ポエトリー・デザイン

インハウスデザイナーが思う、日々の機微。

新春大歌舞伎。

2007年01月13日 | blog

カブいてきました。
カブいてたのはわたしじゃないですが。

ほんとにね。一期一会の総合芸術だとおもうわけです。歌舞伎。
徹底して修練した、身体性とビジュアルとサウンドで紡がれる物語。

オペラとかバレエとか京劇とか?
日本のものとしては、ほかにあまりないとおもう。

以前、
「歌舞伎は様式化することで想像力の入る余地が」
とか書いたけれど、
そういうことでもないかな、とおもいました。今回。

様式化されたキャラクターと物語を、そのまま受け入れている。
けっこう泣いてたりするからね、お客さん。

様式化することが、見る人の多様性を受け入れて、
感情移入がしやすい ってことかな??

そういうのってマンガとかアニメ文化に通じてませんか?関係ない??

仮面ライダーが、ずばっとポーズをとって、
シャキーン!と効果音入るのは、歌舞伎の「見栄」だよね。

歌舞伎を知らないコドモでもグッと来るんだから、
なにか本能的なものかしら。

宝塚との類似性も気になるなぁ。
どっちも「女性ファンが多い」ところとか。

このへんのところは、考え続けてると、
なんか「ぽこっ」と見えてきそうな気がします。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うん (本人)
2007-01-16 22:27:27
天井桟敷の人々。

でもいま、みかんを食べながら歌舞伎を観ようという雰囲気ではないし、この場をあえてカジュアル?にする必要もない、ともおもうんだよね。
お正月の歌舞伎座は、お正月らしく、着物姿やソフト帽の紳士なんかも多くて、それはそれで、いい。

すごいものをみて、触れて、考えて、発見して、気付いて。
そういうのは、とにかくたのしいよね~。
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Unknown (keiko)
2007-01-15 12:36:23
「暗示」ではなく「感じ」の間違い...。
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大衆の力 (keiko)
2007-01-15 12:35:40
ロンドンのグローブ座(再建したもの)のバックステージツアーに参加したときに、「劇場内でオレンジが売られていて、お風呂に入らない人びとの体臭消しとして使ったり、食べたり、ヘボ役者が出ると投げたり...して大騒ぎしながら観ていた。」と説明がありました。今はシェークスピアって高等芸術!って暗示だけど。

歌舞伎も始まった頃はこんなんじゃなかったのかな...憶測ですけど。歌舞伎役者はスターだったんだろうと思っています。お客さん喜ばせるにはなんでも有りの世界。

ジャズとかもそうだよね。出てきた頃、あれはポップスだったけど、今は(特に日本で)難しい顔して聞いている。

今度、是非、能と狂言も観てくださいませ。
そうするともっと歌舞伎がわかるかも、です。
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