心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

H先生お別れの会

2012-01-29 13:35:36 | 地域精神保健
若いころに「勉強しろ」「患者さんの(病棟のものではなく家での)生活を知れ」「原著を読め」などと叱責され、目前でそのモデルとなり、同じ病棟勤務でお世話になった医師が昨年9月に亡くなって、昨日「お別れの会」が神田神保町の学士会館であった。

30年ほど前からの精神医療改革系の人々のほとんどが、それなりに年を重ねてそこにはいた。

10数年ぶりになる在職した元病院長81才は、閉鎖病棟が作られた無念を漏らし、そしてぼくが丸くなったと言っていた。
そんなにトンガッテタかなあ・・・

東北支援ではM県で新たな役割を引き受けた医師は重圧に?元気なかったなあ。
そしてがんばるOT、また支援している被災地に同輩を持つ岩手医大系の精神科医師とも出会った。

立ち話を重ね、原則を忘れずに生きていきたいものだとぼくは思い直した。

そして今の状況に即して言えば、向かうべき被災地復興の中でのこころのケア支援とは、都市型と同じではなくて、
精神医療資源過疎地における、専門家と専門施設に多くを依拠しない、地域精神保健医療福祉ケアモデルを創出することに他ならない
と確信した。

アレッ?
開発途上国の精神保健ケア支援と同じじゃない!!!

空いた仮設住宅に現地事務所を移転

2012-01-23 22:10:09 | 日本で・・・
レンタカーのトラックも借り、ハイエースと乗用車のクルマ3台で引っ越し。
PSW1、Ns2、インターン1、そしてCPのぼくの5人のチームワークもよく昼過ぎには終了。

被災地支援の住居としては天国かな?
個室・ネット付き・AC付・風呂トイレ、新築、駐車場付、光熱水費のみ負担。

海を見下ろす高台にある旧水産高校グランドに建てられた仮設住宅団地。
入居したけどすぐに出て行ったところと、誰も入らなくて空いていたところの3Kの2戸。

ただし、日赤が全戸に入れた家電6点セットは据え付けのACを除いて撤去されていた(!?)
台所はちょっと狭く、仕切りはドアではなくてアコーデオンカーテン・・・。
それと地形もあって、寒風が吹き荒れる日々。

自分の費用でウォッシュレットを購入して取り付けた、セール特価で17000円。
快適、快適。

ここの自治会長と副会長には気を使ってもらっている。
流されてしまった漁船をムスメに買ってもらった(!)という会長にはカレイ釣りを誘われているし・・・

午後には道路でつまづいて顔を打っている高齢女性と遭遇、自宅までオブって運んだ。
知り合いの外来へ通っている、うつの方だった。
早速、お役にたてて幸い。
仕事から戻ったご主人がすぐにお礼を言いに訪ねてくる律儀な風土。

あすからこころのケアチームと保健師のローラーから挙がってきた個別ケースの訪問も。

今日からシリがきれいだし!・・・(関係ないか?!)

現地支援復帰、2日目

2012-01-19 17:24:32 | 日本で・・・
朝から夕方まで現場、夜には記録と打ち合わせという生活に戻っている。

朝の道路は夜の積雪で白く、運転は慎重に。

でも海岸沿いは、昼の陽射しで雪は溶けてた。



インフルエンザ、南から増えてきているようで、チーム内に1人は罹患者ありだけど、ぼくはまだ元気・・・


ネパールでは食べられないモノ

2012-01-17 15:11:09 | 日本で・・・
2か月ぶりの東京、カトマンズよりはるかに寒い!
簡単に掃除して、テレビのスィッチを入れて、荷物を解いて、そしてスーパー銭湯へ行ってアカスリ。
満足・・・

16日夜のメニュー;
○月桂冠特別本吟醸
○生カキ
○つぶ貝にぎり
○かぶ・きゅーり漬物
おはぎ

17日朝は時差があって8時半起床。
そしてメニュー;
ローストビーフ・サラダ
○牛乳
○生卵
○無洗米

(○印はネパールでは食べられないモノ)
午後にカウンセリングルームで来談者と面接。

さああすは早朝から移動して午後には陸前高田・気仙沼だよ・・・

2月開始予定の岩手県こころのケアセンターが11日から職員募集開始

2012-01-14 14:59:56 | 地域精神保健
岩手県被災地支援のための常勤職員が公募されました。
県から岩手医大に委託された長期こころのケアプロジェクトです。

盛岡の岩手医大勤務が約10名、沿岸被災地勤務が約40名の約50名。
大学正職員待遇、とか。

1年契約・延長してもH30年までの期限付き、というあたりがネックかな・・・

++++++++++++++++以下、募集案内

岩手県こころのケアセンター職員募集案内

岩手県では、この度の東日本大震災津波により被災された方々に、様々なこころの問題が生ずることが予想されていることから、学校法人岩手医科大学に事業を委託し、被災者に寄り添った「こころのケア」対策を推進することといたしました。
事業内容は、「岩手県こころのケアセンター」を内陸部に、「地域こころのケアセンター」を沿岸の4保健医療圏域に設置し、仮設住宅等への訪問による相談活動、市町村保健師への専門的助言、人材の育成、調査・研究など、「こころのケア」対策を総合的に推進することとしています。
これらの「こころのケアセンター」における業務に従事する職員を募集します。

1. 職種・採用予定人員・職務内容等
(1)岩手県こころのケアセンター
  ア 職種
    保健師、臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、事務員等
  イ 採用予定人員
    専門職8名程度及び事務職1名程度
  ウ 職務内容
    岩手県こころのケアの総合的なコーディネート、人材育成・研修、普及啓発、支援者支援、県内被災者への支援、災害時こころのケアに関する調査・分析・研究等
  エ 勤務場所
    盛岡市
(2)地域こころのケアセンター
  ア 職種
    保健師、臨床心理士、精神保健福祉士、看護師、事務員等
  イ 採用予定人員
    各地域で専門職11名程度、事務職1名程度
  ウ 職務内容
    被災者に対する相談・支援活動、支援者支援、地域内連携促進のコーディネート、住民への普及啓発、人材育成・研修(こころのケアセンターと協働)、地域支援
  エ 勤務場所
    大船渡市、釜石市、宮古市、久慈市

2. 応募資格・経験等
ア保健師、臨床心理士、精神保健福祉士、社会福祉士、看護師のいずれかの資格を有し、実務経験のある方。自動車免許があれば、なお良い。
  イ事務員は自動車免許必須、PCスキルがあれば、なお良い。

3.申込方法等
(1)申込先・問合せ先
  岩手医科大学 総務部人事職員課 人事係 〒020-8505 盛岡市内丸19-1
  電話番号 019-651-5110(ダイヤルイン) 内線3233~3235
e-mail : jinshoku@j.iwate-med.ac.jp
(2)申込方法
  自筆の履歴書(市販のものに写真貼付)1通及び資格・免許証の写しを上記申込先まで持参又は郵送してください。
(3)受付期間
  岩手県こころのケアセンター勤務:平成24年1月27日(金)までに必着のこと。
  地域こころのケアセンター勤務:平成24年2月10日(金)までに必着のこと。
  受付時間は、平日9時~17時までです。(土曜、日曜、祝日は受付不可)

4.選考・内定
(1)書類選考
  応募資格の有無等について行います。
(2)面接
  書類選考後、面接を行います。面接日及び面接会場はおって連絡します。
  面接会場までの交通費は岩手医科大学旅費規程に準じてお支払します。
(3)内定
  内定者には後日連絡し、健康診断書等の必要書類を提出していただきます。

5.雇用期間等
(1)採用予定日(面接時に具体的な勤務開始日を相談させていただきます。)
   岩手県こころのケアセンター:2月中旬
   地域こころのケアセンター:2月下旬~3月上旬
   
(2)雇用期間
  ア 採用日より平成24年3月31日(土)まで
  イ 以降、「こころのケア」事業委託契約終了(予定:平成30年度末)までの間、1年毎に更新されることがあります。

6.勤務形態・給与
(1)勤務形態
  ア 勤務時間 午前8時30分から午後5時15分まで(実働1日8時間)
  イ 休日   土・日・祝祭日・年末年始・その他
(2)給与等
  ア 年収約600万円(経験約20年の場合)、詳細は岩手医科大学給与規程による。
  イ 通勤手当、住居手当は対象者に支給。賞与あり。退職金はなし。
  ウ 雇用側で住居を準備(近隣市町村の賃貸住宅又は仮設住宅。この場合、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、衣類乾燥機、電子レンジ、ガスレンジ、炊飯器、電気ポット、座卓、ベッド、寝具一式を準備します)。
  エ 社会保険等
    健康保険・年金(私立学校教職員共済)、雇用保険、労災保険完備

7.その他
(1)特定の勤務地を希望される場合は、履歴書「本人希望記入欄」に希望する勤務地を記載ください。
+++++++++++++以上

Michette Yehoの Far North ・・・衝撃!

2012-01-10 10:58:41 | ネパールでの生活
カトマンズではDVDコピーの専門ショップがいくつもあって、著作権への配慮もなく、平然と売られていて、今回は2階建てで豊富な品ぞろえの店に入った。
(ゴウニイッテハゴウニシタガエがぼくのスタイル!?)
Brad Pitt のSeven years in Tibet をもう一度見たいと思って購入。
ついでにいくつかも。

ひとつは、Memoir of a Geisha のMichette Yehoの顔が付いている Far North という2007年?の作品。
タイトルと、極北の風景につられて手が伸びた。

極北ロケという風景は、何とも言えないくらい神秘的で綺麗。
それが、瀕死の状態を助けられてテント生活に入ってきた一人の男をめぐる2人の女の夜叉!並みのストーリー展開で後味が悪かった。
そもそも、ナイフで、銃で、クレバスへ落してなどの、殺人を暗示するシーンが数回。
レイプや、自死なども。
自分の他にはナニも守ってくれない、無法者に対しても自力で対処しなければならない、生存競争が厳しい極北の極限状況と言っても・・・
トドメは、安心して髪を梳かせる長い髪の毛を使って絞殺して、顔の皮膚をナイフで剥ぎ取り(!)自分の顔に張り付けて(そんなのあり?!)、帰ってくる男を迎えるという・・・残忍さに目を覆ってしまった・・・

ぼくは、オトコ側、2人のオンナの側から事態を理解しようとしたけど、性衝動・依存・憧れ・優越・孤立感・環境の厳しさ・攻撃性・倫理が生まれる背景などはアタマをよぎり考えさせられたけど、全体の了解は困難・・・
そういう映画だった。

住まいを中心に区分した、ぼくの陸前高田・気仙沼こころのケアの4期

2012-01-06 11:27:25 | 日本で・・・
陸前高田・気仙沼での被災者こころのケア支援のための、ぼくのNGO活動の4つの変遷

 第1期;2011.4月1か月間;水なし、雑魚寝、カップ麺中心の食事。
 ぼくが現地に入ったのは昨年4月5日。被災後4週弱が経っているころで、緊急の生命を救うケアの時期から、こころのケアに焦点が当たり始めるのを待ってからだった。国際精神保健つながりで、自らも被災した宮城・名取のK医師が仲介してくれた。
 東北新幹線は仙台でストップの時期。それで支援の拠点のひとつになっていたK医師のクリニックの2階広間で1泊させてもらい、翌早朝クルマで、地震で段差ができたままの高速を一関まで走ってから陸前高田へ入った。
 現地の拠点は、津波被害を逃れた広田半島高台にある県立オートキャンプ場の貸しロッジ。ここに同じNGOの、震災2日後から入って発電機や投光器、ジェット洗浄機や水タンクなどを届けている物品提供班、避難所巡回や現地の診療所を支援している医師数人を含む医療班、残された家屋のある隣県気仙沼で建築診断や防疫などを進めている班などの10人余が雑魚寝し、食事は隣の大船渡の生き残ったスーパーまで買いだしに行く(明かりがなくなる被災地の夜とは段違いの照明の明るさに目がくらんだのを想い出す)カップラーメンなどが中心で、手のすいた誰かがご飯を炊いたりすると歓声が上がるような日々が連休前まで続いた。
 電気は避難所となっている建物群だったので電源車がいて使うことができた。
 水道はなく、炊事するにもトイレするにも水が出る蛇口までバケツを持って行って汲んでくる必要があった。
 電話線は復旧していなかったけど、携帯は通じていたし、インターネットは詳しい人がいて小さな機械が持ち込んであり、それを通せば使用可能だった。
 ぼくは寝袋を持参してはいたけど、貸し布団を使わせていただいていた。
  B級ジャンクフードは大好きだし、元ヤマ屋としては屋根があるだけで贅沢な環境と感じるので、快食快眠だった。
  ただ入浴は陸前高田ではできないので、週1回ほど一関に向かった峠から山に入ったところの研修施設まで交替で宿泊入浴に出かけていた。
 任務であったNGOとしてのこころのケア開始のための準備は、医療班にくっついて不眠を訴える人々をリファーしてもらって個々の人々の被災後の様子を感じ、物品班からは学校などとコンタクトする道筋を紹介してもらうなどして講演会を準備実行したり、緊急事例の継続家庭訪問や、自治体や大学などから毎日30人余も集まるこころのケアチームの動きを知る中で創っていった。(ぼくに起こる2次ストレス反応にも気づかされた)
  他団体は1週程度の交代派遣、うちは現地駐在体制という違いは大きい。そこで、当NGOでは他の団体が可能な狭義の精神医療活動は行わず、継続性が必要な地域に根ざした避難所ごとの心理社会サポート活動を行うことに決定した。心残りだけど、精神科医師の駐在希望者はお断りすることとなった。そしてぼくには、17年前?の神戸での仮設住宅を舞台にした心理社会活動経験を基にした活動イメージが具体化してきた。

第2期;5月から10月まで。60Km内陸の遠野市に事務所・住居を設置し、食住には不自由なく、毎日現地へクルマで通う日々。
 住まいは、被害の少なかった遠野市の中心部に近い元喫茶店だったという一軒家で、靴のままでは入れる元の喫茶部分は事務所として使い、他の洋室が一つ、和室一つを居室にした。駅から歩いても数分で、ファミレスや居酒屋などもがあって、英気を養うには十分な環境だった。
 5月連休明けからは、こころのケア活動の担当者がぼく以外に精神保健福祉士(PSW)であり、このNGOの本部スタッフであり、カンボジア支援を継続しているNGO関係で顔はつながっていたH君と二人担当になった。彼は現地代表でロジもやり、ぼくは専門家という役割分担。
  陸前高田市の小友町と広田町という2地域を活動地として、そこにある避難所から25名以上の規模の7カ所を選び、ストレッチやリラクゼーションを期待して理学療法(PT)と、所作なく過ごしがちの避難所での毎日に主体的な活動課題を体験し、集中した時間を体験し、また達成感を得ることのできる作業療法(OT)、そして初めのころはぼくがストレス反応や対処法などの精神保健講話などを内容として、隔週1時間ほどの活動「こころとカラダの健康の集い」を開始した。作業療法は、本当に受けている。(この頃は漁協の年券を買って、仕事のない早朝に4時から7時などの数時間だけ気仙川上流部の住田町で渓流釣りをしイワナとヤマメの顔を見て、2次ストレスからの気晴らしにしていた)
PT士とOT士の獲得には苦心したけど、県立病院PT士や派遣自治体からのOT士らの協力を得てなんとか継続することができ、ぼくたちの活動は陸前高田では唯一の心理社会サポート活動となった。
  ただ、2人で7カ所の活動を動かして行くのは何とも多忙であった。(民話の里、遠野にいながら、カッパ淵に一度行ったきり・・・)本部には求人と増員の要請を重ねて、8月に海外駐在代表経験のある男性看護師1名、9月からはNGO本部にインターンとして入っている1名が入ってくれ、10月からは海外で働いてきた女性看護師を常勤で獲得できた。それまでは気晴らしといっても、空いている午前中半日で駆け足の早池峰登りをしたりという感じだったけど、増員以降は週一日の休日が作れるようになり、駐在している4人全員で遠野盆地を囲む、山女伝説のある山を登ったり、日帰り温泉を探したり、などという時を作れるようになった。
  つまり、ほしかったワーカーやOT、心理士などの求人は結果を出せなかったということだけど、それはそれで、「集い」に看護師(Ns)による血圧測定や健康相談などの身体のケアを充実させる方向にすることができて、物言わず我慢する傾向が強い東北の地域性にはとても合致した、こころに触れる糸口となる活動を丁寧に作れることなったのはうれしい誤算だった。
  10月に入ったNsが主担当となって、皆で協力して気仙沼でのこころのケア活動を4カ所の仮設住宅団地で開始した。
  積極的なインターン女性には、専門性はなかったけど、子ども向けの活動を任せて、彼女は学習補助を具体化している。
  社会福祉協議会が9月から地元の若い人たち30名ほどを採用して仮設住宅の巡回相談を開始した。そことぼくたちは共同で活動を実施してみたが、善意の活動だけでは対象者理解や提供できる支援などに限界があり、PTやOT、またNsの保健相談や心理士らによるケース理解などを含んでいるぼくたちの活動は「専門性があるんだ」と気づくこととになった。
  ぼくは4月から7月までは大学の担当コマが休講となったためベタで被災現地にいることができたが、8月は長期のお休み(石垣・西表島と、ネパール滞在)とし、9月は気仙沼の活動場所の特定のために2週ほど、10月は冬の動きの少ない活動を準備するために2週ほどの現地滞在とした。

  第3期;11月12月。4人のスタッフで活動は順調に経過。他には東京都が3月まで週3日、精神医療チーム派遣を継続しているだけになった。ただし成人男性の活動への参加が少ないという限界がある。彼らは養殖漁業のためのツールを失ってしまったけど、ナントカ稼ぎたいのだ。がれき撤去もやれるだけやる。大船渡では魚の水揚げは一部始まって、そこでの作業に出かける人もいる。それで日中ではなく夕食会など、いろいろ工夫を重ねている。市保健師が中心の地域保健や、県保健所主催の家族を失った人々のための話を受けとめる会 (grief care) などにも関与を深めている。
  冬を迎えて積雪の峠越えを避けるためと、遠野の家は4人体制には狭いので(このNGOは長期にわたる活動の場合、スタッフには個室を提供し、月1回は自宅に数日間戻るなどの精神保健上の配慮をしている)、大船渡市に古い1軒屋を得て引っ越して動き出したところ、NGO本部の耐震診断で危険性が指摘され、移転先をまた探すことに。
  ぼくは現地とはメールによる連絡だけで、具体的な活動には参加せず、スーパーバイズすることが新たな役割となった。

  第4期;現在。2012年明けに、陸前高田市の132戸?を超える大きな規模の旧広田水産高校仮設住宅団地にある空き仮設住宅(3K)が2戸提供されることが急きょ決定し、近々移転予定となっている。
  活動への距離はその只中なので文句なく近いが、買い物や息抜き場所に課題がある可能性。しようがないでしょう・・・ 仮設住宅は、避難所と比べればプライバシーがあるけど、狭いとか、息苦しいとか、音が抜けるとか、寒いとか言われているのを、実感する日々に入りそう。
  3月11日前後の1周年反応が気になっている。市保健師と一緒にこころのケアチームが関わってきたケースの洗い直しや、誰がやっても難しいアルコールケースへの継続訪問などをしたい。それで2カ月程度、また現地に駐在することにしている。
  地元関係者からは「現地の復興の動きにこころのケアを含ませていく」という長期展望も語られているのは承知しているが、NGOの活動資金獲得という現実からは今後困難が予想され、今年度に開始される復興住宅の建設と仮設住宅からそこへの移動と、地元自治体が専従職員を全国から雇用して(すでに専門職の雇用難が指摘されているー田舎で公務員となって5年?ほどの期限付きだが働きたい人はいないのか?!<これから直面していく復興課題のベースにある、日本社会で田舎が抱える大きな課題>-のだが)開始するこころのケアセンター活動などを契機に、活動の現地化と撤退する時期について討論を始めている。

 12日後には、大船渡保健所での精神保健活動包括会議からひさびさに現地入りします・・・

ネパールより新年のあいさつを申し上げます!

2012-01-02 10:06:28 | ネパールでの生活
ネパールより新年の挨拶を申し上げます!

2012年の初詣は、チベット仏教の聖地ボウダナートで、たくさんの巡礼者と一緒にマニ車を手で回しながらストゥーパを右回りに回り、400人を超える老若のラマ僧が集まって繰り広げられている法要を聞きました。
帰りは、こちらで手に入る材料で工夫されたお正月料理を食べ過ぎているので、ポリューションの中をチャベル、プラノ・バネショールを経て1時間半かけて自宅まで歩いて帰りました。
戻ったら目に違和感があって、抗菌目薬のお世話になりましたけど。

ぼくには東北の被災者支援にさらに邁進せよという声が読経の中に聞こえた気がしました。
より有効な心理社会的サポートの工夫を、ぼくに可能な形で続けるつもりです。

そして元日の夜のカトマンズは目が覚めるほどの豪雨になりました。
乾季の今には珍しいことです。
乾かないので残しておいた昨日の洗濯物は屋上でまたビッショリに。
でも乾ききって土誇りが目立っていた木々などには恵みだったでしょう。
モノゴトには-面もあれば+面もある・・・

今年もよろしくご指導くださいますように・・・
皆様のご多幸をお祈りします。

手林佳正@ネパール・カトマンズ・ビジュリバザール