ヤナセ新本社ビル。
本社での販売主力はメルセデスベンツ、アウディで、
キャデラック、シボレー東京は道を挟んで離れた所にあります。
かつての「いいものだけを世界から」・・今、ホームページみましたら「メルセデスベンツを始め、いいものだけを世界から」になってましたから。
まぁ、利益貢献度を考えると、(本社でないのは)仕方ないですね(笑)
XTSと自分のCTS並べてみました。工事のおっちゃんが・・(笑)
これなら頑張れば買えるな(笑)
「梁瀬商會」はGMのビュイック、キャデラックの輸入から始まったということもあり、梁瀬次郎氏がご存命の頃は、「キャデラックは、何があっても本社の1階」みたいな掾Hがあったそうですが、今は、商社傘下なので、「そういうの」関係ないようです。
「そういうの」って意外に大事なんですけどね。そういうの、ってわかったようなわからないような・・ですが(笑)
うちの会社は、暖簾はかたくなに守ってますよ。捨てるもの守るもの取捨選択の中でも・・。
本社での販売主力はメルセデスベンツ、アウディで、
キャデラック、シボレー東京は道を挟んで離れた所にあります。
かつての「いいものだけを世界から」・・今、ホームページみましたら「メルセデスベンツを始め、いいものだけを世界から」になってましたから。
まぁ、利益貢献度を考えると、(本社でないのは)仕方ないですね(笑)
XTSと自分のCTS並べてみました。工事のおっちゃんが・・(笑)
これなら頑張れば買えるな(笑)
「梁瀬商會」はGMのビュイック、キャデラックの輸入から始まったということもあり、梁瀬次郎氏がご存命の頃は、「キャデラックは、何があっても本社の1階」みたいな掾Hがあったそうですが、今は、商社傘下なので、「そういうの」関係ないようです。
「そういうの」って意外に大事なんですけどね。そういうの、ってわかったようなわからないような・・ですが(笑)
うちの会社は、暖簾はかたくなに守ってますよ。捨てるもの守るもの取捨選択の中でも・・。
あのころのGMは迷走してましたね。国
内市場飽和、日本車にシェアを食い荒らされ、グローバルカー戦略を強く打ち出す必要に迫られ・・結果いすゞの乗用車部門が犠牲になったような気がします。
いすゞピアッツァは1981年シリーズ発売から程なくしてヤナセで「ピアッツァネロ」の姉妹車バリエーションが販売され、1990年、ジェミニがFFになって二代目になったのを機にそのクーペ版がヤナセで「PAネロ」と名を変えてピアッツァネロの後継として販売されたものです。
小生個人としてはジウジアーロデザインの初代ピアッツァの孤高の美学はさておき、その二代目として開発されたピアッツァ/ジェミニクーペ/PAネロの三姉妹はどう贔屓目に見ても「米国のセクレタリーカー」を当て込んだ安直で知性に欠けるクーペで好きになれませんでしたが、今見るとそんな「軽っぽさ」が一つの文化に感じられる点がクルマというものの面白さであり深さでしょうか。
ヤナセマーク付きのPAネロでしたっけ?記憶の底から蘇りました(笑)
そういえば国産ではいすゞ、スバル乗り継ぎました・・。
黄色に青字のヤナセマーク。なんだかんだ言っても、都内ではこのマークつけた輸入車あちこちで見かけますね。
それだからこそかつて1980年代に国産車として「いすゞピアッツァ・ネロ」を扱ったのだろうか?
そんなヤナセが日本自動車輸入協会を脱会して久しいですが依然「黄色に青字の」YANASEステッカーには千金の重みがあると思います。そう言えばヤナセってクライスラーも扱ってますね、店舗によっては(笑)。