心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

自分探しのバックパッカーとの再会

2007-05-31 12:59:45 | 
2003年まで駐在していたカンボジア・プロジェクトを昨年に再訪した際、
タイからの陸路での国境越えから一緒で、シュムリアップのゲストハウスでバックパッカー経験をあれやこれや話し合い、その後旅先からもメイルでたびたび連絡をもらっていたY青年と、
約1年ぶりにきのうは「ももたろう」で待ち合わせて一緒に食事をし、飲んだり・・・お土産にしたいという、ネパール茶やCDの知っている店を紹介したり・・・住まいの屋上で涼風を受けながら黄昏どきの街を眺めたりしながら、半日ゆっくり話しました。

大学を出て、日本での派遣で資金を作り、オーストラリア・ケアンズでのワーホリなど工夫しながら、その後もアジア中心に旅を続けているということでした。
「ネパールはゆっくりできていいですね・・・」
直前のインド・バナラシでは、数人に取り囲まれて脅されたとか、緊張続きの旅だったようです。

日本人青年が2人でここカトマンズで営むスタンド式の喫茶店「チャチャ」で、ひさびさの日本の雰囲気を懐かしみながらフィルターコーヒーとバナナシェイクとを飲んでいるときに、店長を同世代だと思って紹介すると、日本での経験や見通しなどを突っ込んで聞いて、「焦るなあ」とつぶやきました。

きのうの英文日刊紙 The Himarayan Times の一面に、2人の日本人が記事になっているー71才エベレスト登頂記録と20才のミスユニバースーのが話題になって、「フーン・・・がんばってる・・・」

「日本では短期の仕事は簡単に見つかるんですよ・・・」と言っているのが印象的でした。
つまり、長いスパンのもとで働くことは難しいと・・・
自分探し、アイデンティティ探し、30才に手が届く今も続く長い社会参加の猶予期間、若者が夢の持ちにくい社会になっている日本・・・
「親にはこれが最後の旅行と言ってあるので・・・」という迷い。
家族の絆を維持し、配慮ができてやさしい・・・

これからタイを経由して、ベトナムで友人と会うと言います。
空港への足探しが困難になるバンダ(ゼネスト)予定の明日に、しかもキャンセル続きのネパール航空で・・・
ちょっと調査不足、でも旅の経験蓄積にはいいかも・・・旅の平安を祈ります・・・!

いろいろ話した中で、こんどは「6月末に日本に帰ったら協力隊を調べてみます」との次の一歩を模索するようでした・・・

なんか気が合うから、きっとまたどこかで会うでしょう・・・元気で!

チョムロン村のH氏による電化プロジェクトのその後

2007-05-27 14:49:13 | 国際協力・一般
 昨年6月に 林克之1989「村に灯がついたーヒマラヤ・チョモロン村に電気をつけた日本人の記録」山と渓谷社 の感想をこのブログの「本」カテゴリーに書きました。
そして現場に行って見てみたいと思っていました。
今回それが叶いました。

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まず要約です。
 33才から10年間、通い続けて、水力発電を素人が建設した。
自分の生活は、年半年の諏訪でのタクシー運転手で稼ぎ、なけなしの給料を持って行って、残りの半年をチョモロン村で過ごすという生活が背景です。
 この本の裏表紙と巻末に、林さん自筆の1996年10月の書き込みがあり(現地のゲストハウスの図書ならでは!)、「KMTHC(?)より、林が村人に直接逢ったら処分する、とのレターが出ましたのでやめました。中国南部で村を考慮中です。」と。
 プロローグ部分には、丹部節雄さんが「林君とチョモロン村の人びととの間は、まさに蜜月状態だ・・・しかしその作業が、さらに上部の、マチャプチャレのベースキャンプに移るにつれて、カトマンズのアンナプルナ地区自然保護計画本部ACAPの一部の人びとと・・・すきま風が吹き始めた・・・」と書いています。
 そして、著者は、重い荷を背負い、山道を汗だくになって歩みながら、自問する「自分が一生懸命に打ち込めるものに出会え、楽しいからやっているんだ・・・自分にとって価値ある人生、意義ある生涯のためのステップなのだ。」

それに対してぼくは次のように感想を書きました;
 個人次元では、自分の想いを重ねて深く納得しながら、それに加えて、
社会的行為としては、過去に積み上げられた、失敗と成功の国際的な支援協力の方法論(その分野の専門知識は当然として、その社会での持続可能性の細かな吟味、参加型の進め方、費用対効果など)の学習と、継続的な点検が必須だ・・・と思いました。
 さもないと、個人次元だけの動機付けによる、途上国での協力行為は「相手に瞬時のユメを見させるだけの、自己満足だ」という批判と向き合うしかなくなるのではないか・・・と思える。
 異文化状況・異なる社会システム下で行われる国際協力は、専門的な学習や研究が必須な分野であり、ボランティアとなって、日本での技術を提供したら、誰でもが効果的な結果が出せるというものではない、という認識が必要と考えている、と。

それに tgさんから11月にカキコ情報があり、「林さんは全て無料で活動していたため、有料でもう少し大型の発電施設を作っていた組織と軋轢があったようです。
現在は中国・興坪(Xing Ping)で宿をなさっています。」とのことでした。

********
ぼくが今回、話を聞いたチョムロンの村人たちは、打ち解けた後の会話で、こう言いました。
「現在は30Kw,20Kwなど、3つの水力発電施設が、イギリスやスイスなどの団体が7割、村人が3割の拠出で作られ、周辺の村々へも電線が引かれ、供給されている。」
「林は、ここ(家)にもよく来たし、個人的に会うととても気のいい人だった。ただ、とてもproudな人だった。そこが問題。」
「彼が発電量を増やそうとしたとき、ACAPが危険だから電気技術者を入れるようにとの条件を出したら、彼は自分ができると言って断った。この小さな問題が、大きくなってしまい、彼が来なくなった理由。」
「村の Electrification Committee が、維持修理する技術者を雇い、電気の使用料でその費用を出している。」
**************

前に書いた一般的な感想に加えて、
・16軒のロッジ(H氏が入った82年?には少なかっただろう)と約60家庭という村のサイズは、個人が電化するには大きすぎた、
・必要となった電力量の大きさと個人が提供できる量とに開きが出てきたこと、
・1986年創設の、開発と自然保護を掲げる統合的地域開発団体ACAPとの協調に失敗、
・安全対策への現地の要求を受け入れなかったこと、
・そして彼の proud と村人に映った性格特徴、など
が、彼が不承不承にプロジェクトを終了させざるをえなかった原因だったのかもと感じました。



あかちゃんグッピー14匹

2007-05-26 16:19:53 | ネパールでの生活
10日間部屋を空けて、昨夕水槽を覗いたら、赤ちゃんグッピーがたくさん!
スゴイ!
サーモスタットを外してあるのに水温は26℃ありました。
水草を元気にしようと、陽に当てていたら、水が変えても変えても緑になってしまっていたので、
今度は直射日光は当たらないようにカーテンを引いて置いたら、水はすっきり、透明に・・・ヤッタ!

そして今朝明るくなって数えると14匹、
ただ、一匹になっていた母グッピーが亡くなって固くなって浮かんでいました・・・これは哀しい・・・
チビグッピーは6匹は出発前にいたので、8匹を生んで死んだということになる・・・!

こんなことはあるんでしょうか?
あるんですね!

石段が多いトレッキングコース

2007-05-26 14:04:36 | トレッキング・釣り・テニス
チョムロンの上から下まで階段を数えると2430段はありました。
バンブー到着前の階段数は、400でした。

トレッキングシューズでは歩きにくい・・・
土の路に出ると、その軟らかさにホッとする・・・
ただ・・・雨の後の土の道ではぬかるしスベルし・・・まして急傾斜なところだと・・・
それと、山塊がひとつではなくて、登って降りて河を渡り、次を登って降りて・・・という、まるで日本の南アルプス縦走のような気合が必要なコースでした。
行ったシーズンもよくなかった・・・バンブーまではヒル!
呼びかけや掃除が徹底していてゴミが少なく、ロッジのシーツや枕カバーが清潔で、料金を統一するなど、エコツアーを推進するACAP(The Annapuruna Conservation Area Project)が在るとしても、
このアンナプルナ内院コースをぼくは好きになれませんでした・・・

すばらしいジヌー温泉が、とてもかわいそう!



アンナプルナサウス・ベースキャンプ4130mへ

2007-05-26 02:03:04 | トレッキング・釣り・テニス
ABCと略される、このトレッキングコースは、それなりの付き合いをしてきたネパールですが、初めてでした。
約1週間といわれる日程が、ぼくには中途半端だったのです。

今の時期は雨季が始まっていて、毎日午後は雨になってしまいました。
それがけっこう豪雨・・・
それで日程がゆっくりしていたので、午前中4~5時間の行動という登りでした。
ジヌーの翌日にチョムロンに入り、そこから3日でABCへ、下りは1日でした。

写真は雪渓の残るアンナプルナ内院から、あえぎながら見上げたサウス峰ピークです。
翌早朝には、雲が晴れて、ヒウンチュリ・アンナプルナサウス・アンナプルナ1・テントピーク・アンナプルナ3・マチャプチャレが顔を出してくれて、BCを取り囲んでいました。
まさしく、「内院」と名づけられた理由に、納得しました。

9泊10日でゆっくりしてきました

2007-05-26 01:52:40 | トレッキング・釣り・テニス
写真はジヌー温泉です。
初めて行って、そのゆったりとした温さが気に入りました。

カトマンズからバスで7時間ほどでポカラに入り、
タクシーに乗り換えて約1時間でナヤプル、20分川沿いに下りたビレタンティに最初の宿をとりました。
翌朝そこでポーターを雇い、モディコーラ沿いに途中あぜ道などを通りながら、シャウリバザール・ビーハイブ・ニューブリッジを経由して6時間ほど、一旦キムロン河へ降りてまた登り返して、標高では1780mまで登って、ようやく着いたジヌーのロッジで缶ビールを買い、切り立った斜面の川沿いの温泉へ足早に降りました。
しかし、20分・・・長い長い・・・

無味無臭無色の澄んだ、岩造りの浴槽が3つ、激流の横にありました。
上流から下流へ順に少しづつ熱くなっています。
それぞれの浴槽の横壁からじかに小さな泡を出しながら湧き出しているのでした。
文句なしの、源泉かけ流し・・・

パイプから流してある体洗い場もそこそこに飛び込みました。
先客はトレッカー3人、ネパール人ガイドやポーター数人も遠巻きに見守っています。
白人たちも満足の温度・・・ということは日本人にはちょっとぬるめ・・・
それが1日歩いてきた疲れた体にはとてもやさしく感じました・・・

気に入って、翌朝、また挑戦・・・
ロッジへ温泉から戻ってくる30分はつらいけど、この先のトレッキング日程はゆっくりしてるから・・・

写真にもあるように、前日にネパール人は足しか入れないのはどうして?と思っていたら、
この日の早朝の温泉には初老のネパール人夫婦がやってきて、一緒の入浴になりました。聞くとこの村の住人と言います。
小雨が降ってきたらありあわせの屋根を作って荷物をぬれないように工夫したり、二人で背中の洗いっこをするなど、気遣いがあって、仲良くて、脱帽・・・!
きっと、温泉文化に慣れていないネパール人が多いんだ、というのぼくの感想・・・



障害者自立支援法を学ぶ(その3)

2007-05-14 18:12:41 | 日本で・・・
19.基準と報酬の特徴
月払い方式から利用実績払いへ。一般就労への移行実績に評価。一定の定員超は認める。1単位当たり10円の報酬システム。

20.利用者負担
原則は、食費や光熱水費を除いた1割負担。月額上限と、個別減免、生活保護への移行防止などの減免策。
EX,統合失調症で通院医療とデイケアを利用の場合;所得に応じ月に2500円から15000円の間。

自立支援医療、地域生活支援事業、市町村地域生活支援事業。都道府県地域生活支援事業、補装具費、障害福祉計画などは略。

*******************

あすから2週間程度、アンナプルナ方面へトレッキングと温泉の旅に出かけるので、次の更新は29日頃の予定です・・・

障害者自立支援法を学ぶ(その2)

2007-05-10 13:50:31 | 日本で・・・
8.自立支援給付
介護給付・訓練等給付・自立支援医療費・補装具費・地域生活支援など

9.介護給付には、10種の障害福祉サービスがある。
居宅介護;ホームヘルプサービス
重度訪問介護;重度の肢体不自由者が対象
行動援護;自閉症、統合失調症などが対象という
療養介護;医療及び常時介護を必要とする障害者で、長期の入院による医療ケアが必要
生活介護;昼間に障害者支援施設で入浴、排泄、食事の介護、創作的活動又は生産活動の機会を提供    児童デイサービス;障害児が肢体不自由児施設などに通う場合
短期入所;居宅で介護を行い人が疾病などで介護できない場合
重度障害者等包括支援;常時介護が必要な障害者に対して、居宅介護を包括的に提供
共同生活介護;主に夜間に共同生活を営む住居において入浴、排泄、食事の介護などを提供
施設入所支援;

10.訓練等給付には4種、日中の活動の場と、暮らしの場を分離した。
自立訓練;機能訓練と生活訓練に区分
就労移行支援;就労を希望する障害者に対して、一定期間、生産活動などの機会を提供。期限あり。
就労継続支援;雇用契約に基づく就労が可能と見込まれる障害者がA型―職業指導員と生活指導員を10:1、就労の機会を通じて、生産活動に関する知識や能力の向上が期待されるB型―職員配置はAと同じ-に区分。期限はない。
共同生活援助;グループホームでのサービス。

11.施設入所の居住支援
共同生活介護(ケアホーム)介護給付。施設入所。世話人は6:1.生活支援員は障害程度区分で設定。夜間支援体制加算あり。
共同生活援助(グループホーム)訓練等給付。施設入所。世話人は10:1.
福祉ホーム
個々の住居ではなく、一定範囲内の住居全体を事業者として指定。
単身生活への移行などの評価により、自立生活支援加算が算定される。
8人以上、21人以上の段階で、大規模住居減算があり、4人定員には小規模加算。

12.サービス管理責任者
経験と研修で指定。個別支援計画の評価・実施計画の管理を行い質を確保。30:1で配置。

13.グループホームやケアホームにおいて、外部委託のサービス利用もありうる。
グループホームの世話人は複数の住居を担当してもよくなった。

14.移動支援
市町村地域生活支援事業の必須事業と位置づけ。国が1/2、都道府県が1/4、市町村が1/4の費用負担割合。個別支援、グループ支援、車両移送の型を想定している。

15.小規模作業所
法内施設となり、3障害共通の事業が可能、NPO法人でも可能、空き教室や空き店舗も利用可能に。利用者像を明らかにし、そのニーズを把握し、事業を立案し、職員数や予算規模を確定する必要が出てくる。

16.自立訓練―機能訓練
入所施設・病院を退所した人が地域生活への移行を図る上で身体リハなどの支援を必要とするものが対象。

17.自立訓練―生活訓練
上記と同様で、生活能力の維持・向上の支援が必要なもの。食事や家事などについて、サービス管理責任者や生活支援員が職員として、通所や訪問を中心に活動。

18.就労移行支援
サービス管理責任者、職業指導員と生活支援員が6:1、就労支援員15:1の職員配置が新しい。一般就労と就労継続支援事業、在宅での就労や起業への移行が想定されている。労働施策との連携・・・

つづく

障害者自立支援法を学ぶ(その1)

2007-05-09 13:02:22 | 日本で・・・
障害者自立支援法を学ぶ
ー坂本洋一2006「図説よくわかる障害者自立支援法」中央法規よりー

1.法の背景
2005(平成17)年10月31日成立。
1947(昭和22)年児童福祉法
1949(昭和24)年身体障害者福祉法
1960(昭和35)年精神薄弱者福祉法(現、知的障害者福祉法)
1993年(平成5)年障害者基本法
精神分野;1950(昭和25)年精神衛生法、1988?年精神保健法、1995(平成7)年精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神障害福祉法)

2.国際社会の動き
1975年国連「障害者の権利宣言」
1981年国連「国際障害者年」
2001年5月、国連WHOによる「ICF (International Classification of Functioning, Disability and Health)国際生活機能分類」

3.日本政府の施策
1982年「障害者対策に関する長期計画」
1995年「障害者プラン」
1997年から社会福祉基礎構造改革の審議開始
2002(平成14)年新障害者プラン(重点施策実施5カ年計画)
精神分野での市町村主体でホームヘルプサービス開始。財源問題生まれる。
2003年より支援費制度を導入、知的障害者福祉サービスの実施主体を都道府県から市町村へ移行。最大で7.8倍の地域間格差。

4.法のポイント
・ 3障害の一元化;サービス提供主体を市町村に。
・ 施設体系を6つの事業に再編
・ 就労支援の強化
・ 支給の決定に障害程度区分を導入
・ 国の費用1/2負担と利用者負担

5.利用手続き
指定相談支援事業者が、サービス利用意向を聴取し、アセスメントとサービス利用計画案を作成し、
市町村が、PC判定による1次判定、審査会による6段階の障害程度区分の判定、支給決定する。

6.相談支援事業とは
2006年10月より障害種別に関わらず、実施主体を市町村に一元化。
交付税によって財源を確保。
事業内容は、福祉サービスの利用援助・社会資源を活用するための支援・社会生活を高めるための支援・ピアカウンセリング・権利擁護のために必要な活動・専門機関の紹介・地域自立支援協議会の運営など。市町村相談支援機能強化事業・成年後見制度利用支援事業・住宅入居等支援事業などは補助金対象。

7.相談支援事業者
都道府県により指定を受けた事業者が、市町村から委託を受ける場合と受けない場合がある。

つづく


この1年に具体的に進めたいこと

2007-05-09 05:10:53 | ネパールでの生活
論文審査を促進してPhD取得を進める
研究助成を得て政変下でのPTSDなどの知見を深める
国際協力・異文化適応・中高年と若者などのキーワードでの著作を準備する
ネパールの地方をさらに訪問し知る
ネパール精神保健ケアを支援
国際協力者への支援
依頼された講演・講義は原則的に引き受ける
現地NGO支援を立場を明確にして引き受ける
・・・

香港に見る人口密集型の未来社会・・・

2007-05-09 04:50:27 | いろいろ
地球上の人類の2割しか、いわゆる先進工業国に住んでいなくて、またそのうちの地方に住む人を除いた人たちが、人口が集中した都市に住んでいるわけです。
その少数者たちの未来像を、香港で垣間見たように思いました。
この人たちが今日の世界経済を領導していることは事実で、他の多数の人類への影響は大きいですから・・・

管理された交通システム
 免許と税から私有車を限定して、公共交通を中心に据える
 ルールを厳格に実施する
個人と家族の生活空間は狭くして、社交空間は社会資源を用いる
健康増進を支援
 タバコ1箱は約4ドルと高価にし、公共場面を禁煙にする
低所得者・高齢者・障害者などが生きる場を作る
樹木の育成など、自然の回復に努める
観光客など、訪問者の利便を図る
工業地域を特定する
漁業の保護
すべて公教育とせず、私学も支援する
プラグマティックな政治
1国1地域で完結しない共生型社会
・・・など

基本的なスタンスと具体化イメージ

2007-05-09 04:29:27 | いろいろ
ブログのタイトルとプロフィールを少し変更しました。
次のように考えはじめているからです。

1.基本的なスタンス
開発途上国での経験と日本でのそれを統合したい。
時代からの要請を読み直したい。
自己を全面的に投入できる実践ー雇用されるのではなくーを作りたい。
よい指導・よい指示ができることを業務とする
雇用されるなら、その条件は厳密に検討する。
自分が選ぶ場で自由に生きることは堅持したい。
スポーツや自然と関わるリフレッシュ休暇は実現する。

2.具体化するためのイメージ
老人・障害者の地域ケア
障害者自立支援法・介護保険・医療を統合的する視座
心理職の国家資格化促進
心理療法に基づく支援を具体化する
北海道・沖縄・富山・?
NGOを設立する
地域づくりに参加する
国際支援に参加する
従事者・従事予定者への教育・研修をする
「尊厳のある自己の意志と、他者に依存した生活の場とを、専門的・効果的に支援します」
開設資金を準備する

これからの展開はどうなるでしょうか・・・




カトマンズへの・・・遠かった・・・路

2007-05-08 12:54:50 | ネパールでの生活
5月4日に成田に前泊して、
5日朝、予定通りキャセイパシフィックで香港へ入りました。

そして・・・ネパール航空へのトランジットデスクで、フライト・キャンセルを聞かせられました!
2泊して、次のネパール航空便で行ってほしいと言うのです。
バンコク経由は?インチョン経由は?などと、他の可能性をぼくが問うと、それぞれ、バンコクから先が一杯、曜日が合わない、という返事で、言うなりになるしかありませんでした・・・

気にかかっていたんです!
往路では、故障理由でカトマンズ発が14時間も遅れていましたから・・・

それで、航空会社持ちで、2泊のホテル生活となりました。
1泊1600香港ドル、約2万5千円のところで、施設はちょっと古いけど、食事は点心はもちろん、カキ・刺身・ビーフストロガノフ・さまざまなスイートなど、快適でした。

写真は、ホテルの部屋の窓からです。
新界地区でしたが、30階を越えるアパートの群れでした・・・
2日目にはホテルのシャトルバスで、セントラルへ出てネーザンロードや、スタンレー湾・アバディーンなどへ行って見ました。
かつて勤め先の職員旅行で来たときの風景とは大きく異なっていました。
すごい経済成長だ・・・!

その午後は、ネパール航空の現地オフィスへTElして、早く行きたいと交渉しました・・・
何度目かでようやく電話に出て、今晩ドラゴン航空でダッカへ行き、明日のバングラデシュ航空でカトマンズへ行けるから、すぐ、空港へ行くように、と言うのでした。
長旅になるなあ・・・と思いながらもそうすることにして、ホテルをチェックアウトし、出かけました。
すると・・・!
ダッカへは行けるが、乗り継ぎ便はない! 曜日が間違っている・・・ということが、担当のキャセイパシフィックのスタッフとの交渉でわかったのでした・・・!

ネパール航空は、機材だけではなくて、ヒトも問題じゃないか・・・!
・・・ちなみに、その2日後のネパール航空便もキャンセルでした。

そして、中国南方航空を使い、広州を経由してカトマンズへ入るという方法に決まったのでした。
チケットを発券してもらって、一安心!

昨日はそれに従って、トランジット手続きでは中国係員に理由の説明もなく待たされましたが、飛行は順調でした・・・
香港1620発、広州で乗り換え1845発、カトマンズ2100着。

成田を5日朝に発って、7日夜にカトマンズに入る、遠い路となりました・・・




会えなかった・・・

2007-05-02 21:35:54 | いろいろ
茨城県笠間の陶炎祭へ行ってきました。
数年ぶり、2回目ですが、190ものテントが立ち並ぶ、大規模の祭りへとなっていて驚きました。
通り雨の後なのに、会場は駐車場が満杯など、連休の人々で溢れた、暑い日差しの中にありました。

最近またお世話になった大学時代の恩師と、そこで会うことになっていたからでした。
しかし会えませんでした・・・健康を害されたとのこと・・・Telにも出れないとは心配・・・!
迷いましたが、OKが取れないまま伺うのはよくないと思い、出かけていくのは遠慮することにしました。

会場では、以前に勉強会で一緒していた、陶芸家で障害者作業所指導員でもあるSaさんとひさびさにお会いして、作業品目である陶器を売るための工夫話にぼくは感心・・・

資料を貰って、生活支援センター・小規模授産施設・精神福祉相談支援センター・子どもの問題研究所などに展開してきた活動がすでに6年目になっていることを知りました。
利用者のプライバシーへの配慮から利用予定者以外の見学禁止や賛助支援者の獲得、地域交流啓発事業、また情報の開示や研究助成の獲得など、福祉活動自体のあり方への挑戦を緊張感を持って続けているのはスゴイと思い、同時に、対人サービスなのだから力を抜いて流されるような気楽さが拡大されてもいいのではないかと気にもなりました。

そして、昨年10月施行の障害者自立支援法の、その福祉制度大改革の理想と、利用者にも運営者にも不慣れな市町村にも負担を強いている、現実には拙速な制度としての一面を見ました・・・
全家連が解散した経路といい、日本の厚生政策の問題点が続いて浮かび上がってきているようです・・・

統合困難!

2007-05-01 22:16:40 | 日本で・・・
12年になった開発途上国への精神保健ケア支援と、
日本での地域ケアとの統合を目指した求職は、難しいと結論になりました・・・

半年間目指していただけに、残念でした。

一旦ネパールに戻った後、エネルギーを蓄えて、再チャレンジしようと考えています・・・
まずはトレッキングで鋭気を養おう・・・アンナプルナ内院と、温泉かな。