題を頂いて帰ってきました。


この先生、

いつも、本当にありがたいと思います。

人の悲しみは、人に何度も話すことで、癒されていくのではないだろうか。

先の被災者の方たちの涙と、今回、愚痴は辞めようと思って行ったのに、するりと心の中に入り込んできた先生の行為。

人に生まれた幸せを痛切に感じました。
合掌

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原発の避難者~生の声

2011年11月23日 | 健康・自然共生
今日は、お料理教室に誘われて行って来ました。

そこで、福島県から非難してきた方と出会いました。


ニュースでは放送されない、生の声をたくさん聞かせていただくことができました。


一番大きかったのは、故郷がない。

こと、そこにあるのに、ふるさとに帰れないこと、故郷におそらくもう帰れないと言う現実からでしょうか、故郷がないんです。

と、何度も訴えられました。

そして、東北地方に多くの親戚をもつ人たちが多い中で、家族を失ったものが多くいるのです。
いかにいます父母って歌えないです。

とも。


私たちとは違った、彼らの故郷への慕情は大きなものであることも、初めて知りました。

福島や東北の人たちが、いまなお、昔ながらの日本の近所付き合いが存続しているからこそ、郷里への思いも大きいのだと思います。


ただ励ます為に、避難先では、各地でサロンを開いて交流の場を作ってくださることは嬉しいし、本当に、何ヶ月にもわたり支援してくださることに感謝していることを語ってくれました。

ただ、そのときに最初は、いつも
「故郷の歌を歌おう!」

と言われて、歌えなかったこと、悲しみの上塗りをされている気がしたことなどを話してくださいました。

避難先が7回変わったが、それでも、皆さんに良くして貰い、また、ご飯も、待遇も本当に良かったこと。

その中で、出された料理に対しても、残したら申し訳ないという気持ちから、健康のため制限があることを言えなかった人がいたこと。


戦争で追われるように、着の身着のまま、何十台も連なったバスに乗り込み、バスを降りるときには、放射能の計測を、頭の先から足の爪の先まで計測され、安全の確認の証明が出なければ、自分の子どものところに身を寄せることも出来なかったこと。(その話から、人として扱われないような感じの扱いだったように、私は受けました。災難だったねえという思いやりの気持ちがないかんじを私は受けました。)


車も、放射能を浴びているため、移動が出来ず、置いたままになっており、仮払いは、返還しなくてはいけないので、車を買うことも出来ない。

家を新築したばかりでローンを払いながら、住めない虚しさ。

原発の恩恵を受けているのは、原発から、半径何キロと決まっていて、10キロ以上離れている自分たちは、今までも、何の社会的な優遇をされて来たわけではないこと。

夏頃に届いた東京電力からの分厚い書類と、その保障金額のこと。

支援のお金を貰うにも書類の書き方が分からないこと。

先着30名と言う書類の書き方の講習が開かれることになり、

時計を見つめて、すがる思いで電話して、その30名に入れたこと。

しかし、予約はしても、その会場へ行くのにどうしたらよいのか。交通網がない。

また、30名に漏れた人への思い。

どうして、避難者がどこにいるか把握されているはずなのに、全員に通知されないのか。

また、いろんな説明会も、夜に市役所で行われたりしているが、バスもないし、タクシー代など払えないのに、どうして交通の配慮がないのか。多くの避難者のいる団地の近くの公民館などで何回かに分けて行って貰えないのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

等々、本当の生の声が聞けたことは、良かったと思いました。

だからと言って、何が出来るってわけでもないのですが、


被災した皆さんの、心の傷は、深く大きいことを改めて感じました。

(また、経済的にも大きな打撃ですね。)


日々を過ごす中で、やはり、常に被災した皆さんの気持ちをどこで、思い、今の自分の環境に感謝して生きたいですね。

今日25日のニュースで、阿武隈川から高い放射性セシウムが計測とあって、思い出した。


もう、すでに、うさぎや猫が奇形で産まれ始めているとも言っていた。

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ほるぷ子ども図書館~読み聞かせ

2011年11月22日 | 家族
ほるぷブックフェア


ほるぷ子ども図書館は、ドロの産まれたときからのお付き合いです。

頂いたお祝いを、どうしようかと考えたときに、きっと、預金しておいても、いつかどこかに消えてしまうだろう。


ならば、良い使途はないものか?



そのときに、職場の本当に素敵な憧れの先輩が、贈ってくださったのがいないないばあと、もうねんね、いいおかおのまつたにみよこの本3冊でした。


それで、そうだ、絵本を買ってしまおう。


そこで、各社のセットシリーズを比べて、自分が選んだのは、ほるぷ子ども図書館でした。


個人的な好みで選ぶと、福音館が好きです。

でも、ほるぷは、

図書選定委員の人たちが選び、ほるぷ出版以外の本がたくさん集められ、


そこには、私が選ばないであろう、

科学理科系読み物と、ダイナミックな絵の本や海外の絵本が多く集められていました。


親の好みを押し付けるより、バラエティに富んだ本が人間の幅を、子どもの可能性を広げる気がして、なんと、中学までのシリーズを一気に購入してしまいました。



ほるぷの良いところは、普通は、その子の成長に伴って、新しいシリーズを足していく形になっていますが、一気に購入した私たちにも、その後のフォローがすばらしいことです。


和久洋三さんや、豊田かずひこさん、松居友さん等の講演会のお誘い。


最初に、読み聞かせの重要性を語り、


時々、馬場のぼるさんのカレンダーを配りながら、さりげなく、読み聞かせの確認!されています。


また、自分が、いろんな講演や、コンサート、童具館の講習から感じたことを、アリス通信として送ってくれます。


この間も、小学校4年生のクラス懇談会で、ある親御さんが、

「本を読まなくて困る。なんかやることない?つまらない!と言いながらも、本を読めばって言うともう読んだ。といって読まない。」


「本を読みなさいって言ったら、漫画なんです。」


と、いう声が出た。


まあ、私は、漫画でもいいと思っているのですが、


クラス担任の先生が、


「私が、漫画の紹介をしてしまったのがいけないのかと・・・・・」


というので、

「私は、先生の紹介した漫画、とっても面白いと思いますよ。

こちらが、嵌って、う~ん。何で1巻で終結しないの!早く明日続きを借りてきてね。って言っています。」


それでも、読まないって談議が続いたので、

読みなさいという前に、親が読み聞かせをしてやったほうが有効なのではないかと。


ストレートに言うと語弊があるので、


何気なく、


「この間、あんまり寝ないから、おかあちゃんだって自分の時間が欲しいんだよ。頼むから、この本読みたいから、これ読んで聞かせるから、早く寝て!」

と言って


ホーキング博士の、宇宙の謎の読み聞かせをした。


そうしたら、子どもが面白くなって、眠らない。

結局、1週間くらい掛けて、1冊丸丸音読することになってしまった。


はあ、あまり軽々しく言うものではないなあ。

と、ほっと一息ついたら、

翌日に、学校の図書館で、

なんとその続きを見つけたらしく、

続編を借りてきたのです。



ハイジはまだ、確か2年生だったかと思います。

「司書の先生が、本当にこれ読むの?別の本のほうがいいんじゃない?と言った。」

しかし、背表紙だけで、どうして同じシリーズだと分かったのでしょう。


また、1週間ほど掛けて、音読する羽目になりました。



と、話しました。


子どもの頃に、ハードカバーの絵本や、ピアノのある子の家に行ったときの感動が、私の中に強烈な憧れとして残っています。

貧しい農家で、絵本などなく、女に学問は要らないといわれ、高校受験のときも、勉強より家の手伝いだ大切。と言われて、育ちました。


だから、塾に行かせて貰えなかったことは、恨んではいないけれど、大学に行かせて貰えなかったことも恨んではいないけれど、

ハードカバーの絵本と、ピアノには本当に憧れました。

大人になって、毎月5000円だけ、絵本を買おうと決めて、集めた。

そして、25歳のとき、

スーツケースを庭先に出して、

「お父様、これから、暫くオーストラリアへ行ってまいります。」

と言って、頭を下げると、一目散に外へ飛び出し、走って駅まで向かい、電車に飛び乗って

オーストラリアに行った。

そこで、

初めて、私は、



アイデンティティ

を獲得したのです。


まず、

行くとすぐに、

「沈黙は馬鹿なり」

と言われました。


英語も自信がなかった押し黙る私に、

「アナザーワーズ・・・・アナザーワーズ・・・・・アナザーワーズ・・・・」

と、分かり合えるまで話すことが大切と言ってくれた最初のマム。

のろまで、不器用な自分を、

「繊細で、落ち着いていて、丁寧だ、聡明だ。」

と、英和辞典を引きながら言ってくれた最初のダディ。


30歳を過ぎて、父になってからピアノを習い始めた2人目のダディ。


・・・・・・・・・・


これらは、私の、25歳にして初めてピアノを習う原動力となった。


いま、我家の子供たちは、お勉強は嫌いですが、3人とも、本当に本が大好きです。

そして、当時掛けた何十万円の投資も、

3人が使い込んでボロボロになった絵本をみると、安い買い物だったと思う。

つまらないと言う言葉を、一度として聞いたことがないことも、絵本のお陰かと思っています。


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魔女図鑑~鉄骨クッキー

2011年11月21日 | 家族


昨日、ハイジとごんたの作った鉄骨クッキー。


一日置いて冷ましたら、歯が折れそうなくらいに硬い!

テスト期間のため、早く帰ったドロと、ゆっくりお茶をしました。

う~ん、しあわせー



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統合失調症~勉強会

2011年11月18日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
昨日は、夜、ちょっとしたお勉強会に行ってきた。


月のお題が、統合失調症でした。



ちょうどグッドタイミングで、本を読んだり、友人の一言が気になっていたので、

これは・・・・


と。


しかし、以外に、自分が夜に趣味のサークルで出かけるのはOKなのに、

私の時には、夕飯作ってから行けだとか、うるさい。

そして、今朝、少し寝坊したら、

ちゃあんとお弁当作って持たせたのに、

「もう、次は行くな。朝起きられないなら、無しだ。」


と言われてしまった。


ずっと、肩や背中、関節、腰や臀部が痛くて、よく寝られなかったのですが、昨夜はリンパマッサージをして寝たら、久しぶりに良く眠れたんです。


夫に言っても、分からないようでした。


こんなときには、

「あーなんでこんな了見の狭いやつと結婚しちゃったんだろう!」


って、思います。


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デザート~結局・・・・

2011年11月17日 | 家族
食べようと予想したデザート


ごんたの食べたデザート


CFの検査のご褒美に約束していたご飯とデザートは一日持ち越して行きました。


親としては、たまにはちょっと変わったものと思っていたのですが、


子どもが選んだのは、

コアラのパンケーキでした。


家で焼いてあげられるのに・・・・・。トホホ


ハイジの2者面談があったので、その後で、ハイジとごんたを連れて行きました。


ハイジは、


パフェ


を選び、良かったのかなあって思ったら、


会計金額を見て、


「お母さんそんなにするの?だったら、梅シートとごんじりをたくさん買ってもらったほうが良かったなあ。」


甘いものより漬物と煎餅の好きなハイジの談。


案外、子どもの喜びって、分からないなあ。

それでも、

ごんたは、家でのパンケーキとは違った雰囲気で食べた素敵なデザートだったようで、

とっても喜んで、帰宅した夫に話していたので、良しとしましょう。



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良かったような、不安なような~完璧なごんた

2011年11月16日 | 家族

16日のごんた


ごんたのCF(大腸の内視鏡)でした。

少し前に、やはり、午後からの遠足の後にまた、夕方から朝方の発熱を繰り返し、お腹痛いというので、

やはり、一度診ておこうという事になりました。


夜下剤を飲ませても嫌がることなく、

と言うよりも、


3人目になると親も慣れてきて、ちょっとの発熱くらいでは、いちいち病院へ連れて行かないし、仕事もしてきたので、どこに預ける?かばかり心配で、子どもに寄り添うなんてことのなかった今まででした。

嘔吐下痢やちょっとした風邪は、温かくして寝てれば治る。

なので、今まで、病院に掛かったり、薬を飲むこともなかったし、解熱剤を使うことなんてひきつけなきゃ大丈夫くらいに考えてこれは3人とも、使用歴無しです。

で、ごんたは、薬やら、病院に

すご~く憧れているらしい。

保育園で、薬を飲む子がうらやまし~い
らしく、


この前の薬も意気揚々。

おまけに、かなり細かい完ぺき主義です。

出先で水がなかったので、手持ちの麦茶で飲ませようとしたら、

「体に悪い気がする!薬は水じゃなきゃ!」


で、前夜祭の下剤も、意気揚々と飲んでくれた。


一番困ったのが、朝です。

「あ~、ごんたは朝何も食べられないんだから、気をつけてね。」

と、家族に言うと、ドロがすかさず、

紙に、

「餌を与えないでください!」

と書いて、ごんたの背中に貼り付けた。

案の定、みんなのお弁当を作ったり、姉たちの朝食姿に、

「お腹すいた~。食べたい。」

なんて、バトルを繰り返し、

「今日は、(掛かりつけの)花子先生(大助花子の花子に顔も性格も似ているので、)でなく、大好きな○チャン(保育園の仲良しのお友達)のパパ(が主治医)の病院だから。○ちゃんのパパが、『ポカリをあげるから、ご飯食べないで来てね。』って言ってたよ。ごんた、ポカリ大好きでしょう。」

と言って聞かせると、了承してくれた。

でも、食欲には勝てないらしく、

仕方なく、おんぶする。


「早く病院へ行こう。」
とごんたにせかされて、自転車で出掛ける。


今日は、経管確保のために、採血室ではなく、シニアか、研修医の先生?が、採血。

手の甲から探すのですが、

針を刺し、ぐるぐる探し、

「やっぱりだめだ。反対側の手にしよう!」

2回も刺され、ぐるぐるされましたが、座って泣きもせずに、じっと見ていました。



その後の、ポカリ(マグロール)も、きっちり飲んで、紙おむつも、履かせたほかに、2枚用意していきましたが、一度も漏らすことなく、完璧でした。

割と早めに、綺麗になってしまったので、検査までの時間が長く、

片手が使えないので持って行ったゲームも思うように出来ず、待ちきれない様子で、病院内をうろうろして、絵本を読んだりしたのですが、空腹との戦いが一番大きかった様子で、

「終わったら、ご飯やさんでご飯を食べて帰ろうね。デザートも食べていいよ。」
と言ってなだめました。

検査室に入って、一人ベッドに横になると、さすがに不安そうになりましたが、

「おかあちゃんが付いているから大丈夫。」
と言うと、

「世界平和を守る人は、強いんだよね。僕は、世界の平和を守るんだから大丈夫」

と言われて、こちらが涙がでそうになりました。

主治医の先生以外にも、小児外科の先生と二人体制と聞いていた(先のシニアの先生も入れると、4人くらい入った)ので、

こちらが、ちょっと不安でした。

でも、30分ほどで終了し、

小腸の入り口まで、きちんと見ることができて、リンパ濾胞は酷いものの、びらん潰瘍病変、瘢痕も無しとのことで、安心しました。

ただ、先生は、かなり腸管ベーチェットを疑っていた様子で、

貧血や、鉄、赤沈等の採血データから、どこかで、血管性の炎症が起きている予感はするようです。


私は自分の例からも、経過観察して、行って頂ければ良いかと思っています。


ドロのときは、眠剤や、麻酔がまったく効かなかったのですが、ごんたは効き過ぎてしまったようで、
「ごはんやさん・・・・」
と言うので、起こすと、

「げろが出そう!」

とのことで、

結局、先生に抱かれて小児科に戻り、暫く処置室で休んできました。
ごはんやさん・・・・。
と言いながらも、起きるとめまいがするのでしょう。
少し眠るように行って聞かせ、1時間半ほど寝かせて、起こすと、
気分が良くなったと言うので帰ることにしました。

しかし、会計をしているうちに再び気持ちが悪くなり、おんぶして家に帰ってきました。

痛み止めが切れたのか、今度は、腹痛も混じってきました。

再び一寝入りし、いなりずしを食べ、牛乳が飲みたいと言う。

「牛乳はいま飲むとゲロが出るし、今はないので、ハイジのお迎えのときに、買ってくるから我慢してね。」

と言ったのですが、

「どうしても今飲みたい。」

と泣くので、まあ、頑張ったし、ゲロが出るのは分かっていましたが、買ってきてあげました。

案の定、飲んだらすぐに、

「気持ち悪い。ゲがでそう。」

と、一気に、さっきのいなりずしまで、全部戻しました。

結局、戻るまで一晩掛かりました。

一晩経った17日今朝、牛乳をあげると、

「もう、ゲロでない?昨日の、ピーパンの肉詰めも食べて大丈夫?本当におかあちゃんの言うとおりだったね。牛乳飲むとゲロ出るよ。って。」

もう大丈夫だよ。

と言うと、安心して、すべてを平らげ、

「デザート食べにご飯やさんに行こう!」

だって、いま、午前5時半です。

「保育園に、早くお迎えにいくからね。」

と言ったら、聞き分けてくれました。



そして、実は、私のほうが、たったの1日、子どもに付き合っただけなのに、夕方帰ると、

軟体動物のように、アメーバのように、ベッドに張り付いたまま、起きられなくなりました。

いなりずしは、期末テスト期間中で早帰りのドロが作ってくれました。



情けないですね。
今までの、日々を考えると、どうしちゃったんだろうって思います。

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ハイジの部屋~完了

2011年11月14日 | 至福


やっと出来上がりました。

ハイジの部屋。

と言っても、これは外から見たものです。

ハイジの発想についていけなくて、とっちらかった床と机を見ると

私の気分がとっちらかるので、苦肉の策です。


今日は、とっても、最近富みに引きこもりに近い状態です。

と言っても、たぶん本来の私に戻ってきたのかもしれません。


先週も、家で夕方まで出動せずに、いろいろやって、

今日も、ごんたは、父と一緒に登園すると言うことで、7時に出動。

洗濯と掃除して、あとは、読書です。


念願の1日中読書生活。


何を読んだかは、

こちら
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腹痛~叔父への思い

2011年11月08日 | 至福
昨日、

壮絶なる腹痛、背部痛、肩痛に悩まされました。

息が出来ないほどの激痛が上半身を走りました。


それでも、夫が、手紙を出すのを忘れないように、

とのこと。


やっとの思いで、出しに行き、布団を被って寝ていました。


ホッカイ炉をべたべたに張って・・・・。


そのうちに踵まで激痛が走りました。


何なんでしょうね。


今日は、少し痛むだけになりました。


昨日行けなかったごんたの便を病院へ届けます。


ところで、今日は柿をもいでくれた叔父へ電話をしました。



父の兄弟の中でも、一番勤勉で、物事の本質や、人生において本当に大切なことを分かってくれている人です。

そして、公務員を定年退職した今も、仕事で忙しく、荒れ放題の畑や家の周りの草刈や、片づけをしてくれています。

現役時代も、休みの日には、農作業を手伝ってくれました。

ご夫婦共に、働き者で、物を丁寧に、補修をして使ったり、

普段は質素にしていても、

子どもの教育に掛けるとき、その導き方はすばらしかったです。

3人とも、地元の公立進学校から国立大学へ出て、不況の時代に、3人ともきちんと就職されています。

特に、山登りや、川あそび、スキーなど、家族での体験を大切にしてくれて、そのときには、仕事で忙しい私の親に代わって、私たちも連れて行ってくれました。

お祝いも、節目では、必ず大きな高額のものを頂きました。
小学入学のときには、勉強机をそれも、子どもが喜ぶ飾りのついたちゃちなのではなく、きちんと大人になっても使えるものをくださいました。

6月の梅の時期には、採りやすく、蛇や虫に刺されないように、下草を綺麗刈っておいてくれます。

そんな、今までの感謝を述べる良い機会となりました。

子どものころはそんなことも分からなかったけれど、やはり年を経て、親になって、

家族や、叔父さん叔母さんの有難さって分かるものです。




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干し柿作り~母の愛情

2011年11月08日 | 至福



七五三で実家へ行った日。

おじさんが、柿をもいでくれたので、持って行くようにと、母に言われる。


それが、母が昨年のごんたの干し柿の1件を覚えていて、保育園へ持っていくように言われる。



そんな急に言われても・・・・。


園だって、保育プランがあるよ~。


朝、一応持っていって保育園に聞いてみる。


OKが出た。


昨年、ごんたが保育園の塀越しに、となりのおじさんから、一人で1個貰った渋柿に、担任の先生が、自宅の甘がきを持参して、一人1個づつ干し柿を作った話を、母は覚えていて、

今年は、クラスのみんなが作れるように、と持たせてくれた。


母の教育のすばらしさは、そこにある。

こんなことしたら、子どもが楽しめるかな。とか、いい思い出が出来るかな。


一番上が小さな頃から、買い物に行っても、高価なおもちゃは買ってくれないが、

100均で、砂絵や、プラ風船(セメダインのようなものを、ストローの先につけて吹くもの)を一緒に行って買っては、一緒に作ったり、庭の草むしりを手伝わせながら、お花の話をしたりしてくれた。

そんな関わり方が嬉しかったのだろう。

ドロは、小さなころは、必ず、

「大きくなったら、おばあちゃんになりたい。」


と言っていた。

小学校1年のときに、バス停で知り合ったおばさんと話をしていたら、


偶然に私の父の同級生だった。


そのおばさんが、終点の町から買い物にきている話をしたら、

ドロが、
「おじいちゃんちがある。」

と言ったので、
そのおばさんが、

「なんていうのおじいちゃん?」

と聞いたら、


同じ町に夫の両親も住んでいるのに、


数えるほどしか行かない、私の父の名前を言ったそうである。


それで、まあ、偶然にも、父と同級生だったので、

父の同級生が父にその話しを話したらしいのである。



私たち子どもを育てるときには、厳格で封建的な父でしたが、

今は20歳を過ぎた姪の小さな頃から、孫は特別みたいで、

一緒におままごとをしたり、体操したりして、遊んでくれていました。


(すぐに飽きっぽいのと、うるさいのは嫌いらしく、長居をすると、

「はあ、うるせえからけえれ!」となるのでしたが。)




暫く前に、ハイジが、言った言葉が忘れられません。


ボロやで、汚い、我儘も聞かない私の実家が好きだと言います。


なんで?

と聞いたら、


愛情の示し方が違うんだよ!

と言っていました。


帰りの保育園のお迎えに行くと、もう、柿が吊るしてありました。

今年の干し柿は、ほっぺたが落ちそうなくらい甘くなりますように!

と祈らずにはいられませんでした。


ごんたが、帰りの車の中で、

お空と、柿に、甘くなりますようにってお祈りしたの!

と言っていました!!

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ごんたの七五三~本番

2011年11月05日 | 至福


ごんたの七五三をやりました。


一日頑張って着てくれました。


いつも、我家は無計画。


私は、事前に計画を練りたいほうですが、夫はいつでも行き当たりばったりです。


なので、もう慣れました。


暦のいい日と、お姉ちゃんたちの予定の被らない日というと、この日しかなかったのです。

私の実家は日曜日のみの休みなので、出来れば日曜日が良かったのですが、

着物だけ、見せに行くことにしました。


朝8時半から、夕方17時まで頑張ってくれました。


写真は、兜を被ったり、タキシードを着たり、


タキシードは、3歳用です。

たぶん大きくて着られないかも・・・。
と言ったら、

お店の方が、3歳用もありますからそれなら・・・・。


最初は、青を着ましたが、それでも大きい。赤を着たら、意外とかっこよかったので、赤にしました。

それから、我家の氏神様、今はもう住んでいないので、守り神と言うべきでしょうか?


子どもが欲しくてできない頃に、あちらこちらへ、神頼みに行きました。良いと教えて貰った神社へは、遠くてもずいぶんお参りしたものです。

そして、疲れ果てて、もういいよ。今年は、近くの神社で・・・。

と、パジャマの上に袢纏を引っ掛けて、当時住んでいたボロアパートの近くの神社に行きました。


ところが、なんと、いつもは人気のない神社が、初詣での参拝者の長蛇の列!

パジャマに袢纏着て、45分ほど並んで、詣でてきました。


その年の秋にドロが産まれました。


以来、我家は、地鎮祭から、厄払い、すべてこの神社に決めています。

確かに、守られているって感じで、我家は繁栄の道を歩んでいます。

そこで、いつも、当人がお願い事を書いて、祀ってくれるのですが、

ごんたに、
「何にする?」
ごんた
「?????」

頭をひねっています。

私が、

「○木先生(保育園のお気に入りの先生の名前)と結婚できますように!ってのはどう?」

と言ったら、

ごんた、

「こういうときには、そういうことは書かない!」


「世界の平和を守る人になる!と、書いて!」
しばし考えた後で、そう言って来た。


家族一同、唖然とした。

親として、びっくりすると同時に、嬉しかったです。




夜は、夫の両親と食事に行きました。



楽しく終わりそうな最後の最後で、夫の母が、また・・・・・。


学習しない人です。正の字がまた1本増えました。


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子宮頸がんワクチン接種後の体調不良について

娘と同じように子宮頸がん予防ワクチンの副作用を疑う症状のある方、ワクチン接種後数ヶ月から遅い方は3年も経ってから頭痛、めまい、不随意運動、麻痺などが出て来る方もいます。 もしかしたらと思われる方は、 下記まで 全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会 電話・FAX:042-594‐1337 ご連絡下さい。