心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

ギ・リシャール 監修 藤野邦夫 訳 2002「移民の一万年史-人口移動・遥かな民族の旅」新評論

2012-05-31 08:37:35 | 
ギ・リシャール 監修 藤野邦夫 訳 2002「移民の一万年史-人口移動・遥かな民族の旅」新評論
Guy Richard, 1996, Ailleurs, L’Herbe est plus verte – Histoire des Migrations dans le Monde, Panoramiques – Corlet

文字の量が多いので、開発途上国暮らしの退屈しのぎにはいいかと思い、日本から持参してきた本の一つ。
ネパールの制定されなかった新憲法が、民族による州の設立で揉めている。
では、その民族はいかにしてできたのだろうか。

この本は、人類の移動を扱っている。新石器時代の人口爆発から説き起こしているから、1万年史ということになる。
ただ、フランスやヨーロッパ、そしてキリスト教世界に重点が偏っていて、たとえば日本の成立に関する移民の視点からの言及はない。
しかし、東洋文化・イベロアメリカ・スペイン・古代ヨーロッパ・アフリカ史などの共同著者を動員した、古代オリエント・イスラエル・ギリシア・ゲルマン・アメリカ・アフリカ・ユダヤ・大西洋の横断・植民地主義・両大戦・アフリカ・インドネシア・イスラム・アラブ・スペイン・ラテンアメリカ・アメリカ移民・インドの移住・中国の移住・オセアニアの移住など、豊富で包括的な内容であり、読みごたえがある。

1万年をかけて人類は、今日的な多様な民族のありようへと進んできた、ということだ。
著者はこの要因として、好戦的な侵略から逃れること・気候や自然界の変動と関連した飢えから逃れること・理想の土地(エルドラド)を求めることの3つを挙げている。

この本を読みながら頭をよぎったことがある。ブラジル駐在の時の体験だ。
精神保健相談の際、家族の概略も尋ねるが、そこで髪の色や肌の色について兄弟姉妹の中でも一致していないことがよくあるのであった。日本的な常識では、婚外の性関係を疑うことになるが、ブラジル建国500年という期間は、髪の色を安定させるには十分ではない長さであるということのようだった。余談だが、ラテン社会では実際に兄弟姉妹でも親が異なるということも少なくないことも留意しなければならないが。

ぼくは、民族自治というスローガンは、他民族による支配や抑圧からの自立であるとか、過渡的なものであることを確認する。
そもそも今日の「民族」のありよう自体が、人類の移動の歴史の中で、一時的・過渡的なものだからである。

今日的な、生活習慣や価値観などの違いは、より大きな人類の共通な在り方へのプロセスである。ポジティブに、希望的に、この道程を進むことが大切と思っている。

さて、ネパールに関しては、石器時代からカトマンズ盆地に住んできた土着の人々(アフリカからの前駆的な移住者なのだろうか)以外は、前2500年ころまでにインド・ヨーロッパ語族が砂漠や山岳の障壁を超えてユーラシア大陸に広がる一貫で、人口拡大が進んだようだ。以来、北と南から挟まれた、古代においては文化の進んだ地域であるインドとチベット双方からの侵入を受けてきた、ということだ。

ちなみに、ネパールの歴史としては、カトマンズ盆地のリッチャビ王朝(4世紀より)から語られることが多いが、その遥かな前史に民族成立の端緒があるし、
カースト制度に至っては「大枠であるヴァルナ制は、アーリア人農耕社会が成立した後期ヴェーダ時代(BC1000~600年頃)にガンジス川上流域で成立し、『マヌ法典』(BC200~AD200年頃)などのヒンズー法典により理論化され、インド各地に広まった(山崎元一1992「カースト」、『南アジアを知る事典」平凡社 )と、こちらも歴史がある。
社会や人々の意識に深く根付いてしまったカーストやジャート制度、これらとの決別はネパール社会に必須である。日本が士農工商制度に決別したように。

高地からやって来たから、ネパールでは、日本のように川沿いに村が作られ人が住んでいるのではなくて、尾根沿いに人が住んでいるのかな?

ここで、36とも100超ともいわれる、カーストやジャート(民族)に依拠して国作りをすることは、ネパール統合の支障となるばかりと思うがどうだろうか・・・いまだ森で狩猟採集生活をする人々もいるんだよ。


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