心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

ナマステ体操、TVにない・・・

2010-07-29 09:58:39 | 国際協力・保健/リハ/心理学分野
かつて、3年前にはしっかり複数のTV局で朝6時台に放送していた「ナマステ体操」・・・どの局でもやってない!

Sさんが考案して3年かけて全国化に心血を注いでいたのに・・・
その頃にはJICA・HPにもあった・・・

導入に努力されていた学校場面では今どうなんだろう?

ネパールの伝統的なダンスの動きを取り込んだり、おもしろい動きが続く体操なので、ファンだった。

DVDを購入してぼくの手元にはあるけど、現地社会には・・・???


学びと工夫で危機を乗り越えろ、NGOs!

2010-07-28 15:18:37 | 国際協力・現地NGO分野
接点があるネパールで活動する日本の市民発のNGOs;

順調な2つ。
・学校建設とスタディツアーによる交流が順調に拡大
・遠隔地の病院医療支援に定年退職した医療ボランティアやT大学からも参加者が拡大

フシギな1つ。
・教員給与より高い奨学金を大学在学中に一人ひとりに提供して教員養成をしている

いい話が無い・・・3つ。
・導入した野菜がうまく育たない・・・
・寄付金を得て現地に購入し使用してきた土地建物が使えなくなった・・・
・活動資金の限界が見えてきた・・・

日本でのバザー用品の運び支援を今回もするんだけど・・・

やっぱり日本側での組織作りも大事・・・のよう。

「医師ー医療従事者関係」変化の兆し

2010-07-27 13:23:36 | 国際協力・保健/リハ/心理学分野
ラリトプールのラガンケルにあるネパール唯一の単科精神科病院には、FさんのOT研修会の日程に合わせて出かけた。

2年ぶりの訪問で、外来棟が新築工事中。
外来では3診体制で、医学生が先輩医師の診察に陪席してトレーニングを受けている最中だった。
入院は、男女別に各2室、計40床、夜間は閉鎖となる。
心理職は週1回のパートのみ。
古い建物は院長室や管理部門がある緑色の2階建てだけになっていた。
ネパールで初めてぼくが訪れた精神保健施設なので懐かしい。

同行したのは、JICA事務所でFさん担当の調整員のSさん、健康管理員のRさん、そして連れ合い。
研修は10回シリーズで毎週日曜日(土曜がネパールの休日なので、日曜は週の労働開始日。しかし外国人ボランティアは土日を休日にしている場合が多く、この日のこの日本人たちは休日出勤していることになる))に午後1時から1時間、医師・看護師・薬剤師・検査技師などの希望する人が対象で、この日は13名が参加。

Fさんは、自作の図などで作成したパワーポイントを使い、テキスト的な内容を整理して講義していて、努力のあとがうかがわれた。
彼女の出身S大学のOT科は、日本のOT創成期の前T教授によるところで、さすがに彼女はしっかり基礎から鍛えられている印象がある。

現地語習得の成果も驚くべき水準だ。
駐在中に日常会話を現地語でこなすのは、ある意味普通だし、活動的にも必須だけど、彼女のように専門的な内容の講義を現地語で行えるボランティアというのは実は多くはない。
ぼくの15年ほどの途上国生活で、3人目かな・・・
ちなみにぼくの仕事では英語だし、いつか行った西語のプレゼンでは作成原稿を読んでいた。

この日は最終講義日で、これまでの9回の総括とOT関連分野の紹介などが内容だった。
統合失調症の再発におけるEE Expressed Emotion 研究を紹介したときには、その内容に突っ込んだ質問があったし、ネパール人医師から的確な答えがあったのは印象的だった。
Fさんは、心理関連分野についてはぼくに同意を求めたけど、彼女の説明はしっかり的を得ている。

この講義は、この病院の若い医師がOT講義を要請したものだというが、Fさんによるとこの国にはないOTそのものの研修以外に、医師とそれ以外のスタッフとが集まって話し合う機会が稀有な状況をナントカしたいという、職場内連携作りも狙いなんだという。

ネパールを含めて、開発途上国の医師-医療職種間や医師-患者家族関係には、日本でも一世代前はそうだったように、明らかな上下関係がある。
ネパールではそれを動かそうという”兆し”が若き医師から始まっているのを感じた。


大人気の看護職

2010-07-25 11:27:48 | ネパールでの生活
ティーチング・ホスピタルと呼ばれるトリブバン大学病院では、M心理学科助教授とひさびさに会い、またインターンとしてYシャツネクタイ姿で心理テスト取りに燃える院2年生のB氏が精神科入院病棟と薬物依存病棟の案内をしてくれた。

ICD10の記号番号で診断名を記録しているのは始めて。
ともにベッドは半分以上は空いていた。
ここ2年さして変化なし・・・

OTのFさんは、OTするならここね、と家族が休憩している部屋や、依存棟ではレクリエーションスペースに注目していた。
Fさん、施設の中だけではなくて、地域でのOTの役割を考えてほしいなあ・・・

同行してくれたFさんのカウンターパート、ソーシャルワーカーのNさんと、この病院の手術室に勤務するアナミ(ANM、18ヶ月養成の看護師)のMさんは、心理職と初めて会ったようで、その院生と話す内容やぼくの日本での仕事に興味津々。
心理テストって何?アドバイスをするのとは違うの?医者とどう違うの?など、共通の基礎教育がないため、そうだろうなあという質問が続いた。

それで病院前のカフェに場所を移して話し込んだ。
「心理テストは、軍隊に入隊するときに、小学校で理解の早い子や付いていけない子を区別するように、フランスで最初に作られたんだよ。他に、いつも笑顔で明るいFさんと、しかめっ面のDドクターが違う性格だけど、それがすぐに分かるように調べるものもあるよ」
「たとえば、Fさんが日本に帰って仕事をどうしようと思っている時に、病院に勤めたらと結論を言うのがアドバイス、何がしたいんだろうね?何と何に迷っているんだろうね?と一緒に考えるのがカウンセリング。」
「医者は薬をだせる、心理は出せない、話し合うだけ。」
などと答えてみた。
相手の理解水準に合わせてわかるように、こんな原則的な答えかたをしたのは久しぶり。

Nさんは、OTのFさんに「OTのときにも、何の活動がその人に合っているのか心理を考えるの?」と聞いたり、「サイコロジストが居るといいね」と述べていたので、ぼくの説明も要点は伝わったんだと思う。

それと今回驚いたのは、先の20代前半のアナミの給与が月16000ルピー(約2万円)と聞いたこと。
看護学校教員で2万ルピー辺りと聞いていたので、たいした高さだ!

ただし、すべての病院看護職が高給なのではなく、大学病院とビル病院のみとも聞く。

この国では看護者の人気が高く、養成校は198(ANM48、PCL(スタッフナース)103、学士44、修士3)にも登るが、外国での出稼ぎだけではなく、この辺にも理由があるのかもしれないと思った・・・

警察病院精神科

2010-07-22 13:26:46 | 国際協力・保健/リハ/心理学分野
これも念願だったTネパール人精神科医師の職場を案内してもらった。
こういう機会でもないと見ることができないであろう警察病院 Brendra Police Hospital 精神科の外来と病棟である。

過日、元王宮前にある自宅に招待してくれて、両親やイトコ、14ヶ月の赤ちゃんを含めて歓待してくれたT医師からOKを取ってあったので、青年海外協力隊(JOCV)の精神科OT(作業療法士)のFさんも誘って出かけた。

Fさんはぼくに、今年3月に開かれた第4回ネパール精神科医師連盟総会の140ページに及ぶ学術発表資料集を持参してくれたので、まるまる、コピー屋に依頼した。
バインダー製本を含めて293ルピー(約400円)。
ここにネパール精神医療の最新状況のデータがあり、臨床や人格系の心理士たちもここで研究発表をしている。

マハラジガンジの日本大使館からすこし登った辺りからタクシーは左折する。
門のキーパーにアポイントを告げて敷地内に入ると、手入れされた広々とした庭の中に3つの4階建ての建物が現れた。
長くカトマンズに来ているけど、ここにこうした建物があるとは知らなかった。

患者や家族と見える人々が三々五々いる・・・ただし、総合病院であるビル病院や産科のタパタリ病院、そして大学病院などで普通の喧騒は全くなくて、とても落ち着いた静かな雰囲気。

まずは車寄せのある正面の建物の鍵を開けてもらって受付で10数分待ち、
次に各部門の責任者などの幹部職員の出勤簿がある会議室に案内されて10数分、
(阪大での研修経験のある病理の医師や、研修希望が果たせていないという電気施設維持部門の責任者など、待ち時間に飽くことはなかったが。)
そしてT医師が現れてまずは院長室へ行き、彼の出身地ドルポ地域へのトレッキングの薦めなどの、長い20数分の話が終わってようやく見学が始まった。

医師たちも、ピシッと糊が利いた警察官の制服姿である!
問うと、左肩の白いワッペンが医療職であることを示しているのだという。
なんとも、権威的な世界だ!

外来で、患者から声をかけられると、ビジターがいるから2時間待て!とピシリ。
ゴメンね、ぼくたちが診療を遅らせて・・・

T氏の話も、いままでの私服のときのようにぼくと冗談を楽しむフランクな様子とは違って、しばらくは階級の話題だった。
博士号を取ってから、星が2つになったんだとか・・・
T氏は、コンサルタント精神科医師である。
なぜここを職場に選んだのかと問うと、人員や敷地などのゆったりとした病院のセッテイングがいいから、という答えだった。
旧守派のような政治的な理由ではなくて・・・安心!
3年目になり、PKO要員に含まれて震災前後のハイチへの派遣も経験し、ぼくの前任地のドミニカ共和国のボカチカ・リゾートへも休暇で訪れている。

利用者は、警察官とその家族、そして退職者のみ。
基本は無料だという。
全病床は約150、うち5床が精神だった。
精神科の外来数は、一日あたり5~15名。
精神科医師は2名、コメディカルは看護師のみ。

採算性を度外視した、公的医療が展開している場だ。

精神の病室は一つ、廊下から鍵がかかっていて、閉鎖処遇だ。
おおよその入院期間は、2~3週が多く、数ヶ月の人もいるとか。中には4年に及ぶ患者さんも一人いた。
診断名や処方から、家族関係なども、質問に応じて細かに説明してくれる。
統合失調症、うつ、両極性、そして内戦後にある社会に特有なPTSDなど。
患者さんは、ややオーバードースかな?
ベッドから起き上がれる様子ではなかった。

その印象を述べると、銃器を持つ人たちだからしっかり対応しているのだとの答えがあった・・・???

根本的な問題は、狭義の医療処置ー投薬とECT-に限定されていることとぼくには思えた。

一人の入院4年目の統合失調症の患者さんは、陰性症状の改善がなくて(職場に)戻せないんだという。
精神療法を問うと、心理士を獲得するのは困難と言い、作業療法の有効性を言うと、看護師に教育してくれないかとの答えだ。
(この国にソーシャルワーカーとOTは居ないし、心理職は25名に過ぎない。また公的機関の給与だけで生きていくのは容易ではないという背景がある。)

それで、看護師長室に移って、それに同意する彼女を含めて、見学がOT獲得作戦の打ち合わせ会議と化した!

JOCVのFさんは、精神保健NGOの入所施設への2回目の赴任で、ネパール語を難なく話すだけでなく、異文化適応がすばらしく、配属施設以外の大学病院や単科精神科病院などから求められて、数日間かけたOT研修会を開いている人だ。
彼女もナントカしたい様子・・・だが、今回の任期は終了が1ヶ月を切っている・・・それで、JICA事務所の担当者を紹介して、派遣要請などについて話し合ってもらうことにした。

開発途上国の人々と関係を持つと、○○がない、欲しいなどと「モノ」の要請を受けることが普通だが、ここの人たちは「技術」の支援を求めるのはすばらしいと思った。

そして、こうした施設内処遇の改善が、地域ケアやシステムの改善へと繋がっていけば幸いであると思った・・・時間はかかっても、一歩づつ・・・

きょう午後は、何度も足を運んできた大学病院精神科に行くアポがある。
心理のインターン院生やM助教授もいるかな・・・

++++++++++++
PS.
混迷を極めているネパール政界。
きのう21日の首相立候補と投票はテレビ中継されていて、ネパール共産党マオ派の元首相プラチャンダことブスパ・カマル・ダハル、ネパール会議派のラム・チャンドラ・パウデルがともに過半数を得ることができず、両者の間であす決選投票が行われることになった。
本命と目されていたUML(統一ネパール共産党)のジャラス・カナルは立候補を辞退し、UMLが投票に参加していないという、流動性が続いている。
世論調査ではトップに期待を集めている、マオ派のもと蔵相バブラム・バッタライはプラチャンダの圧力に屈した、ということなのか・・・



王宮博物館

2010-07-20 17:07:43 | ネパールの政治治安状況
行きたかったナラヤンヒティ王宮博物館へ初めて行ってきた。

群雄割拠の時代を勝ち抜いたシャハ王朝が1769年に布いた王制が、ネパール共産党毛沢東派主導の政府によって2008年に廃止されて、2009年2月に王家が住んできた宮殿が民衆に博物館として公開されたものだ。

日本史に置き換えると、全国制覇した江戸幕府の成立と、その約300年の長さなどは似ているともいえるがそうでない点もある。
ネパールはその後には「連邦民主共和国 Federal Democratic Republic 」となったが、日本は「尊王」をスローガンに維新の革命が成って、天皇制を選んだ点だ。だから日本では皇居は未だに大衆には公開されていない。

1969年に建築されたという王宮は、広いがオールドファッションだった。
階段を登ってすぐの謁見の広間、ネパールの郡の名前が付けられた52あるという部屋、儀式が行われたシャハ王朝が生まれた郡の名であるゴルカ・ホール、王の寝室や執務室、招待された外国の代表のゲストルームなどがある。
大理石張りの床やシャンデリア、きらびやかな壁や床の装飾などは豪華さを残していた。
でも、それぞれの部屋や廊下は意外と狭かった。

ふと、チベットのポタラ宮を想い出した。
そこは、道路がないため分解してチベット高原まで運んだという自動車や、ヨーロッパ式のベッドやバスルームなど、その時代の進取な気概が感じられたのに、ここは対外的に豪華に見せているだけというか・・・
(ネパールの王もクルマを持ってこさせて、クルマを走らせるために王宮前のダルバール・マルグの広い道を作ったといううわさは聞いたことはある、が・・・しかし、それはこの王宮が建築される前の時代だ。)

2001年6月の、皇太子が父母にあたる王と王妃ら王族に発砲し殺害したとされる惨劇の舞台となったトリブヴァン・サダンの跡地も、広大な庭園にある。建物は残念ながら建物基礎だけを残して、跡形もない。

753ロパニの敷地、40,820平方フィートの建築面積って、何平米?
いづれにしろ、皇居の広さと較べると、小一時間で歩けてしまうので較べるべきもないが。

トイレや調理室などの生活部分もぜひ追加して公開してほしいと思った。
それと、外国人500ルピーの料金は高すぎないか・・・

PS。首相が辞任して以降、不在期間が続いている今のネパール政治。きょうが期限の首相の選出はどう進むのだろうか?首都の街は何も変わらず動いているけど。

1年半ぶりのカトマンズ

2010-07-19 08:33:19 | ネパールでの生活
17日(土)の昼前に家を出て、正午過ぎの高速バスで首都高のノロノロ渋滞や追突事故処理などにつかまりながら、でも予定時刻には成田着。

家から駅まで、駅からバス停までの数分の歩きでも汗びっしょりになる、30℃は越えている、梅雨明け直前の強い陽射し。
でも日陰に入ると風は涼しく、シャツは見る見る乾いていき、心地よい。

バスの中では用意していた缶ビールをゴクリ。
まだのどが渇いていて500ccのお茶もほとんど飲んでしまう。

開いたばかりのカウンターでチェックイン。
Eチケットなので、航空券がでるまでの旅行気分は希薄。

家で計ったように、本と日本食調味料や食材が入ったコロつきのボストンは22.1Kg.
50gデジタル体重計の精度はすごい!

20Kgオーバーの重さに文句は言われないで、カトマンズまでスルーになる。
100ccの透明プラスチックボトルに3つ、ウイスキーが入っていて、同じく透明のジッパー付きビニール袋の中。

機材搬入の遅れとかで、1時間弱の遅れの案内がある。
TGではめづらしい・・・

バンコクで長い一晩トランジットなので、梅酒も日本酒も何も買わない。
乗り継ぎチェックインでの、その空港購入以外の液体持ち込みはとてもうるさい空港だから。

Gコースに長いすが置いてあるトランジットスペースがあることは織り込み済みだったけど、
Cコース3階にリクライニング椅子が整然と並べて置いてあるのは知らなかった・・・
そこで空港ビバーク、とする。
冷えてきて、テニス用の薄いジャンパーを羽織る。

でも、なんとなく冷え?感があって、ピリ辛のタイ麺を食べに行ったり。
うとうとするうちに朝になった。

乗り継ぎ便は、定刻に出て、定刻にカトマンズ着。
ほとんどヨーロッパ人客で満席状態の客が乗っているけど、雨季のせいか、トレッキングスタイルは目に付かない。

窓からは雲ばかり・・・
すこしは期待していたヒマラヤは全く見えなかった。

様子を知っているVISA申請の列には一番に並んだ。
申請書2枚と顔写真、そして25ドを渡すと、係員2名がてきぱき!
・・・ただもうひとりの最終パスポートチェックの係りが離席していて数分待たされた。
やっぱりネパール!

いつもは、手まねで行け行けと合図する荷物のX線検査は2ヶ所で通された。
マジでやることになったの?

出口では出迎えの連れ合いによると7番目だったって。
成田でもそうであるように、迎えに人がでてくる人の様子をモニター画面で見れるようになっていたって。
進歩だ・・・

500ルピーとか、400だとか声をかけてくるタクシーの客引きを無視して、300での交渉が成立。

雨こそ落ちていないけど、蒸してる。
ネパールではめづらしい・・・
土ぼこりが舞う空港道路をリングロードの交差点まで行き、渋滞よけで小さな脇道に入り、中心部に入る。

サリーを着た女性、彫りの深い顔、顔、顔・・・
ひさしぶり・・・
パスポートを見たら・・・1年半ぶりのネパールだ・・・

タメルど真ん中、タメルチョークからタヒティへ向かう通りにある、8ヶ月前に営業開始したという、外人用のアパートに到着。
さっそくエアコン、シャワー、そして水をぐびぐび。

一息ついて、日が翳り始めた夕方、街を歩いてみる。
持ってこなかったサンダルを登山洋品店で覗く。
食べたかった、イタリアに負けないピザとラザーニアをビールで頂く・・・満腹。
コーヒーの生産販売と旅行業のSさんの事務所を訪ねたら不在だったのでスタッフに伝言。
登山用品販売店主のRさんはちょうど店にいて、家族や政治や村でのNGOの話などをしばらく。そして彼に地域のおいしいロキシー2リットルほどの準備を頼んだ。あすにはOKだって。

定宿にしてきたFホテル(もとゲストハウス)のマネージャーやオーナー夫妻に挨拶。
US留学中の、できのいい長女は夏休み帰国中とかで機嫌がいい。
長期滞在を希望する旅行者や駐在者用に新たに部屋を準備したいのか、ぼくたちの部屋を見たいということで一緒に戻ってくる。
フロントでオーナーと顔を合わせる。
なんだ、オーナー同士、知り合いジャン・・・

部屋から、約束していたT精神科医師の携帯へTel.
明日彼の自宅で夕食ということになった。

ということで、ひさびさのカトマンズの初日を終了。
3時間15分の時差があって、8時というのにもう眠い・・・

ソーシャルビジネス; UNIQLO

2010-07-14 18:49:47 | 国際協力・一般
 今の時期のニュースは、参議院議員選挙で大敗した民主党と、相撲界の賭博。
 そんな中、きょう大きなニュースがあった。

 国家の威信や、交流などが開発支援事業の中身になってきている今日、こうした大企業がソーシャルビジネスに踏み出す意義は大きい。開発途上国側の他人任せにしない主体的な動機付けに基づいて介入支援ができるからという理由で、ぼくは大きな期待をしている。

 ダッカのグラミンバンクにはかつて、本部を訪問し、村での活動に同伴するスタディツアーに参加したことがある。

3紙の情報を以下に;

+++++++++++ 毎日新聞2010.7.14
ユニクロ:グラミン銀と合弁 バングラで雇用創出

 カジュアル衣料のユニクロを運営するファーストリテイリングは、ノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユヌス氏率いる貧困者向け少額融資機関「グラミン銀行」と合弁会社を設立し、現地の雇用創出などを目的とする「ソーシャルビジネス」事業に乗り出す。
 13日午後、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長とユヌス氏が記者会見して発表する。日本企業がグラミン銀行と合弁事業を展開するのは初めて。
 ファーストリテイリングはバングラデシュなどで衣類を製造している。だが、現地の人々にとっては、価格が高すぎ、手が届きにくい。
 このため、合弁会社で、無理なく購入できる衣類を製造し、得た利益は雇用拡大につながるよう再投資、将来的に生活水準の向上や経済発展につなげることを目指す。途上国での収益を目的としないソーシャルビジネスは欧米企業の間では広がっているが、日本企業としてはファーストリテイリングが最大級の取り組みとなる。
 グラミン銀は83年に設立。農村部の女性への低利・無担保融資などで、貧困層の生活向上に貢献したとして06年、総裁を務めるユヌス氏とともにノーベル平和賞を受賞した。【井出晋平】
++++++++++++

******** ヤフーニュース
ファーストリテイリング、バングラデシュで合弁会社の設立へ
7月14日12時36分配信 サーチナ

 株式会社ファーストリテイリング <9983> は13日、2010年9月に設立予定の100%子会社を通じて、GRAMEEN Bankグループ、(バングラデシュ人民共和国)のGrameen Healthcare Trustとの合弁会社の設立に合意した。
 同社は、合弁会社設立の目的を「バングラデシュにおける社会的課題(貧困、衛生、教育など)を服の企画、生産、販売を通じて解決すること」と語る。同社は今後、繊維産業を中心した経済成長が見込まれるバングラデシュにおいて、これまで培ってきたSPAとしてのノウハウを活かし、品質を保持しながらも貧困層に購入可能な価格設定で衣料を企画・生産・販売する。
 また、GRAMEEN Bankグループの800万人におよぶ債務者のネットワークを用いて、貧困層の職業訓練に取り組み、対面による服の販売という新しい職業に就く機会を提供。初年度は250人、3年後には1500人までの雇用創出を目指す。(編集担当:金田知子)
*************

+++++++
ファーストリテ、グラミン銀とバングラデシュで衣料品を製造・販売
7月13日16時34分配信 産経新聞

写真
合弁会社設立について説明するグラミン銀行のムハマド・ユヌス総裁(左)とファーストリテイリングの柳井正会長兼社長=13日午後 東京都千代田区の帝国ホテル(撮影・早坂洋祐)(写真:産経新聞)

 カジュアル衣料品店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングは13日、グラミン銀行と提携し、バングラデシュで10月に現地向け衣料品を企画・生産・販売するための会社を合弁で設立すると発表した。

フォト] 世界のアパレルが“バングラ詣で” ユニクロ進出で脱・中国加速

 ビジネスを通じて貧困や衛生、教育など社会的課題の克服を目指す「ソーシャルビジネス」の一環。衣料の普及や雇用創出で、貧困からの自立を促す。
 ファーストリテイリングが提携するグラミン銀行はバングラデシュで無担保・低金利で融資する「マイクロ・クレジット」を展開。同国の貧困層の救済にあたっている。9月にソーシャルビジネスを展開するための現地法人を設立、合弁で「グラミン・ユニクロ」を10月に設立する見通し。
 資本金は10万ドル(約900万円)相当で、ファーストリテイリングの現地法人が99%、グラミン銀の関連会社が1%出資する。グラミン銀は自社のネットワークを通じ、衣料品販売を支援する。
 バングラデシュの国民1人当たりの国内総生産はおよそ574ドル。貧困ラインといわれる1日1・25ドル以下で生活する人の割合が36・3%に達している。
 ファーストリテイリングは、現地で1ドル程度で販売できる衣料品の提供を検討している。柳井正会長兼社長は「現地の人の生活がよくなる一助になればビジネスとしてやりがいがある」としている。
+++++++++++++++++++++


梅雨の合間の追悼トレッキング

2010-07-11 09:05:28 | 日本で・・・
梅雨の晴れ間にラッキーにもぶつかって決行できた!

遺品は見つけられず。
しかし現場あたりに立って、追悼慰霊した。

現場には歩き始めて1時間半後の10時に到着。快晴!
富士宮5合目-宝永山火口-馬の背、そして遠望できた御殿場ルート新5合目の小屋(営業していない)へ砂走りコースを横断してトラバースした。

火口底から馬の背へのジグザクの登路は火山噴火小石のザレ場で、足を置いて体重をかけると下へずり下がってしまうウンザリ登り。
足場を固める登路と砂走りを楽しむ下山路とを分けてほしい・・・
そして馬の背に向かうにつれて足を踏ん張るほどの強風になった。

馬の背を乗っ越して、ようやく風がゆるくなる。
まさに円錐体の斜面がそこにあって、凹凸もない、ただただ火山噴出物が続くだけのルート。
砂漠が斜めになっているようだ。
それで、ガスが出たときを想定して、戻りルートの目印を探す。
荷物搬送のキャタピラの跡が頼りになるかな・・・

その小屋は2590mにあって、小さな平屋の鉄板ぶきだけど、遮るもののない斜面で唯一、風を遮ってくれる場所だ。
有刺鉄線が巻きつけてあって侵入を拒んでいる小屋の前は2m×10mほど平地にならされていて、テントはここにしか張れないだろうと納得。
はるか下1400mの緑の森の中にある駐車場まで、繰り返し繰り返しジグザグ状になっている登山路が見える。

ひとしきり写真を撮り、双眼鏡で見渡す。
その前は意外に傾斜はゆるく、なだらかな傾斜。
ただ遮蔽するものは何にもなくて、はるか下まで傾斜が続いている。
ここが雪と氷になれば、飛ばされればひとたまりもない、という印象を新たにする。

遺体発見の場の「200m下」の見当をつけて、歩き回る。
ろうそくと線香への着火は、風が強くてムリと判断。
目印に、自然石をコンクリートで固めた70cmほどの黒い岩の塊の残骸の下をすこし掘って埋めることにする。同伴してくれたN氏がゴリゴリやってくれた。
追悼!

11時半頃には新5合目あたりもガスの中になったので下山とした。


O氏追悼 兼 靴捜索トレッキング 予定

2010-07-08 12:45:43 | 日本で・・・
O氏追悼 兼 冬用プラスティックブーツ左足捜索トレッキング メモ;

富士宮口5合目       2400m 0.35h。
富士宮ルート6合目     2490m 0.10h。
宝永山へ分岐、第1火口分岐 2460m 0.10h。
火口底           2430m 1.00h。
馬の背           2720m
御殿場ルート 大砂走 横断(走り6合) 2770m
御殿場ルート 6合目    2830m
御殿場ルート 新6合目   2590m
小屋下約200m 登山道東側 捜索+追悼

天気がよければ10日(土)に、大学時代のワンゲルの同僚N氏と入山予定。
御殿場ルートを登らずに、富士宮から入りトラバースして、現場に近づくことにした。
時間の節約のため。
いつもと違う装備としては、富士山だからロングスパッツ、そして双眼鏡、ロウソクと線香。パッキング終了。

捜索する靴は、SPORTIVAのサイズ45の冬用プラスティックブーツ、左足片方。
底に近い下から「黒」、その上部が「灰色」、甲の上部と斜めに踵にかけて「黄色の帯」、アキレス腱のあたりが「黒色」。
エスパースの2人用、青、のテントは遥か飛ばされていて、難しいだろうなあ・・・

さて予報は今のところ、曇りなんだけど・・・

週2回のテニス

2010-07-01 14:59:47 | トレッキング・釣り・テニス
5月連休明けからテニスを再開している。

1ヶ月ほどは、プレイ中は息は切れ切れ、翌々日くらいまで筋肉痛が残って寝返りするのもたいへんだった。
けど、それ以降は運動型のカラダに戻ったみたい。
終わった日のその夜には、明日もやりたいなと思ってしまう、今日この頃。

カラダも締まってきた???
50g計測の体重計で計測中・・・

近くの公営テニスコートでやっているグループ複数と連絡を取ったけど、ぼくが空いてる曜日と活動日が合わなかった。
そこでネットで検索していたら、Y美術館裏のWSインドアテニススクールを知り無料体験した後、申し込みをして今がある。

1時間半、コーチのもとで、6~12人の老若男女がさまざまなことをしている。
一応、中級クラス。
(はじめて・ゆっくり・初級・初中級・中級・中上級・上級・最上級のクラス分けと、ジュニアクラスがある。)
初めてのカーペットコートで、ビルの2階と3階に計5面のコートがある。

中学で軟式テニス部だった。
病院時代はコートがあったので、他の人に合わせて硬式に変更して、昼休みに楽しんでいた。
市の大会に出たり。
そのころは「格闘技としてのテニス」などと称して、走り回って引っ叩くという感じ。

そして途上国支援の道に入ってからは、カンボジアやドミニカ共和国、そしてネパールなどでは休日になくてはならない息抜きになった。(ブラジル・レシフェでは海釣りだったけど。)
異文化社会で適応的に長く生活するには、アタマを空っぽにできるカラダを使った息抜きが効果的で、必須!と考えている。

というわけで、長くはやってきていても我流なので、クセ・ストローク、クセ・ボレー、クセ球が多く、一回はコーチのもとでフォームを固めるなどしたいとは思っていた。

ここの参加日はHPで予約変更が当日の直前まででき、振替は翌月まで使えるシステムなので、予定が立ちにくいぼくに合っているという面もある。
インドアなので梅雨の雨は関係なく、ここ数日はACが入ってるし・・・
そしてここのコーチたちは客扱いが鍛えられていて、うまい・・・
ただ、天井が低いので、ロビングが使えないということはある・・・けど。

・ 速球には積極的にオープンスタンスで。
・ ボレーのさい、右は右足から、左は左足から。
・ フォアストロークは腕を時計回りに速く引き構える。
・ センターのときはセンターへポーチ。
・ 打ったら元の位置へ戻る。
・ 強さよりコントロール。
・ バックの安定には足。
・ みぞおちより上でラケットを構える。
・ ボレーは、上体を曲げ、ラケットを顔の高さにして踏み込む。振らない。
・ フォアは左足、バックは右足を踏み込む。
・ センターの球はセンターへ深く、両サイドの球はアングルをつけて返球する。
・ むやみに速い球を返すと速い球が帰ってくる、緩急をつける。
・ コートの前後や左右を広く使う。
・ 速い球が来て振り遅れそうなときにはコントロールを失うので前衛に当ててしまう可能性を頭に置く。
・ フォアに回り込んで打つ人には短い返球でポイント。
などなどの助言はかつて聞いたことがなく、とてもためになっている。

ただ、実行できているかどうかは別なんだけど!

ぼくはゲーム好きなので、ときどき同じクラスになって顔見知りになった人に声を掛けたら、レッスン後に2時間ほどコートを借りてやるときがあると誘われた。

今月の予定は日が合わなかったけど、来月からはゲームを始められるかも・・・