キャロリン。の日記

いつも、熱く、楽しく、全速力で、生きること。

難病相談支援センター~子どもとかかわる

2011年09月29日 | 医療、福祉、介護、ワクチン被害
難病相談支援センターの人に、極たまに、1年振りくらいで相談に行った。

仕事を何かしようかと考えているのだが、

準備をしようとする度に、体調不良になる。

講演くらいと家から5分の会場に参加しただけで、恐ろしい腹痛と下痢になった。

自分では、頑張れるという気がするのだが、体力がついていかない。

今まで、あんなにも仕事をして来られたのに・・・・・。

と、情けなくなる。


みんなはどうやって仕事をしているのだろう

で、相談に行った。


福祉業界は、引く手数多なのだそうで、

介護福祉士として働いてきた私に、やはり福祉の世界に戻るように言われた。

う~ん、今はだめかな。

が冬眠中


バーンアウトもう燃え尽きたんです。

駆け出しが医療の世界だったので、

やはり、福祉の色に馴染めなかった。

まして、社協というなんとも言いようのない世界に・・・・。


それでも、就職ということに関しては、

ベーチェット病も、難病者雇用の対象となり、ガイドラインが出来ていて、それで、県内でもこの難病制度を利用して、就職された方が、この間1名出たということでした。

中小企業の経営者が雇用すると、会社側に補助金が支給されるのです。

また、難病患者は、あらかじめ、いろいろな病態から生じる問題点を、理解して貰った上での雇用で、働きやすくなる。

病名を隠して、オーバーワークを我慢して続ける必要がなくなるという双方のメリットがある。

ということです。


今のところ、全然、関係のない業界に行きたいという気持ちが強いです。


そこへ、ヘルパーの友人が、ストレス解消に来た。


話を聞きながらも、なんか、遠い過去の世界のような気がした。


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発熱~ごんた

2011年09月23日 | 至福
一昨日の夜、ごんたがまた発熱しました。
最高時39.6度今朝は、36.6度まで下がっています。


こんな発熱の仕方を、ごんたは、何度も繰り返してきました。

時々、数日続くこともありますが、大抵は1日で下がるので、
知恵熱くらいに考えてきました。


ただ、何度も繰り返すうちに、ドロとハイジが、
お母さんが、早く迎えに来て、たくさん一緒に遊んだ日は必ず熱が出る。

というのを暫く前に言っていました。

私も、それを言われてから、日曜日など、とにかく公園などで運動をさせた日に発熱する気がしていました。

9月の9日の遠足の時は、遠足の日の夜から、3日ほど続きました。
それでも、必ず、昼間は降下してきます。

それで、3日目に、掛かり付けに行き、採血で、CRPを計測しておこうと考えました。

でも、して貰えませんでした。

それで、昨日は、ちょうど、大学の先生の外来担当日でしたので、朝一で電話して、受診のアポを取り、出掛けてきました。

ちょうど、私のベーチェットのオフ会があり、そこで、往年の紳士たちが皆、
「夕方発熱して、朝には下がるという毎日の繰り返しで、仕事やだ病のように思われてた。」

とのことでした。

また、

やはり、長くなるとCRPやら赤沈などデータが出なくなるので、何の病気かわからなくなるから、ドクターショッピングを繰り返した。

アメリカ勤務時代は、アメリカいはベーチェット病の患者がいないので診てもらえる医者がいなかった。

最初に手が腫れて、蜂に刺されたという診断がついたこともあった。

などという話も出ました。

私は、時々40度の熱が出ることが数日あったり、ここ数年は37.5℃前後が常時ですので、夜だけ出てというのはあまり経験がなかったので、

男の方の多くの発熱の仕方を伺い、ごんたを診てもらおうと決意しました。

朝9時に行き、

待っている間に、口の中を見ると、3個ほどすごく小さいのですが、口内炎も出来ています。
朝は、また、足首の関節痛を訴え、更に今日は珍しく肘痛も訴えていました。

前回も、IgDが高いこと、補体価、CRP、赤沈などが高かったので、
今回は、私がなかったので、まず大丈夫でしょうということでしていなかったHLAも調べて貰うことにしました。

ほかに、レントゲンや、心電図も撮りました。

そして、実は、今日は私だけの小児精神の先生の受診やら、ほかに難病相談センターの人とのアポもあったのでそれらを間に入れて、一日がかりで帰宅しました。

前回もごんたは、座って泣かずに採血ができたので、今回は、一般の採血室ですることになりました。

何本も採取されましたが、泣かずに終えることが出来ました。

ドロは今でも、ビービーです。


結果は、

レントゲン心電図は異常なし。
採血結果は、う~ん、今すぐ入院くらい異常値が並んでいるそうです。

白血球は2万、好中球もすごく上がっていて、CRPは高いものの、赤沈のほうが今回はかなり高いので、・・・・・・・


でも、元気なのと、いざとなれば近くなので、まずは頚動脈エコーをすることにして、帰ってきました。


帰宅後、

遠足の時も最後のところで、必死に頑張っていたごんたが、もう歩けないと訴えたのは、本当に体力の限界だったのかもしれない。と思いました。

普段の保育園生活でも、「疲れると、一人どこかでうまく休んでいる」という先生の言葉を初めて理解しました。

ごんた、ごめんね。

私も、「疲れた~。」と言う言葉の連発に、親は、

「我慢が足りない。努力が足りない。精神力が足りない。」
と言い続けて、叱咤激励してきた。

自分の中で、「頑張っているのに・・・。何で自分は虚弱体質なんだろう。」「まだ努力が足りないんだ。」

と、問い続けてきた人生。

それが、病名が判明した時には、自分の頑張りが足りないからじゃなかったのだと言うほっとした嬉しさがあった。


私は、結局、親と同じことをごんたに強いてきたのだと気がついた。


今日の、大きな収穫かもしれない。


そして、また、

厳しく育てられたからこそ、今の自分があり、体力もあり、考え方や、人生の処世術を工夫する知恵を授かったのだとも思える。


難病相談支援センターの人との話も、そしてごんたとのやり取りは、また後日に書こう。

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持っている~??

2011年09月21日 | 読書、DVD、音楽等
持っている。

ある方のブログに載っていたのですが、意味がわからなくて、

ジョン・F・ディマティーニ『世界はバランスでできている』フォレスト出版

の、書評から、推測。


月曜日に、ごんたと夫と公園に釣りに行った。

ドロとハイジは二人で映画「アンフェアThe answer」
を観に行った。



そこで、気分よく、かなり大きなフナを釣り上げた!!
帰りに池のボートに乗りたいと言うごんたに付き合って歩き出したとき、


うわーっつ。ぐらっ。

なんと5センチにも満たない歩道と車の通らない車道?の段差でこけた。

暫く動けないほどの激痛が走った。

夫は、呆然と立ち尽くし、
「だから、今日は勉強ディで家にいれば良かったんだ。」
と一言。

自分の母親のことになると、うちの子供たちの少しの咳でも寄せ付けないほど心配し、治験の話が来るたびに、ドクターに直々に電話を掛けて、話を聞いたりするほどの心配性なのに、


「大丈夫?」

の一言もなければ、寄ってきて起こしてくれるでもない。


自分は水筒ひとつで、ほかの道具は私が両手に持ちきれないほど、結局足元が見えなかったのだ。

それでも、荷物を持つでもなく、軽蔑のまなざしと笑いで傍観している。

荷物を持ってよと頼むと荷物を持ちすたこら歩いていってしまった。

暫くは立てず、歩き始めたものの痛くて歩けないので途中で座っていた。

そこで、ごんたと夫がボートに乗り終わり、駐車場から車を持ってくるまで、待っていた。

家に帰って、夕飯の準備に掛かったが、椅子に座って作っていても痛い。

夫とドロに作ってと頼み、横になる。


その後、夫、

「作ったよ。」

と居間に座って、本を読んでいる。

?????????


夫、

「夕飯作ってと言われたから作ったよ。よそって並べてって言われてないし・・・・。」


そのあと、パソコンでの振込みやら、いろいろな手続きがあり、それも頼むと、

「(妻である私の)誕生日っていつ?」

って聞いてきた。


ああ、こんな人と結婚するんじゃなかった!一生の不覚!


で、翌日医者に行った。

捻挫と、右足の指の骨に黒く線が入っている。ヒビかもしれない。

とのことでした。

この間のごんたの遠足でも、足が前に出なくなって、他のお母さんに荷物を持っていただいたり、最後は、先生に、ここで休んでいてください。とまで言われる事態になったり、帰りも、右足が踏ん張れずに転んだりしました。


暫く前から、上り坂や上り階段のときに、足が前に出ない気はしていましたが。

なんなんだろう?

とずっと、心のどこかで、変という気持ちはありました。


子供の頃から、、骨折や、切り傷もなく、一度も切った縫ったがないほど慎重で、転んだのは、ハイジがお腹にいるときに、ドロを抱っこして転んだ以来です。
怪我をして医者に行ったのは、小学校の頃の肘内障以来の整形外科の受診のような気がします。

なんとも、ショックでありました。

悪いときにはどんどんいろいろ重なります。
もしかしてそういったことも持っているのかも知れないです。
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放射能~30年以上前の高崎高校の視点

2011年09月17日 | 健康・自然共生
実家の父母に、少し先にはなるが、家を建て替えるので、
「荷物を処分して」と言われた。

ので、実家に行ってみた。
「う~ん。いるのは机くらいかな。後は捨ててよ。」

と言ったが、置いてきた本が気になり、本のダンボールを持って帰ってきた。

一番捨てがたいと思ったのは、ギターブックや、アリーナ37℃。
やはり、

歳がばれるが、アルフィーや、中島みゆき、オフコース、チャゲアス、尾崎
のコンサートに行った日々が懐かしい。

今も好きな人にあげられたら・・・。と思ったが、
いい方法が見つからず、ごん他の保育園の廃品回収に出した。


そのときに袋から出てきたのが、野球の切り抜き。
その中に、
甲子園に出たときにファンになった高崎高校の、文化祭で貰った新聞部の新聞があった。
昭和56年と、57年の号で、
びっくりしたのは、なんと、

原子力発電所は必要か?安全か?
と言う内容が記事になっていた。
仕組みも詳しく図が載せられていて、この間新聞に出ていた図とおんなじだった。

そして、翌年は、核兵器について、
もし、高崎に落とされたら、と言うような想定図まで描かれていた。

もちろん、当時の部員の見解は、安全が決して保障されるものではないことや、反対と言う気持ちが根底にあっての記事でした。

私は、当時として、斬新だと感じたのは、
「高校でも生徒に先生を選ぶ権利を与えよ」みたいな記事に目が釘付けでしたが、

30年も経て改めて見直したときに、
当時の自分と同じ年齢の高校生が、すでにこのときに、

今を見据えたような、

放射能汚染の危険性を真剣にストレートに論じていた。

なんとなく、高校の雰囲気と言うか気概見たいものが、1度学祭に行き、大好きになり、毎年電車に乗っていきました。駅から高校までの道程もかなり歩いた記憶があります。

こんな素敵な、すごい視点を持っていたのだと、30年以上の歳月を経て、改めて感心した次第です。(自分は、大切なことを当時は見落としていたこと。同じ年でも、こんなスケールの違う本当に大切なことに気がついている人がいたということはショックでもありました。)

帰宅後の夫に見せたら、夫も読んでくれました。

二人で、感動しました。
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困った人~笑えないよ~

2011年09月15日 | 読書、DVD、音楽等
ブログのお引越しにトライです。何度も、いろんなとこでやってみたのですが、失敗続きです

今、かなり話題の



</color="red">困っている人


を、読みました。似たような関係の持病のある私にとっては、全然笑えなかった。私は、もうすでに30年からの病気のお付き合いで、寛解に近いのですが、彼女の状態を考えると、あまりに壮絶で痛々しくて・・・・。

そして、福祉現場の労働者である私としても、

彼女の言うように、社会制度との死闘も、よくわかるだけに、笑えない。

本当に、日本福祉制度は、自己申告制で、いろんな窓口に出向かなきゃ受け付けてもらえないのです。

知識のない、動けない弱者は制度の恩恵を受けることが難しいんです。

個人の善意に頼るしかないのです。

行政機関によっても対応に差があるのも事実です。
田舎にいると、何年も外出することなく、買い物にもいけない、外出援助として利用するのは、通院くらいです。たとえば、買い物や、コンサートなどの楽しみで利用すると、コーディネーターさんまでが、贅沢だと言う感覚を持っている。

おそらく、著者の状態を推測すると、障害者手当ての支給対象でもあると思うし、福祉医療も使用できると思うし、生保も利用できるのかなあと思います。

それが、難しい膨大な手続きと根気、足(他人の人力)が必要なのです。

知識のない、遠慮深い人は、そこで挫折しています。

こちらが、何とか協力をするからといっても、本人の気力が頑張ってくれないと、承諾してくれないと動けないんです。

彼女の頑張りが、ほかの日本の福祉行政に絶望している方たちに、勇気と希望を与えてくれるでしょう。


大いに、隣人から始まって、人を頼ろうよ。って思うんだけれど・・・・。


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子宮頸がんワクチン接種後の体調不良について

娘と同じように子宮頸がん予防ワクチンの副作用を疑う症状のある方、ワクチン接種後数ヶ月から遅い方は3年も経ってから頭痛、めまい、不随意運動、麻痺などが出て来る方もいます。 もしかしたらと思われる方は、 下記まで 全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会 電話・FAX:042-594‐1337 ご連絡下さい。