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心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

元精神科病院長のD.M.S.医師は健康を回復して悠々自適

2011-11-28 00:35:35 | 国際協力・現地NGO分野
3年ぶりになるかな、D.M.S医師宅に招かれて食事。
この国で3番目に精神科医師になった人で、唯一の精神科病院長をかつて務め、精神科リハの施設をNGOとして設立し運営している。
前の訪問が心臓手術のお見舞いだったけど、その後は、オープンホスピタルでの週3回の診療と、招かれる諸会議に出席する以外は今は、ほぼリタイアしているらしい。

駐車場にあるのが、バイクからクルマに変わっていた。
お手伝いさんが10代の少女に変わっていた。
隣りにあった軍の駐屯地が、医科大学に変わっていた。
禁煙していた。(ぼくのほうは何度目かの禁煙が約1カ月、続いているけど!?!)
お酒は自制しながらも続けているよう。
自分では、新版の生物学的精神医学のテキストを読んだり、PC相手にネットでゲームにハマっている毎日と言う。
機嫌よく、寝室まで含めて家中を案内してくれた。

看護師だったという奥さんも話す話す・・・
小児科医師になって大学病院にいるという長女からも質問たくさん。
1時間ほどがちょうど重なった、米人と結婚してアメリカ暮らしという奥さんの元同僚も夫婦してよく話す。
理解の早い人たちだ・・・
日本の津波被災者のこと、ネパールとアメリカの看護教育のこと、3つの国の心理療法について、などなど。

ワインと、オレンジ風味の特別なロキシーを嗜んだ後、手の混んだダルバートを頂く。
タルカリ、アチャール、そして鶏肉、そのうえサラダ、デザートまで付いていた。

ネパールの精神医療の最近の動きは、精神科医師が関与する10人程度が定員のNursing Homeが4カ所程度になったこと、らしい。
公的な病院では入院数や処遇が限定されているので、その機能をプライベイト機関(規定する法制度は?)が代行しているということか・・・

+++++++++++++++

月末から10日間ほどかけて、ネット環境のない西ネパールのカルナリ河での釣りです。
ブログ更新はその後になります。


パキからの支援者

2011-06-04 05:39:53 | 国際協力・現地NGO分野
陸前高田の保健支援チームの活動のベースになっている高田1中コンピュータ室にいるNICCOこころのケアチームに、めずらしい来客があった。
ボランティアでがれき撤去をしてきて、そして避難所や、こころのケアを見たいというのだった。

そこまでは、そう珍しいわけではない。

彼ら2人はパキスタン人でラホールから自費(!)でやって来た・・・ひげ面のおっさんたちだ。

NICCOがパキスタン洪水支援の際に協力した現地NGOの代表、サジド・イクバルさんたち、本業は建築関係らしい。
的確な質問をして、理解の速さがわかる。
避難所では声を潜めて、相手に気遣いをしている。

「そんなにたくさんの人たちが家族を失って・・・一人で生きていくしかないのか・・・」というのが彼らが繰り返した反応。
彼らには家族がそんなに大きな意味を持つのだろうと、個人化した文化とは違う社会背景を改めて感じた。

対策本部に表敬して紹介すると、遠路の支援に対してかえって感謝されてしまい、彼らは目に涙を浮かべている。
外人らしく突然に、写真をいっしょに撮りたいと言いだして、パチリ。
日赤の診療室では、いつも忙しいスタッフたちがうれしそうに取り囲み、書類整理中の医師たちまでが席を立ってきてくれて写真に納まってくれた。

こういう日本側の、外国からのボランティア支援者に感激した気持ちが彼らにはしっかり伝わったと思う。

彼らは現地では高額な、1人当たり1500ドル以上を使ってやって来ているだろう。
でもその金額以上の支援効果をぼくたちに届けてくれたと思う。

ぼくは説明と通訳をしていて、とても心温まる時間をもらった・・・


あすからソロクンブ

2011-01-06 23:24:08 | 国際協力・現地NGO分野
予定通りに飛行機が飛べば、明日から Phaplu へ飛び
Himalayan Health & Envioronmental Services Solukhumbu の活動を見学してきます。

きょうは、カトマンズの事務所を訪ねて、経緯や活動の様子などについて説明をタップリ2時間受けてきました。
Gyanewsworに行き着くまでには、一方通行の道に迷ってしまい、警官にTelを替わってもらって、事務所からのクルマに救出?されるという失態がありましたが・・・

ぼくからすると、Psychosocial Counselor や Gender based Violence Counselor の育成や、
Gender based Violence Screening Camp にとても関心が惹かれたけど、
それらは、Solukhnmbu ではなく、karnali や Jumla などの Mid West Nepal で行われているということでした。

これまでの中心的な活動は、
・Health Camp;Reproductive, GBV Screening, Orthopedic, Eye など、
・Hilary によって1973年に建てられたHospitalに、歯科や眼科、出産前後の滞在施設を増設、産科医師の雇用などの支援、
・遠隔地域で働く看護師 ANM の養成、
・進学しない青年層への職業訓練校の建築
・新設した小学校でのPC配布と教育
などと、幅広い実践、そして継続した活動資金獲得などが印象的でした。

中心人物の Dr. Mingmar Gyelzen Sherpa 氏とは2006年にお会いしたけど、
昨年の「ネパール年の人 5人」のうちに選ばれたそうな。

+++++++++

この視察の後、隣接する古きエベレスト街道を3日ほど歩いてみようと思っています。
KTMへ戻るのは、たぶん、15日頃の予定・・・




地元産淡水魚アスラ養殖に着目するボランティア

2011-01-03 11:30:07 | 国際協力・現地NGO分野
元日は、恒例のロータスのKさんの“おせち”をつまみ、カトマンズの知人に新年の挨拶など。
昨夜来の雨が道を濡らしていて、水はけの悪いところはぬかるんでいた。
計画していたナガルジュン登山は先延ばし。
ちなみにこの国では、元日はさして新年気分はない。

2日は、淡水魚養殖SVのMさんがぼくの釣ったサハールに関心ということを聞いていたので、ゴダワリの住まい兼職場を訪ねた。

マイクロを降りて15分ほどのところのプルチョ-キ山麓に、野生動物ではトラの親子とも遭遇するという、自然豊富な場所があった。
1963年にUSAIDが作ったという広大な施設が、現在は公営機関が運営しているらしい。

この国では高級魚扱いのニジマスや、中国コイなどの外来種ではなく、地元の淡水魚に絞って養殖を進め、ツーリストではなく地元民に役立とうとする彼の発想には大いに賛成。

彼にお正月気分をと考えた、手作りイナリずしと、手に入りにくいと思ったオレンジなどが好評で一安心。

そして知る人の間では「北の国から」と評判になっている、彼の手作りドラム缶風呂で、5週ぶりの入浴にぼくはうっとり!
そのうえ、スタッフ手作りの極上ダルバート(ローティで)、特製ハチ蜜、ゴマのアチャールなどを頂き・・・満腹。
丁寧に作られたニジマスの干物、試作中の塩辛・・・これも、めずらしかった。

まだ数mmしかない稚魚の世話に追われていて、離れることは難しいようだけど、近くに来たときにはまたゆっくり話した人だと思った。
サカナに同じように思い入れがあって、ネパールが始めて彼に、出入りを繰り返してきたぼくの経験-研究書の蓄積や山村の民の生活など-がすこしは役立つようにも感じた。

学びと工夫で危機を乗り越えろ、NGOs!

2010-07-28 15:18:37 | 国際協力・現地NGO分野
接点があるネパールで活動する日本の市民発のNGOs;

順調な2つ。
・学校建設とスタディツアーによる交流が順調に拡大
・遠隔地の病院医療支援に定年退職した医療ボランティアやT大学からも参加者が拡大

フシギな1つ。
・教員給与より高い奨学金を大学在学中に一人ひとりに提供して教員養成をしている

いい話が無い・・・3つ。
・導入した野菜がうまく育たない・・・
・寄付金を得て現地に購入し使用してきた土地建物が使えなくなった・・・
・活動資金の限界が見えてきた・・・

日本でのバザー用品の運び支援を今回もするんだけど・・・

やっぱり日本側での組織作りも大事・・・のよう。

現地精神保健NGO/アシャディープ訪問

2008-12-29 11:57:04 | 国際協力・現地NGO分野
ネパールの精神保健分野の現地NGOである AASHA DEEP を訪問しました。
ぼくは1995年からの永年会員です。
朝、総括的な役割のP氏にTelすると、きょうが都合がいいと聞いたからです。

この国の精神保健分野には7つのNGOがあるという話。
アシャディープの特徴は、デイケア・訪問・家族会などに加えて、40人が生活可能な入所ケアを持っているというところだと思います。
ボダナート・ジョルパティを過ぎて、スンジャリダルへ向かうナヤパティにあります。
街からは少し遠い・・・
そして本部事務所とデイケアは、昨年からマハラジガンジの独立建物に移っていました。

JOCVのOTが入って3代目、今はFさんが元気に働いていました。
彼女は、ぼくのKTM到着翌日に、鍋の材料をどっさり持って顔を出してくれました。
施設内のゲストルームに住み、息を抜きにくい日々なのに、本当に適応はいい!

ただ、入所ケアの工夫というのは時代錯誤でしょうね・・・
せいぜい地域化に向かって尽力してほしいと思いました。
外出を増やすとか、作業所を街中に創り通勤できるようにするとか・・・

それと、6週前に、ここの創立者であるDMS医師が、心臓のバイパス手術を受けたと聞いていたので、静養中の自宅へお見舞いに行ってきました。
スワヤンプーの裏に当たるところです。

彼は上機嫌で喜んでくれました。
また奥様も数年前の自宅へのぼくの訪問を覚えてくれていました。
「こどもたちと一緒の写真もあるし、よく覚えていますよ・・・」と。

彼はぼくに冗談めかして、自分に心理療法をしろというので、タバコ喫煙を話題にしました。
彼は、診察中に旧知の患者さんにはタバコをねだる!医師だということを知っていたからです。自分ではタバコは購入しないことにしているけど、止められない・・・
「酒とタバコは完全に止める!まだ死なないで、したいことがあるから」と彼は言いました。
ぼくは「そういう決意で行きましょう」という支持で、話を終えました。

これから夫婦で映画に行くということなので30分ほどで失礼してきました。
この暖かな夫婦関係は、いわば疾病利得と言っていいんだろう・・・と思いました。
彼は、診療や講義などで、これまで駆け抜けてきた人でしたから。





仕立てパジャマと、Kさんとギャコック鍋

2008-12-27 09:51:52 | 国際協力・現地NGO分野
午後には急に暗くなって、ヒョウが降るカトマンズでした。
こうして本格的な寒さに入っていっているネパールです。

タメルからアサンへ向かう小道の軒先で、しばし雨(雹?)宿り。
その目の前が仕立て屋だったので、その軒先のほうが広いので移動・・・
フト、パジャマを仕立てよう・・・という考えが浮かんで、生地を選び、採寸してもらって注文終了。
500ルピーの手付けを支払い、4日後の受け取り。
今は円高なので、2000円しないことになってしまいます・・・

夕方に、村の教育の充実に、無私で励むKさんと待ち合わせて、
チベットの何でも鍋、ギャコックを食べに行きました。
寒い冬にはうってつけの温か料理です。

ここは腹をすかせたJOCV推薦の、味も量も大満足のレストランです。
旧王宮側からのタメル入り口に当たるジャワカフェの角を曲がった小道にあるDです。

Kさんはきょうは、村の学校増築の起工式だったとかで、そこから舞い戻ってくれたのでした。
長くネパールの教育支援を続けている大阪のドナー団体のKaさんも来ているという話。

今回は、約400万円の工事費用を、日本側が半分、ネパール側が半分。
ネパール側は、その半分を国、残りは学校側が少しづつ貯めてきたお金で準備したのだそうです。

ネパールではふつうは、朝10時から午後1時くらいが登校時間。
でも校舎が子ども数に追いつかないので、真っ暗の6時からの早朝クラスとか、午後クラスとかを置いて、間に合わせているのが現状です。
それに、子どもによっては2時間も山道を歩いてやってくるのです。
それを少しでも解決するための増築工事だというKさんの説明でした。

来年は夏ごろにKさんは、東京にいる彼への個人ドナーに会いに来るそうです。
ぼくの相談室にも時間を作って寄ってもらおうと思います・・・

ネパール情勢とNGO活動の実際について講演

2008-03-31 07:02:12 | 国際協力・現地NGO分野
ネパール極西部ジュムラから歩いて5時間の山村で、
教育・学校保健・電化・農業などの支援を17年間?継続しているNGOの総会で、
「選挙とチベット抗議行動を含む最新のネパール情勢とNGO活動の実際」について話しました。

長く活動しているNGOだけあって、落ち着いた集会で、支援者の一人が所有している貸し画廊が会場でした。

会場での話題は、
・あまり報道されてこなかったネパール南部のタライのマデシの人々の権利要求の行動や、
・中国とインドという大国のネパールへの干渉、
・賃金を支払ってきている、現地の村の活動報告者(地元の開発NGO代表者を兼ねている)と薬を覚えられない学校保健従事者への今後の処遇、
・支援の目標を具体化、数量化する姿勢の必要性、
・退職者が中心となっている活動に若い人々を取り込むことへの期待、
などでした。

後の懇親会では、80代の元気な参加者と話せて感激!
また足元日本での有機農業を軸にした地域づくりの夢などを聞いて、元気をもらいました。

さてさて、29日にはチベットでまたまた数千人規模の抗議行動が起き、
きのう30日には、隣りのカトマンズでも中国大使館前で150名余のチベット難民がネパール警察によって拘束されたと伝えられていますね・・・

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今朝の東京は冷たい雨です。
開花しているサクラが、この天候で長持ちするという予報士の解説を聞いて、事象にはマイナスばかりということはなく、同時にプラス面にも着目しなければ・・・と思い直している次第です。


村の青年は外国語に関心

2008-02-08 03:46:23 | 国際協力・現地NGO分野
ネパール極西部のジュムラの山村から初めてカトマンズへ出てきたP青年19才は、
英語と日本語と中国語を勉強したいと言い、
父もそれを応援しにやってきました。

ぼくと彼との言語的な交流は、
ぼくはネパール語が不十分、彼は英語も日本語も不十分。
ようやく、間に立つ人を得て話し合いが成立しました。

予定の4月選挙が終わったら、トリブバン大に入学して英語を専攻したい、アルバイトはしたくない、というのが彼の意図でした。
今は、漢字を覚えるにはどうしたらよいかが、彼の関心事です。

ぼくは、言語は道具に過ぎないから、村の開発に役立てるように、農業や医学や工業などの実学を勧めましたが、彼の耳には入っていかなかったようです。


ネパールで会う、国際協力関係の日本人は、2種類。

2008-01-28 08:01:29 | 国際協力・現地NGO分野
ネパールで会う、国際協力関係の日本人は、2種類。
毎年1~2回やってきて、数ヶ月間滞在してNGOを運営する人々と、もうひとつは2年内外の任期で駐在している人たちです。

前者の特徴;
日本語で通し、現地パートナーを通訳として雇う。
10数年間という長さで継続してネパールと付き合っている。
服装は日本流でこぎれい。
あまりネパールの有名地を訪問していない。
NGO関係者の横のつながりを持っている。
ネパールについての専門書などを読んでいて、ネパール人の知らないことなども知っている。
この活動は無償である。

後者の特徴;
ネパール語ないし英語で任務を果たしている。
2~3年でネパールを離れる。
風貌は、男はヒゲ、女はクルタ・スロワールなど、日焼けして現地化している。
トレッキングや国内旅行を結構している。
自分の担当分野以外とのつながりは少ない。
ネパールについての知識は現在の様子が中心。
この活動で生活費などを得ている。

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禁煙努力は継続中です、9日目。
こんなに続いたのは初めて!
7日目からニコレットは午前中に3個で十分になりました。
気分転換には、残り少なくなった「禁煙パイポ」も動員・・・やっぱり何かを吸い込みたい衝動は続いています。
そして新たに、ホットレモンも追加中、1日6杯は飲むようになっています。

NGOのプロジェクトサイトの村から3日かけて首都にやって来た青年

2008-01-18 16:17:21 | 国際協力・現地NGO分野
去年は8月に、一昨年も現地の村で会った青年ーたぶん17才ーが、12月から首都にやって来ています。
ララ湖へ一緒したので、個人的な付き合いが生まれていました。

ディリチョール村から4時間歩いてジュムラ、
飛行機でスルケット、バスでブトワル、また乗り継いでカトマンズという、3日間のはるかな道です。

会いに来るとTelがあったので、
彼の目的の語学勉強に資しようと、上質のノートとボールペンを用意して待っていました。
現れません・・・

西ネパールの村とはまったく異なるカトマンズの入り組んだ道路事情が心配になって、
表の道路まで出て、2時間・・・!
でも現れません・・・

結局、翌日の昼に現れました。
ニコニコ・・・笑顔に安心しました。
ぼく「ご飯食べた?」 青年「食べてない」
それで、こちらのダルバートに似ている日本食として、日本カレーのレストランに案内して、魚フライ・カレーをごちそうしました。
しかし、「おいしい」という割りに、ご飯のお代わりもせず、フライも3切れ残していました。
彼の口には合わなかったのだろうなあ・・・

空港近くの知り合いの家に、村の関係者5人で住んでいると言います。
英語と日本語と、中国語を勉強したいと言います。
村では先生に恵まれないし、外国語を使う機会も限られていて、現状は文法も単語も怪しく、まだまだたどたどしくて・・・もし本当にそうするなら、集中した学習をする必要があると、ぼくは思います。

彼も会いたがっていた、村の開発の取り組むネパール人Kさんと会う手はずを進めています・・・が、まだ会えていません。
KさんからTelがあって、彼の父がきのうKさんの村にやって来て、
日本語と英語の学校を探してやってほしいと、頼んで行ったそうです。

3ヶ月間と予定は聞いたけど、彼の首都での語学勉強はどう進めることができるでしょうか・・・適応を可能な範囲で支えたいと思っています。

まずはふたつ、
・この冬のカトマンズでゴムサンダル裸足履きだったことー零下になる彼の村よりは暖かいとは言え、靴を履こう。
・それなのに、度を越して汗臭くて、ぼくの部屋から数時間臭いが抜けなかったことーシャワーを長い間使っていないのは確か。
ここらから村と都市生活との違いを指摘してやりましょう・・・

それと、
首都の水の染まってしまわないように、
・この勉強は、村の人々の生活改善に役立てるためなんだと、
お説教をしています・・・

適応している駐在員

2007-12-28 04:07:38 | 国際協力・現地NGO分野
その最初から付き合いのある、ネパ-ルで10年余、村の女性就労支援やブタ銀行などを継続している日本発のNGOに、新しい駐在員がやって来ました。
引継ぎが終了して独りになって、少しばかり心配だったので、
先日、他のNGO成功プロジェクトの生産物の、今が盛りの「イチゴとイチゴジャム」を持って訪問してきました。

インドなど、南アジア通の彼女は、ネパールのカーストなどを理解し、今は大家さんを通じて「ネワール」族の宗教行事への参加を楽しんでいるようで、安心しました。

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さて、チトワン国立公園へ行くので、次の更新は、30日の予定です。

村の開発リーダーとの4日間

2007-12-01 15:08:38 | 国際協力・現地NGO分野
3泊、村へ行ってきました。
カトマンズから約70Km西へ行った、昨年も訪問させてもらったところで、今回はその奥へ案内してもらいました。  

その地域の出身の彼が、得意の日本語やゲストハウス客を糸口にして、日本のNGOsや個人sなどの支援を引き出しながら、学校建設や改修、教員の補充や図書の寄付、学校保健などの取り組みを10数年間続けているところです。

今回は、彼の家庭の人生相談みたいになってしまいました。
地域では賞賛されていても、個人生活ではけっこう問題含みで、”×一”のぼくは自己開示しながらの話になりました。

マナスルを遠望しながら1日歩いた疲れた足を休め、
夕陽が沈んでいくと気温が急激に下がっていくので、焚き火を始め、
ほのかに穀物臭の残るヒエのロキシーを飲みながらの、
落ち着いた時を共有しました。





18年間継続するNGO

2007-11-24 01:49:47 | 国際協力・現地NGO分野
ネパールで1989年から活動を継続しているNGOの中心でガンバルKさんと、帰国前日の忙しいなか、話す機会がありました。

現場は見せてもらっていたし、
スタディツアーの熱心さを感じていたし、
労組活動から生まれた協力と聞いていたし、
親近感を感じながら、質問もさせてもらいました。

6つの学校建設や、奨学金支援などが主な活動です。
18年経つ今では、すでに大人になっている支援を受けた人々もたくさんいます。
支援者には、写真の多い通信を送るほか、「子どもからの手紙」「成績」「写真」「ビデオレター」を届けるという工夫があります。
ネパール側の人材を日本へ招くときの宿泊先になってもらうこともそうかな・・・
現地でも「ネパール人の支援者開拓と獲得」「高等教育への経済支援は貸付制」などユニークな工夫が生きています。

・組織運営は無償ボランティアだけ。
・会費は組織維持分のみで、現地活動費は寄付に負っている。
・定年退職者の参加が増えて、500余名の会員。
などを新たに知りました。

国際協力場面で、素人性を捨てず、多くの人々が参加しやすい工夫を継続していたんだと、ぼくは了解しました。
すばらしい!
そして、Kさんからは「ネパールに有効な協力は何だと思うか」と尋ねられました。
確かにネパールでは、教育を受けても、就職の機会は限られているのです・・・

ぼくは「学校だけでなく、会社も作るのはどうでしょう」と言いました。
社会に経済成長がないと、教育は豊かさを求める人々に結果?を提供できないというのが、途上国の現実だと感じているからです。
あるいは、そうした社会における教育は、欧米を真似て、知識の獲得や人格の成長?を的にすることだけでなく、起業や経営初歩も含むべきなのかも知れないと考えています。


前学校長は運輸会社経営に代わっていた

2007-09-08 01:25:12 | 国際協力・現地NGO分野
戻りました。
1年ぶりのデリチョール村は知人もできていて、居心地がよかったです。

しかし遠い・・・
カトマンズからはネパールガンジ、空路でジュムラ、そして歩きが4時間半。
今回はバスを使ってみたので、行きには途中2泊して、3日目午後に着いた。

校長が見当たらないと思っていたら、cheaf of teacher と挨拶に来た人がそうだった。
50日前の交代という・・・
前校長が、トラックを買ったという話は伝わっていたけど・・・

おどろき!
今年、車の通れる道路が初めてジュムラまで開通して
ー 人はまだ乗せなくて荷物のみ運搬との話 ー、
経済的な変化が進むとは思っていたけど・・・

外的条件の変化が、協力プロジェクトの地元中心メンバーに影響を与えていた!