キャロリン。の日記

いつも、熱く、楽しく、全速力で、生きること。

干し柿作り~母の愛情

2011年11月08日 | 至福



七五三で実家へ行った日。

おじさんが、柿をもいでくれたので、持って行くようにと、母に言われる。


それが、母が昨年のごんたの干し柿の1件を覚えていて、保育園へ持っていくように言われる。



そんな急に言われても・・・・。


園だって、保育プランがあるよ~。


朝、一応持っていって保育園に聞いてみる。


OKが出た。


昨年、ごんたが保育園の塀越しに、となりのおじさんから、一人で1個貰った渋柿に、担任の先生が、自宅の甘がきを持参して、一人1個づつ干し柿を作った話を、母は覚えていて、

今年は、クラスのみんなが作れるように、と持たせてくれた。


母の教育のすばらしさは、そこにある。

こんなことしたら、子どもが楽しめるかな。とか、いい思い出が出来るかな。


一番上が小さな頃から、買い物に行っても、高価なおもちゃは買ってくれないが、

100均で、砂絵や、プラ風船(セメダインのようなものを、ストローの先につけて吹くもの)を一緒に行って買っては、一緒に作ったり、庭の草むしりを手伝わせながら、お花の話をしたりしてくれた。

そんな関わり方が嬉しかったのだろう。

ドロは、小さなころは、必ず、

「大きくなったら、おばあちゃんになりたい。」


と言っていた。

小学校1年のときに、バス停で知り合ったおばさんと話をしていたら、


偶然に私の父の同級生だった。


そのおばさんが、終点の町から買い物にきている話をしたら、

ドロが、
「おじいちゃんちがある。」

と言ったので、
そのおばさんが、

「なんていうのおじいちゃん?」

と聞いたら、


同じ町に夫の両親も住んでいるのに、


数えるほどしか行かない、私の父の名前を言ったそうである。


それで、まあ、偶然にも、父と同級生だったので、

父の同級生が父にその話しを話したらしいのである。



私たち子どもを育てるときには、厳格で封建的な父でしたが、

今は20歳を過ぎた姪の小さな頃から、孫は特別みたいで、

一緒におままごとをしたり、体操したりして、遊んでくれていました。


(すぐに飽きっぽいのと、うるさいのは嫌いらしく、長居をすると、

「はあ、うるせえからけえれ!」となるのでしたが。)




暫く前に、ハイジが、言った言葉が忘れられません。


ボロやで、汚い、我儘も聞かない私の実家が好きだと言います。


なんで?

と聞いたら、


愛情の示し方が違うんだよ!

と言っていました。


帰りの保育園のお迎えに行くと、もう、柿が吊るしてありました。

今年の干し柿は、ほっぺたが落ちそうなくらい甘くなりますように!

と祈らずにはいられませんでした。


ごんたが、帰りの車の中で、

お空と、柿に、甘くなりますようにってお祈りしたの!

と言っていました!!


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