まず解説
◯「縁なき衆生は度し難し」(えんなきしゅじょうはどしがたし)
仏縁のない者は、すべてに慈悲を垂れる仏でも救えない。転じて、人の忠告を聞こうともしない者は救いようがない。
これは私にはキリスト教予定説と類似の格言に見えている。違いがあるとすれば予定説のほうが人情面から考えて残酷、つまり無情ということだ。
私が動画の方で「政治と宗教の話はしない」と言っているのは、この考え方が根底にある。政治の話が場の雰囲気をしらけさせるというのは極めて情けないとは思うが、宗教に関しては所詮住む世界が違うのだから放っておくしかない。
だから特定の宗教団体に入信したのち、布教に躍起になっている人達の思考が私には珍妙に見えてしまう。普通に紹介するだけで良いだろう。
そこまで必死なのは、正真正銘、自分のため、教団内の地位とか仲間内の称賛、お金のためと思ってしまうのだ。
だが、布教どころか、入信せぬ輩は場外に叩き出し関係をぶった切る必要があるケースが存在する。その宗教とは「人権」である。
ただし、この宗教はキリスト教及びその関連闘争・信仰心の研磨によって築かれたものなので、その変種である。しかしながら、悪魔的要素も含有するようになった近代民主主義・資本主義社会において、今一度、この「人権」教について深い考察が必要となってきているのではないか。
ここまで書くと、また、ぶらいやWATTYは日本テレビに言及するのではないか、と思ったそこの君ィ!!
そのとおりだ。ご明察の通り 。
今や、格好の「人権無視」モデルとなった土人組織、日本テレビを説明に用いない手は無いのだから。。。
(6/18追記)
ジャニーズ問題報道が続いた際、何度も検証番組という、これまた"インチキ"番組で「真摯に向き合う」「重く受け止める」という心がこもっていない"空念仏"を聞いた。何故、すぐに空念仏だと気がついたか。三つ理由がある。
・一般人のほうが熟知していたこと。
・実際の調査・検証とやらが核心に迫らず、周辺をウロウロするがごとく、どうでも良い一般市民への質問とか番組制作の問題のアンケートなどに比率を多く割いていたから(核心になかなか迫らないのは、セクシー田中さん事件の日本テレビ報告書も同様である)
・そして、元々日本の歴史上、欧米先進国と比肩・調和できる人権思想を、一番ヤクザ気質に染まった芸能村と汚染されたマス・メディア連中が備えているはずが無かろうと確信していたこと
以上三点の理由である。
(続く)