虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

市電百年

2013-10-19 09:21:21 | 乗り物
いきなり質問です。

北海道初の路面電車は札幌?それとも函館?
どちらでしょうか?

回答です。

札幌の馬車鉄道が電化したのが1918年。
函館の馬車鉄道が電化したのが1913年。
ということで、函館の方が5年早かったのです。

函館市電は今年2013年に電化100年、そして札幌市電は5年後の2018年に電化100年を迎えます。

函館市電の歴史を紐解くと、1894年に設立された亀函馬車鉄道株式会社によって1897年12月12日に開業した亀函馬車鉄道が前身になります。
馬車鉄道は、最初、弁天町(函館どっく前)~東川町(東雲町)間が最初に開業し、その後、十字街~鶴岡町(函館駅前)~東川町(東雲町)間、鶴岡町(函館駅前)~海岸町間、海岸町~亀田間、東川町(東雲町)~湯川間が翌年に続々延伸開業されました。
1903年に海岸町~亀田間が廃止し、その後1913年の電化に至った。

1913年に電化したのは、6月29日にまず東雲町(労働会館前)~湯川間で、同年10月31日に弁天町(函館どっく前)~十字街~東雲町(労働会館前)間が電化されました。
1914年になると、宝来町~谷地頭間が電化開業し、同年10月31日に全線で電化されることになりました。
1925年には海岸町~亀田(ガス会社前)間が復活開業。

1950年~1951年にかけて宮前線が新設され、1954年に本線が亀田から五稜郭駅前まで開通。
そして、湯の川線の湯の川温泉~湯川間は1945年~1959年まで廃止されるなど、戦後も路線に変更がなされた。
1978年には本線のガス会社前~五稜郭駅前間、1992年に東雲線の宝来町~松風町間、1993年に本線の函館駅前~ガス会社前間、宮前線のガス会社前~五稜郭公園前間が廃止され、現在に至っている。

かつては、亀田・五稜郭駅前方面へ続く本線や、五稜郭公園前とそれをつなぐ宮前線。松風町から宝来町に続く東雲線もあったことが昔の資料(地図)などを見ているとわかる。

現在、本線となるのは、函館どっく前~函館駅前を指し、松風町~湯の川間が湯の川線、十字街~谷地頭間は宝来・谷地頭線、そして、函館駅前~松風町までのわずか500mが最も短い大森線と呼んでいます。
分岐は十字街のみで、2系統と5系統の10.9kmが運行されている。
現在、分岐営業路線があるのは、道内では函館市電のみ。

100年を迎えた函館市電では、車両や停留所に「百」の文字(画像)が掲げられるなど、函館市電百年を盛り上げようと頑張っています。

函館は歴史巡りするには、とても楽しい街です。
私の場合、約100回ほど函館には出向いていますが、ここ15年は仕事ばかりです。
ですから、時間ができたら、昔の地図など資料を片手に、市電と徒歩で市内を巡ってみたいと思っています!

道内限定

2013-10-18 09:09:48 | ビジネス
昔から道内限定商品というものがある。

それだけ特殊な環境といえるのだろう。
暮らしているとそんなに感じないが、他都府県から見れば充分に特殊なんだろう。

その特殊な環境である北海道だけで売られる商品が、この冬も出てきた。

それは「スタッドレスタイヤ」

昨年、最大手のブリヂストンが、北海道限定のスタッドレスタイヤ「SI-12」を発売し、まずまずの販売だったという。
そのタイヤを履いたクルマを結構見かけました。

その結果を受けて、横浜ゴムと東洋ゴム工業も、同様な狙いのタイヤを道内限定で発売することになった。

横浜ゴムは「アイスガードiG01」(写真)というタイヤを今月25日に発売。
凍結路面でタイヤを滑らせる水膜を吸い取るゴム内の気泡を従来品の1.5倍に増やし、ツルツル路面に対応させるという。

対する、東洋ゴム工業は「ガリットG0」を来月14日に発売。
凍結路面をひっかくため、ゴムに練り込んでいるクルミの殻を従来品より15%増やし、世界一滑るといわれる北海道の凍結路面に対応させる。

どちらの商品も、昨年のブリヂストン「SI-12」と同様、ミラーバーン対応(特化)のため、ゴムが柔らかく磨耗はしやすいが、その分氷上での制動距離が20%以上もよくなっているという。

また横浜ゴム、東洋ゴム工業のどちらも「195/65R15」という最量販サイズ(※)に限定し、ともに系列店での販売とのこと。
※プリウスはこのサイズです。

PS、これだけ氷上性能がよくなれば、その他のタイヤを履いている後続車に追突される恐れもありそうですね。

嘆かわしい

2013-10-16 09:07:20 | 社会
私事ではありますが、今月から札幌市内のある学校で、週1コマだけある授業を担当させてもらうことになりました。

この授業は、ある専門系のコースを専攻している学生が対象です。
やがて、資格やスキルを身につけて、社会へ出て行く若者です。

最初の授業の日に、受講している学生たちに「どうして、このコースに進んだの?」「どんなことを身につけて、どんな社会人になりたいのか?」と問うたところ、反応が極めて鈍かったのです。
加えて「なんとなく、この学校に来ました」という学生も数人いる状況。

年に数回、社会人向けビジネスセミナーも担当させてもらうのですが、そこで社会人受講者に同じ質問をしても、似たり寄ったりの反応しか得られないので、特段驚きはしませんでしたが、まもなく社会へ羽ばたく(だろう)多くの学生=若者たちには、夢や希望というものがほとんどなく、なんとなく日々を過ごしていることに改めて危機感を感じた次第です。

彼ら若者が、将来に夢や希望を持てなくなったのは、我々大人の責任でもある。

今から20年ほど前の話だが、我々が彼らの世代の頃はもっと自身や社会の将来に夢を馳せていたものだ。

1991年のバブル崩壊以降、日本社会を取り巻く環境は大きく変わった。
間違いなく悪い方に変わったといえる。
そして、考え方もどんどん保守的になり、無難な線で纏めようとする風潮が強くなった。
なのに、バブルの幻想から抜けきれないジレンマ。

当時、私は一介のサラリーマンだったが、とてもじれったく、やりきれない思いが充満していた。
そして、自分でその流れを変えるしかないと、訳なく意気込んだものだ。

後ろ向きになっていく社会の流れの影響をモロに受けているのが、現代の若者だろう。
恐らく、現在の30代半ばまでは、その影響を受けた世代じゃないのか。
正直、とても気の毒に思うのである。

若いうちはどんどんチャレンジして、壁にぶち当たるのを、繰り返していくうちに突破する方法を覚えるものだと思う。
しかし、現代は何かにつけ「チャレンジ」と口では言うものの、失敗は許されない空気が周囲を包み込む。
これでは真のチャレンジはできないし、若者らしい自由な発想や、のびのびした感性を育てることはできない。

週1回の授業で、どれだけ彼らに影響を与えることができるかわからないが、後年「あのオッサンが言ってたことは的を射てたよなぁ」とか「あのオッサンが言ってたような考え方ができるかなぁ」って引き出し(今で言えばフォルダ)が増やせるように取り組んでいきたいと思っています。

少なくても悪影響を及ぼさない(洗脳しない?)ように気をつけなければ…。

少しだけ観光気分

2013-10-15 09:11:45 | 旅行
11日は午後3時頃まで、函館市内で打ち合わせ等に奔走。

天気が良ければ、夕方に市場調査を兼ねながら、市内をフラフラ歩こうかと思っていましたが、生憎の雨模様で足下も悪いので、あらかじめ予約していた湯の川の温泉宿に早めのチェックイン。

昨晩は3時間半くらいしか寝ていないので、部屋に着くなり2時間ほど爆睡。
気付いたら食事の時間に。

夜7時頃、夕飯を食べる。
そのあと、温泉にゆっくり浸かって、疲れを癒します。

部屋に戻ってくると、また睡魔が…
夜9時半には、寝てしまいました。

起床は6時。
起きるなり、また温泉に。
温泉宿に泊まるメリットは、起きがけに温泉に浸かれること。
加えて、ビジネスホテルのような値段(入湯税込み4950円)で、食事2食+温泉付きなんだから。
でもこんな安価で大丈夫なのだろうか?

汗も引いたところで、朝食バイキング。
しっかり食べましたよ!
昨晩の食事よりも、豪華な感じが…。
最近は朝食に力を入れるところが増えましたね。

10時半から、五稜郭公園の近くで打ち合わせがあったので、早めにチェックアウトして、久々に五稜郭公園を散策。
近年、ランニング(マラソン)している人が増えていますが、函館でも「五稜郭RUN(ラン)」なる言葉があり、多くの市民ランナーが汗を流しているようです。

しかし、この日(土曜AM)は、あまりランナーの姿は見当たらず。
走っているのは、近隣の高校生(運動部の連中)と、散歩(ウォーキング)している人たち。
函館ハーフマラソンも終わったばかりなので、そのせいもあるのでしょうか?
以前、函館に来たとき(6月)には、平日の昼間でしたが、それなりにランナーの人たちが走ってましたんで、幾分拍子抜けしました。

まぁ走るにしても、歩くにしても、五稜郭のお堀の周囲は1.8㎞ほどあるので、ちょうど良い距離でしょうね。
桜の時期(GW前)は、さぞ最高かと思われます。

五稜郭タワーへ行くと、観光客が沢山いました。
修学旅行生らしき学生服の集団、そして発する言葉からアジア圏の観光客と思しき人の群れ、はたまた観光タクシーで回っているリッチな方など多種多様です。
函館の場合、観光に依存する比率が高い街ですから、多くのお客さんが来られるのはいいことです。

それでも年々、観光客は減っているとか。
魅力の発信に問題がありそうな気がしています。

そんなときにJR北海道の問題ですから…。
何ともマヌケな話です。

打ち合わせの時間も迫ってきたので、五稜郭タワーを後にし、打ち合わせ場所へ向かいます。

写真:五稜郭公園内にある函館奉行所

ツチクジラの竜田揚げ定食

2013-10-14 10:05:06 | グルメ
仕事三昧ゆえ、特段ネタがないと言った10日夜から12日までの出張。

そうは言っては見たものの、少しくらいはネタもあるので、ちょっとだけ(?)ご紹介します。

10日夜10時過ぎまで、札幌市内でスポーツ関連の集まりがあり、それが終わってから函館へ出発。
出発したのは、夜10時半。
※さっぽろテレビ塔の電光時計で確認しました。

R230・中山峠経由で函館へ向かいます。
距離にして、約250㎞。

途中、夜のドライブなので、周囲の景色が見えるでもなく、かといってシカやクマなど野生動物が道路に飛び出してくることもなく、粛々と南下します。

函館に到着したのは、深夜2時半。
ノンストップで、ちょうど4時間かかりました。

函館駅でトイレに寄りましたが、駅の中で乗る列車を待っている人が約10名。
お盆に乗った「急行はまなす」(青森行き)に乗るのでしょうね。

トイレを済ませて、朝まで車内で仮眠することに。
10月中旬の深夜~早朝にしては暖かった(おそらく13~14度)ので、車内でも寝やすかったですね。

朝6時半過ぎに起床。
約3時間半、それなりに眠ることができました。
それでも何となく眠い感じ…。

起きたら、外は雨が降っています。
天気予報通りですね。
時間が経つにつれて、降りが強くなります。

そんなこんなで7時。
朝食を食べに、あるところへ向かいます。

向かうは、函館市水産物地方卸売市場の中にある「魚いち亭」という名の食堂です。
そして、食するのは「ツチクジラの竜田揚げ定食」

この数日前に「函館で水揚げされるツチクジラの竜田揚げ、キャベツの千切り、ごはん、味噌汁、ポテトサラダ、漬物のセットを、今月12日まで500円で提供!」という新聞記事を見て、出張のタイミングとも合っているので、行くことにしました。

正直なところ、洗練されている感じはありませんし、いかにも食堂の定食といった雰囲気なのですが、昔食べたクジラ(肉)の味わいが何とも懐かしく、ちょっと癖になりそうでした。

500円の「ツチクジラの竜田揚げ定食」で、お腹も満たしたということで、11日の函館での仕事に勤しみます。

まずは、朝9時半の打ち合わせから。
新規の訪問なので、気持ちを引き締め臨みます。

45度の傾斜を上がるワゴン車

2013-10-13 10:15:46 | 乗り物
ここ3日間、出張に出ていたので、更新できずにいました。
今回は仕事三昧の出張だったので、特段ネタがあるわけではありません。

ということで、ラリー北海道2013の会場で見た「あること」についてお話します。

まずは、写真をご覧ください。

45度の傾斜のところを上がるワゴン車(1ボックス車)
今にも、真っ逆さまに転がり落ちそうです。

この1ボックス車は、三菱デリカD5(4WD、クリーンディーゼル車)というクルマです。
このデリカD5などに搭載される三菱の最新4WDの性能を体感してもらおうという趣旨のイベントが、ラリー北海道のサービスパークがあった北愛国交流広場で開催されていました。

あくまでも、同乗体験ではありますが、運転するのはパリダカで総合優勝の経験がある増岡浩さんです。
私は時間があまりなく、同乗できませんでした(待ち時間が30~60分程度)が、周囲から見ていても充分に楽しめましたし、最新の三菱4WDの性能の確かさを感じることができました。

このほかにも、4輪が均一に接地しない状況での駆動力を確認するものもあり、冬道での安定性や安定した駆動力や登坂力を想起させるに充分なイベントだったと思います。

昔から三菱自動車は四駆(4WD)の性能には秀でたものがありました。
その象徴として、パリダカのパジェロや世界ラリーでのランエボがあり、多くの自動車好きに評価されています。

しかし、ここ10年ほどのリコール隠しなどで、三菱自動車の信頼やブランドイメージが地に墜ちました。
せっかく良い製品を作っていても、会社としての取組みがよくなければ、宝の持ち腐れになります。
何とも勿体無い状況です。

ただ消費者の立場から言うと、もう少し安価なクルマ(コンパクトカーや軽自動車など)にも、その技術の一端を感じさせる商品があってもいいように思います。

今回のデリカD5にしても、パジェロにしても、クリーンディーゼル車ですと価格が400万円前後になります。
良いものだけに、価格が高くなってしまうのは理解できますが、現在の経済状況とは幾分かけ離れているように感じます。
ここらの感覚を含めて、まだまだ三菱自動車には頑張る点が多いと感じました。

熾烈な戦い

2013-10-10 09:11:40 | スポーツ
全日本ラリー選手権には、クラスが4つあり、どのクラスも毎戦激しい戦いが行われています。

特に、最上級クラスのJN4クラスは、過去8度の全日本タイトルを獲得してきた奴田原(ぬたはら)文雄選手と、直近3年間のチャンピオンで全日本4連覇を狙う勝田範彦選手の争いが、ここ5年ほど絶え間なく繰り広げられています。

この2人(台)の熾烈な戦いは、三菱・ランサーエボリューションvsスバル・インプレッサの戦いでもありますし、ヨコハマ(アドバン)タイヤvsダンロップ(ディレッツァ)タイヤの戦いでもあります。
何から何まで熾烈な戦いなのです。

今回のラリー北海道では、その2名にクスコレーシングの柳沢選手(スバル・インプレッサ)を入れた3名(台)による熱い戦いが序盤から火花が散ります。

初日午前中は、奴田原選手がリード。
柳沢選手、勝田選手が追う展開で推移します。
初日の午後になり、全日本4連覇を目指す勝田選手がトップに浮上。
奴田原選手がトップから5秒差、柳沢選手がトップから8.8秒差で追う展開で2日目を迎えます。

2日目は、朝から奴田原選手がトップタイムを連続。
いつもに増した気迫の走りが印象的でした。
この熱い走りで首位に浮上。勝田選手を引き離します。
3位の柳沢選手は徐々に後退していきます。どこかにトラブルがあったようですね。

実質、奴田原vs勝田の一騎打ちの様相へ。
2日目の午後も、奴田原選手が午前中に引き続き、気迫あふれる走りで、全日本タイトル奪回へ向けて爆走します。

奴田原選手とは、数年前から親しくさせてもらっていますが、なかなかあそこまでの走りは見られません。
それくらい気合の入った素晴らしい走りでした。
余談ながら、本人にそのことを伝えると「いつもと同じ」って連れないコメントが。

最終ステージ直前で、2人の差は11.8秒。
最大15.2秒差まで広がりましたが、間隔を保ち、クルマを労わり、クルージングモードです。
こうなれば、よほどのことがない限り、奴田原選手が今季4勝目は間違いなく、全日本タイトル奪回が目前に来る状況になります。

そして、夕闇迫る最終のSS17(サツナイリバー4)を迎えます。
このサツナイリバー4は、札内川の縁にある直線状のグラベル(未舗装)コース、距離は2.54㎞。
時間にして、80秒前後で駆け抜けるショートコースです。

そこで、よもやのトラブルが…。
トップ快走中の奴田原選手のタイヤが、ステージ序盤でパンク。
タイヤがホイールから脱落しそうになりながら、懸命にゴールを目指して、私の目の前を走っていきました。

0.1秒でも前でゴールすれば、今季4勝目です。

このSS17の結果は、勝田選手が奴田原選手より12.8秒早く駆け抜け、歴史的な大逆転となりました。

奴田原選手のHP(ブログ)には、下記のコメントが記されていました。
 リヤの異変(パンク)に気付いたのは、最終SSのスタート直前。
 タイヤ交換の時間もなく、そのまま走るしかありません。
 通常であれば、最小限のロスタイムでゴールできるはずでしたが、無情にもステージ途中でホイールリムからタイヤが脱落し、結果わずかに1秒届かず。
 (移動区間を入れて)1000km走って、最後の1秒でした。これもラリーです。
 長年ラリーを戦ってきて、1秒に笑ったこともあれば泣くこともたくさんありました。
 今回は最後まで勝負をあきらめない走りを続けた勝田君を祝福したいです。

勝負とは、何とも残酷で無常なものです。
たった1秒が命運を分けるのです。

でも長年、ラリーを見てきた者としては、素晴らしい戦いを目前で見ることができ、選手たちの闘争心や関係者の皆さんの献身的なサポートを含め、心から感謝したい気持ちでいっぱいになりました。

近年は、激しい戦いが連続する全日本ラリー。
これからも熱く激しい戦いが見られそうです。

写真:サツナイリバーの様子(まだ明るい時間に撮影しました。それでもヘッドライトを煌々と灯しています。)
※全日本クラスの時間は、もっと遅くて周囲は暗くなっていたので、携帯カメラでは撮影できませんでした。

ラリーも佳境に

2013-10-09 09:47:40 | スポーツ
今回のラリー北海道は、アジアパシフィックラリー選手権(APRC)と全日本ラリー選手権(JRC)の共催であり、現在国内で開催される唯一の国際格式のラリーでもある。

通常の国内(全日本)戦より距離が長く、ドライバーなどチームクルーにとっても、車両にとっても過酷な戦いが強いられる。
また時期的に選手権も佳境に入り、上位ランカーは選手権ポイントを睨みながらの戦いになってくるのも特徴。

例年、ラリー北海道では、1日くらいは雨にあたるのだが、今年は珍しく安定した天候の下で開催されました。

数年前には、集中豪雨でコースが水浸しになり、ステージ(競技区間)がキャンセルになったこともあったほどだから、選手たちはもちろん、我々観客もとても快適にラリーを楽しめました。

また季節が10月後半に設定されると、降雪や霜によるアクシデントも予想されます。
そして、十勝のコースは全体的に高速で、トップスピードは180㎞/hに迫り、競技区間の平均速度も約90㎞と、日本国内で開催されるラリーにしては、かなりのハイスピード設定になっています。

APRCでは、日本では市販されていないチェコのシュコダ「ファビア」の車両が2台エントリー。
それを追うのは、日本ラリー界の第一人者・新井敏弘選手のスバル「インプレッサ」
この3台が、序盤から激しくトップ争いを繰り広げます。

しかし、SS3で新井選手のインプレッサにミッショントラブルが出て、戦線から脱落していきます。

今回のラリー北海道では、その新井選手の子息・大輝選手が初めての参戦。
初めての参戦と思えないスピードを披露。
多くのラリーファンを驚かせました。私も携帯情報を確認しながらビックリしてました。

しかし、父親が脱落した次のステージ(SS4)のコーナーでロールオーバー(転倒)し、リタイヤとなってしまいます(写真:転倒したクルマを起こした後)
リタイアした父親の分も…と張り切ったのかもしれませんが、残念な結果になってしまいました。

昨年は、息子・大輝選手が転倒した200mほど手前のコーナーで、父親の敏弘選手が林の中に突っ込み(※)あわや…という場面があっただけに、親子の因縁を感じずにいられませんでした。
そして、親子ともどもイケイケ(?)のキャラクターのようです。
※その模様の動画(ラリー北海道2012)http://www.youtube.com/watch?v=8BPwqgMkHhQ

2人(台)とも翌日までに車両を修理して、29日は朝から何事もなかったかのように走っていました。
初日の鬱憤を晴らす走りをコース各所で見せていました。

明日は熾烈なチャンピオン争いを繰り広げる全日本(JN4)クラスについて。

アオダモの産地

2013-10-08 09:16:00 | 旅行
本別の続き。

この町はかつて、野球用バット材のアオダモの産地でありました。
現在も、町内にバット原木加工工場(一次加工)があります。

そのつながりで、スポーツ用品メーカーのミズノが2009年、道の駅オープンに合わせ、日本人トップ選手5人のバットを提供し、展示しています。
イチローや松井秀喜、そして3度の三冠王・落合博満など錚々たる選手たちのバットが飾られています(写真)

オープン当初は、このバット展示を目当てに訪れるお客さんも多くいたそうですが、今では知る人ぞ知る存在に…。
何とも勿体無い。
これだけのものを見れる場所は、そんなにないですよ!
もっとPRしたらいいのに…。

他にも、エゾムラサキツツジやエゾヤマサクラの名所である本別公園、そして本別義経の里・御所、本別町歴史民俗資料館など、見所はたくさんあります。

そして身体を癒す場所も町内にあります。
ということで、町内にある温泉ホテルで、疲れた&冷えた身体を癒すことに。

向かうは、本別温泉グランドホテル。
本別の奥座敷といった雰囲気で、ホテルのHPによると「源泉かけ流し」の上質な出湯が魅力と記されています。
日帰り入浴が500円とリーズナブルなのも嬉しいですね。

浴場に入ってみると、露天風呂には五右衛門風呂を設置されています。
3つもあります。
夜になれば庭園がライトアップされ、露天風呂に浸かりながら、とても綺麗な景色が楽しめます。
もう少し、木々が色付けば、より綺麗でしょうね。

入浴しているお客さんもあまり多くなかったので、のびのび入浴できました。
夜8時半過ぎに外へ出て、本日の宿泊場所へ。

宿泊場所は、足寄にある公共施設の駐車場です。
そこで寝袋に包まって、車内泊します。
これは最初にこの地にラリー観戦で訪れた頃(2002年)から、そのようにしています。
だから慣れています。

11月になる頃であれば、とても寒く車内泊も厳しいですが、それでも何の問題もなかったので、9月下旬であれば「お茶の子さいさい」であります。

そして、次の日に備えるのでありました。
2日目=29日の起床は、5時半予定。
10時過ぎには、爆睡モードに突入していたはずです。

それではまた明日。

豆の町・本別

2013-10-06 09:08:00 | 旅行
足寄からクルマを走らせること約15分、本別町へ来ました。

28日の夕刻、本別・道の駅(ステラほんべつ)では、ラリーパークが開催されていました。
ここのラリーパークでは、競技車両が移動区間(リエゾン)の途中に立ち寄り、クルマ越しにファンと交流するというもので、中にはインタビューに答えてくれるドライバーもいました。

激しい戦いの跡が生々しく、アチコチに損傷を受けているラリー車が目立ちます(写真:判別できないですね)。
さすがに日も暮れましたので、どのラリー車もヘッドライトを灯けています。

その途中に、この「ステラほんべつ道の駅」を探検です。

「ステラほんべつ道の駅」は、明治42年に本別町に鉄道が開通して以来、約100年間地域交通に重要な役割を果たしてきた旧・本別駅であり、2006年4月に「ふるさと銀河線」が廃止された後も、地域の拠点施設として、簡易郵便局や町の観光案内、農産物・豆加工品、特産品の販売などを行っています。
レストラン・パン屋さんもあり、ドライブなどの際に立ち寄っても、楽しい施設となっています。

地元の特産品を販売するコーナーでは、本別特産の黒豆「光黒大豆」を地元で加工し、安心・安全・美味しさにこだわった本別ブランド「キレイマメ」など、豆加工品、銘菓、農産物をはじめ、道の駅グッズや木工品などが取り揃っています。
個人的には、この地で取れた豆を使った納豆は、なかなかの美味だと思っています。
大粒のものから小粒のものまで、また豆の種類もいろいろあります。
この道の駅でも、数種類の納豆が売られています。

道の駅がある本別市街地から、やや南へ行ったところに「岡目堂」という会社(工場・店舗)があります。
広い土地に店舗と工場が併設されており、工場は昔ながらの手づくりで甘納豆、羊羹、焙煎豆、豆茶等を製造しています。
店舗では自社製造の豆製品をはじめ、本別産の生豆や道産の銘品や各種甘味なども取り揃えています。

今回は、羊羹(本練と小倉)を購入。
自宅へ帰ってから、じっくりと楽しみましたが、混ぜもののない純粋な味わいで、甘党には堪らないでしょうね!

PS、当初、1週間くらいと思っていたレポートも、なんだかんだで10日くらいかかりそうですね。ですから、1日お休みして、8日から再開します。