前川實2009「決戦!八王子城」揺籃社
「八王子城の謎を探る会」を主宰する歴史研究家の地元の出版社からの5冊目の著書。全88ページのブックレットです。
「茶道太閤記」「小田原記」「北条氏照軍記」「武徳編年集成」「慶安古図」という古い記録と、それらの解説本、そして新たに国立天文台暦計算室での調査資料などを駆使して、豊臣勢が北条勢が守る八王子城を落とした経過を、時刻と場所を追って、地図で示しながら記載していて興味が尽きませんでした。
天正18年6月23日とは、グレゴリオ暦の1590年7月23日なんだそうです。
前日22日22時48分の月の出を合図に、満月から5日後の下弦の月明かりに乗じて、3000人の守備隊に、6隊からなる50,000人が攻撃を掛け、18時間後の23日午後2時頃の決着までを推論していっています。
包囲して談合し無血開城するという戦術ではなく、討ち死約2500、負傷者6000という、死闘があったと伝えています。
ぼくの生まれた街からの兵も参加してたんだ・・・
八王子城は、今では北高尾山陵とも呼ばれている、高尾山との間に中央道を挟む北側稜線に在りました。
昨年夏に歩き、戦国時代の山城で、至るところに遺構があるのと、小さな祠のある狭い本丸跡が印象的でした。
それは「兵どもが夢の跡」を感じさせる山歩きでした。
この小本の地図を持って、また歩いてみたくなりました。
「八王子城の謎を探る会」を主宰する歴史研究家の地元の出版社からの5冊目の著書。全88ページのブックレットです。
「茶道太閤記」「小田原記」「北条氏照軍記」「武徳編年集成」「慶安古図」という古い記録と、それらの解説本、そして新たに国立天文台暦計算室での調査資料などを駆使して、豊臣勢が北条勢が守る八王子城を落とした経過を、時刻と場所を追って、地図で示しながら記載していて興味が尽きませんでした。
天正18年6月23日とは、グレゴリオ暦の1590年7月23日なんだそうです。
前日22日22時48分の月の出を合図に、満月から5日後の下弦の月明かりに乗じて、3000人の守備隊に、6隊からなる50,000人が攻撃を掛け、18時間後の23日午後2時頃の決着までを推論していっています。
包囲して談合し無血開城するという戦術ではなく、討ち死約2500、負傷者6000という、死闘があったと伝えています。
ぼくの生まれた街からの兵も参加してたんだ・・・
八王子城は、今では北高尾山陵とも呼ばれている、高尾山との間に中央道を挟む北側稜線に在りました。
昨年夏に歩き、戦国時代の山城で、至るところに遺構があるのと、小さな祠のある狭い本丸跡が印象的でした。
それは「兵どもが夢の跡」を感じさせる山歩きでした。
この小本の地図を持って、また歩いてみたくなりました。