キャロリン。の日記

いつも、熱く、楽しく、全速力で、生きること。

主治医交代~惜別の涙

2014年03月27日 | 家族
オオボケップリ発揮しました。

今月2回目の保険証忘れ!





本日、主治医の交代のための引継ぎがあった。

受付をして、今日は子ども達の遺伝子検査のための初診の手続きをしていました。
私は、脳血流の検査時間も迫っていたので、夫に「車の中に忘れた~。持ってきて、私は検査に行くから」

検査をして棺おけにはいっている途中で、思い出した。リュックの中だと気がついた。

検査が終わって行って見ると、

夫が、「なかったよ!!!更に車からメールしたら、座席の上で鳴っているし・・・・。それでじゃあ、ドロにと思ったら、それも車の中!さすがにぶちきれそうになったよ。」

「ついでに言うと、お前今月これ、2回目だぞ!」


私:「??????そうだっけ?いつ?」

夫:「この間のドロの入院の時、ファックス送ってっていったじゃない!おれは、家でずっとお前の探し物に付き合ったんだぞ。お前が持っているんだからいくら探してもないに決まっているじゃないか?」

・・・・・そうでした。

「ごめんなさい。はあ、どうしょうもないね。」

やっと、保険証を出して、

掛かる科の前で、問診表を書いていると、




すると、事務の人が来て、

「主治医の先生は、今日は来ない。」

と言う。

「えーっ?だって、月曜日に、朝の初診の先生に掛からないといけないか聞いたら、午後に間に合うようにくればいいよ。」

って言ってたのに・・・・。


もう、ビックリ!


だって、昨夜遅くに、ちゃあんとラブレターを書いたのに・・・。



事務の人が、

「先生に連絡を取って見ます。」

とのこと。


主治医は来て引継ぎをしてくれることがわかり、一安心。


事務処理が終了して、昼食を摂り、リウマチ科に行くと、先生の姿が見えた。

「今日は先生早い!早く終わるかも・・・。」

すると、夫が、

「おーい、Psy科だぞ!」

「え?何時の予約?」

「13時!」

「あれ、遅刻じゃない?」

更に、う~ん、タイスケ絶対たくさん遅れる!

Psy科の先生は、呼ばれるまでの時間が長い。

シンチの結果は、

2011年頃の数値まで回復していた。

「免疫抑制剤が効いているようだね。良かった。」

と先生は言うが、

今日はついていない。

夫に目一杯報告されてしまった。


リウマチ科は、さほどに待つこともなく呼ばれた。

先生3人に患者5人。狭っ!

しこ玉たくさんの資料を渡す。

最後の私と夫の診察をして貰って、

今生の別れをした。

ラブレターは渡せました。


先生との思い出を振り返ると、

人の心は変わるものだとつくづく思います。

正直、最初の入院中から、その後1年くらいは、なかなかしっくり行かなくて、関係に悪戦苦闘していた。

何度も、病院を変えようかと思ったりした。

自分は他の病気なのではないかと思うときもあった。

それでも、まあ仕方ないかあ。

抑制剤を使ってからは疲れも感じにくくなったし、生活上のとんでもハップンも減った。
薬だけ貰えばいいし、取り敢えず、ステロイド0に出来るって減らしてくれる先生だから良いか。

地元に帰れば、一生涯ステロイド10ミリにコルヒチン1.5ミリの薬漬け。減らして欲しい。いや、駄目だのバトルを繰り広げなければならない。

でも、長くなると、はっきりしなくて物足りないときもあるが、良い面も見えてきた。
緊張がなくなったところで、再び、新しい先生と関係を築くのはエネルギーがいる。


結局、新しい先生に

食い下がったが、次世代シーケンサーでの遺伝子検査は、NG。

家族症状が何か自己免疫の元は繋がっているだろうが、出方が、家族みんなそれぞれ変化球になって出てきて多彩すぎて10万打か10億打かあるうちの項目が絞れないとのこと。

「大人と小児の見方は違うから、小児科に。小児のリウマチは、日本でもここと、鹿児島大学しか専門ではないので是非ここの小児科の方が良い!」

と、今度の主治医に言われ、

小児科に掛かることに・・・予約外初診なので、かなり時間が掛かるかも知れないとのことで、

途中で夫と私の皮膚科受診を入れて、ほっと一息。

結構、ここが私達夫婦にとっては、PSY科の役割を果たしてくれている。

癒しなんです。ここで気持ちを仕切り直して、

今日は、夜間救急部での会計覚悟をした。

「ファックスも先に送った方がいいね。」
と、夫が送ってきてくれた。

17時半

やっと診察開始。

最初で最後の教授診察は、19時を回った。

「膨大な資料を読み込んで、今後の指針を出すのはすぐすぐと言うわけには行かないから・・・・

まあ、リウマチ科の新主治医に、相談して連絡して置くからそちらから・・・・」


何だかバタバタな1日だった。

9時から、19時半まで、子ども達は頑張ってくれました。

夫が、帰りに一言。

夫:「今日は、筋トレの一日だった。」

感度の悪い私は????

夫:「家族分の膨大な資料を、一日担いで、結局一つも使わなかった!!筋トレしただけだ。」

私:「まあ、日ごろの運動不足解消のためと思えばいいんじゃない?」

夫:「何となく話術に惑わされて皿回しならぬ、何とか回しだな。」

私:「うん、それは感じた。でも、めげずに頑張ろう!裏切られるのはもう慣れたって言ったの父ちゃんだよ。

きっと、子ども達にブリリアントな出会いが開けるための導きなんだよ!」

夫:「・・・・・」

私:「でも、パルスについては、意見も貰えたし・・・・。良かったじゃない。穴が開くほど、子ども達の資料読み込んで返事をくれるって!」

それでも、夫は元気がなかった。


一夜明けて、



本日は、私が、ダウン。

今まで、昼寝してしまった。

夫は飲み会なので、

あるものでこれから夕食にします。




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頑張る!~恐怖との戦い

2014年03月26日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
子宮頸がんワクチン副反応の真実の数字

どうか、一人でも多くの方に読んで欲しいです。


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脳炎~とんでけとんでけちちんぷい!

2014年03月25日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害

今日は久しぶりに、家の用事や自分のことに没頭できる日だった。外の用事がない。

でも、自分の病院受診に際して準備をしていたら、ドロの病歴をまとめた方がいいかなと、ふと思って、ワードに向かう。

発症前のドロのことを記載していると、胸が詰まる。

中学生活も謳歌し、家にいるよりも学校が好き。塾が好きだった。テストも大好きな子だった。

高校は、推薦を狙っていたので、合わせて5回までの遅刻欠席早退しか推薦基準にならないため、40度の発熱時でも、学校へ行こうとしていた。

 もともとが短時間睡眠で、何時に寝ても早起きだった。

発症前は、朝5時起床。家族の誰よりも早起きだった。
自分の好きな本を読んだりして、その後家の周りを10分間走。(1000メートル走は中学一年の時にはクラスの女子で一番だった。肺の強い子で、呼吸数が小さい頃から少なかった。)

それから、おなかが減っていると自分であるもので朝食を済ませ、宿題をして登校。朝の短時間で宿題をやっつける朝型の子だった。

スケジュール管理も、やりたいことは自分で見つけてきて、送迎が必要なときには、「何時に送って。」「何時に迎えに来て。」のみ。


本当に自立した子だった。それが、今は全く出来ていない。何を聞いても、何をしたのかも覚えていない。ご飯だって、食べたかどうか忘れる。


それが、「規則正しい生活して!」
なんて言われると、

親は、

本当に悔しい。

どんなに世間の人が、どう言おうとも、

私達家族は知っている。

不登校でもない。
うつでもない。
心因性でもない。

本当に、品行方正で、私達以上に、規則正しく、間違ったことが嫌いで、規則に厳しかった、自分に厳しかったあなたを、自慢に思う。

そして、いつの日か、

脳炎なんてクソくらえ!

グランザイムも、細胞障害性T細胞も、

追い出してしまえ!

ハンデはあったかも知れないけれど、

コーラも、炭酸も、一度として与えて来なかった。

ほんだしを使ったこともなかった。

お菓子を買って置かない家だった。

ハム等の加工品も、極力使わなかった。

お弁当は、キャラ弁一度も作ったことなかったけれど、
幼稚園の先生が、お母さんにそっと褒めてくれたんだよ。

「ドロちゃんのお弁当は、いつも茶色い健康的なお弁当ですね。

煮物や、ひじき、切り干し大根、茹で菜のお弁当は、いつかドロちゃんを聡明な子にします。」

おじいちゃんが無農薬で育ててくれた、無農薬の野菜とおコメは

あなたの体を強く作ってくれた筈!

アルミニウムも、がの幼虫も、サルモネラも、HPVも、

あなたの強い体は、跳ね付けてくれるでしょう。


8年間続けてきた足ツボマッサージも、大切なスキンシップの一時であり、健康にも貢献して来たのかもしれません。


今日は、病歴を書きながら、改めて回想して見ました。


ドロ、あなたは神からの預かり物です。

今回も、神様が選んだのだと思っています。

どうか、正義を持って、不正を正す人になってください。

私は、信じています。

いつか、厚労省や、行政を正しく導く人にならんことを。


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おみくじ~暗示

2014年03月22日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
あまり、ワクチンの子どもの事や、悪いことは書きたくないと思ってきた。


でも、今、

とても、とても、よい状態とは言えない。

内心、不安です。


実は、2月半ば以降から、


物凄い関節痛やら、全身のリンパ節の痛みが起きてきて、それが以前にないくらいの激痛となっていた。

それでも、あまり痛いとも言わず、学校もロボットのように歩きながらも行っていた。

しかし、だんだん歩き方が酷くなり、支えてあげるようになった。

最後の方は、先生に抱えてもらったり、学校の車椅子を借りていたことが判明した。


そして、痛みが少し治まったかと思ったら、

今度は、脱力のようです。

「膝に力が入らなくてバランスが取れない。

両腕がもげてしまった気がする。

血が手の先からドバーッと抜けてしまった感じがする。

足が冷たくなって言って、感覚がない!」

等と言う。

ドロの表現は良くわからない。

でも、今までは、そういった表現も殆どしてこなかったドロです。

どんな感じって聞いても、

「わかんない。」

「ピリピリする?、ズキズキする?じんじんする?、がんがんする?チクチクする?」

こちらが表現して誘導しても

「わかんない。」

と言っていたのが、

取り敢えずは、表現するようになった。

今朝は、電話がなったので取ると、2階のドロの携帯からでした。

ハイジに変わってと言う。

2階に行ったハイジが戻ってきた。

なんと、

ベッドから、着替えを取りに部屋の中のクローゼットまでの移動を、妹に空飛ぶ絨毯を頼んだようだ。

ハイジはすぐに戻ってきたが、少しして、ドロがお尻で階下へ下りてきた。
パジャマのままで、着替えを上着に包んで体に縛り付けて下りてきた。

本当に、この先どうなってしまうのか?

今まで、最初に起き上がれなくなった酷いとき以来、筋力低下はあったが脱力はなかったのだ。

親はとても不安。

きっと本人はもっと不安なんだろうね。

それでも、

今日のお線香立てに行く車の中で、

「4月で、英検準2が受かって、秋に2級が受かったら、来年の入試の時に内心書書き換えて貰えるかな?」
と言っていた。

どうしても、その学校で高校生活をしたいという希望を捨てていない。
大学のことよりも何よりも、その高校での学生生活をしたいと言う。

どうか、初詣でドロが引いた。

「安心せよ。」

のおみくじが、現実になって欲しい。

健康が戻ってきて、

来年こそ、高校生になれますように。




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子宮頸がんワクチン副反応率4%~データは嘘をつかない

2014年03月16日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
子宮頸がんワクチンで被害にあった娘ドロの卒業式で


何人かのお母さんからご心配頂いた。

PTA会長のご夫妻からは、署名のお願いのお話もしたことがあったのに一言の労いの声も掛けていただけなかった。


声を掛けて頂いたお母様がたから、


「うちの子も一時期、過呼吸が酷くて、変な時期があったけれど、打った後だった。」


「他のお子さんも、何人も過呼吸になったり、情動失禁が酷いお子さんがいたよね。」


また、

「高校のお姉ちゃんの学校でも、皆勤賞で活発な子が学校へ来られなくなってしまった子がいる。」

という情報を教えてくれた方もいた。


そう言われてみれば、

一学年80名の女子のうち、

うちの子も含めて4人はある時期、頻繁に過呼吸を起こしていた。

サーバリックスの製品情報のホームページの中の臨床報告


サーバリックスのホームページより重篤な副反応率が書かれたページ

4%
合致する。

データは嘘をつかない。


医学界で最も信頼おけるジャーナル、ランセットオンコロジー2012年vol.13January

には、

4年後の副反応率

9%

と発表している。


これって、凄くない?


そして、この日、あるお母さんから、


「人生、すべての人が、山あり谷あり均せばどの人もみな同じような人生になると思うの。この経験が活きて花が咲くときがあるわよ。私達は、いつまでもお友達でいてくださいね。」

と言って頂いた。


「そうだね。私達、子どもと共に大器晩成なのよ!」





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試練の時~きっと明日は♪

2014年03月13日 | 家族
未曾有の大災害

我が家は、このところ、踏んだり蹴ったり状態。

娘が、子宮頸がんワクチンの被害で苦しみ、この1年半以上、病院どたばた、

息子も、自己免疫疾患に、ケトン性低血糖、


どうやら夫も、小さな頃の病気が再燃し始めたようです。


そして、夫の父、義父が、膀胱癌が見つかったら、何とどうも肝臓が原発だったようで、

治療方針を巡って、病院に何度も呼び出されています。


義母は、ステロイド抵抗性の難治性喘息(でも、私から見るとおそらく、COPDではないかと・・・)

で酸素使用。


私も、認知がどんどん進んで、

書類の管理や記載が・・・・・・


夫と、次女のハイジが2人で奮闘中です。

昨日は、12月から体調不良の息子の採血の数値がとても悪く、LとHのオンパレード。いつもLの関節炎の数値が初めてHを記録した。特に先生が気にしているのが、認知症になる、アミロイド蛋白がまた高値になってしまっていたので、強烈な腹痛からは脱出したものの、頭くらくらと、右の回盲部あたりの痛みに、CFをすることになった。いつも、完璧に頑張ってくれて来たごんた。向かいのお兄ちゃんが、マグコロールが飲めない!と・・・・。毎回ぽかりと言って騙してきたのだが、今回、初めてまずいと言い出した。
でも、今回も、一度もパンツを汚さずに、完璧!

しかし、朝8時45分に行って、先生が混んでいて終了が17時半。点滴終わらずに帰ってきたが、そのまま入眠し、3時頃から、気持ち悪い目が回る!嘔吐!

結局、朝もぐったりして、今日も学校は休み。ドロが卒業式なので、
保育サポーターさん宅に預けた。
別れ際に、ボーっとしているので呼びかけたら、

ごんた、
「今日はぼくは、ねじが一つ外れている。」
と言う。



ドロは、このところ関節炎が半端でなく、社協で車椅子をレンタルして来ました。

今日はドロの卒業式、証書授与だけ出ることが出来ました。

19日には、クラスみんなでディズニーランドへ行くとのこと。
仲の良かった男の子から誘われましたが、私に相談しないうちに、

「ごめん、行けない!」

と断ったようです。

まだ、一度もディズニーランドへ行ったことのない娘です。

行きたいとせがまれたこともありましたが、

「大きくなって、お友達と行きなさい!」

と言ってきたので、

きっと、行きたかったに違いありません。

高校も、みんなと同じように行きたかったに違いありません。

私の無知で、こんなことになってごめんね。

国がやることだからって信じちゃいけなかったんだ。

本当に、娘の青春と喜びと、人生を奪ったのは私だ!

大馬鹿者だね、おかあさん。

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インフルエンザのセオリーVS前橋レポートの末裔

2014年03月08日 | 家族
ご無沙汰してしまいました。

とても、いろいろありました。

昨日は、夫に夕食も作って貰って、ずっと寝ていたのに、今朝も、朝から頭がぼんやり霞がかかってしまっていました。

娘の症状を考えながら、もしかしたら、神経ベーチェットではなく、MS(多発性硬化症)ではないのだろうか。等と考えていました。

前置きはさておき、

娘と共に南国へ逃避行に行っていました。

その留守を預かった、夫や、ハイジやごんたは大変なことになっていました。

実母や実父も、はたまた弟や義妹も・・・。

大雪が2度も降り、12月から、ごんたは本調子ではなかったようです。

雪のために動けない日が続き、学校は休みになったり、登校が遅れたり、下校が早められたり、夫は1人で大奮闘でした。

ハイジは、5時に起きて、洗濯をして、朝食を作り、洗濯を干して学校へ行ってくれました。
帰宅後も、洗濯を畳んだり、宿題を自分の分をした他に弟の宿題の丸付け等もしてくれて、夫と夕食を作り、片付けはハイジです。

疲れが出てしまったのか、3年前の東日本大震災以来2度目のインフルエンザに罹りました。

夫の母は喘息もあり、預けられないため、私の実家に預けることになりました。

もう、これだけでも、母としてなんとも不甲斐ない思いで一杯でした。

本当に手の掛からないハイジ、3年前の震災は、初めてのインフルエンザで休んでいたときに地震が起こり、抱きしめてテーブルに潜ったのです。この時に、久しぶりに抱きしめながら、一緒に居られて良かったと思ったものです。

他の子達は、発熱も多く、手が掛かりましたので、何度も病気の時には共におりました。

なので、こんなたまの時には看病をしてあげたいと思っていました。

実家は、この2月から弟夫婦が同居してきて、まだ幼子もいます。

気には掛けていましたので、熱が下がったら、自宅に帰った方がハイジは落ち着くと思ったので、夫に「熱が下がれば薬の副作用はなくなると思うので、引き取って家で1人で留守番させてね。」
と、お願いしました。

そこへ、姉が休んで寂しかったのか、ごんたも登校直後に発熱で呼び出しです。
しかし、インフルエンザではなく、どうも自己免疫疾患の方だったようです。

もう、仕方なく、病病介護をさせて、夫は仕事に行きました。

更には、豪雪!

ガレージが潰れて、車が出せない!

初日はそれでも、会社も休み、学校も休みになったので助かりましたが、夫から、「家から一歩もでられない。車も人も誰も通っていない。」

とのこと。

こちらは南国で雪の一片もありません。

バタバタの日々だったようです。


母から、

「ハイジに、寂しい思いをさせてしまって悪かったなあ。」

と、話を聞かされました。

母は、ハイジが話したかと聞くので、

「あの子は、そう言うこと言う子ではないから、聞いていないよ。ただ、夫から、様子を見に行ったら、さばの味噌煮の缶詰とカップラーメン食べてた話は聞いたよ。」

私の家族は田舎の農家で、インフルエンザで医者に行ったこともなければ、隔離されたこともなく、もう罹ってしまったら巡ぐりに一周するかもね~。で終わり。ねぎ味噌やら、卵やら、にんにく生姜湯等を飲まされて、暖かくして寝ているだけでした。

社会のセオリーを知らなかったのです。部屋も隔離、食事もタオルも、すべて分けると言うことを、初めて知りました。

また、わが家が13年間掛かり付けにしてきた小児科医は、前橋レポートのリーダーのお弟子さんです。
検査して、薬を処方して、治癒証明は書きますが、
「本当はさあ、薬なんて飲まなくても解熱剤使わなければ、脳炎なんて殆ど掛からないしその方が良く抗体が付いて、何個かの型に罹ると他の方が来ても、罹らなくなるんだと思うんだ。私達の子どもの頃は薬もワクチンもなかったから自然治癒を待つしかなかった。その分よく抗体が出来て、今、これだけ何百人ものインフルエンザのこどもにマスクしないで診察していても一度も罹ったことがないのだと思う。」
というような医師なので、特別に指導されなかったのです。

ただ、ドロが3歳で水疱瘡に罹ったときに、ハイジは生後2週間。
先生は、「ひえ~、下の子どうする?でも、おそらく今更隔離しても無駄だよね。うんと軽いかうんと重いかどっちかだよ。うんと重かったら、覚悟してね。」

と言うことで、罹りましたが、ハイジは本当に超軽くて済みました。1ヶ月健診で産科医にも、
「ふえ~。良かったねえ、死ななくて!」

まあ、田舎は、こんな調子の世界なのです。

弟のお嫁さんは、都会のセオリーの人でしたので、ハイジは隔離されたまま、腰が曲がって、やっと掴り歩きをしている母が、持って行ける食事は缶詰や、パン、お菓子、カップラーメン程度だったのだと思います。

子ども達は、いつもの調子で、「ハイジちゃん!」と遊びに来たがります。

ハイジも、「来ちゃ駄目だよ!」とは言うけれど、まだ3歳の子は解りません。

義妹が、何度も怒るのを見て、

下の弟夫婦が、預かってくれました。

弟夫婦にも、まだ幼子はいるのです。

リウマチの祖母の爪を切ったり、紙を梳かしたりしてくれた心優しい弟でした。

「悪いね。」と詫びると、

「罹る時は罹るし、罹らないものは罹らん。一巡すれば治まるさ。非常事態だもの、お互い様だ。増して、母がいない寂しさと、気兼ねを考えると、ハイジには可哀想なことをした。」

と・・・・。

義妹は、子どもを連れて外泊をして帰ってこなくなったので、結局実家に戻ったようですが、

ハイジには、本当に申し訳ないことをしたと思っています。

会って最初に抱きしめたら、

「気持ち悪いなあ!」

だって。

がっくし~。でも、

「寂しかった?」

と聞いたら、

「まあ、ちょっとね。」

と言ってくれたので、ほっとした。

結婚しないで母ちゃんと一緒にスイスの田舎で茅葺屋根の家を作って、一生暮らすといい続けているハイジ。

片付けられない症候群のハイジとは精神衛生上暮らしたくないと思ってきたが、

やっぱり、一生母ちゃんと暮らそうね。

心の中で呟きました。

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子宮頸がんワクチン接種後の体調不良について

娘と同じように子宮頸がん予防ワクチンの副作用を疑う症状のある方、ワクチン接種後数ヶ月から遅い方は3年も経ってから頭痛、めまい、不随意運動、麻痺などが出て来る方もいます。 もしかしたらと思われる方は、 下記まで 全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会 電話・FAX:042-594‐1337 ご連絡下さい。