ババァの小言に耳を貸せ!

ババァである私が日々感じたことや体験したことを綴ります。

ハンカチ王子

2006年08月23日 | Weblog
テレビをつければハンカチ王子が出ている。
爽やかな醤油顔
頬に並ぶホクロがまた可愛いじゃん!などと
オバチャンはひとりほくそ笑む。
遥か何十年前
高校野球は友達の家に集まって見るものだった。
まだ珍しいクーラーのある家で
優しいお母さんにおやつを出してもらいながら
その家に連日入り浸った。
高校野球が目的だったのか
クーラー&おやつが目的だったのか・・
あの時以来まじめに高校野球を見ていない事を考えると
絶対に後者だろう;^_^A

横浜は早々に大阪桐陰に負けてしまい
後は何となく関東勢を応援していた。
と言ってもニュースで勝敗を知り
「今年の東京は強いね~2校とも残ってるよ」などと言うくらいだ。
応援には入らないだろう。
決勝戦に早実と駒苫が残ったときは
「どっちが優勝してもいいわ」と思った。
早実は関東だし
駒苫も娘1号の大学の仲間みたいなもんだ。
北海道だけども何となく応援していた。
だからどっちが勝っても嬉しかった。
しかし野球は顔でやるもんじゃないとわかっていながらも
ハンカチで汗を拭く仕草が小動物のようで可愛く
再試合になった優勝戦は
斎藤君のほうを若干強く応援していた(笑)
1号は駒苫を応援していたようで
少し悔しがっていた。
そして娘2号は野球にではなく
「実業高校って何高校なの?」と実業高校に興味を持ったようだ。
商業・工業・農業高校は何となくわかるが
実業高校は何?と聞かれると
何だろう?と考えてしまう。
そこで実業を辞書で調べてみたら
農業・工業・商業・水産業などのように、
商品や原料の生産・売買に関する事業。と出ていた。
なので商業・工業・農業・・何科でも実業高校なのだろう。
同じテレビを見ていながらでも
興味に思う事は人それぞれなのだな~と思った(笑)

オカマちゃん

2006年08月23日 | Weblog
私が通っていた中学は繁華街にあった。
学校から数歩のところに飲み屋があったり
窓から見下ろせるところにモーテルがあったり
環境的にはよろしくなかった(笑)
学校の周り何キロとかにそうゆう店があっちゃいけないんだよね?
昔はよかったのかな?
私たちが下校する時間に活動をし始める
夜のお仕事のお姉さんたちと
毎日のようにすれ違った。
美容院でセットした髪だけがピシッと和風で
まだGパンを履いている姿のお姉さんもよく見た(笑)
そんなすれ違う人の中に
駅前でキャバレーの看板を持って立っている
サンドイッチマンのおじさんが居た。
しかも彼はオカマちゃんだった(推定45歳)
今では市民権を得て
珍しくも無いオカマちゃんだが
私たちが中学生だった頃はまだ珍しかった。
オカマちゃんと言っても
綺麗なオカマちゃんじゃなく
青い髭剃り後の残る顔を真っ白に塗り
カツラですとバレバレのカツラを被り
紫色とかの派手なパンタロンやロングスカートをはいた
哀れなピエロのようなオカマちゃんだった。
中学生の悪ガキたちがそんなオカマちゃんを
放って置くはずも無く
「オカマー!オカマー!」とはやし立てた。
すると
「何よ!ウルサイわね!」と言い返してくる。
その野太いお姉言葉がまた面白く
どんどんエスカレートしていって
最後の方は水鉄砲で水をかけたりするようになった。
もちろん怒って追いかけてきたり
学校に抗議にきたりしたが
悪ガキたちは一向にやめなかった。
中学生にはオカマの厳しさも彼の辛さもわからなかった。
只の変態だと思っていた。
しかし段々彼を見かける事が少なくなって
私たちが卒業する頃には
オカマちゃんは死んだ。と言う噂が流れた。
実際のところはどうだったのかはわからない。
生活が厳しかった事だけは確かだ。
若くも無く器量も良くないオカマちゃん
オカマを隠して働く事より
オカマとしてサンドイッチマンを選んだ
彼のオカマ道はあっぱれだったと言えるかもしれない。
私は直接的にはからかったりしていないが
剥きになって追いかけてくるオカマちゃんを見て
笑っていたひとりだ。
性同一性障害という言葉は
ずーっとずーっと後で知った。
オカマちゃんは辛かっただろうな~と
申し訳なく思っている。ゴメン!/font>