キャロリン。の日記

いつも、熱く、楽しく、全速力で、生きること。

9月29日~目から鱗

2014年09月30日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
ドロの退院が決まりました。

もう、このところ毎日帰るコールだったので、

少しほっとしました。

今日は、リハビリの先生に、床からの持ち上げを習いに行ったのですが、


無理です。膝と子関節の脱力が酷いため、無理とのこと。これを抱えたらみんな腰をやられます。

本人の腕の力を使って、ベッドに押し上げることを習いました。

しかし、家ではいつもベッドではなく椅子や車椅子に載せたい時を習いたかったのです。

補装具を付けても今の状態では、立位や歩行は出来ないとのこと。


夜、主治医が来たので、どうしたらいいのか聞く。

いとも簡単に、

「床に座らない、落とさない生活をすれば・・・・・」

先生のお宅みたいに豪邸じゃないんですけど・・・・。


やはり園芸用カートを購入するのがいいのかな。

でも、脱力だから、結局、立たせるのが出来ない。

先月25日から全く歩けていない立つことも出来ていない状態で帰ることに、

母としてはやりきれない思いで、いっぱいになって、また泣いてしまった。

ドロは泣かない。

「2月の高校入試までに、丸々先生(主治医)に治してね。」
と頼んでいたドロ。


鹿児島に来たことを後悔している?

と聞いたら

「どこにいても具合が悪くなるときは悪くなったと思うよ。ただ、群馬にいたら、具合が悪くても何もして貰えなかったと思う。」

と言った。

そして、また私は泣くのである。


どうしようもない母ちゃんだね。

「リス先生(地元の精神科のドクター)喜ぶかな?」

と話題を変えるドロ。


それでも、その後、

「そーっと、そーっと、死んで行きたいね。」

「静かに、死んでいくのもいいかな。」

と 淡々と呟いた。


母ちゃんは、本当に、あなたを誇りに思う。

ごめんね。良く調べないで打って、1回目から出ていた症状に目を向けず、あなたの声に耳を傾けなかった母ちゃんを許して欲しい。






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9月28日~今度はブラックリストルーム?

2014年09月29日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
9月28日 昨夜も、発作は来ませんでした。

ドロにとっては、今、一日でも早く帰りたい状態に入ってきました。

誕生日におばあちゃんにプレゼント買って貰って、外食にいくことが楽しみのようです。

少し前は、学校説明会があるから帰りたいと希望していたのですが、

今は、そんな言葉もなくなりました。

寂しいですね。

もう、高校と言う言葉もなくなってしまった。

構音は、急激に良くなってきました。

一緒のお部屋だった、お姉さんが、オペのあと個室に入り、再び同じ部屋に戻ってきました。

そして、明日は退院のお姉さんのお別れの今夜は女子会。

お姉さんの家は、宅配ピザが無い田舎なのだそうです。

トーストだけ使用のトースターと言うのに、

またしても、ピザを買ってきて、お別れ会。

更には、

爆笑連発!話しに花が咲き、盛り上がって・・・・。

夜7時の鼻洗浄に行ったお姉さん、

「ヤバイ、あの部屋うるさいってクレームがきそう!看護師さんに、何はなしていたのか聞かれた・・・・」

おとなしく寝ましょう!おやすみなさい。




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9月27日~母も筋力低下?

2014年09月28日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
ここ2日で、2回も、車椅子とベッド間の移動を失敗した。リハビリで移動の仕方を覚えてきたら、ずっと自分で移動をしようとしているが、やはり、膝が立たないので、微妙な高さや手すりで、どうしてもお尻を引き揚げてやらなければならない。

それが、夜の洗面をしていて、私が部屋の照明を消す一瞬、ちょっとよそみをしている一瞬で、自分で移動しようとして、フォローが無いと床に着地してしまう。

初期の頃に2回ほどあって、このときは不随意運動もあったので4点柵で対応してきたのだが、久しぶりに立て続けにやって、しかも、何と、

最初の2回は私一人も引き揚げられたのに、今回は引き揚げられない・・・・・・


自分でも、本当にびっくりした。

私も筋力低下したのか、ドロの脱力が酷くなっているのか?

移動に力が要らなくなって、少しは良くなっているかのように見えていたが・・・。


看護師さんに来て貰って手伝って貰った。


昨夜も、少し首が触れただけで、発作自体はありませんでしたが、


昨夜はかなり酷い頭痛、吐気、胸部不快感に悩まされました。

頭痛薬を飲む?と聞いても、医者嫌い薬嫌いなので、NG。

仕方なく、アイスノンを貰ってきました。

結局、何度も唸っているので、二人で寝不足です。
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9月26日~火事は鎮火ではなく消火

2014年09月27日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
1ヶ月以上燃え盛っていたドロの山火事はやっと消火したようです。

嬉しいことに昨夜、発作が来ませんでした。

8月の18日以来、徐々に酷くなってきて、9月6日ごろが最大ピークの炎上状況でした。

ステロイドパルスをするも、治まらず、追撃の消火活動を行いました。それでも、なかなかすっきりは治まらず、

言葉は不鮮明で、何を言っているのか分からず、筆談。

会話も、幼稚園の時の話と食べ物の名前を食べたいと羅列するだけで、

このままどうなってしまうのか・・・・

そして、治療もこれ以上の術が無い状況になって来て、不安な数日を過ごしました。

正直、

「なんでうちだけ? どれもこれも治療が効かないの?なんでうちだけ、先陣を切って行った病院から三行半を突きつけられなきゃいけないの?」

一生懸命頑張っても頑張っても、なんで神様は私たちを苦しめるのか?

食事だって、自慢ではないが、ドロが産まれる前から、健康的な食事をしてきたつもりだ。

医者にだって、闇雲に熱が出たからといってすぐに掛からせることはして来なかった。

無駄な薬も解熱剤も使って来なかった。


昨夜、発作が無かったことで、少し安堵することが出来ました。

そして、今朝、構音もかなり復活して来ています。

今夜も、無事でありますように・・・・。


但し、やはり鎮火ではなく、消火だと私は思っています。
このワクチンの原生が残る限り、再び自己免疫の暴走の臨界点を超えたとき、火事はブッシュファイヤーのように、炎が上がるのだと思います。それを、抑え続けることで、種火が炎上しない日が来るまで待つしかないと思っています。
そのやり方が、漢方なり、食事なり、ビタミンなり、鍼灸・・・・いろいろ選択肢がるのだと思います。

私の娘は、他の方は一般髄液検査では、異常が見つからない方が殆どだと思います。我が家は、細胞数やIgGなどでも異常が出ています。しかも急性期の脳炎状態の時から1年経ってから、1年半経ってからでも出ています。殆どの方は亜急性の脳症だと言われますが、我が家は脳炎の要素も持っているようです。

また、今回の炎症で、MRIの白質化が増えているかもしれないです。
でも、我が家の場合、この2年でものすごく大量の画像撮影をしています。
これ以上画像を撮って負担を増やしたく無いとのこと。
先生方は、出てきた症状から、およそどこがやられているかわかるようです。


それから、昨日書いた障害者の申請書類は、書いて貰えることになりました。

リハビリの先生がOTで、PTではないので、変更も希望しました。
1時間以上して帰ってきて、何やったの?と聞くと、
「ゲーム」とのこと。
立つ練習や、自転車こぎなどの筋力アップなどはしてない。
やっていること、出来ることは、

椅子への移動
平行棒で、2人の先生のうち1人の先生が、膝を抑えて、もう1人の先生が後ろからズボンを引き上げて支えて、自分が平行棒を握る。これだけで精一杯な状況だという。


そりゃあそうでしょう。
下肢は補装具を着けなければ平行棒でも立てないと思います。

とても歯痒い思いで見ていました。

先生も、一度抱えて見て欲しい。と、それも伝えました。


やっと退院に向けて始動しました。

構音障害についても、言語訓練を希望しました。
一応、レロレロレロ♪
トントントン♪
と連続舌鼓を打たせたり、
上下左右に舌を動かしたり、

必ず、ゆっくり復唱させるようにしたり、頬のマッサージ等をしてきましたが、


実は、2番目の娘ハイジの構音障害を治すために、ハイジが5歳の頃に通ったことがあります。
丁度今回のドロの発音は、ハイジと同じところの発音が出来ていません。

ハイジの時は就学してからでもと言われたのですが、丁度ごんたの育休だったので、育休中にお願いしたいと通いました。
最初の先生は???ハイジも最後は先生のやること話すことを先取りするほど反抗してしまいましたが治らず。先生が変更になったら、3回ほど通っただけで、卒業となりました。先生の腕で、あっという間に治った経験から、
こちらはすぐ治るのではないかと感じています。

言語についても、今朝は、かなりいい感じになって来ています。

やはり、子どもの状態が少しでも上向くと、心も晴れてきますね。

今夜も発作が来ませんように。

そうそう、凄い念力ですよ。

「タンドリーチキン食べる。」
前日の夢の後に言っていたドロですが、

何と、タンドリーチキンが出ました!

思いは叶う!

Good luck!

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9月24日から25日~

2014年09月26日 | 家族
24日 今日は昨日より調子がいい気がすると朝言っていた。

昨日は半端なく、首が落ちていたし、何となく虚ろな視線が多かった。

「脳波検査で、馬刺しのことをずっと考えていた。」

このところ食べ物のことばかり、朝から晩までいっている。

会話の内容が、どんどん幼児化していく。

寂しい。

本当は、こういうことも書きたくない。

でも、記録として残しておきたい。

いつか笑って読み返せる日が来ると信じて・・・・。


このところ寝ないように頑張っているドロ。

でも、やはり毎晩のように発作は来る。

不随意運動は一時期よりもかなり小さくなっているが、それでもきちんと来る。

今夜は、パルス後の全身の痛みが襲ってきた気がすると、
全身湿布の貼りまくり。股関節痛、首の痛み、胸の痛みも増加。



22:18 意識がおかしいと思ったら、目を見開いたまま瞬きもせず、凍っている。
22:21 気がつく。自分の名前をいってというと、ドロちゃんと言った。フルネームでいって。と聞いたが、「ドロちゃん」

22:23 再び目を開いたまま意識が無い。
22:26 足と首から始まり、右手の不随運動が始まった。まだ、目は開いたままで瞬きもしない。
    酸素は96% 
22:34 不随意運動が止まる。
22:37 気がつく。今度は、名前もOKになった。おもむろにみかんを食べたので、英語で何て言う?と聞くと、
    「orange」と言うので、
    英語の塾行く?と聞くと、首を横に振って、
    「たいだんのぼでない。」「○○さん(事務のお兄さん)に、たいだんのぼでないだらなんとだでぃでってでんだす      ど。」
    ノートに 「とくまる」
    と書く。何?と聞くと、
    「おもいついただけ」
    それから、最近のいろんな人の名前を言って絵を描いたりして、
    気がついた時に必ず口に出る看護師さんの顔をアンパンにしている。どうしてアンパンなの?と聞いたら、
    「可愛いかだ。」
    小学校の飼育していた鶏の話しになったら、
    「校長がタンドディーチキンにして食べた。」
    と言う。
    それからも、わけの分からない、本当のような、嘘のような話をして、また、足が重いから揉んでと言われて、揉んであ    げると眠った。

25日 3時半にトイレに起きたら、体が痛いと5時までマッサージして眠りについた。
   
   全然足に力が入らず、立てなくなって1ヶ月。以前から、一日の殆どを横になって過ごし、長い距離等は歩けなかったが、
   行くところも無いし、車でどこでも送迎していたので、車椅子も必要なとき、あまりに具合が悪いときにレンタルしてきた   ので、他の方のように障害者認定を受けてこなかった。でも、2回もパルスをしても、全く脚力の変化が無いので、これは車椅子が本格的に必要だし、他のサービスも必要になって来ると、障害者認定を申請することにした。

前述したように、筋力は徐々に落ちてきていたので、全く、膝が経たない、立位が不可なので、早々すぐに改善できるとは思えない。

市役所に行って相談した結果、申請用紙を貰ったが、主治医から、書けないと言われてしまった。
良くなれば返納も出来るはずなのに・・・・。
決めるのは行政が判断することではないのだろうか?

ショックだった。

これでは、帰っても生活が出来ない。
困った。

21時半 意識が飛ぶ飛ぶ。寝ようと言うが、頑張ると言う。

23:00 左手、首、両足の不随意運動と意識消失が一緒にきた。
23:06 不随意運動が止まる。 最短新記録だ!
23:10 気がつく。名前もOK.しかし、看護師さんはいつもの看護師さんの名前で間違える。
    でも、名札が読めたのか、分かってきた。

「出目金」 というので、何?と聞くと 「保健の先生」
「哺乳瓶」
と言うので、欲しいのと聞くと、
「赤ちゃんポスト」

このところ、赤ちゃんの話が多い。

足を揉んで欲しいと要求されて、揉んであげると寝入った。


悩んでも仕方ないね。現実を淡々と生きるしかないのだと思う。

頑張っても頑張ってもうまくいかない。


いつも、一生懸命走ってきた。

いつも、こんなにぶつかると、どうしたらいいだろう。方策はないかと、頑張って乗り越えてきた。


頑張っても頑張っても、報われないことばかりが続く。

心が折れそう。

頑張る自分までみんなに批判された。



初めての出来事。


Let it be ♪



 
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9月23日~面倒な患者

2014年09月24日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
昨夜は、
「来ないかも・・・」

と言っていたのに、しっかり来ました。

パルス後の体中の痛みが襲ってきて、唸っているのに、
22時25分:足と右手首の不随意運動が来て、首と左手も始まりました。このところ欠神発作、意識の消失が同時に来ていましたが、昨夜は、

手を握ってと言ったら最初は反応がありました。

22時37分:スピードが大幅にダウンして来たところで声かけに反応してきました。

その後1分くらいで気がつきましたが、不随意運動はゆっくりしたペースで少し残っていました。

22時39分 不随意も止まり、声かけにもしっかり答えてきました。

どんどん酷くなっていた頃から見ると、不随意や欠神の時間も短縮され、理解力が戻るのもかなり早くなって来ました。

言葉もゆっくりだと、発音が明瞭になって来ました。

昨夜は、

気がついたあとに、食べることオンリーでした。

行きたいお店の名前を羅列して、

「保育ママさんと焼肉食べる。

しゃぶしゃぶ

まんぎょう

イチゴタルト

コストコのモズクスープ

ヨークベニマルのローストビーフと馬刺し

いくら

アイス(エッセルスーパーカップの抹茶味)

家で作った

ピーマンの肉詰め

オムライス

・・・・・・・」

and so on!

「学校行く。○○高校行く。」

他は受けないの?

「○○だけ」「終わり」

ハア~ 勉強しなきゃ、受からないよ~。どこでもいいじゃん、住めば都楽しいのに・・・・。
と心の中で思う。

「早く帰ろう。」

「福岡と大阪の友達に会って帰る。」

誕生日のプレゼントはおじいちゃんとおばあちゃんに何を買って貰うの?と聞くと、

珍しく、

「お金」
だと言う。

「お金貯める」

貯めたことなど一度も無い子なのです。

みんな人にあげてしまう子なんです。

何でお金貯めるか聞くと

「わからん」

また、行きたいお店の名前が出る。

「桃タルト食べる」

「桃太郎

会わない

勉強中

ドロたん、邪魔しない

会わなくてもいい。」

「○ちゃん(被害者連絡会の事務局長)からす、カーカーカー。

自称カナリヤ・・・・・でも、からす・・・・・」

「早く帰ろう。」

「明日帰る。」

「○×(主治医)てんてい(先生)明日休みだから、帰ってもバレナイ。」

挨拶しないと悲しむと思うよ。と言うと、

「りす先生(地元の精神科)に帰る。」

「ドロちゃん、○×先生明日休み、帰って大丈夫。」
「リス先生、喜ぶ。」

なんで?と聞く、

「面倒な患者が増えるから。」

???????

面倒な患者誰?

と聞くと、自分の頭を指差す。

「○×先生は悲しむって、母ちゃんが言ったから、リス先生は、行く、喜ぶ」

「○×先生、治してくれない。早く帰りたい」

その後絵に描いて、説明してくれた。

面倒な患者がマイナスになって○×先生は寂しい

だから、

面倒な患者がプラスになるリス先生は嬉しい。

のだそうだ。

面倒な患者ってどうして思うの?と聞くと、

「母ちゃんがいつも言っている。」

と言われてしまった。

反省 しきりです。


その後、お腹空いたの連発でした。






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9月22日~親子逆転

2014年09月23日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
続けてパルスをしても、なかなか一進一退である。こちらが良くなると、別の方で症状が悪くなる。

本当に、悩ましい。

主治医と今後について、少し話をした。

行き詰まり感があった。

夫に電話しても、重苦しい空気が漂う。
こういうときに、いつもたいてい、我が家は、
私が、

「なんくるないさー。」

で乗り切ってきた。

今回も、

「一度帰って仕切りなおそう。

羊水が無くても、生き抜いたんだから、

ドロの生命力と治癒力を信じよう。」


何となく、今日は一日元気が無い気がしていた。

首がガンガン落ちる。

夜、やはり8時45分頃から、朦朧としている気がした。

それでも、歯を磨くと言う。

9時にベッドに下ろすとそのまま後ろに倒れた。

横に引き摺りあげると、目を開いたまま反応が無い。

「手を握って!」と言っても無反応だ。

首が規則的に振れている。

足も不随意が始まった。

左手も僅かに振れている。

10分ほどで止まった。
気がつくのもそれから1,2分で気がついた。
今日は、自分の名前も私のことも、私の名前、家族の名前、一発でOKだった。

みんな、家族のことも分からなくなる子が増えているから、意識がなくなるのは、とても不安。
気を失ったらとにかく起こし続けないといられない。
そして、何より先に、自分の名前を教えて、家族の名前と関係を聞き続ける。

何万回も呼び続けた、万感の思いで夫婦で付けた自分の名前を、忘れてお友達の名前に自分がなったときはとてもショックだった。しかも、訂正し続けたら、私が間違っているって怒る。

でも、今夜は、間違えなかった。

そのあと、

「○君と遊ぶ。」

と言った。

そして、初めて、私の前で、ドロの目から一筋の涙が枕に流れ落ちた。

それを見て、私が涙が止まらなくなった。


幼稚園の時のお友達の名前が、本当に久しぶりに出た。

何して遊ぶの?

「ガソリンスタンド」

今、ドロが何歳か年齢を聞く。

「5歳。きぐみだよ。△先生。

来年は、白組。」

「×先生」

「☆ちゃん」(一緒に小学校に上がらずに、公立の学校へ行った子の名前が出る)

「来週帰るよって、□先生に言う」(地元の精神科の先生)

「◎さんに言う。」(こちらで知り合ったお姉さんで、またナンプレ持って遊びにいくねって、言ってたから、報告しないと思ったのだろう。)

「福岡と、大阪の友達に会って帰る。」

「今日は、何となく具合が悪い気がするって、先生に言うのを忘れた。」
「明日、来ない。」

明日は何曜日?

「明日火曜。」

どんな風に具合が悪いの?

「わかんない。」

私はボロボロと泣けて涙が止まらなくなった。

ここ数日は、楽しかったあの頃の話ばかりだと気がつく。

あの頃のはじけた笑顔が懐かしい。

「泣かないの。」

ドロが、私を慰める。



いつも、そうだったね。

2歳の時に

上野動物園にいくと約束した朝に、お父さんが起きなくて、私が起こしていたときも、

「お母さん、2人で行こう。ドロは歩けるから、大丈夫。」

と、いつも、淡々としていた。

今回のことでも、一度として情動的な涙を見せたことは無かった。

テストや試験も、あがったことは一度も無い。第一
「テストは大好き!」といつも言っていたね。



「泣かないの。」

そう言った後、

「××(教授の密かな呼び名)なんとかするから、なかないの。」

「×× がんばる。」

「×× なんとかしようとおもっているとおもうよ。」


と言って筆談。

××好き?と聞いたら

「かお いがい」

と書いた。

ドロが会って会話を交わしたことはあるのだろうか?
回診時はいつも、布団を被って隠れてしまう。
話をしたこと無いのだけれど、とても信頼しているのだと分かった。


その後も、涙腺が水道管破裂した私は号泣。

ドロは、

「なかないのー。」

と励ます。

親子逆転だね。

あなたは、本当に強靭な精神力を持った子だ。
母ちゃんは誇りに思うよ。

しかし、苦しい旅だね。
まだまだ、頑張りが足りないんだね。


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9月21日~祈り

2014年09月22日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害


日経新聞より 日産婦の表明


昨日の娘は、朝は記憶は少し良くなっていたが、

言葉を話すのに、ゆっくりでないと話せないのと、発音がやはりうまく出来なくなっている。

「朝ご飯どのくらい食べた?」
という看護師さんの質問に、

「ただだたたでた」

何度聞いても?????

ドロもこちらも苛立つ。

仕方なく筆談。

「あらかた食べた。」

だった。

言葉が出にくいのと、お互い理解に時間が掛かるので、一層話さなくなる。

悪循環だ!


そして、初めて、パルスが始まると、同時に、不随意運動と欠神発作が起こった。

そして、1時間も続いた。

まあ、この間のパルスの前には、2時間以上毎日続いたので、短くなったとはいえ、

次々にいろいろな症状が出現する。

夜も、また来た。今迄で最短時間で済んだし、意識が戻った後の記憶の戻りも家族の名前も出たし、早かったので、それなりにパルスの効果があったのだろうか?

サイトカイン等のプロファイルに応じた治療が出来ないのだろうか?

また、脱髄、ニューロパチー等に、保険適応枠を緩めて、免疫グロブリンや、血漿交換、幹細胞移植等が適応にならないものかと思う。

免疫学の先生に夫が再び東京まで頼みに行ったが、自分は免疫不全が専門で、免疫の少ない場合なら分かるが多い場合は分からないとのこと。第一ここではセカンドオピニオンや医療機関の紹介はしていない。

とまで言われてしまった。
何のための患者会なのか、難病で行く場の無い人たちの救済の場ではないのか。

「IgGが少ない話はしなかったの?造成機能も悪いって・・・」
夫、
「言わなかった。」

そういうところも、もどかしいね。

厚労省は、向きあってくれる医療機関に助成して欲しい。

向き合わない人には何らかの処遇の格差をつけて欲しい。

日経に

日産婦(日本産婦人科学会)と厚生労働省が医療機関を推薦し、都道府県医師会が選ぶ。また、厚労省などは子宮頸がんワクチンや接種後の痛みについて学ぶ医師向けの研修会を都道府県ごとに開く。

 学会の宮城悦子特任理事は「慢性的な痛みを悪化させない早期対応が可能になり、安心して接種してもらえる第一歩になる」

厚労省に確認した。

どうも事実とは異なるようです。
そのような対応はしていないとのこと。

日経新聞の記載が悪いのか、日産婦の理解が悪いのか?

いづれにしても、日産婦はこの件からも選定者として外して欲しい。

何度もいうが、我が家は痛みじゃないって!

問題は脳なんです。







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9月20日~デジャヴュ?

2014年09月21日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
ドロは充電中!


自分で、鼻にipodのコンセントをさして、

「ドロちゃん、充電中」

だそうだ。

20日の夜も、やはり発作はやってきました。

昼間の振戦はありますが、不随意運動はなくなっています。

なのに、

やはり夜の不随意運動発作と、その後の欠神発作は、また毎晩になって来ています。


19日から構音が崩れてきています。

あまり分からないと筆談です。

記憶としては、かなり戻ってきていますが、

彼女のデジャヴュなんだろうなあと思われるおかしな会話も、混在しています。

将来何になりたい?

と看護師さんに聞かれて、

「看護師さん。」

と答えていた。

初めて聞いたので、???

看護師さんってどんなことするの?と聞いたら、

「お茶碗を顔にセロテープでくっつける。」

何度聞いても同じことを繰り返す。

21日今朝、5時頃起きて、

「マンナンのこんにゃくゼリー、食べたい。」
「星食べよ!」

と言う。
星食べよーは何かと聞くと

「おせんべい」
だと言う。

ドロは、絶対的に、医師や看護師にはなりたくないと言っていたのです。

???????

思い出しました。

幼稚園の頃に、

仲の良いお友達が、将来、お医者さんになると言っていた時に、

「じゃあ、ドロちゃんは看護師さんになって手伝ってあげる。」
と言っていたことを思い出しました。

星食べよも、確かその頃出ていたおやつだった気もします。

副園長先生相手に、ガソリンやさんごっこをしたり、

世界一周の旅、

銀行やさんごっこ、

ホテルやさんごっこ・・・・・

2人のごっこ遊びの発想は奇抜で、みんながそれを横目で見て、

「まぜて!」
と言ってくるのだそうです。

そして1人増え、2人増えして、みんなが混じる頃には、

2人はその遊びから発展させた次の遊びをしているのだそうです。

どの先生も、その創造性の豊かさ、誰でもみんなを混ぜてあげられる公平性、何ものにも捕らわれない自由・・・・・

たくさん褒めて貰った。

きっと、あのころが一番楽しかったんだろうね。

ドロのデジャヴュはあの時の幼稚園の庭にあるんだね。

走り回って、いつもゼーゼー、ゴホゴホ咳き込んでいたドロ。それを喘息だと気がつかずに仕事していた私。

みんなはママが迎えに来るのに、保育ママさんのお迎えだったあの頃から、大きくなったら専業主婦になると言い続けていたの。

働くよりももっと大切ものがあったのに・・・・・

ごめんね。今回のことももっと情報をキャッチするゆとりがあったら、こんなことにはならなかったのに・・・・。

ごめんね。

ドロは、それでも決してそういうことを人前では言わない、愚痴らない、泣かない。

母ちゃんは泣いてばかりだ・・・・。



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9月19日から20日にかけて~発作再び

2014年09月20日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
18日夜に、かなり記憶が戻っていないことに気がついた。

そして、19日から、再びパルスで叩くことになった。

それでも、19日夜、不随意運動と欠神発作がやってきてしまった。

今迄から見るとかなり両方の発作時間は少ないものの、

意識が戻ってくる時間も酷い時よりは早いものの、

知的レベルの低下を感じる。

会話が支離滅裂。オウム返しも多い。

幼稚園の時を生きているような感じだ。

20日一夜明けて、記憶はかなりしっかりした部分もあるが、幼児性で、ピカチューを連発したり、
「赤ちゃんが欲しいから野菜を食べて体を冷やさないようにしているのに、赤ちゃんが授からない。」
等と、おかしなことを言っている。
構音障害はかなり酷いのが昨夜から抜けない。
か、き、け、こ、さ、せ、そ、へ・・・・
等が、タ行になっている。




次から次へと深刻化していく症状に

どうしたら良いのかわからない。


自分は、このワクチンの効力が現在9年経って、9年抗体価が高い値で維持していると言うことから、
ワクチンの原生が強く残る間は、反復して、亜急性の脳炎や脳症が起こってくる。
とにかく暴走したサイトカインやケモカイン自己抗体を抑えるしかないのではないかと思ってきた。
そして、不可逆を最小限に食い止めたいと思ってきた。

自分のこの考えが間違っていたのか・・・・
悩みます。

ひたすら、ドロの生命力を祈るしかない。

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9月18日~足元をすくわれた

2014年09月19日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
17日の夜は、欠神発作がなかった。

それでも、朝は心配で、起きるといきなり、

「父ちゃんの名前は?」

と聞いてしまった私。

「自分の誕生日は?」

両方あっている。と、

ほっとしていたのだが、

昨夜の患者さん達に励まされたことだけではなく、みんなでディルームで会ったことも忘れている。

ちょっと気になっていたが、会話自体は辛口、毒舌復活に感じた部分もあったので、少しほっとしていた。

しかし、

弟の誕生日を聞いたら、

「1998年○月×日」

え?自分より年上になる?

妹の誕生日は?
と聞くと、

「妹の誕生日は?」

○○先生の下の名前は?

「○○くま子」

これは、意識消失が始まってすぐから呼び始めた名前。この変更が利かない。
私の母、つまりドロの祖母も、間違えた儘なかなか直らない。

先生は

「意識の戻りたては朦朧としているから・・・あまり心配しなくても大丈夫。」

と言うので少しほっとしていたのだが、

看護師さんが、排便があったか聞く。

「たぶん・・・」

と答える。

私がたしなめると、

「良く覚えていないんだよ。最近ご飯食べたかどうかも良く覚えていないんだ。」
と洩らす。

その後も

いくつかの???に

ふざけていない?とジョーク混じりに言ったら、

「ふざけていない。」

母ちゃんの誕生日は?

「×月○日」

それは自分の誕生日でしょ!

ぼけてない?と言ったら、

「ぼけてない!」


夜になって、住所は言えてきたのでほっと一息。

しかし、布団に入ってから、

足ツボと脹脛と大腿のマッサージの他に、

「先生が、足が動かない人がずっと動かしていたら歩けるようになったって言ってたから自転車漕ぎをして!」

と、先週から言われ続けて、自転車こぎも加わって、ピロートークはかなり長い時間になっている。

そこで、発覚・・・・

結構いろいろなことが支離滅裂になって記憶していたのだ。

ドロの一番の友達は?

「ドロちゃん」

そう、自分が一番好きなのね。じゃあ次に好きなのは?

「ドロちゃん!」

・・・・・・・


・・・・・・・

将来なりたいものは何?

「将来なりたいものは何?」

と復唱した。

再び聞くと

「うんこ」

「ぴかチュー」

「大きくなったらプリキュアになる。」

「大きくなったら看護師さんになって、お茶碗くっつける。看護師さんのお仕事はお茶碗くっつけることだよ。壊れていないお茶碗を顔に貼るのがお仕事なの。」

・・・・・・・・

食べたい物の羅列だったり、
無理な強要だったり、

昨夜は結構ショックな夜だった。

それでも、ドロの、

「ずっと動かしていたら、動くようになったって先生言ってたけれど、

ずっと動かし続けてあげる人は大変だよね。疲れるだろうね!」


だって。

「だから、母ちゃんは、大変だし、疲れているんですけど・・・・・・」










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9月17日~マグロちゃん2号誕生!

2014年09月18日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害



作った折り紙




ベッド柵やボードに貼り付けた紙



16日から17日が、今までの記憶障害の中で一番最悪でした。

16日は、昼間も変でしたが、

夜は、来ないように頑張っていると言った矢先に、

首が落ちました。

気がつくまでに12分。

パルス後短くはなったものの、微妙に気がつくまでが長くなってきており、その内容も、パルス直前の翌日まで持ち越しの記憶障害に近くづいてきていることを感じていました。

17日、やはり昨日戻ってきていなかったまま眠っていたので、今朝起きても変です。

朝から、車椅子に乗って病棟を、回遊魚のように回り続けながら、♪すずめの学校♪を歌い続けます。

マグロちゃん2号だね!

と言うと、

「マグロちゃんは、Iちゃんだよ。」

う~ん、Mちゃんなんだけど・・・・。その後何度聞いても、Iちゃんの儘だった。

歩きながら、

誕生日は?

「5月13日」

昨夜は、2011年3月11日と言っていました。

妹の誕生日は?

「3月17日」

弟の誕生日は

「5月13日」

年齢は?

「18歳!」

首をかしげると、
「5歳?」

「8歳?」

生まれたのは何年?

「1998年昭和最後の年だよ。」

看護師さんが、今何したい?と聞くと、

「星座の海老座になるの!」

高校行かないの?

「高校は2浪までだよ。」

何で?

「ダックスフンドが言ったから・・・」

ダックスフンドは誰?

「?????」

今日は何月何日?

「9月13日」
間違えた昨夜と同じ日付だ。

何曜日?

「水曜日」

昨日は間違えていたが、今日は合っている。

急に、

「お風呂にお父さんが一緒に入ってくれないんだよ。一緒に入りたいのに・・・・」

住所は?

「群馬県○○市××町***」

それは、前の住所でしょ、引越ししたよね。

「引っ越してここだよ。」

看護師さんが引越ししたんですか?

本当はその間に別の住所が入るはずなんですけれど・・・・。

夜になっても住所は間違っていた。他は、何度も訂正しながら質問するうちにあってきた。

夜、入院患者さんみんなでディルームで談話する。

みんなに、治療頑張れと励まして貰った。

夜は、やはり眠らないと頑張るドロ。

ラインは眠くなるから、遊ぶと言う。

何して遊ぶの?

「折り紙」

しばし折り紙につきあって、

その後

食札の裏に、

自分で、名前や関係をひらがなと漢字で書いた。(書けた!)

○○さんは?

と聞いたりしたが、

自分のお気に入りと言うか、忘れたくない人だけを書いて、ベッド柵に貼り付けた。

昨日、一昨日で、私が、家族の名前と先生の名前だけ、何度も聞いて書かせたものを忘れて欲しくないのでベッド柵やヘッドボードに貼り付けた。

それを自分で真似して、書いて貼り付けた。

本人も忘れたくないし、忘れていく自分が怖いんだろうね。

決して、涙は見せない子だけれど、

彼女自身の対策なのだと感じた。







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9月16日~欠神発作

2014年09月17日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
決まって、20時45分に来る意識消失、

やはり、反復するたびに記憶が低下して来ている。

昨日は、昼間も中学校のお友達の話しをしたが、以前ドロ自身が話してくれていた友達のことなのに、

「○チャンは、×高校に行っていないみたいだよ。どこに行ったのかな?」

ドロが、△高校に行ったと雑誌に出ていたのを見せてくれたのに・・・忘れている。

「□君は?」

かなり親しかったこの名前を言ってみるが、

「????そんな子知らない。」

と昼間言われたのでちょっとショックだった。

それでも、

「ステロイドは飲まない。」

と、頑なに飲まない。

医者嫌い、薬嫌い、どこかで洗脳もあるのだろうね。

主治医と長いこと話し合って、減らした。

昨夜は、

「寝続ければこないということにトライしたけれど、なかなか無理だと判明したから、8時45分を寝ないで頑張れば、何とかなるかな。」

と言って、ひたすら頑張っていたが、

21時20分

目が虚ろで瞬きもしない。

「わかる?」
と聞くと、

頷くのだが、瞬きをしないので、

「母ちゃんの名前を言って!」

と言った途端に首ががくんと落ちた。

12分くらいで気がついたが、

なかなか、人の認識が出来ない。

日時も場所も、自分の生年月日も、年齢も、全く違っている。

必死で問いかける。

昨夜は、23時まで粘ったが、記憶は戻りきらなかった。

漢字も読めない書けない。

1+1も出来なくなっていた。

指を見せても、

2と3が入れ替わっていた。

家族の名前も、誰も出ない。
自分の名前もお友達の名前になっていた。

自分の名前を訂正し続けたら、
怒り出した。

そして、また、グラクソスミスクラインというケーキの名前が出てきた。

茶色のケーキなのだそうだ。

意識消失が始まった最初のころは、

「将来の夢は?」

と聞いた時、

「WHOのトップになる。そして世界一安全なワクチンを作るの。」

と、言っていたのに、

13日の土曜日には、

「WHO?それおいしい?」

と言う。

翌日は、

「WHOというシュークリーム食べたい。」

と言っていた。

何十回も、「父ちゃんの名前は?母ちゃんの名前は?妹は?弟は?」

を繰り返して聞く。

家族の名前だけは忘れて欲しくない。

家族の名前と、自分の名前が出たところで、

漢字が書けないけれど、タイムアウト。

もう寝ると寝てしまった。

いつか、笑い話になるよね。

その日のために、記録しておくんだ。



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9月13日~寝ても覚めてもGSK

2014年09月15日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
このところ、8時45分がヤバイ!

なので、この日は7時半頃から寝てしまえば8時45分には夢の中!

ということで、

早く寝ることにした。

が、結局8時近くにトイレに行く。

「右足が痺れている。」

8時28分

結局、意識がなくなる。

35分に目が覚めて、意識消失が7分くらいだったのだが、
9時15再び意識がなくなるまでには戻らず、

父親も、母親も、妹も、弟も、全て名前は “ごん”

ごんは、弟の愛称である。

看護師さんを見て、教授だと言い、

教授は違う名前だよ。なんていうのか聞くと、

「○○先生」

と、私が何度も何度も、東京や京都まで出向いて、懇願したが、本人は一度も会っていない免疫学の先生の名前を挙げた。

主治医の先生の名前を言うと、

「佐野のおばちゃん」

と、昔お世話になった先生だと言う。
同じ苗字なので、まあ合っていると言えば合っているのだ。

ここ数年ずっと見て貰ってきた主治医の名前は出て来たが、
記憶がおかしくなってから、名前がなぜかずっと、
「くまこ」
になったままだ。
祖母の名前が、私の名前になっていた。
私の名前は「ゆきこ」
自分の名前は「ハイジ!」と、妹の名前になっていた。

そのうち、「ケーキ食べる」
を連発して利かない。

そして、

「グラクソスミスクラインって、、おいしくなさそうなケーキの名前付けたもんだね」

「今、食べたいケーキは、メルク、カスタードピーナッツクリーム、じゃがバタ」


だと言う。

どんなにおかしくなっても、

深層心理の中に、HPVVワクチンでこうなったことは、忘れがたい事実なんだね。

夢の中くらい、

幸せで楽しくておいしい気持ちにさせて欲しいとも思った。

この後、

「帰る!」
コールが出て、

21時半から前日と同じく散歩をした。

廊下で会う看護師さん達に、暗闇の中で、

「おはようございます。」

「おはようございます。」

と連発していた。

「頭で考えていることと、口に出している言葉が違う気がする。」

とも言っていた。

でも、

じゃがバタだけは覚えていて、

結局ジャガイモとバターを買って、師長さんご法度のレンジで調理をしておやつにしました。

味覚が化調やレトルト冷食が駄目なのです。

なかなか既製品のおやつが難しいです。

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9月12日~症状の記録

2014年09月15日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
毎日、少しでもいいので記録として残したいと、思ってきた。

9月12日金曜日

昨夜も、夜中に意識がおかしくなった。

夢遊病者のように、意識が無いのにガバット起きて突然折り紙を折ったかと思うと、また寝た。

その後、

「アイス食べる。」

を繰り返す。

看護師さんの名前も分からなくなっている。





夕方、「ステロイドは飲まないよ。」

と言っていたが、

理由は、

「痒くなるから」

何の気なしに受け止めていたが、

夜、「今すぐ帰る」

となってしまった。

実は、不随意運動が酷くなってから、2回ほどベッドから落ちてしまったので、

私が離れるときには檻(4点柵)に入れている。

この、柵を最初は持ち上げようとしたが、持ち上がらない。

動かない足を柵に手でかけて、手でよじ登るという行為に出た。

仕方なく、散歩に連れ出す。

2時間以上も掛けて散歩をしているうちに、何となく

ドロのなぜ帰るとなったのかが分かってきた。



昼間、少し先生方から、足の動きについて

診察があった。

私が、昨夜の無意識な状態での起き上がったことについて、

上の先生に話したら、立ち上がったと間違えて、ドロの所に飛んで行ってしまった。

膝下は、前後には動くし、ベッド上では膝立てや、開脚もできる。

これは、ずっと出来ていたことだと、ドロも主張している。

ただ、筋力の低下や、立てないこと、立位のふらつきは徐々に低下してきて、

今までいろいろな治療をしても少しでも戻ることが無かった。

これを本人は何度も訴えているのだが・・・・・



そこに加えて、

パルス後の精神状態の不安定も手伝って、


先生方の、疑問

なんで、立てないか、あれだけ足が動くのに不思議だという会話と、


そこに、今迄たくさんの医療機関で傷つけられてきたが、やっとドロが初めて信頼関係を持てた主治医から、

「頑張ろうと思う気持ちも大切。」

と前向きに頑張ろうと励まされただけなのに、

先生は、信じてくれていない!

となってしまったようだ。


パルスのあとに自分で自分の精神状態がコントロールできなくなるのが一番嫌だと言って拒否していたドロ。

ご免ね。でも、今、この頭の中の大火事を止めないと・・・・・。


壊れた自分で生きたくない

といったドロ。

もっと悲しむ、もっと苦しむあなたになって欲しくないためなんだよ。



ご免ね。お母さんが、聞く耳持たずに、仕事仕事で忙しくして、国を信じて打たせたからだね。

お母さんの責任だ。

ドロが悪いのではないのに、苦しませてごめんね。





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子宮頸がんワクチン接種後の体調不良について

娘と同じように子宮頸がん予防ワクチンの副作用を疑う症状のある方、ワクチン接種後数ヶ月から遅い方は3年も経ってから頭痛、めまい、不随意運動、麻痺などが出て来る方もいます。 もしかしたらと思われる方は、 下記まで 全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会 電話・FAX:042-594‐1337 ご連絡下さい。