心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

年金手続き、開始

2010-08-31 02:16:21 | エコ・地域・環境
地方自治体職員の頃の地方職員共済組合○○県支部への退職共済年金請求と、
民間病院の頃の企業年金連合会(旧 厚生年金基金)への老齢年金裁定請求書の手続きを終える。
病院と国保の頃の日本年金機構(旧 社会保険庁)への特別支給の老齢厚生年金の請求には書類がもう一つ、集まっていない。

そういう年になった!

支払い期間はなんとか満たしていても、開発途上国駐在の期間などは継続して掛け続けてはいないので、受給額に期待はできないけどね。

片雲に誘われている・・・

初めての禁煙外来受診

2010-08-30 10:10:49 | いろいろ

DC利用者のヘビースモーカーAさんがタバコを止めた!
日帰り温泉の喫煙コーナーで会ったおじさんが○ヶ月止めていた、と自慢してた!(何という矛盾!?)

両者とも禁煙外来へ行って「チャンピックス」を服用するという、舘ひろしコマーシャル(ファイザー)の勧めだった。

ぼくは、
・面接中にもセキが出ることがある
・息を吸うときに肺からゼーゼーと音がすることがある
・朝にタンが多い
・山歩きで息切れするのが早いような気がする
・喫煙場所探しがたいへん
もういい加減止めたほうがいいよな・・・という動機。

先月訪問したカンボジア・コッコンでは、ナント!マルボロライト1カートンが7ドル!
今までのどこの国よりも安かった。
ついつい手が伸びてしまう・・・いろいろ合理化して、習慣化する・・・

今朝は待合室で、禁煙宣言なる書類に記入。
そこには「いつから?」とあり、まだ6箱あるのになどと迷った末、意を決して今日からと書く!!
ところが「1週間は吸っていいんですよ」という、肺機能検査後の看護婦さんの一言!
ぼくの迷いを受け容れて、やさしいんじゃん・・・

薬局でまずは2週間分のチャンピックスを受け取る。
やるか・・・

* ********
禁煙補助薬「チャンピックス 錠0.5mg、同錠1mg」(一般名:バレニクリン酒石酸塩)

チャンピックスは、米国で禁煙治療を目的に開発された日本初の非ニコチン製剤であり、経口禁煙補助薬です。既存の禁煙補助薬がタバコの代わりにニコチンを補充することによって禁煙に伴うイライラや集中できないといった離脱症状を軽減する「ニコチン代替療法」であるのに対し、チャンピックスは脳内の ニコチン受容体に選択的に働き、離脱症状やタバコに対する切望感を軽減するとともに、喫煙による満足感を抑制するという画期的な作用機序で禁煙効果を発揮します。

チャンピックスは、脳内の ニコチン受容体に対して、ニコチンより高い親和性を持って作用します。本剤は ニコチン受容体を部分的に刺激し、少量のドパミンを放出させることによって禁煙に伴う離脱症状やタバコに対する切望感を軽減します。同時に、本受容体にニコチンが結合するのを阻害するため、チャンピックスを服用中に再喫煙した場合には、喫煙による満足感を抑制します。
********** http://www.pfizer.co.jp/pfizer/company/press/2008/2008_04_22_02.html より

決意でも気合でも、ニコチン代替療法でもなくって、
脳に働きかけるって訳か。


またか・・・という禁煙がテーマ。
さて12週(11月22日)という治療期間後の予後はどうでしょうか・・・!!!

カンボジアへのかかわりを点検する視点

2010-08-25 19:26:24 | 国際協力・保健/リハ/心理学分野
SUMHカンボジアプロジェクト10年の評価 案  2010.08.25

1.中間評価(細かいベースライン調査があるのに、モニタリングはない。介入していない地域との比較によって、その効果を検証する。)
・地域介入による住民の精神保健へのアウェアネスの変化
・地域条件の変化
・ほか

2.人材育成の効果
・資格を取った6人のその後の活動の調査。
・practitioner養成を、カンボジア政府側に委譲して、続ける工夫
・ほか

3.公的地域保健への精神保健活動の取り入れは途上。
・精神保健が地域保健の包括的な考えのもとでキーコンポーネントとして機能するようにする
・カンボジア政府とシュムリアップ州の方針を再把握し、両カンボジア側と時間をかけて議論し、今後の精神保健の具体策の形成と実践に寄与する
・カンボジア内の精神保健ネットワークを作って、行政と関連機関とで定期にコアとなるアプローチを検討する
・ほか

4.NGO運営を進展させるために
・国際精神保健専門家を増やす。プロと言えるようになるまで(ただ、この指標がないだけに難しい)「育てる」。
・プロジェクト運営において必須なリーダーシップ。対等な人間関係と行われるべき駐在員教育。
・日本側の体制の変化を経時的に特徴を記述し、工夫や課題を整理する。
・スタッフ採用の実際
・ほか

5.巡回診療プロジェクト
・シュムリアップ州保健局と、SUMHから薬を提供するのは1年間という確認、
・処方方法はよいのか、
・その支援でカンボジア人医師が何か得られているのか、
・被益者の現状は?
・ほか

6.国際協力、開発事業支援における今日的な視点を共有する
・主体はカンボジア人であり、カンボジアにはカンボジアのやり方があることを前提に、適正技術を形成していく。
・開発に関与する人は、開発理論や数々の経験から学ぶ必要がある。
・日本人あるいは日本人のやり方はどこにでも通用し、正しいと考えるのは誤り。
・ほか

S.ラヴィッツ「脱出記-シベリアからインドまで歩いた男たち The Long Walk 」

2010-08-14 01:01:24 | エコ・地域・環境
スラヴォミール・ラヴィッツ著 海津正彦訳2007「脱出記-シベリアからインドまで歩いた男たち The Long Walk 」ヴィレッジブックス

2005年にソニー・マガジンズより刊行されたものの文庫化されたもの。
原著は、1956年に初版が出ているという。

1941年4月、イルクーツクからヤクーツクへ向かい1500Km行進したところにあるレナ川沿いにある、5500人も住む大型宿舎のあるシベリア第303収容所から、7人が準備の末に脱走した。
2ヶ月掛けてバイカル湖へ出、ゴビ砂漠を経て、チベットへ入りラサをかすめてヤル・ツァンポ川を渡り、ヒマラヤを越えてインドへ入るまでの6500Kmを徒歩で脱出した、ちょうど1年間の記録である。最後には4人になってしまったが。

ありうるだろうか・・・という大きな疑問。

ぼくはラサからカイラスの往復をトラックをチャーターして砂漠を走りぬけたことがあるけど、
あの大砂漠に加えて、極寒のシベリア、登山技術も必須なヒマラヤ越えのルート!

しかし事実は事実だ・・・!
人間の底力を感じざるを得ない・・・!

*******

さて、この2冊には共通点があった。椎名誠である。
彼は、この本の「解説-驚嘆の記録」を巻末に寄せて「勇気を与えられる」と賞賛し、
また前書の島田覚夫「私は魔境に生きた」について、「強靭な精神と身体」と宣伝「帯」に寄せていた。

シュムリアップで、駐在している日本人チームと彼の取材チームとで、三角ベース・ソフトボール試合をやって、彼はとてもおとなしくて静かな、そして背の高い人だと知った・・・
自然のなかで自分のカラダを張って行う、心躍るハラハラドキドキの大冒険に惹かれるという好みはあってるみたい・・・

島田覚夫「私は魔境に生きた-終戦を知らずニューギニアの山奥で原始生活十年」

2010-08-13 17:49:42 | 
島田覚夫2007「私は魔境に生きた-終戦を知らずニューギニアの山奥で原始生活十年」光人社NF文庫 

1986年にヒューマンドキュメント社刊の文庫版での再版。
帰国してすぐに書き上げられながら、30年後になってから出版されたという、566p。の大著。
タイトルからわかるように、1855年まで敗戦を知らずにニューギニアの山中で10年間を生き延びた「誇張も創作も」ないという記録。

17人が最終的には4人となる、厳しい熱帯雨林のなかの生活。
夜陰に乗じて山肌を伝って奪い取る食料の調達、長引かせる工夫、狩猟、肉の保存、そして栽培を試みる年月。

食べること、それは生きながらえるために最低、しなければならない工夫だったとして、次には驚かされた。
・村人との接触に成功し、鍛冶屋技術を糸口に信頼関係を3年間に渡って結ぶ。
・そして「生きて虜囚の辱めを受けない」という価値観から、「いまさら何のために生きるのだろう、潔く出て行こう」への価値観の転換!
・冷静さを持って、集団や自己の統制を維持する様。

全く知らなかった経緯だっただけに、著名な戦後の潜伏モノとは違って、いきいきと生き様を感じた。
そういえば、小野田さんのものという広大な牧場の横をブラジルで釣りに行くときにクルマで通ったことを想い出した。

初めての場所へ旅するときの緊張や不安、動揺、そして感動

2010-08-04 19:14:34 | 
3日ぶりにカオサンに戻ってきた。

定宿(のつもり)のKに入る。
よそを試みに使ってみても、結局ここに戻ってきている。
ゆったりさがいいのかなあ、小さなベランダも付いているし。

今は内装を大幅に変更して、値段は倍になっている!
でも東京のビジネスホテルと同じくらいのアメニティで、しかもより広い。
換えたばかりのベッドはヘタッテなくて、とても硬く、よく眠れた・・・
ただ、ネット接続の有料は、今の時代おかしくない・・・?

遅い夕食は、日本食の屋台ができていて、そこでチャン・ビール大瓶ととんかつ定食。
このビールはアルコールがすこし強くて、6.5%。
呼び込み係の青年は、警察と市と民間の巡回が多くて、そのつどお金を取られると嘆いている。
問うと、ゴミを出さない、道路使用許可の確認などが理由だと言う。
確かにゴミは見なくなっている・・・

カンボジア・ココンからの帰路は全く順調だった。
シアヌークビユからの大型バスで国境まで、越えてからはBKK行きのミニバスに乗り換えて、それでおしまい。
国境のハートレックからは数回の休憩込みでBKKまで6時間ほど。

車中では、イギリス・マンチェスターで商店を営むという中年男-タイに入ると何度も携帯で電話しているところを見るとビジネスでやってきているのか-が、カンボジアの若い娘を連れていて、それがしゃべる、しゃべる・・・

こうした中年あるいは老人の白人男性と、現地女性の二人連れというのは、アジアの旅ではけっこう出会うパターン。
どういう関係?

ここはどこ?
BKKまだ?
遠い・・・
○○と同じ
カメラの電池が切れている。
・・・・
しきりにメモを取っているけど、英語もつたないし、(新しい概念形成が不得手なのだろう)物覚えもよくないようで何回も同じことを聞いている。
(ちなみに彼女はその英国人に「バラン」と呼びかけていて、これはクメール語ではもともとはフランス人、今は外国人一般を指す言葉であり、個人化していないのが興味深かった!)

それがBKKに入ると途端、静かになった。
右を左をきょろきょろ・・・
シアヌークビユともプノンペンとも比べものにならない大きさや多様さに映っているだろうか・・・

でも・・・こうした素朴さはなぜかうらやましく感じている自分がいる・・・
驚くという、新鮮な感動っていいなあ・・・

ぼくは、新しい場所へ旅して、不安を感じたり、いつものやり方が通用しなくて動揺したり、そして感動する機会を持ちたい、と思った。

ココン・・・
シアヌークビユ・・・
移住先の候補地に登録!

****************

そういえば・・・・・
この旅で、日本語が聞こえてこない、話す人と会わない。
カトマンズでもココンでもカオサンでも。
白人の若者バックパッカーや、家族連れなどはたくさんいるのに。

そして至るところで韓国からの旅行者が増えていると聞く・・・

日本社会は閉塞的になっている、といっても言い過ぎではないのだろう・・・

* ****************

さて、ヒゲも剃ったし、
あす夕方からは予約の面接が再会し、あさってにはデイケアへ出て、
日本でのルーティンが始まる・・・

これはバンコク・スバルナブミ空港CゲートのスターバックスにてWLANNetより。


豪雨のココン

2010-08-02 17:49:14 | トレッキング・釣り・テニス
カンボジアの海岸の新らしい街、ココンに来ている。

今月初めに予定していたプノンペンでの会議がキャンセルになってしまい、
エアチケットの変更をするとまた16000円ほどかかってしまうので、
その空いた日程を行きたかった新ルートの旅に使った次第。

かつてはカンボジア側の川に橋が架かっていなくて、シアヌークビユまでは不安定な高速の船が走っていたという国境越えの旅路と聞いていた。
それが2008年から整備されたというわけ。
それで、今回はじめてのルートに挑戦!

31日にカトマンズを出て、夕方にバンコクBKK着。
ハートレックまでのバスチケットを550バーツで予約することができて、1日は朝8時にピックアップを受けて9時頃にBKK発。
大きな2階建てバスで、タイのバス特有の寒いくらいのエアコンが効いて、椅子も大きくて快適。

ところがウトウトしていた2時間後あたりに、高架の高速道上で路肩をトロトロとノロノロ運転していることに気づいた。
スピードが出ない・・・ナニ?

小1時間もそのままで、結局高速を降りてもノロノロ。
ついにはエンジンから黒煙が噴出し、ついに停止。
ぼくは荷を預けていなかったけど、急いでエンジン脇の荷物室のものを運び出すあわただしさ。
炎天下の道路脇で途方にくれるぼくたち。

気づいたら後ろから救援のバスが到着して、乗り込んで再出発。
今度はだいじょうぶなんだろうな・・・!

お昼になってドライブインに入って食事。
ぼくは気に入っているタイの麺。
唐辛子を入れ過ぎないように、注意、注意・・・

コ・チャンを行く客を降ろしたら、もう3時過ぎ。
そして客は3人が残っているだけになった。
72才という、40年間も放浪旅を続けるMさんは筋肉隆々の日本のおじいさん。
26才の、アジアでの英語教師を夢見るイギリス人青年のDくんは、ウエールズ出身のモト空手少年。
そしてぼくだった。

トラートのバスターミナルまでミニバスで送られて、そこからはローカルのミニバスに乗せられて国境のハートレックで下車。
Mさんから、この4月にもこのコースを通ったとかで、規定の20ドルではなく25ドルを請求されて支払ったという情報が提供される。
どうする・・・?
Dくんはきっぱり、それは20ドル!と言う。
ぼくは・・・と迷っていたら、Mさんはそれに乗って、そうしましょう、と言う。

そしてなぜか、1番目に通過する人はぼくになってしまう。
健康表の記入で横から手を出す現地青年をやんわり跳ね除け、VISAの窓口へ。
案の定、25ドルと請求される。
規則は20ドルだよ、とニコニコしながらもキッパリと言う。
係員は、コミッションが5ドルと、訳のわからないことを言う・・・
ぼくは、帽子の下の白髪を見せて、年寄りなんだと、思いつきの「同情引き作戦」!?
すると窓口の扉がガラガラと閉められてしまった・・・
一呼吸置いて、ぼくがガラスの扉を開けて、20ドル紙幣を挟んだパスポートを黙って差し出す・・・
なんと・・・受け取るじゃないか・・・

と言うわけで各20ドルの正規料金で通過。

これでなぜか3人は同志的な雰囲気になってしまい、同じホテルを取り、一緒に夕食に行き、自己紹介しあって、旅の一夜の会話を楽しんだ次第。

昨年11月以来のカンボジアなんだけど、きのうまでいたネパール語じゃなくて、クメール語が口から出てきた。
ただしローカルレストランで注文したり、冗談を言う程度なんだけど。

さてカンボジアで迎えた朝は豪雨の音で目覚め!
辺りは真っ白になるくらいの強さ・・・

これじゃ海釣りはできないじゃない・・・!

せっかく選りすぐった釣り道具を少量だけ持ってきたのに・・・

というわけで、市場にクイティオとカフェ・ダッツコー・クダウを食しに出かけ、
そのまま海を見に歩き、
雨の中をモトドップでホテルまで戻って、
すぐれて暇で、PCでネットにつないでいる今なのでした・・・

注;クイティオは朝食用の米の麺。
カフェ・タックダコー・クダウは、ガラスのグラスに、コンデンストミルクの上に濃いコーヒーが入ったカンボジア式コーヒー。かき混ぜて半分ほど飲んだら、一緒に付いてくるお茶!をその中に注いで、グラスをきれいに、そして甘ったるい口をさっぱりさせる飲み方も愛嬌。