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心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

大多賀政昭・河東仁・空閑厚樹・佐藤太2009「つながる喜び-農的暮らしとコミュニティ」現代書館

2012-10-21 01:22:58 | 
大多賀政昭・河東仁・空閑厚樹・佐藤太2009「つながる喜び-農的暮らしとコミュニティ」現代書館

帯にはこうある;
「自分も他の人も楽しい、人間も動物も植物たちもうれしい、カラダにも心にも気持ちいい、そんな生き方があるだろうか…」

++++++++++
内容;
「家からあまり遠くない距離に田畑があり、そこでの作業が生活の重要な部分を占めているような生活」が「農的暮らし」と定義する。
そういう生活に入った元旅人。
競争社会に決別して。

「安心や豊かさをお金で買う」ことを止めて、「自分で生きる、共に生きる」ことにした実際。

「英雄として」「直線的に」「もっと高く、もっと遠くへという生き方をし始めたギルガメッシュ」の悲劇と、「地母神のもとで死と再生を繰り返す円環的な時間に取り込まれたさまざまな穀物神」との対比。

生活共同体の例;
内戦後に他の民族との出会いと融合の場になった「ボスニア・ヘルツェゴビナのコミュニティガーデン」。
風や鳥、草花と出会う庭を「アトリエ土里夢(どりむ)」として開放する横浜の越川さん。

コミュニティの定義は、マッキーバーの「地域性と共同生活の存在、共属感情」のある特定の地理的空間というものが始まり。
「仲間になること」をさす「アソシエーション」。
ソサイエティは、その両者の上位概念。
個人化が進む社会という問題。
「インテンショナル・コミュニティという意図的につくられる共同生活様式」。
「共同生活型コミュニティとしてのコミューン」。
カトリック宗教的背景を持つものとして、ラルシュ。
宮崎と毛呂山の「新しき村」。
富士宮の「木の花ファミリー」。
個人の自由で自立を前提をしながら生活の一部の共同化・共有化をする「コレクティブハウジング・コウハウス」。
「コーポラティブハウス」
「パーマカルチャー活動に裏付けられたエコビレッジ運動」は、オーストラリア、イタリア、スコットランド、インドなどへ広がっている。

「幸せ」、再考。
「お金、偶然、物語、医・食・農・想、感謝と謝罪」などを手掛かりに。

性という課題。
ハンディを持つ仲間。
++++++++++

ぼくは、批判や否定ではなくて、肯定的な具体策を持っているのがホンモノの倫理だと思う。
もう先も長くないし。
”人生下り坂(BSNHK火野正平より)”というイメージに共感するこの頃。

可能なときにいくつかの実践を覗きに行ってみよう・・・

夢枕獏「神々の山嶺 かみがみのいただき」集英社文庫2000

2012-09-24 21:53:24 | 
夢枕獏「神々の山嶺 かみがみのいただき」集英社文庫2000
単行本は1997年。

現在宿泊中のカトマンズ・Fホテルの書棚から。

前から手を出したかったネパールモノの小説だけど、機会がようやくめぐってきたという感じ。
昨日と今日、2日かけて上と下504P.+564P.合計1068ページを読了。

著者はぼくの世代なので、興味の持ち方が重なる。
また、一般的な山の知識、とりわけヒマラヤ山域や高度障害、などについては、そうそう!と納得しながら読んだ。
特に今いるカトマンズの地名については、足元を描写されているような、当事者感覚。
あとがきでは、そうしたことへの著者の情報収集努力がうかがえた。

地球の最高峰エベレストへの英国遠征隊のアタック隊員で1924年に死亡したマロニーのものとされるカメラ、その拾得者としての山にしか生きられないアナーキーな登山家・羽生丈二(=今風には発達障害ということかもとは連想してしまった)と出会ったカメラマン深町を主人公にストーリーは展開していく、悲劇的な長編。

薬物
中古山道具店
裏商売
貧富と社会運動家
シェルパ社会
グルカ兵
ヒマラヤ登山史
高度障害下での幻覚
女性
などなどが背景となってゆく。
そして「ノート」や「独白」が多いことも特徴だろう。

さてぼくはふつうは小説は(冗長に感じて)読めない人なのだが、こうして旅の途上では手に取り、入り込んでいって読めてしまう。

さて明日はこのホテルの宿泊客が置いていった書棚から次はナニを持って来よう・・・



椎名誠「ずんが島漂流記」文春文庫2001

2012-09-23 17:48:22 | 
椎名誠「ずんが島漂流記」文春文庫2001
単行本は1991年。
バンコク・カオサンの古本屋で購入、50バーツ約130円。

カンボジア3か所の移動移動と予定消化で少し疲れていて、アタマを使わず走り読みできる日本語図書を求めて入ったお店。
新しくて高いビルが増えていて、遠い昔とは大違いになっているカオサン通りに、まだ残っていてうれしかった。
ただ日本語本がたくさんあった2階はもうなくなっていて、英語のペーパーバックでもいいかと思って旅行記や伝記などの棚を見ていたら、一番下の棚に数冊だけ日本語本が横積みになってあった。
「指差し」や、芸能人の暴露本?などと一緒に。

漂流モノ、大好き!
孤島モノ、大好き!

2時間もかからずに読了、もったいない・・・

著者とはかつてシュムリアップ駐在時に三角ベースのソフトボール大会をした想い出がある。
背が高くて髪が長くて、眉をひそめた表情が魅力的、そう感じた。

彼はインドシナ半島の取材中で数人連れ、通訳と旅のアレンジをしているカンボジア人が知り合いだった。
道具はあるからソフトボールをしようという話が来て、ぼくはJOCVに声をかけたらアッという間に集まってスタジアムの空き地で開始。
彼がグローブなどを持って旅していることは読んでいた・・・が、ここにも持ってきているとは。
人数的に、三角ベース!ということになった。
なつかしいよね・・・小学生頃には人が集まらない時によくやった。
知ってる?2塁がないから、ホーム・1塁・3塁で「3角ベースボール」。

ぼくはヒットはなかったような記憶。
守備はどこだっけ?
遠い想い出。

そういう著者の想い出とともに、「おじいさんからの話」と設定されている、虚実マゼマゼ?漂流+孤島モノを愉しんだ。
お疲れの人がいたら、お奨めの1冊・・・



ギ・リシャール 監修 藤野邦夫 訳 2002「移民の一万年史-人口移動・遥かな民族の旅」新評論

2012-05-31 08:37:35 | 
ギ・リシャール 監修 藤野邦夫 訳 2002「移民の一万年史-人口移動・遥かな民族の旅」新評論
Guy Richard, 1996, Ailleurs, L’Herbe est plus verte – Histoire des Migrations dans le Monde, Panoramiques – Corlet

文字の量が多いので、開発途上国暮らしの退屈しのぎにはいいかと思い、日本から持参してきた本の一つ。
ネパールの制定されなかった新憲法が、民族による州の設立で揉めている。
では、その民族はいかにしてできたのだろうか。

この本は、人類の移動を扱っている。新石器時代の人口爆発から説き起こしているから、1万年史ということになる。
ただ、フランスやヨーロッパ、そしてキリスト教世界に重点が偏っていて、たとえば日本の成立に関する移民の視点からの言及はない。
しかし、東洋文化・イベロアメリカ・スペイン・古代ヨーロッパ・アフリカ史などの共同著者を動員した、古代オリエント・イスラエル・ギリシア・ゲルマン・アメリカ・アフリカ・ユダヤ・大西洋の横断・植民地主義・両大戦・アフリカ・インドネシア・イスラム・アラブ・スペイン・ラテンアメリカ・アメリカ移民・インドの移住・中国の移住・オセアニアの移住など、豊富で包括的な内容であり、読みごたえがある。

1万年をかけて人類は、今日的な多様な民族のありようへと進んできた、ということだ。
著者はこの要因として、好戦的な侵略から逃れること・気候や自然界の変動と関連した飢えから逃れること・理想の土地(エルドラド)を求めることの3つを挙げている。

この本を読みながら頭をよぎったことがある。ブラジル駐在の時の体験だ。
精神保健相談の際、家族の概略も尋ねるが、そこで髪の色や肌の色について兄弟姉妹の中でも一致していないことがよくあるのであった。日本的な常識では、婚外の性関係を疑うことになるが、ブラジル建国500年という期間は、髪の色を安定させるには十分ではない長さであるということのようだった。余談だが、ラテン社会では実際に兄弟姉妹でも親が異なるということも少なくないことも留意しなければならないが。

ぼくは、民族自治というスローガンは、他民族による支配や抑圧からの自立であるとか、過渡的なものであることを確認する。
そもそも今日の「民族」のありよう自体が、人類の移動の歴史の中で、一時的・過渡的なものだからである。

今日的な、生活習慣や価値観などの違いは、より大きな人類の共通な在り方へのプロセスである。ポジティブに、希望的に、この道程を進むことが大切と思っている。

さて、ネパールに関しては、石器時代からカトマンズ盆地に住んできた土着の人々(アフリカからの前駆的な移住者なのだろうか)以外は、前2500年ころまでにインド・ヨーロッパ語族が砂漠や山岳の障壁を超えてユーラシア大陸に広がる一貫で、人口拡大が進んだようだ。以来、北と南から挟まれた、古代においては文化の進んだ地域であるインドとチベット双方からの侵入を受けてきた、ということだ。

ちなみに、ネパールの歴史としては、カトマンズ盆地のリッチャビ王朝(4世紀より)から語られることが多いが、その遥かな前史に民族成立の端緒があるし、
カースト制度に至っては「大枠であるヴァルナ制は、アーリア人農耕社会が成立した後期ヴェーダ時代(BC1000~600年頃)にガンジス川上流域で成立し、『マヌ法典』(BC200~AD200年頃)などのヒンズー法典により理論化され、インド各地に広まった(山崎元一1992「カースト」、『南アジアを知る事典」平凡社 )と、こちらも歴史がある。
社会や人々の意識に深く根付いてしまったカーストやジャート制度、これらとの決別はネパール社会に必須である。日本が士農工商制度に決別したように。

高地からやって来たから、ネパールでは、日本のように川沿いに村が作られ人が住んでいるのではなくて、尾根沿いに人が住んでいるのかな?

ここで、36とも100超ともいわれる、カーストやジャート(民族)に依拠して国作りをすることは、ネパール統合の支障となるばかりと思うがどうだろうか・・・いまだ森で狩猟採集生活をする人々もいるんだよ。

「哀しみにも終わりがあるのよ」・・・でも25年も?

2012-04-07 15:05:55 | 
正確には「あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終わりがあるのよ」

孫引き;伊集院静2011「大人の流儀 a genuine way of life 」講談社
P.189の「数年前の映画のチェチェンの老婆のセリフ」
映画はたぶん、”チェチェンへ アレクサンドラの旅”2008年公開。

この言葉に注目したのは、もちろん、約1年関わってきた震災津波被災者支援の経験が背景にあるから。
昨今の、短期的な解決があるかのような、そして表現を重視しすぎる心理療法アプローチを想起して、ぼくは支持的な環境下での時間経過の大切さを連想して納得した。
この支持的な、あるいは受容的な環境作りが、意外と困難なわけだが・・・現実対応を避けることができない、から。

きょうもNHK海外TVがここではお昼から、そして夕方の今もやっているけど、津波特集を見るのがぼくは辛い。
3月の1周年前後もそうだったし、現に調子を崩した相談も受けた。
被災者自身ならなおさらだ。
波風を立てるのはやめてくれないだろうか・・・番組の初めに予告すればいいということになっているとしたらおかしい。
災害時の映像を繰り返し流すことが、津波体験を忘れず、被害に備えるということとは違うと思う。

さて、この本では、25年経って初めて、前妻=夏目雅子の死について書いているという最終章が注目。
一緒に住むようになる経過、
死には、若くて動揺したこと、
必ず生きると想い、治療に専念してしまい、好きなモノも食べず外出もしなかったという悔やみ、
などは印象的。

こうも言う;
「親しい方を亡くされて戸惑っている方は多いでしょう。
私の経験では、時間が解決してくれます。
だから生き続ける。
そうすれば亡くなった人の笑顔を見る時が必ず来ます。」

英文タイトルは、本書の内容を言い得て妙。
現代の無頼派、と言うところか・・・
はっきりと自分の考えを書いている。

それにしても、Griefが溶解するには、25年もかかったのか・・・

柴田哲孝2011「オーパ!の遺産」祥伝社文庫

2012-03-24 09:17:50 | 
初版は、2006年にwave出版より。

開高健の「オーパ!をモチーフとした換骨奪胎」と言う、ブラジルの釣り紀行である。
パンタナルでのトラド・ピラーニャなど、
アマゾンでのピラルク―・ターポン・アロワナ・ツクナレ・ピラーニャ・カショーハ・マトリシャン・ビクーダ・トライローン・バルバード・ピララーラなど、
リオでは海へ出てアンショーバなどを釣りまくっている。

改めて、開高健に文学性を感じたというのは著者に失礼だろうか・・・

ぼくもブラジルでは、赴任地から飛行機を3つ乗り継いで、最後はチャーター軽飛行機でカンポグランジから釣りロッジの農場へ入りパンタナルでのドラド・ツクナレ・大ナマズなどを挙げたことがある。
エェッ・・掛かった・・・はんぱじゃないテールウォークのドラドには大興奮!
宿では同宿の同志?たちに姿焼きオーブンでふるまわれて、エッヘーン…という想い出。
アマゾンではもっとワイルドだったけど、やっぱりピラニヤと大ナマズ釣りが面白かった。

そのときは、大物仕掛けとしては道具はそれしかなかったイトウ釣り用で代用したけど、著者のようにきちんと準備できれば喜びはさらに増すかもしれない、と思った。

もう一度行く機会はあるだろうか・・・

千葉望「共に在りてー陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日」講談社

2012-03-15 01:55:52 | 
3月8日(印刷された日付)に出たばかりの、ホヤホヤの本。
予約注文していて、届いたのは実は12日。
11日のアニバーサリーまでには出なかったようだ。

陸前高田本という意味では、市長の新書=
「被災地の本当の話をしよう ~陸前高田市長が綴るあの日とこれから~ (ワニブックスPLUS新書)
戸羽 太 (著)」
に続いて2冊目と思う。

著者は避難所となったお寺の住職の姉である、ライター。
そういう意味では直接的な被災者ではない。
しかし「実家」への想い、家族への想いなどは読みごたえがある。

知り合いもでてくる。
ただ、ぼくが知っているのとは異なる部分の紹介だと気付く。

また住職が避難所閉鎖の折、ぼくに「もう会えないんですよ、檀家さんじゃないから」と言われていたことは印象的だった。
檀家・非檀家ということで関係が切れるのか、目の前に仮設住宅ができているのに、と。
対人支援の形式論で言えば、面接室で待っているタイプであって、アウトリーチ・タイプではないんだな・・・

この避難所へは5月から7月と、小集団で行う心理社会ケアで隔週、通っていた。
今も、この避難所から移った人たちが住んでいる仮設住宅へのかかわりが続いている。

p134に、
「メンタルヘルステストで、うつ症状4つ」という言及があった。
質問項目や結果の理解など紹介されているところは事実とは異なるところはあるが、被験者に受け止められた内的事実としては興味深い。
「落ち込まない人間っているのかね」
そのとおり、この構造的インタビューは、支援の対象者が被災後に「落ち込んでいる」状態の客観的な「PTSDやうつ」の程度を海外のドナー対策として知る必要があり、現状をテスト次元で掴みたかったのだ。

現状把握だけでは被験者は満足できないわけで、もっと深い理解に助けになるものや、解決の示唆などを期待していたのかもしれない。
被験者には結果説明を行うようには心がけてきたけど、うつの説明は届いていないし、役立てなかったことは確かだ・・・

さて本書は今日の仏教あるいは仏教者についてこの震災を契機に考察している内容が中心。

P209に、
家や墓が流され、生きる力を失い、一人きりで鍋に酒を注ぎ温める高齢の女性に対して、
「必要なのは、科学的な知識を持ち訓練を積んだ心理カウンセラーではなく、仏教者」と述べているところは、心理職に対する誤解である。
心理職と出会う機会が少ない現実からはしようがないのかもしれない・・・

心理職が民間資格ではなく、健保上に位置付けられて、そして配置されて、誰でもが利用できるように、その前段としては国家資格となるように、願っている。



山下祐介2011「限界集落の真実ー過疎の村は消えるか?」ちくま新書

2012-03-12 01:06:59 | 
11月に出たばかり。
現地で被災者支援に関わってきて、過疎という言葉が気になっている。

経過を丁寧に説明してある。
反論も、紳士的だ。
10数年間のフィールド調査がきっと生きているのだろう。

「過疎という言葉は・・・1960年代に使われ始めた行政用語である」
そして、1960年代末の若者の都市流出という「社会減」から、1990年では出生数より死亡数が上回ることによる人口減少という「自然減」が起こっていると、社会学者は整理する。
わかりやすい。

三陸沿岸部ではこの両方が起こっている。

限界集落という言葉が、提案者の用い方とは違うマスコミのセンセーショナルな使用によって変わっていったいきさつ。
決して65才以上が人口の半分の集落は消滅していっていないという事実。

その要因として、
・通う長男たち
・生活安定機構としてのむら
・広域に広がる家族
などを指摘する。

日本の過疎地の今後はどうなっていくのか・・・
地球の過疎地ともいうべき開発途上国の今後はどうなるのか・・・

都市に生きることが気が楽と感じながら・・・ぼくはとても気になっている。
著者も2011年に青森から首都に職場を移したと言う。

「社会減」はここでも起こっているよね・・・

遠藤薫 編2011「大震災後の社会学」講談社現代新書

2012-03-05 16:14:41 | 
遠藤薫 編2011「大震災後の社会学」講談社現代新書。
12月に出たばかりの本。
5人の若手?社会学者の共著。

新書なのに、9つの章立てがあって、多角的な視点がある。
序章;われわれは東日本大震災から立ち直れるのか
1章;大震災と社会変動のメカニズム
2章;グローバル世界のなかの東日本大震災
3章;東日本大震災にみる日本型システムの脆弱性
4章;地域経済復興における「セーフティネットと選択と集中の幅輳
5章;災害ボランティア活動の「成熟」とは何か
6章;日本の防災システムの陥穽
7章;震災とメディア
終章;日本の明日ー自己快癒力 resiliance をめざして

印象的だったのは以下;P50~。
「元禄大地震1703年、M7.9~8.2、相模トラフ、数千人の被害。
宝永大地震1707年、東海・東南海・南海連動型、M8.6、死者2万人以上。
富士山が49日後に噴火。」

「安政東海地震1854年、M8.4、房総から土佐沖まで津波。
その32時間後、安政南海地震、M8.4。
安政江戸地震、1855年、M6.9、死者4300人、倒壊家屋約1万戸。」

著者の遠藤薫氏は、「未曾有」ではないと言う。
たしかに・・・

新雅史氏の「災害ボランティア活動」の考察も興味深い。
整然と活動があった石巻と、そうではなかったという女川とを比較している。
そして、「ボランティア迷惑論」は、ボランティアを管理する側からだけ出ていた、という事実の指摘は印象深い。
首相補佐官であった辻元清美さんは仙台で尽力していたことを初めて知った。

こうした動きに関わり続けているひとりとしてぼくは、
NGO側が、もっともっと専門性を高めなければならないと思う。
ボランティアの配置もそうだし、
行政との「連携」の提案の仕方も・・・

そのためには、生きていける程度の経済的な待遇がNGO側に保障されないと、現在のように、
40歳代に近づいたら、
こどもを育てるようになったら、
NGO活動の前線からは離れるしかない状況が続くだろう。
これでは経験が継承されない、積み上げられない・・・

ぼくの関わる心理的支援とは、最終章だけが重なる内容で、社会学者の視点から学ぶところは大きかった。
「災禍を転機に」しなければならないことは多い・・・


釣り東北社「釣り東北 2012 2月」

2012-02-06 12:05:47 | 
東北で釣りをやるなら、事前に情報収集。
これが定評ある地元誌。

カレイ、ソイ・・・いいなあ。

宮古では年末に400人も参加した釣りイベントが開催されたことを知った。

東北の1月2月の寒さは厳しく、釣りはまだオフシーズン。
そのうえ、震災の影響で海を見たくないという人々とも多い。
その中での地域復興への具体的な歩みは、すがすがしい!

昨日の日曜は、ぼくも休日で海岸線を北上してみた。
大槌では年末オープンのホームセンターが盛況。
山田ではカキ小屋が再開して、津波を生き延びた3年物の大きなカキにビックリ。
田老では大きな重機が海岸線でうなっていた。

で、海岸線の釣り人は、釜石港の突堤にひとり見ただけ・・・
まだまだだなあ・・・

こころのケアセンター(兵庫県)編、1999、「災害とトラウマ」みすず

2012-02-05 08:42:40 | 
この本は阪神大震災について1997年に開かれたシンポジウムの記録。

東日本の今の経験を見直すにも、とても有効。

ぼくは、オーストラリアのAlexander MacFarlane 氏の「自然災害の長期的経過」に注目。
ちょっと断定が多すぎない?という部分もあるけど、研究者が少ない分野だからね。

いわゆる縦断研究から、
「災害直後の初期症状とそれに引き続く心的外傷性症状の慢性度の予測因子」について、
「災害後の生活環境と被災者に再受傷をもたらすような可能性」を重要といい、

いくつかの事実を紹介する;
・PTSDのアメリカでの生涯有病率は7.8%
・生涯に外傷事件に遭遇する確率は男性で60%、女性で50%。
・PTSDを発症した60%の人は72か月後までには改善。
 しかしそこで改善していない人は適切な治療を受けない限り、症状は遷延する。
・GHQでみると、震源からの距離に反比例して高得点者の割合は減っていく。
・PTSDが慢性化しやすいのは、直接的な被害の大きい人。閾値効果 threshold effect。
・雲南地震の8か月後調査では、ほとんどの家が崩壊した一番被害の大きかった村ではPTSDが22.8%。
・森林火災後の小学生の追跡調査では、直後には症状はなく、時が経つにつれて症状が増えた。長期の影響(集中困難など)を与える。子ども自身の体験ではなく親の側のPTSDである場合が多い。親の問題の把握を。
・復興の過程で生じる2次ストレスに注意。
・災害後の2年間は、人々は専門的な治療を受けに行かない。
・外傷性ストレスに対する自然な対処法は、そのこと自体を意識の外に置き、つらい体験を思い出させるものごとを避けること。回避。治療を受けに来ない要因の一つ。
・これこそ最善の治療というものはない。さまざまな治療が必要。

そうだな、と納得。
でも、文化差には言及しない人なんだとの印象あり。

+++++++++
そして2月1日大船渡での、加藤寛先生の講演内容は、この本の
「こころのケアの4年間ー残されている問題」pp151-172.
にあったことを確認。

鈴木満2012「異国でこころを病んだ時ー在外メンタルヘルスの現場から」弘文堂

2012-02-05 04:06:27 | 
多文化学会で初めてお会いした時から、鈴木先生の博学に敬服し、
昨年来の東日本震災支援においては、行動力にアタマが下がっています。

そして満を持して長年のかかわりを文字にされたのがこの著作です。

日本を離れた地で学び働く人々のメンタルヘルスについて多極的に考察されています。
・在外生活と心の危機
・事例と見立て・対応
・在外生活でのセルフケア
・適応の向こう側
の項目は経験と理論に裏づけされていて頷かせるところばかり。

また編集された
・各都市の取り組み
は、優れて今日的な情報なので、すぐにも役立てる情報を提供しています。

3つの要望がぼくの心に浮かんだ。
・在外勤務者の家族の不適応には「付いて来た」という、自我関与の低い、あるいは受動的な態度が不適応の背景に伺われること。
・開発協力事業で活動する人々に言及がなかったこと。
・国際協力活動に従事する人々のメンタルヘルス維持には、自己効能感が大きな要因であること。
第2版の折には、こうした心理療法な介入の意味についてと、開発事業で活動する人々についても言及していただけるとよいと思いました。

世界別冊no.826、2012、「破局の後の世界を生きるー被災の手記」岩波書店

2012-02-05 03:15:07 | 
やっぱり被災者自身の体験を聞くたびに、
とんでもない事態に遭遇した人たち、
自分ならどうしただろう、
こうかも、ああかも、と想いが過る。

ぼくが3週後の避難所に入った時、また「こころとカラダの健康の集い」を開始した5月頃には、こういう気持ちの人たちと会っていたんだと知り、あの対応でよかったのかと点検する。

そして福島の災害の複雑さを知る。
情報を信用できないということは、孤立を進めてしまう・・・

重大な危機の中にいて当惑するしかない人を支えるのは、”ひとりではない、一緒にいる”というメッセージが心に響くようであること。

これは自殺志願者への対応と同じと思った。
ヒトは個で成立しているんではなくて、やっぱり関係の中でヒトになっているんだろうと思う。

阿部恵一郎2012「精神医療過疎の町からー最北のクリニックでみた人・町・医療」みすず

2012-02-03 08:37:28 | 
三陸沿岸部でのこころのケアは、今後、数年10数年という長いスパンで起きてくるであろうストレス障害に対する支援体制を作る時期に来ていると思っている。
もともと過疎の地域だ。
この地域で可能なシステムを創りあげることが、精神保健分野においては復興の中身であり、課題だと思っている。
人がいない、医療機関が採算をあげられず開業しない・・・悪循環。

地元の保健所長とこの話題になって、彼は県に意見を言ったそうだ。
すると、医療側の人員の基準を緩めるから、という話があったと言う。

そうじゃないでしょう、これでは個人の負担が増えて続かなかくなってしまう。
①特区のようにして、医療単価を上げること、従事者の給与をあげて誘導する、これが方法かもしれない。

そして、②非専門家の活動範囲を拡大することだ。
南相馬で進んでいるらしいACT?は参考になるかも。

そういえば、東京都チーム「こころのケア外来」の3月撤退に伴う継続ケース検討の際、その半数以上が投薬されていないことを知った。
ナニしていたんだろう・・・
周囲には、PHNやCP、PSWやNsなど常駐しているのに。

さてこの本は、北海道名寄で開業して5年になる精神科医師のエッセイ。
隔週で飛行機で通勤し4日開業、他は大学教員。
こういう体制でもかなりの役割を受け止めていて素晴らしいと思った。

③「情報通信機器を用いた診療(遠隔診療)」もヒントになるんだな・・・


加藤寛+最相葉月2011「こころのケア-阪神・淡路大震災から東北へ」講談社現代新書

2012-02-01 23:26:54 | 
あまり講演会は出ないほうだけど、隣りの大船渡市で保健所主催の著者の会があり出てきた。

事実に基づく説明がなされていて納得。
ぼくの経験からも納得。
そういう「こころのケア」講演会だった。

阪神と違って、ここは過疎地だが、ケアには何を心すべきか、と質問してみた。
・非専門職の役割を増やす
・リソースを増やすチャンス
・DVなどにも光を当てる
という、これも納得の答えだった。

そしてこの本が会場で参加者に配布されていた。