七五三で実家へ行った日。
おじさんが、柿をもいでくれたので、持って行くようにと、母に言われる。
それが、母が昨年のごんたの干し柿の1件を覚えていて、保育園へ持っていくように言われる。
そんな急に言われても・・・・。
園だって、保育プランがあるよ~。
朝、一応持っていって保育園に聞いてみる。
OKが出た。
昨年、ごんたが保育園の塀越しに、となりのおじさんから、一人で1個貰った渋柿に、担任の先生が、自宅の甘がきを持参して、一人1個づつ干し柿を作った話を、母は覚えていて、
今年は、クラスのみんなが作れるように、と持たせてくれた。
母の教育のすばらしさは、そこにある。
こんなことしたら、子どもが楽しめるかな。とか、いい思い出が出来るかな。
一番上が小さな頃から、買い物に行っても、高価なおもちゃは買ってくれないが、
100均で、砂絵や、プラ風船(セメダインのようなものを、ストローの先につけて吹くもの)を一緒に行って買っては、一緒に作ったり、庭の草むしりを手伝わせながら、お花の話をしたりしてくれた。
そんな関わり方が嬉しかったのだろう。
ドロは、小さなころは、必ず、
「大きくなったら、おばあちゃんになりたい。」
と言っていた。
小学校1年のときに、バス停で知り合ったおばさんと話をしていたら、
偶然に私の父の同級生だった。
そのおばさんが、終点の町から買い物にきている話をしたら、
ドロが、
「おじいちゃんちがある。」
と言ったので、
そのおばさんが、
「なんていうのおじいちゃん?」
と聞いたら、
同じ町に夫の両親も住んでいるのに、
数えるほどしか行かない、私の父の名前を言ったそうである。
それで、まあ、偶然にも、父と同級生だったので、
父の同級生が父にその話しを話したらしいのである。
私たち子どもを育てるときには、厳格で封建的な父でしたが、
今は20歳を過ぎた姪の小さな頃から、孫は特別みたいで、
一緒におままごとをしたり、体操したりして、遊んでくれていました。
(すぐに飽きっぽいのと、うるさいのは嫌いらしく、長居をすると、
「はあ、うるせえからけえれ!」となるのでしたが。)
暫く前に、ハイジが、言った言葉が忘れられません。
ボロやで、汚い、我儘も聞かない私の実家が好きだと言います。
なんで?
と聞いたら、
愛情の示し方が違うんだよ!
と言っていました。
帰りの保育園のお迎えに行くと、もう、柿が吊るしてありました。
今年の干し柿は、ほっぺたが落ちそうなくらい甘くなりますように!
と祈らずにはいられませんでした。
ごんたが、帰りの車の中で、
お空と、柿に、甘くなりますようにってお祈りしたの!
と言っていました!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます