新旧の鉄道&風景の撮影紀行

鉄道のある風景、京都をはじめ自然のある風景をカメラに納めてます!

東北と北海道の旅(2) 青函連絡船

2011年09月15日 | 青函連絡船

奥羽本線の陣場ー津軽湯の沢ー碇ヶ関で雪の勾配に挑むC61、D51を堪能した後、各駅停車で弘前まで行き途中下車後再び青森行き普通列車に乗り換える!

                                夜の弘前駅に到着したC6124号機   ホームは静寂が漂う!

 

青森行き普通列車の牽引機はC612号機であり現在は梅小路蒸気機関車館で余生を送っている。弘前あたりから真っ暗な中を一路青森を目指します。

車内はスチーム暖房がよく効いて心地よく 時折汽笛が吹鳴されて旅情を掻き立ててくれます。

やがて終着駅の青森の車内放送があり乗り換え等のアナウンスがあり特に青函連絡船の乗り換え案内を注意深く聞きました。

やがて青森駅にホームに滑り込むとすぐにホームの先端まで行きにC61は照明に照らされて美しい。やがてC61が切り離されて9600が入れ替えのために

連結されていました。

              終着駅青森駅に到着した普通列車牽引したC612号機

                          客車を入れ替え中の19613機

* 青函連絡船の旅

駅の改札付近で青函連絡船に乗るために「乗船名簿」に氏名、住所などを記載します。これは万一の海難事故を考えてのセレモニーでしよう。

(普通列車の場合は普通の乗船名簿であるが、特急乗車の場合は車内で三本線の入った乗船名簿をもらう)

かっての洞爺丸の沈没海難事件を思い起さざるをえません。

改札から連絡船に接続する長い廊下を歩いて乗船乗り場へと向かいます。

青森駅で連絡船に向かう案内(S63年撮影分)

今日の青函連絡船は深夜便であり5,375トンの大雪丸が就航しており明日の早朝に函館に到着する。

           青森港に接岸して出港を待つ大雪丸(5,375トン)

 

連絡船の上部が乗客、下部は貨車を収納しており入替作業は9600形式のSLが貨車を連絡船に出し入れを忙しげに行っていました。

やがて出港時間になると乗船案内によりタラップを渡って乗船しますが、海の塩の香りと吹き付ける風が心地良い!

連絡船に入るとロビー、売店、食堂がありますが深夜のため食堂は閉まっていたので売店で弁当を購入して室内に入って遅い夕食を食べました。

(食堂が開店していれば「海峡ラーメン」を注文する。これはラーメンの中にイカやホタテ、カニの身などが入って美味しかった)

連絡船の座席は椅子席と座敷席があるが、私はもっぱら椅子席を利用して横の席に乗客がいない場合には座席で横になり仮眠する!

やがてドラの鐘の音とともに、「蛍の光」が流れて青森港の灯台を出て津軽海峡に入り一路函館を目指す。連絡船は5000トン以上あり

大型客船であるが、大海に出ると少し揺れるような感じがするが安心して休みにつく。

                    

   連絡船のロビー(応接セットがある)     連絡船の売店  (いずれもS63年に撮影)

 

早朝、津軽海峡を無事渡り終えると、船内には小鳥の鳴き声と音楽が流れて乗客は起きだして身支度を整える。

やがて、港内で待機していたタグボートが連絡船の横に近づき船体を横方向に押して函館港の桟橋に接岸する。

接岸の際は、連絡船からロープが桟橋に投げられて、桟橋のブイに引っ掛けた後は連絡船船首横の操作盤でモーターでロープを引っ張って微調整する。

その際には、後10メータ、5メーター、3メーターと業務アナウンスをしながら無事接岸を終えるわけです。

函館港に着いたとのアナウンスともに、多くの乗客はデッキを渡って函館駅のホームに向かうわけで、内地から北海道へ渡道したと言う実感が湧くわ。

                       

  連絡船に接近するタグボート               船首横の操作盤でロープを巻き取って接岸の微調整をする (いずれもS63年に撮影)     

 

なお、青函連絡船は昭和63年3月に青函トンネルの開通とともに惜しまれながら廃止になり快速「海峡」などの列車にバトンタッチされました。

しかし連絡船の廃止前には、全国から多くの乗船客が当地を訪れて最後の乗船を惜み各船とも満員の盛況で終えました!

私はいつもは連絡船の深夜便を利用していましたが、この時は昼間の連絡船に乗船して船旅を楽しんだり港や高台から航行する連絡船の最後の勇姿をカメラに納めました。

また青函トンネル開通後も8月から9月にかけての間、2往復の連絡船が復活して運行されたので息子と同行して旅行を行いました(夜間は、連絡船内を宿泊所として利用できました)

上りの連絡船に乗船した時はいつものコースを逸れて「仏が浦」の奇岩を観光できるようにサービスをしてくださったこともありました!

また、名物船長の北山船長にサインをお願いして長年の労苦を滲ませたサインをいただきました。

現在は、青森と函館にメモリアルシップでかっての勇姿を見学することが出来ます!

                     青森港に入港する十和田丸(S63年2月撮影)   

         十和田丸の船上デッキから津軽海峡を望む(昭和63年2月撮影) 

 

以下次に続く!


昔の東北、北海道の旅(1)

2011年09月15日 | 奥羽本線

今から数十年前、昭和45年3月/

京都は弥生3月の季節であり北野天満宮では梅のたよりのある頃に、まだ雪深いある東北、北海道と雪国へ鉄道の旅に出かける。

京都駅を19時30分発車の日本海号に乗車する。当時、京都口はEF58牽引でナハネ20寝台車、食堂車を連結しており動くホテルと言われていた。

当時の夜行列車と言えばボックス式の座席で座れば良いが、混雑時は立ったまま終点までと言う時代であったのでベッドで横になるのは有り難いご時世であった。

20系ブルートレインは3段ベッドのためベッドの高さが低く着替え場合には頭がつかえるので屈んで行い身体を横にして眠りにつくが旅行に行くと言う興奮から

中々眠りつけない。(当日は2号車8番上段) やがて寝付いて気がつくと灰色の日本海を北へと進んでいた。

列車は、途中の米原駅で機関車交換の後に北陸、羽越、奥羽経由して青森を目指しいる。

朝になって車掌さんがベッドの解体作業に来て,乗客は一時通路に避難して手慣れた解体作業を見守る。

中段、上段のベッドをかたずけて下段のベッドが長椅子代わりになって1ボックス6人が座ると行った風景である。

やがて、下車駅「大館」の車内放送があったので身支度をする。

大館駅について下車すると、駅のアナウンスが「大館、大館、花輪線乗り換え!」と少しズーズー弁のアナウンスに東北に来たのだと言う実感が湧く。

            

DD51牽引機    日本海牽引機    陣場駅の雪景色

            大館駅で見送る20系 日本海号 

 

大館で普通列車に乗りかえると機関車はC6128号機が客車が数量を牽引する。

         大館駅に到着のC6128号機 普通列車

大館から陣場駅まで乗って下車する。ここは秋田県と青森県の県境で陣場ー津軽湯の沢ー碇ヶ関急勾配が続くので,その区間は貨物列車は後補機

を着けて峠越えに挑む!

D51は平坦線では1000トンの貨車を引くが,急勾配(25/1000の場合)の場合は牽引力が1/3に減少する。

奥羽本線のように幹線の場合は、1000トンの貨車を引くためにD51+貨車+D51×2(後補機)で急勾配の運送量を確保していた。

客車はC61が牽引しており、後補機としてD51が使用されている。

(昭和45年10月に、勾配改良のため新線にルートを変えて10/1000勾配になって現在に至る)

雪の国道を歩いて線路端に行きSLの勇姿を撮影するが当時は、現在のように鉄道の情報はなく、いきあたりばったりで撮影するので効率が悪かったが

そのような条件下で迫力のある写真が撮れた時の喜びは計り知れない。

特にサミットとして矢立トンネルの前後で勾配に挑む黒い塊D51、C61が吹き出す大量の噴煙が鉄道の醍醐味であり魅せられた私です!

      矢立ごえに挑むD511+D51+貨物+D51

      C61牽引の上り普通列車

 

以下次に続く!


山陰本線の183系

2011年09月15日 | 山陰本線

今日も京都の最高気温は32℃の予想で快晴の天気予報です。

このところ、毎日、綺麗な夕日が空に輝いており、その後にお月様が満月の月明かりを照らしています。

今朝の写真は、夕方の太陽が差し込む山陰本線(胡麻)の183系国鉄色です。

白い入道雲が青空に映えて美しいです!

横の田んぼではコンバインによる稲刈りが行われていました。写真右の田んぼも、まもなく稲刈りを終えてるでしょう!

 

その