心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

セテ河サハール釣り遠征 日程

2011-01-29 06:45:48 | トレッキング・釣り・テニス
セテ河サハール釣り遠征の日程がほぼ確定。

1月31日(月) 午後3時、夜行バスがカトマンズKTMのニューバスパルク発
2月1日(火)  午前8時頃、ダンガディDhangadhi着。最後の買い物。午後1時頃、手配したクルマでゴップガートGopghatへ移動、午後7時頃着。ゲストハウス泊。
2日(水)・3日(木)・4日(金)と釣り。
5日(土)早朝、クルマでダンガディへ戻る。正午頃、KTM行きの夜行バス発。
6日(日)早朝、バスがKTMに到着。

陸路で約800Kmほどの移動距離(片道)。
それに、バスが17時間、チャーターのクルマで7時間を予想している。
ダンガディまではそれでも舗装道路だけど、それから先の山道は・・・

それに夜行(ローカル)バスは吹き込む風が寒いよね・・・
3日間のルアーロッド振りに影響するかな・・・

標高でいうと、今いるKTMが1400mに対して、行き先は500m台なのですこしは暖かいだろうな。

Googleでみると、河幅が広くなって河原に砂浜が広がっているように見えるところ。長い釣り橋も対岸にかかっている。
ポイント探して、渡渉もするだろう・・・ナ。

今回は、主力の地味スプーンやミノーのほかに、夜にはブッコミで吸い込み仕掛けと石ダイ針なども使ってみようかと準備。
さて結果やいかん・・・?

一昨日、Ultimate Descents Nepal オーナーのMegh Ale氏と会って、この話をしたら、過日のカルナリ河とババイ河のぼくの釣果に、このシーズンではGoodとの評価。
彼は予定通り3月にイギリス人グループと、ダンガディまでは飛行機だけど先は同じようなクルマのルートで入って、ディパヤルDipayalから12日間をかけてラフティングしながらセテ河を釣り下るんだという。結果を待ってる、と。
今回の狙いのちょうど下流に当たる位置だ。
彼の狙いのコースは道路から離れている流れなので、人が入りにくいので有利だろうナ・・・と思う。

++++++++++

さて、2月1日には、<NHKクローズアップ現代-うつ病 “心”から治せるか~脱くすり依存 「心理療法」の試み~(仮題)>で、心理の国家資格について取り上げられる予定とか。3団体会談メンバーの協力のもと12月23日の日心連の理事会にもカメラが入ったという。

これは見れなくなったけど、誰か録画しておいてほしいな・・・
こっちではNHKワールドで翌朝7時頃から英語吹き替え版でやってる番組。



          

Mさん宅で一泊、裏山で藪コギ

2011-01-26 00:59:38 | ネパールでの生活
例の淡水魚養殖のMさん宅へ行って一泊。

所長に挨拶、近畿大留学経験があるとかで、shinguuへ行ったことある?とか聞かれて驚く。
ホルマリン漬けのネパールの魚類を見る。
助手?のクリシュナさん宅でチヤ。
Mさん宅まで登って一服。
台所のアサラの幼魚の群れは元気だった。
一番上にある養魚水槽まで歩いて動き回るニジマスやアサラなどの成魚を見る。
広い養魚池がいくつもあるので、野鳥もたくさん。
Blue headed Yellow Wagtail(キセキレイに近い)、White-capped Redstart Chat(ノビタキに近い)、Yellow-billed Blue Magpie(カササギ系らしいけどオナガのようでもある) Large Egret(オオサギ?アオサギ?)など見て、図鑑で確認。
新たな水路をスコップを持って工夫するMさんに付き合う。
好物になっているローティとタルカリで遅い昼食。

顔の知らないスタッフが食後に合流。
1st tecnical officerだと自己紹介し、自分は15000ルピー、所長は2万だけど、この給与も、年間運営予算も6割しか届かない、これからの4ヶ月をどうする?!と、政府批判をひとしきり話していく。

「裏山に行って見ましょう」というMさんの言葉で歩き始める・・・柵をくぐり越える、藪コギで山肌を急登・・・
乾いた土のせいか、傾斜があるのにそうスリップしない。
シカやイノシシなどと思われる足跡を踏みながら、汗びっしょりになってダウンもシャツも脱いで抱えて登り続け、稜線の登山道に出た。
プルチョ-キの頂がいつもとは違った角度ですぐそこに見える。
戻ってからGoogleでみると、1570mのMさん宅から1726mまで直登し、そのまま稜線を1850mまで進んでいる。
そして「ここから入りましょう」の掛け声で道を外れて・・・藪の急下降!
木に何か動くものがあると思って見つめると、向こうもこっちを凝視、灰色の大型のネコの形・・・なんだろう?
Mさんは、水量不足だという養魚用の新たな水源を探したいのだと言って、あちこち横に移動。
水が染み出す小沢に入ると、石は浮いているし、さすが滑りやすい、ズルッ・・・注意注意・・・
ぼくのトレッキングシューズには土や木の葉、小石も入るし、小枝のトゲに手やダウンが引っかかったりしながら、45分後にシカ飼育場の柵下に到着して、「裏山」探索を終了。
この沢にはシカの飼育場もあるんだ・・・

薄暗くなり始めて、ついに!ドラム缶風呂で汗を流す・・・天国、天国!
着替えを忘れていて、TシャツをMさんに借りる、一面の犬のアップの顔、オーいぬ好きか・・・
風呂上りにウイスキー・スプライト割で一息。
夕食のダルバートは、チキンつきの豪華版。
週に一回は肉ありなんだとか。
1歳未満の子犬のジャックは遠慮なしに、ぼくたちが口から飛ばした小骨にむしゃぶりついてくる。
食後には焚き火のそばでチヤ。
Mさん宅へ水路沿いに登る、うす曇りの中でも周りに灯りがないせいか、星はたっぶり見える。
流れ星・・・飛行機・・・
古いニジマス養殖の報告書を捲る。
布団の準備。
20時に電気が停電から戻って、映画好きらしいMさんのコレクションから New World を観る。
まるでコロンブスの新発見のときの寓話がちりばめられている感じ・・・
今はドミニカ共和国となっている上陸地点の小さな入り江の様子、友好的で平和好きの住民たち、病気(マラリア?)に犯され食糧不足になった越年した西欧人たち・・・
睡魔に襲われて、22時過ぎには消灯。

++++++++++
ネットが繋がらず、テレビもなく、仕事と私生活がごちゃごちゃのここに住むのはぼくには難しいけど、本当に息抜きになっているのを実感。
(でもMさんは、そこらのネパール人とも駐在外国人とも違って、プロパンガスストーブと電気洗濯機を持っている!)
そして自然相手に手作りで仕事と生活を作っていくMさんに関心すること、しきり!

ネパールの内戦後の精神保健に焦点を当てたケアと研究について文献

2011-01-25 20:13:15 | 国際協力・保健/リハ/心理学分野
ネパールの内戦後の精神保健に焦点を当てたケアと研究について、依頼していた文献を入手、4つはまだ未読・・・

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Four principles of mental health research and psychosocial intervention for child soldiers: lessons learned in Nepal. International Psychiatry, 2010, 7, 3, 58-60.

Introducing the IASC Mental Health and Psychosocial Support Guidelines in Emergencies in Nepal: A process description. Intervention, 2010, 8, 52-63.

Evaluation of a classroom-based psychosocial intervention in conflict-affected Nepal: A cluster randomized controlled trial. Journal of Child Psychology and Psychiatry, 2010, doi:10.1111/j.1469-7610.2010.02209.

Child Led Indicators: Pilot testing a child participation tool for psychosocial support programs for former child soldiers in Nepal. Intervention, 2009, 7, 92-109.

Psychosocial Issues of Women affected by Conflict in Churia Range of Nepal: CARE Nepal, 2009

IEC materials: TPO Nepal, 2009

Maithali version of psychosocial and social cohesion training booklet for Community Psychosocial Workers (CPSW), USAID Nepal, 2009

Formal Translation of the IASC Guideline on Mental Health and Psychosocial Support in Emergency Settings: IASC Technical Committee Nepal, 2009

Comparison of mental health between former child soldiers and children never conscripted by armed groups in Nepal. Journal of the American Medical Association, 2008, 300, 691-702.

Helping our friend. Teachers Guideline: UNICEF and TPO Nepal 2007

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開発途上国を舞台にした精神保健論文で、ここまで研究倫理を踏まえた厳密な実証行動科学的手続きの論文sは始めて!
中心人物らしいMark J.D.Jordansさんに会いに行かなくっちゃ・・・

宿題 アスラ解説

2011-01-17 20:02:50 | 国際協力・一般
アスラAslaについて

Cypriniformes   目(もく)Order
Cypriniformes   科(か)Family
Schizothoracinae 亜科(あか)Subfamily
属(ぞく)Genus にはDiptychusとSchizopygeとSchizothoraichthysとSchizothoraxの4種。
それぞれ Common Name としては、Tibetan Snowtrout, Snowtroutなどと呼ばれる、と専門書*には書いてあるけど、ぼくは聞いたことがありません。 呼び名は、アスラです。

* Tej Kumar Shrestha,2008, Ichthyology of Nepal - A study of fishes of the Himalayan waters, Himalayan ecosphere, Kathmandu.

写真は2007年チョーダビセ河のもので、20cmくらい、口が下側にあるのが拡大するとわかるかも。
見えますか?

KTMは2週ぶりの雨、山は雪?

2011-01-16 20:04:27 | ネパールでの生活
きょうのカトマンズは午後3時頃から急にシバプリに黒雲が沸き立って北風が吹き始めて、ゾクゾクするくらいに気温が下がり、4時前から2時間ほど雨になった。雹が降ったところもあった様子。
山では雪だろうか・・・
大晦日以来、約2週ぶり。

そんななかVISAカードのキャッシングをしてきた。
現地通貨であるネパールルピーでの受け取りのみ。
持参してきたものが底をつきそうだから。
ピンコードが不明なためATMでは下ろせず、銀行窓口ではナビルバンク・ジョルパティ支店のみが対応していることがわかったので、ボダナート先まで出かける羽目になった。

時間は戻って・・・昨日夕は、お正月に日本へ帰国されていた方からの招待を受けて7人でお正月料理を楽しむ集まりがあった。
かずのこ・・・!!!
日本酒・・・・!!!
そして持ち寄り料理の数々!
松が明ける終わりの日に、というより、ネパールの休日である土曜を選んだ企画。
5年前に住んでいたところなので、大家さんにも挨拶をして、懐かしかった。

今朝は、過日訪問した淡水魚養殖のM氏が寒い任地での冬の水仕事を乗り切るために求めるダウンジャケットの良質な中古品を、ぼくの紹介したタメルのトレッキング用品店の倉庫で山積みになった中から約1時間かけて「泳ぐように」探し出して、ゲット!
別の登山用品店では半額セール!で彼の「希望の」アウターもゲット。
「10分の1の予算で済んだ」とは彼の弁。

喜び勇んで、昼にはひさびさにステーキをともに食す。
彼はネパールでは初めてで、「元気が出た」由。

○週後には、○万本のバラの歌手、○藤○紀子が任地を訪問するんだと。

人が生きていくときに最低限、必要な条件は何なのか、気になった

2011-01-14 15:49:13 | ネパールでの生活
2泊目は、ガイドをしてくれたシェルパ族のテンジン青年の祖母宅に泊めてもらうことになった。
ぼくの何回ものネパール滞在で、数回目にしかならない民泊だ!
ナント!彼は、テンジン・シェルパと言い、あのエベレスト1stサミッターと同姓同名だ。
おばあさんは、問うと73才で、夫は高度で1800mほど下にある長男宅へ行っているので、しばらく一人住まいをしているという。

キッチン、居間、寝室の3室と、物置がある。
ぼくは居間、テンジンはキッチン、おばあさんは寝室で寝ることになる。

このトレッキングコースのハイライトだったピケを、日陰の沢は完全に凍結していて、アイゼンの用意をしていなかったぼくたちは微妙なバランスでの歩行を強いられた後にたどり着いた、尾根上の赤い屋根のゴンパが目立つNaurナウル3405mにある。

峠のチベッタンの茶屋でチヤを飲んだだけで朝から歩き通して来た。
テンジンが火を起こして湯を沸かしている。
チベッタンティをまず出してくれる、しょっぱいバター味のあれ。
そして、何を食べるか聞く。
ダルバートとぼくは答えた、何もない・・・ように見えたから。
それなら、あるはず、と好物ではないけど、ナニかはおなかに入れたい・・・
待つこと1時間半、4時になって食べ始めた。
炊き立てご飯に、ダルスープ。タルカリやアチャールはない。
しかし・・・そのご飯のうまいこと!匂い米かな・・・

夕方には、隣にある無人のゴンパの鍵を開けて中を見せてくれた。
彼女はひとつのろうそく台に火を燈し、しばらく祈りをささげている。
直径1mは超える大型のマニ車のコーナーもある。

トイレを問うと、このゴンパの下にあるものを使うと言う。
家にはない。

雲の中に日没・・・
ザックに忍ばせているウイスキーにタトパニを貰ってホットウイスキーで息をつく。
雲が沸いてきていて、雪も舞ってきた。
6時になると電球に灯が点った。
7時、室温4℃。
外へ出ると雲は晴れてきて、満天に星が輝きだした。
持参の2℃対応の寝袋に掛ける布団を1枚貰う。
これでいつでも眠れる・・・

生きていくのに、最低限、必要なモノは何なのだろう、という考えがアタマによぎった。
・ 軟らかくて寒くない寝具
・ 水orお茶
・ おいしく思う食べもの(これは身体条件や、環境条件による)
・ トイレ
・ そこそこ清潔な衣類
・    安心する人間関係
他は特に要らないのかも・・・余計なものへの欲望を作ったのは誰だ!

翌日は、2000m下って、700m登って、バスが到着するバンダールの広場まで8時間歩いた。

写真は、キッチンのテンジンと米のゴミを取る祖母。

バッティが残る元エベレスト遠征ルート

2011-01-13 13:30:07 | ネパールでの生活
7日から2泊をソロクンブのPhapluファプルーでHHESSの活動を見せてもらい、
9日からはPIKEYピケイへトレッキングに出かけ、予定通り2泊でバンダールに到着して1泊、
12日に、朝6時からローカルバスを乗り継いで13時間後にカトマンズに戻った。

ネパールには何度も訪れているけど、このコースはぼくにとって初めての場所で、印象的だったことがいくつかあった;

帰りのバスには、軽度脳性まひと思しき15才くらいの男性が、鼻飾りや民族衣装の60歳代後半に見える祖母と乗っていた。
ぼくはシートのあるチケットが前日に入手できず、運転手横のエンジン部分に腰掛けて、ジリまでの約6時間のラフの山道を運転手のシートや前の席の手すりなどにつかまりながら大揺れの道程を過ごしていた。
バスの30席は満員、そのうえに10人ほどが中央のスペースに立っていたり、あるいは座り込んでいる超満員状態。でも彼ら2人は前から3番目の二人席に座っていた。
彼は関心のままに、前のシートの背もたれに手を回してそこの乗客に触ったり、横に立っている人に手を伸ばしたりして、彼の関心を見せるたびに、迷惑そうに目で訴える当該の人々からの反応にあい、祖母の制止に会っていた。そして彼は、祖母の胸や顔にもたれかかり、幼児のような照れ笑いを見せている。
彼は、右足の膝や足首が剛直していて右方向に傾きながらも歩行はナントカ可能だけど、発語は聞き取れず、笑顔やしかめた表情からナントカ意思を読み取るという、思いでぼくは見ていた。
教育を受ける機会はあったのだろうか、家族や地域社会のサポートは、あるいは排除はどのようなのだろうか、社会参加はどのようなのだろうか、などなどがぼくの頭をよぎっていた。
バスの乗客は、迷惑を受けたときにはそれを止めるように祖母に伝え、休憩のときの時間のかかる乗降の際には辛抱して彼の動作を待ち、誰一人排除しなかったのを見て、ぼくはうれしかった。
彼は祖母に全幅の信頼をしているようで、とても素直だ。
つたないネパール語で尋ねるとカトマンズにいる母に会いに行くという。
ナゼ?という質問はうまく伝わらなかったので深くは理解できていない。

トレッキングの1泊目は、Lamjura峠3530m下のThaktok 3060mにあるShanti Chetra Lodge & Restaurantに宿泊した。
20数年前に体験したネパールのトレッキング宿が、そのままそこに在った。
トレッカー相手にその利便や収益性を図った、今日の有名トレッキングコースにあるトレッキング宿ではなくて、バッテイと呼ばれる、主に地元の人々を対象にした食事をするとほとんど無料で泊まる場所を提供してくれるものだ。
45歳の、元小学校教員の一家族がそこに住み、かまどのある部屋がそのままキッチンとレストランになっている。9歳から下に3人いる幼いこどもたちはそこで意のままに遊びまわり、イスに靴のまま上がったり、テーブルのうえで泥だらけのミニカーを走らせたり、ゲストの動向にはお構いなし、父も母も全くそれを咎めることはしない。
ぼくは、サービスを買っているという考えはやめて、そこに住んでいる家族の生活の中に飛びこまさせてもらい、食事と寝る場所のサービスを受けさせていただいていると考え直した。
初めにトレッキングに来た頃は、今のエベレスコースでもアンナプルナコースでも、キッチンや食堂にある座イスの上に寝袋を広げて、ニワトリが走り回る中で休んでいたっけ・・・
ここは、旧エベレスト遠征隊が歩いたコース上にある。その後にルクラまでの空路ができたので、今は物好きな少数のトレッカーと、地元の人たちが山越えで村々を往復する道だ。
新たにトレッキングコースが整備されているピケへ足を延ばすには都合のいい場所なので、これから先のこのロッジの変化が頭をよぎった。

写真はThaktokの母と3才と7才の子。

つづく・・・

あすからソロクンブ

2011-01-06 23:24:08 | 国際協力・現地NGO分野
予定通りに飛行機が飛べば、明日から Phaplu へ飛び
Himalayan Health & Envioronmental Services Solukhumbu の活動を見学してきます。

きょうは、カトマンズの事務所を訪ねて、経緯や活動の様子などについて説明をタップリ2時間受けてきました。
Gyanewsworに行き着くまでには、一方通行の道に迷ってしまい、警官にTelを替わってもらって、事務所からのクルマに救出?されるという失態がありましたが・・・

ぼくからすると、Psychosocial Counselor や Gender based Violence Counselor の育成や、
Gender based Violence Screening Camp にとても関心が惹かれたけど、
それらは、Solukhnmbu ではなく、karnali や Jumla などの Mid West Nepal で行われているということでした。

これまでの中心的な活動は、
・Health Camp;Reproductive, GBV Screening, Orthopedic, Eye など、
・Hilary によって1973年に建てられたHospitalに、歯科や眼科、出産前後の滞在施設を増設、産科医師の雇用などの支援、
・遠隔地域で働く看護師 ANM の養成、
・進学しない青年層への職業訓練校の建築
・新設した小学校でのPC配布と教育
などと、幅広い実践、そして継続した活動資金獲得などが印象的でした。

中心人物の Dr. Mingmar Gyelzen Sherpa 氏とは2006年にお会いしたけど、
昨年の「ネパール年の人 5人」のうちに選ばれたそうな。

+++++++++

この視察の後、隣接する古きエベレスト街道を3日ほど歩いてみようと思っています。
KTMへ戻るのは、たぶん、15日頃の予定・・・




しっかりせい!ネパール政治。

2011-01-05 14:14:50 | ネパールの政治治安状況
トリデビ向かいの「日本語の本○○冊」古書店のサウジ53才と、お昼の暖かな陽射しを背に受けながら、なんとなく、話しになった。
10数年になる顔見知り。

「もう年だから、朝8時に店を開けるのはやめて、11時にしたよ。寒くなったね。」
今は、絶版になっているネパールラフティング本の探索を引き受けてくれているので、前を通ると声を掛けている。
目が合うとナマステを恭しくするので、こちらもつられてそうしてしまう。
今回はそうしたうわべの付き合いとは違う話になっていった!

ネパールの政治やカトマンズの生活にはほとほと愛想が尽きているよう。
「もう誰も彼も自分のことだけ、お金お金、誰も守ってくれない。親族間の支援も薄らいできた。正義を通す警察官は地方へ飛ばされてしまう。足の引っ張り合いばかり。」
「タンコットの坂でクルマで落ちて血だらけの人を助けたことがある。病院へ連れて行くのにトラックを止めると2千ルピーだと言う!そしてノルビック(金持ち層の病院)へ行ったら・・・保険がないからね。」
日本からの旅行者の変化には、
「日本からの旅行者は1990年代に較べると減ったね、今来るのはキリスト系の布教ばっかり。来るから一応話は聞くけどね。この本、持ってく?俺はヒンズーじゃないよ、ただ神はいると信じてる。宗教によって名前が違うだけじゃないかな、でもムスリムは他を否定するね。アメリカはああいうのに手を出すから失敗するんだよ。ベトナムでも負けたしね。」
国際的な支援について辛らつ。
「日本の支援は病院づくりなど1980年代までは役に立ったけど、それ以降は・・・汚職はわかっているんだろうね。」
「今は中国がすごいよ、中国製品ばかり。インドは前から支配しているし。」
USにいる子どもの写真を見せながら、
「3ヶ月前にNYに行ってきた。息子が大学を卒業したから。娘はロスにいる、もう少しで卒業。ハリウッドはすごいね、広くて。仕送りが年に7ラーク(80万円くらい)は掛かる。息子はドラッグストア、娘はベビーシッターで、稼いでいるけどね。卒業したら、自由に働いてほしいと言ってある。もう一人息子がいるから、後1年半は稼がないとね。この子もVISAが取れそうなんだよ。」
そして「ネパールには戻って欲しくない。」ときっぱり。

この国は、彼だけじゃなくて、アキラメを語る人が特に今回多い。

ネパールの政治家!政治を志す青年たち! しっかりせイよっ!

地元産淡水魚アスラ養殖に着目するボランティア

2011-01-03 11:30:07 | 国際協力・現地NGO分野
元日は、恒例のロータスのKさんの“おせち”をつまみ、カトマンズの知人に新年の挨拶など。
昨夜来の雨が道を濡らしていて、水はけの悪いところはぬかるんでいた。
計画していたナガルジュン登山は先延ばし。
ちなみにこの国では、元日はさして新年気分はない。

2日は、淡水魚養殖SVのMさんがぼくの釣ったサハールに関心ということを聞いていたので、ゴダワリの住まい兼職場を訪ねた。

マイクロを降りて15分ほどのところのプルチョ-キ山麓に、野生動物ではトラの親子とも遭遇するという、自然豊富な場所があった。
1963年にUSAIDが作ったという広大な施設が、現在は公営機関が運営しているらしい。

この国では高級魚扱いのニジマスや、中国コイなどの外来種ではなく、地元の淡水魚に絞って養殖を進め、ツーリストではなく地元民に役立とうとする彼の発想には大いに賛成。

彼にお正月気分をと考えた、手作りイナリずしと、手に入りにくいと思ったオレンジなどが好評で一安心。

そして知る人の間では「北の国から」と評判になっている、彼の手作りドラム缶風呂で、5週ぶりの入浴にぼくはうっとり!
そのうえ、スタッフ手作りの極上ダルバート(ローティで)、特製ハチ蜜、ゴマのアチャールなどを頂き・・・満腹。
丁寧に作られたニジマスの干物、試作中の塩辛・・・これも、めずらしかった。

まだ数mmしかない稚魚の世話に追われていて、離れることは難しいようだけど、近くに来たときにはまたゆっくり話した人だと思った。
サカナに同じように思い入れがあって、ネパールが始めて彼に、出入りを繰り返してきたぼくの経験-研究書の蓄積や山村の民の生活など-がすこしは役立つようにも感じた。