朝日新聞デジタルより。
「瞬足」という名前の運動靴をご存じだろうか。「速い子はより速く、遅い子には“夢”を」をコンセプトにアキレスが開発した子ども向けランニングシューズで、2000年代半ばには年間販売600万足をたたき出した超ヒット商品だ。運動会の徒競走が校庭を左回りに走ることが多いことに着目して、ソールの構造を非対称にした。左足の外側と右足の内側にスパイクを配置することで、コーナーの遠心力に対抗して踏ん張れるようになっている。そのため、運動会が近づくと街の靴屋から「瞬足」が消えるという伝説さえ生まれたほどだ。実際、入手困難な時期もあった。
このベストセラーシューズの開発を手がけたアキレスのシューフィッター、津端裕さんが大人用ランニングシューズの開発に着手したのは2014年ごろのことだった。当時、前年に発売されたアディダスのブーストシリーズが人気を博していた。ブーストというのはアディダスがドイツの化学会社BASF社と共同開発したミッドソール用の新素材で、高い反発弾性と衝撃吸収性を兼ね備えていた。高い反発弾性から弾むような推進力が生まれ、速く走れるというのが人気の秘密だ。「それと同じようなものがつくれないか?」。津端さんは、社長直々の“ご下命”を受けたという。
開発チームは当初、BASF社にブースト素材の供給を打診したが、アディダスと独占契約をしているということだった。上等じゃないか、だったら自分たちで素材から開発してしまおう! ということで新しい素材の研究から始まった。そもそもアキレスは一般の人にはシューズメーカーとして知られているが、プラスチックやゴムなど素材の開発・製造会社でもある。ここは、いわゆるスポーツ用品メーカーがかなわない大きなアドバンテージといえるだろう。
そうして約2年越しの研究の末に生まれたのがMEDIFOAM(メディフォーム)というミッドソール用のポリウレタン素材だった。どれだけすごい素材かというと、厚さ約30mmのMEDIFOAMのシートに10mの高さから生卵を落としても、卵は割れずに5m以上跳ね上がるというものだった。アキレスで使っている一般的なソール素材(EVA)と比べて、衝撃吸収性が約10%アップ、反発弾性は約50%アップ、さらに耐久性(ヘタリにくさ)が3倍という結果も出た。津端さんは、この素晴らしい素材を使ってどういうシューズに仕上げようか考えた。
ランニングシューズ市場はすでに大手スポーツ用品メーカー各社がしのぎを削るレッドオーシャンになっている。よほどエッジのきいたコンセプトでなければ新規参入はむずかしい。津端さんはランナーからのヒアリングを重ねた。すると、多くのランナーがなにかしらの「ケガ持ち」なことに気がついた。日本のランニング人口は1000万人超といわれているが、1年以上継続して走れる人は案外少なく、多くが自己流で頑張り過ぎて、ヒザや腰の故障でランニング自体をやめてしまっていることもわかった。こうした点に着眼して「走るリカバリーシューズ」という発想が生まれた。MEDIFOAMというのは、Medical(医療)とFoam(発泡体)を組み合わせた造語だ。
こうして、アキレスとしては初めての大人用ランニングシューズ「メディフォーム」シリーズが2017年3月にデビューする。
この発想は、実は津端さん自身の体験に基づくものだった。ご本人もフルマラソン3時間30分という上級ランナーで、生来の負けず嫌いから月走400km~500kmという過剰な練習を繰り返した時期があったという。しかも、強度の高いポイント練習ばかりで、リカバリーのためのジョギングなどはほとんどやっていなかった。上級向けのいわゆる薄底シューズを履いてサブ3(フルマラソン3時間切り)を目指していたが、2010年ごろに走れなくなる。ヘルニアに坐骨神経痛、恥骨炎と下半身がボロボロになっていた。メディフォームの開発には、そのときの経験が生かされているという。
「このシューズはあえて言うと練習用です。足にトラブルを抱えずに走り続けるにはどんな靴がいいのか。商品化に至るまでにアスリートや多くのスポーツ科学専門家の意見を反映しました。『瞬足』の開発でお世話になった順天堂大学の実験では、(従来素材を用いたシューズと比べて)ふくらはぎの筋活動量が少ないというデータも得られた。つまり、筋肉への負担がかなり軽減されるということです。これによって、長距離でも無理せず楽に走れるシューズができたというわけです」(津端さん)
見た目は最近はやりの厚底と薄底の中間のような感じだ。独自開発素材のMEDIFOAMがミッドソール全体に使われている。実際に足を入れてみると、しっかりとしたフィット感で安心できる。ソールはクッション性のあるフワフワとした感じではなく、むしろ固めだ。やや重い感じがするが、走り出すと反発力のせいか“重さ”はさほど気にならなくなる。なにしろ、生卵が割れずに5mも跳ね返る素材を使っているのだ。衝撃吸収というよりは、着地のたびに“跳ね返り感”が伝わり、なんだか楽しくなってくる。サクッと10kmほど走れてしまった。
足に故障の不安のある人はもちろん、そうでない人にも“安心ラン”を提供できるのではないかと思った。それに、練習用と考えると耐久性が従来の素材の3倍というのもうれしい。
“走るリカバリーシューズ”の説明は以上だが、津端さんはこれだけでは飽き足らなかった。ひそかにレースモデルの開発を進め、今年2月28日に販売を開始した。ズバリ、サブ3を狙うランナー向けで、MEDIFOAM を前足部にのみ使うことで、反発弾性による推進力の強化と、26.5cmで188g/177g(2モデルある)という軽さを実現した。
リカバリーモデルと同じく、従来のソール素材を使ったものに比べて筋活動量が大幅に軽減されるという。「やっぱり、リカバリーモデルは『レースモデル』あっての『リカバリー』ですね」と津端さん。価格は1万2500円+税。耐久性が3倍というから、これはかなりお買い得だろう。<了>
少し前から気になっていたシューズ。コンセプトはもちろん、技術の部分にも注目している。海外メーカーが強いこの市場において、国産メーカーがどのようにアプローチし、市場を獲得するのか。
それよりも一人のユーザーとしてこのシューズの機能はどんなものなのか、注目している。また現物を見ていないから、それからですけど、走りやリカバリーにどう影響(効果)をもたらすのか興味深い。