心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

ようやく内閣が発足!?

2007-03-31 15:19:17 | ネパールの政治治安状況
今朝のThe Himalayan Times によると、今日11時からの国会で、次の政党所属の大臣による内閣が発足するのだといいます。

ネパール会議派が, 首相、Home 内務、Defence 国防、Finance 財務、Peace and Reconstruction 平和・再構築、Science and Technology 科学技術、
統一共産党が, Foreign Affairs 外務、Agriculture and cooperative 農業、Education 教育、Tourism 観光、Civil Aviation and Culture 行政、
マオイストが, Information 情報通信、Local Development 地方開発、Physical Planning and Works 建設、Forest and Soil Conservation 森林、Women, Child and Social Welfare 女性子供および社会福祉、
ネパール会議派(民主)が, Water Resourses 水源、Labour and Transport Management 労働および交通、Law, Justice and Parliamentary Affairs 法律・司法および議会管理、
Nepal Sadbhavana Party ネパール・サドバワナは、Industry, Commerce and Supply 産業・商業、
Janamorcha Nepal 人民戦線ネパールが、Health 保健、
United LeftFront 左翼戦線が、Land Reforms and Management 土地改革

結局、コングレスは主要3大臣のポストを譲らなかったが、副大臣を置かないということも妥協点になったらしい・・・
またG.P.コイララ首相は高齢なので、副首相の座が、近い将来重要な課題になるという読みは各派がしているらしい・・・

この内閣によって、選挙が行われることになるが、やっぱり6月を目標にするらしい・・・大丈夫なんだろうか?
今年のネパールは、この内閣や選挙の動向次第で、王派vsマオの間で、革命戦争もありうるという予想がささやかれています・・・

駐ネパールのアメリカ大使、モリアティは昨日もG.P.コイララ首相と会い、マオイストを内閣に入れないよう、会談したといいます。
立派な内政干渉です!
彼らの言う民主主義って、この程度のものなんでしょうか・・・外国に侵略するための御旗に過ぎないという・・・

年金生活者が目に付く、ネパールの日本人旅行者と国際協力者

2007-03-31 00:21:41 | ネパールでの生活
ぼくがネパールへはじめてやって来た80年代初め頃に会う旅行者は、長髪でひげを生やした20代や30代前半のバックパッカーが中心でした。
アルバイトだったり節約して貯めて持参した、なけなしの数100ドルのお金を切り詰めて、なるだけ長く旅を続けようと努力する、そういう時代でした。

ここ数年はすっかり変わって、白髪まじりで、一様にヤクルトオバサンを連想させる帽子を被り、大きいウエストバックを腰に巻きつけ、腰が引けた姿勢で歩く、お金持ち年金生活者がほとんど!という状況です。

そうじゃない人は、たまに、アジアの旅には場違いな、華美な身なりの女子大生や、
ごく少数の30代40代とおぼしき、単身の旅行者や、駆け足のトレッキング愛好者、
まれにインドを経由してくる汚れきったヒッピー風の服装の人、と会うぐらいです。

彼らはけっこう元気で、統率したがるリーダーの下のグループである場合が多く、ごく少数は単身で、山歩きに出発し、カトマンズに戻ってきます。
興奮してしまって、宿やレストランで他の客の迷惑を顧みず大声で話し続けたり、
数十年前の山の自慢をだれかれ構わずしたり、
場の雰囲気に気付かず自分のテーマに固執したり、
客観性のない判断を押し付けたり、
会って間もないネパール人スタッフにやけに指示的で高圧的な態度だったり、
逆に相手の貧しさに大仰に同情的だったり、
会うたびに同じ話題の同じ内容を繰り返したり、
・・・などなど、ひんしゅくものの人々もよく目にします。

ただ・・・金払いがいいので、現地からは歓迎されているようですが・・・

ネパールで活動する協力関係者の中にも、こうした人を目にすることがあります。
年金や退職金などを基にして動いている協力活動は、多くのひとが参加できる支援活動とは違ってきてしまっていて、裾野が広がらない・・・
日本での経験は貴重だが、異文化場面での出会いをするには慎重に、既に在る失敗などをもっと勉強していいのではないか・・・

もちろんこうした人々がすべてではなく、努力の継続にアタマが下がる方々も当然いらっしゃいます・・・

が、「たまには(年齢的に、振る舞い的に)普通の日本人(!)に会いたいよね」というつぶやきが漏れる現状であるのも事実なんです・・・

また、自然を相手の旅行というのはもう若者には受けないのだろうか・・・
ぼくが年金を受給できる頃には、外国旅行をするだけの金額は受け取れるのだろうか・・・などと気になります。

そしてなにより、
いつまでも相手と対等な関係作りをアタマにおいて、相手に学びながら付きあえる自分でありたいとねがう今日この頃です・・・

能登半島地震とひとり旅

2007-03-28 12:26:44 | 
今回の能登半島地震の報道には、海外からですが、けっこうアップトゥデイトに接しています。

亡くなった方のパートナーの悲哀、
長く住んできた自宅が崩壊しての喪失感、
繰り返す余震の恐怖、ストレス、疲労、絶望、
避難所での不慣れな生活、
たいへんな事態だったことがよく伝わってきます・・・

かつて直面した阪神淡路震災での精神保健課題群が想起されます・・・

じつは、この地域はぼくのはじめてのひとり旅の場所なんです。

高校1年の夏休みが終りを迎える頃、持っていた少しのキャンプ道具を背負って、能登半島へ入りました。
門前・穴水・輪島・ヘクラ島・・・
人々の表情や見えてくる生活がとても新鮮で、異文化への旅といってもいいくらいの中身でした・・・
そして、わきあがる不安と、それに負けないように鼓舞する自分。
その後、今も続く、自分の内側を見つめながらの、ぼくのひとりバックパックの旅の始まりでした・・・

被害を受けた方々の立ち直りを祈念します・・・!

自分の社会を支える人たち

2007-03-24 09:48:32 | 国際協力・現地NGO分野
今回は、学校建設・奨学金・識字学級などのプロジェクトをしているNGOを訪問していました。

前回のゴルカに引き続いて、ネパール人自身の積極性と出会えました・・・!

写真は、信頼を集めている医師(後ろ向き)・カトマンズから通って得意の日本語とマジメさでNGOとの連携の要にいるKさん(左)・地元で家業に精を出しながら支援するPさん(右)です。
覗き込んでいるのは、この識字学級に通う女性たちの一部です。

識字学級は週5日、午後5時から7時が普通ですが、ここでは計画停電の日には昼に開いているのだそうです。

この日の調整は、
半年の前半コースを終えた人たちが、予定されている3ヶ月の後半コースに参加したいかどうか?
また困っていることは?
などでした。
それらの資金を日本のNGOが支援しているわけです。

このような、意欲を持ち教育された人的な資源がある社会では、経済成長があれば、社会はけっこういい感じで展開していくのではないかと、ぼくには思えるんだけど・・・
ネパール社会の現実は、昨年11月の内戦終了以来、暫定内閣の組閣で行き詰まり、私利私欲の渦の中心となってしまった250年余の王制改革の中心にあったマオイストが今度は襲撃されるという、混乱のなかにまだ、あります・・・



ルンビニ再訪 

2007-03-24 08:51:04 | 
ネパール南部のルンビニへ行ってきました。
約20年ぶりになります。

あのときはポカラからバスでタンセンを経由しバイラワ、そしてリキシャで、うだるような暑さの中を、ほうほうの体で到着したのを覚えています・・・

マヤデビィが沐浴し、ブッダが産湯を使ったという池は、段差が整えられて、すっかり変わり、
その横の大木に抱かれて在って、表面がなくなってしまったブッダ誕生の復元図は、遺跡発掘を展示している新築されたマヤ聖堂という建物の中にありました・・・

ここ10年くらいで、丹下健三デザインの公園化が進んできたということでした。

通った保育園がお寺の境内にあって、そこで語られた「シャカの生地ルンビニ」というのが耳に残っていて、そのときは訪ねたバックパックの旅でした。
今回は、最近あった訃報のために、菩提樹の葉を一様、本に挟みました・・・

そう、あのときは、宿へ戻ってファンの下でも熱風で寝付けず、インド国境の夜の街をぼんやり眺めていたのを想い出しました・・・

グッピーの誕生、春いろいろ

2007-03-18 13:09:04 | ネパールでの生活
今朝も起きたら、乾季に続く計画停電で、しばらくの間、ロウソクで、炊飯はガス使用でした。

陽が出てきて、水槽を覗き込んでいたら、グッピーの子どもを新たに3匹発見!
産まれたか・・・

昨日の休日はひさびさにテニスに出かけました。
あまり足を使っていなかったので、準備運動のつもりで住まいから約1時間、歩いて出かけました。
コーチと集まった3人が、ボレーやグラウンドストロークをみっちり40分、その後はダブルスで遊びました。
ラケットの面が安定してないな・・・
ストロークのフォロースルーに気をつけないと短くなりがち・・・
もっとやろうと誘われたけど、疲労感の自覚があり、早めに切り上げました。

やっぱり、今朝は背筋・コシ・太ももなどが筋肉痛です・・・!

3月には、任期終了を迎えるボランティアや専門家がいます。
先週は送別会が2回。
来週に到着するボランティアのなかには、南タイのしょうがい児者ケアシステムの見学を一緒したOさんがいるので、再会が楽しみです。

3月下旬に入って、このゲストハウス(ホテル?)にも大学生の卒業旅行の人たちを見るようになりました。
それにしても、日本の青年たちの幼さっていったら・・・
教員たちの旅行も、この時期ですよね・・・

アンナプルナやクーンブでは、大雪という報道がありました。
ぼくもゴーキョで腰までのラッセルになったのもこの時期だったなあと思い起こしています。
トレッキングの方々は注意を・・・

ぼくはきょう夕方からバイラワへ飛び、ルンビニへ行きます。
日本発のNGOを訪問し、小学校建設完了記念式典の「枯れ木の花」にもなる予定です。

20数年ぶりの訪問なので、シャカの産湯の池などの公園化など、変容ぶりを見ることも楽しみ・・・
インド国境の熱帯湿地帯なので、華やかな鳥を見たり、釣りもできるかな・・・

というわけで、ブログの更新は約1週後の予定です。


ネパール偉人による総合村落開発NGO

2007-03-16 12:00:38 | 国際協力・現地NGO分野
トリシュ・メヘル・クラブのゴルカ支部 Tulasi Meher Uneso Club,Gorkha へ行ってきました。

貧者支援60年になる、トピーを被り、男性の民族衣装のドウラ・スルワールの上に、肩に破れのあるイギリス式のブレザーを羽織り、小さなショルダーバッグを背負った、小柄で日に焼けた、ムルミ Rudra Lal Mulmi 翁86才が、心血を注ぐNGOです。

カトマンズからポカラへ向かうプリティビ・ハイウエイのムグリンの少し先のアブ・カイレイから北へ24km北の丘陵地帯へ入ったところです。
四駆で片道約3時間半でした。

その7つある支部のひとつのゴルカ支部では、
スタッフ2人で約1ヵ月半かけて行う、対象村落のPRA調査に続いて、
・健康ーヘルスポストのスタッフ給与支援・予防接種支援・TBA研修・女性の健康・トイレ建設・排煙コンロ・広報
・教育ー識字(6ヶ月+3ヶ月)・就学前教育
・農業ー野菜栽培・きのこ栽培・水牛銀行・ヤギ銀行・香草栽培・練炭つくり・家禽飼育・しょうが栽培
・現金収入ー竹細工・縫製
・青少年活動ーグループつくり・リーダー研修・小図書館つくり・スポーツ機材配布・ジェンダー研修
・施設建設ー学校建設と維持・飲料水供給と維持・灌漑
・女性ーリーダーシップ研修
・マイクロファイナンスー経理研修
・共同作業研修
・禁煙キャンペーンー小論文コンテスト・キャンペーン
・HIV/AIDS予防ー研修・調査・家族カウンセリング・キャンペーン
・しょうがい児者リハビリテーションーキャンペーン・研修・集団ミーティング・理学療法
などの活動を、2年間を1クールとして、住民参加型で行っている・・・!

内容の充実と、包括性と、継続性、積極性、そしてスタッフの謙虚さにも感動・・・!
いくつもの村で活動する国際協力団体の実践の統合した形がここにありました!

さて、トリシュ・メヘルとは、隣国インドのガンジーに共感して、自身はパタンのバグマティ河原の小さな庵に済み、貧しい女性に糸紡ぎを通しての経済支援や、アルコールや肉食の拒絶運動を進めた、ネパール人なら大半の人が知っている偉人だそうです。
そしてムルミさんも、26才のときに、デリーへガンジーに会いにいき、暗殺される35日前にも会っていたと言い、ガンジーとトリシュ・メヘルを師と仰ぐ人なのでした。

ぼくの前任地であるドミニカ共和国のADRの創設者と彼女にリードされた組織を想い出しました。
優れた指導者を持つ組織は、その清廉さが、思想が組織の隅々の人にまで浸透していくすばらしさ・・・

システムを持って、誰でもできるNGO活動というのも、夢見るけど、多くの国際NGOがそうであるように、獲得した予算内の活動に縛られていってしまっている現実!

そして、ムルミさんのような偉人はそういないという、これも現実!

高齢になるムルミさんは、後継者と、年間約800万円になるという活動費用への支援とを、真に求めているようでした。
14年目という、古いけど手入れの行き届いたパジェロで同伴して往復してくれ、息子と呼んでくれて、うれしかったけど、ぼくにお金の提供は難しい・・・

日本のどなたか・・・こういう活動へ財政支援できる方はいませんか・・・!?

写真は、早朝のゴルカからの朝霧に沈むドランド・コーラ流域です。

補足1;なお、名前のユネスコは、かつて助成を受けていた期間があるということで付いているそうで、現在ではまったくのネパールの国内NGOです。

補足2;このゴルカ郡は、250年前にカトマンズへ出てきて現ネパールを統一したシャハ王朝の出発地です。しかし現在はマオイストの支配地域でもあります。このNGOへ、マオイストからの介入は一切ないということでした。

補足3;マオイストが支配地域で禁酒政策を取っていることは先に述べました。貧困の中で余計な出費から家計を守り、飲んでいる時間を労働へ向けるため、また惹起しがちな家庭内暴力を予防するためと聞いています。ガンジーがそうだったことは、ここゴルカを訪問して、想い出しました。ネパールのマオイストはガンジーの系譜にもあるのでしょうか?あらためて、ガンジーの著作を読んでみたいと思いました。

カトマンズ生活 うれしい再開・・・

2007-03-11 20:34:07 | ネパールでの生活
グッピーの子ども2匹が生き残っていてくれたこと・・・うれしい!
ほかに、ネオンテトラ2匹、グッピーの親2匹も。

月曜と木曜に、小さなエサ2枚をあげることを頼んでいきました。
このホテル(ゲストハウスから昇格?)の従業員たちは、エサやりに盛り上がっていたことを聞き、楽しんでくれたようで安心しました。
寒かった、この冬のカトマンズでサーモスタットが故障しなかったこともよかった・・・

電話が2つ。
付き合いのある大阪ベースの教育NGOから小学校の開校式出席を誘われています。
もうひとつは、生まれた村の支援に生きるネパール人青年から村へ行く日の打診。

戻る日時を覚えていてくれて、感謝です・・・

任期終了近いボランティアが日曜なのに
ーネパール社会の休日は土曜、でも外国人は土日を休む人が多いー
担当学生を部屋に呼んで修士論文まとめに精出しています。
一緒に採集に行った人なので昼食に行きました。日本食はラーメンが好きで、みそ汁が嫌いなんだそうです。


戻りました!1ヵ月半ぶりのカトマンズです

2007-03-11 00:52:08 | ネパールでの生活
戻りました!1ヵ月半ぶりのカトマンズです。
機内からはヒマラヤの山々がよく見えました。

あったかな気候になっています。
住まいのゲストハウスがホテルと名前を替えていました。
任期終了間近い専門家とボランティアが引っ越してきているのを聞いていたので、
ささやかなバッテラ寿司とユベシを差し入れました。

今晩は
その2人と日本食でもネパール食でもない中華になりました。
そして戻った9時半からは計画停電という現実で、ろうそくを使いました。

きのうは
昼前に家を出て、所沢から成田へのバスを始めて利用し、夕方バンコクへ向けて出発、新しいスワナプーム空港には夜10時半着でした。
タイ航空持ちのフォーチユンホテルの送迎はないと聞いていたのでタクシー乗り場を探したら、リムジンしかないということでした。それも!900バーツという高価なフッカケ値段です!
声をかけてくるタクシー運転手と交渉して、3人目、550バーツになりました。
15階の部屋の窓からのバンコクの夜景はきれいでした。
部屋の設備は古いけど高級感あり・・・

今朝は
バイキングの朝食をすませて7時にはホテルを出ました。
前夜に聞いたホテル手配のリムジンは850バーツということだったので、自分でタクシーを捜すことにしていました。
ホテル前に止まっている車に聞くと、1台目で300バーツ!約20分間時速100Km程度でぶっ飛ばして、空港に戻ってきました。
空港への電車が完成するのはいつなんだろう・・・

バンコク乗り換えは不便になりました・・・

渓流釣り・秩父

2007-03-07 16:59:37 | トレッキング・釣り・テニス
朝5時に電車に乗り、その中で夜が開け、6時40分には釣り場に到着しました。
たまり水には薄氷が張っていました。

30cmほどの落ち込みの下にある直径4mほどのたまりに1投、あたり!しかし弱い・・・空あわせ気味にきいてみるけど、針がかりはなし・・・
水が少なく流れも弱いので、錘を最小に代える。
ハリスは0.1、道糸が0.4の脈釣り仕掛け、エサは生イクラ2個がけ。

錘交換がよかったらしく、次々に針がかり・・・
寒さのなかの釣りで、食いは浅く、かかりは皮一枚という感じ。
あたりが遠のいて、ポイントを代え、の繰り返し・・・
ハリス切れが0.1と0.2であって、以降は0.3へ。
切れるときはヒットしてタメて持ってくるとき・・・渓流竿がいわゆる「ゼロ釣」用でないせいか・・・?

20cm超のニジマスが12、ヤマメが2・・・
あたりがなくなり、寒さに耐え切れなくて、3時間ほどで納竿。

こうして今朝、1年ぶりの渓流釣りを堪能しました!
前は、四万温泉だったっけ・・・
次はいつ、竿を出せるかな???

今回の一時帰国、もうすぐ終わりで、あさってはバンコク、土曜にはカトマンズで
す。

じょんがら・新渡戸・寺山修司

2007-03-03 10:39:17 | 
じょんがら三味線を聴きに行ってきました。
ライブはやっぱり迫力があります!
激しいバチ捌きで生まれるチューニングの揺らぎ、音を探す左手の微妙さ・・・

テンポが動いていくマル・ウオルドンのソロピアノを連想しました!
あれは若き日に南国高知で、国際Ns協会長になったM先生と行ったんだっけ・・・

新渡戸稲造、3代の記念館へ行ってきました。
十和田市立新渡戸記念館です。
高校生の頃、その国際的な活躍にあこがれた稲造の記念館を訪れたら、
その祖父が江戸末期に当時の南部藩に提案して、八甲田東面の裾野にトンネル作りを含む灌漑に着手し完成させ、その父は都市づくりを進めたということを知りました。
郷土の英雄の子どもだったんですね・・・

寺山修司記念館へ行ってきました。
三沢市寺山修司記念館です。
三沢市で育った寺山の中学時代の同窓生が中心になってつくり、在京の友人知人たちが手を貸したという記念館は、稀に見る芸術性の高いものでした・・・
あの「天井桟敷」特有のおどろおどろしい造形群、
展示されている事務机の引き出しを開けて見える、映画や文章、
小さく流れる彼が作った流行歌・・・

多作の彼がその中で触れずにいて、故郷を否定した(と思える)彼が、
故郷の旧友たちーそれも転校生でしかもリーダーシップを取ろうとする彼をいじめ続けたと高言するーから愛されていったという歴史・・・

大変に考えさせられました・・・新渡戸と言い、寺山と言い、ジョンガラと言い、
個的な自己実現と、
育ったコミュニテイ、
そこにかつて在り、生き続ける人たち(あるいは文化)からのサポート・・・