心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

熊野古道、中辺路を歩いた

2010-09-22 08:56:56 | トレッキング・釣り・テニス
片雲に吹かれて紀伊半島にたどり着き、熊野古道を歩いてきた。
数年来、どこを歩こうかと計画を練っていた。

JR紀伊田辺駅を起点に、中辺路(なかへち)を滝尻から入り本宮まで2日間。
途中、近露から仲人茶屋跡までは宿泊した「月の家」のクルマで送ってもらった中抜きだけど。
好天に恵まれて雨具の出番はなかった。

最高点でも約700mという低山のアップダウン歩きなので、植林された杉主体の樹林のなか、概して展望はなく、したがって涼風もない中を、数多くの王子の古い石碑や真新しい社などをたどって、汗まみれになって歩く。
二日とも一日6時間ほどの歩きで各2リットルは飲んだかな。

平安の世を含めて約1000年間、熊野詣として歩かれた道をアタマに描きながら。
「蟻の・・・」と表現されるのは、休日の高尾山や夏の富士登山状態だったのだろうか?

TVの「てくてく・・・」では、ぼくの約3倍の時間を掛けている。
たぶん、この倍くらいの時間を取れば、ノンビリ気分になれるのかもしれない。
ただそうも行かないのが今の時代だよね・・・

王子ってどういう意味ですか?と地元の人に聞いてみた。
「休憩して祈ったところだよ、昔の偉い人が。それで帰りの本宮から新宮までは船だったから王子がない。」
たしかに、99王子といわれるほど王子が多い熊野古道なのに、同じ中辺路の京都大阪への帰路に使われた部分である本宮から那智までの2日日程の小雲取越と大雲取越には王子はひとつとしてない!
明快な答えだった。

ちなみに、王子信仰というのも盛んだったようだ。
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王子信仰(おうじしんこう) [ 日本大百科全書(小学館) ]

王子(童子)たる神に対する信仰。神が御子神(みこがみ)また若宮とよばれる形で示現するという信仰も含めていう。祇園(ぎおん)社、日吉(ひえ)社の八王子権現(はちおうじごんげん)や、熊野の若一王子(にゃくいちおうじ)権現などが有名で、祇園信仰、日吉信仰、熊野信仰とともに全国に広がった。なかの熊野の王子信仰は、京都から熊野への途次に多く王子社が祀(まつ)られ、それらを九十九王子とよんだが、藤原定家(ていか)の旅行記『熊野御幸記(ごこうき)』には「大概その数九十九あるがごとし」とみえる。その祭神は熊野大神(伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉尊(いざなみのみこと))の御子といわれ若王子とよび、とくに天照大神(あまてらすおおみかみ)を若一王子と称し信仰した。現在、京都市下京区にある若一神社は、平家一族の全盛時代に造営された西八条の邸内に勧請(かんじょう)されたものであり、京都御所の正東にあたるもと永観堂(えいかんどう)(禅林寺)の鎮守若王子神社は永暦(えいりゃく)年間(1160~61)に後白河(ごしらかわ)法皇の勧請によるものである。 [ 執筆者:菟田俊彦 ]
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大阪からの紀伊路、海岸通の大辺路、伊勢からの伊勢路、高野山と繋がる小辺路、吉野と結ぶ大峯奥駈道なども熊野古道だ。

いつか歩くかなあ・・・
でも関東からはとても遠くて乗り継ぎを入れると前後にほぼ1日必要だし、海外旅行並みの費用がかかるし。

グループや個人、バスでの団体客など、多くの人が入っているのに、ゴミはほとんど目にしなかった。案内の掲示もわかりやすかった。
リッパな地図が無料だし、概してよく管理されている・・・

でも世界遺産というからもっと整備してほしいという希望もある。
・ 石積みの道などが残っているのはごく一部で、その後に生活道になったりして拡張されたりしたのはしようがないとしても、せめてアスファルト舗装の部分は土の道に戻してほしい。
・ セメントで補強された階段というのも興ざめ。
・ 料理のいい旅館や心温まる民宿も地元の振興を考えるといいけど、それだけでなくて巡礼宿のように泊まるだけの最低限の宿泊設備が整備されてもいいかも。
・ 温泉がある地域なので、古道近くで温泉だけを利用できるように。
・ 歩いて旅するヒトのためのキャンプ場もほしい(至るところに禁止と掲示されていた)。
・    古道館に、その時代時代の当時の旅装束や旅の装備、宿泊した様子、記録がある実際の旅の事例、などの展示があればいい、など。