母の87才の誕生日をお祝いしてきた。
ケーキは娘2号からのプレゼント
初めてケーキにろうそくを立ててお祝いしてもらった!と
すごく喜んでいた。
そう言えばいつもカットケーキだったかも・・・。
でも初めてじゃないと思うよ。
でも喜んでもらえてなにより(笑)
ご近所さんには90才、100才を超えている方もいるが
ポツリポツリと欠けてきているし
いつ順番が来てもおかしくない年だ。
まずは来年のオリンピックを見ようね。
そして冬季オリンピックが見れたら90才。
多分、ピンピンしてる気がする(笑)
子供の頃母に英語の歌教えてあげると
しょじょじの庭の替え歌を教えてもらった。
カムカム・エブリバーディ・ハウドゥードゥー・エンド・ハウアーユー
オンチュー・ハムサム・キャンディ
ワンエンドツーエンドスリーフォーファイブ・・・(笑)
その後の歌詞は思い出せない(^_^;)
でも子供心に英語の歌が嬉しかったのか
50年以上たった今でも
覚えているし
カム~カム~と
口ずさんでしまう事がある(^_^;)
この歌は
誰もが知っていた歌なのか?
何歳以上の人が知っているのか?
Won't you have some candyって
ギブミーチョコレートのノリだよね(^_^;)
証城寺の狸囃子をウィキペディアで調べたら
1946年(昭和21年)から放送された東京中央放送局(のちのNHK)のラジオ番組「英語会話」
(講師は平川唯一)では、テーマソングとして
『証城寺の狸囃子』の替え歌『Come Come EveryBody』が使用された。
とあった。
昭和21年って
終戦が20年だから
翌年から英語会話って
凄い早い切り替えだ。
・・と思ったら
『初等英語講座』として番組は
1926年4月からあったそうだ。
大正15年に英語を勉強する人がいたんだね。
第2次世界大戦期間は中止されていたけど、
戦後、しょじょじの替え歌と共に復活したようだ。
でも戦前はイギリス英語
戦後はアメリカ英語らしい。
その辺の所はよくわからないのだが
戦後はアメリカの意向も入っているのかもしれないね。
昭和21年は
母は14歳
自ら進んで英会話のラジオを聞くほど勤勉では無かったと思うので
この替え歌は友達の間で
流行した物なのだと思う。
と言う事で
現在80才オーバーの人なら口づさめるはず(笑)
私は58才だけど・・・口づさめる(^_^;)
これもウィキペディア情報なんだけど
戦争に負けた後
GHQのアメリカ教育使節団が来て日本語をローマ字化しようとしたらしい。
教育使節団は
日本の教育や文化に対する情報が乏しくて
戦前から識字率、就学率は、
アメリカやイギリスに比べても高かったのに、
「日本は軍事国家で民衆は政府に奴隷化されていて識字率は低いのだろう」と思っていたそうだ。
英語を公用語にする計画もあり、
ローマ字化する事で識字率も高まると一方的な推論を立てていた。
事前調査として15歳から64歳までの国民17,000人を抽出して漢字の読み書き能力テストを行ったところ、
漢字の読み書きができないのは、わずか2.1%という結果だった。
これはアメリカをはるかに超えるだけでなく、
当時の世界水準で見てもかなり高い識字率であったため、
これに困ったGHQの担当者ジョン・ベルゼルは、
日本側の調査官であった言語学者の柴田武に
「字が読めない人が非常に多いという結果でないと困る」と迫ったが
「事実を捏造することはできない」と柴田は拒否し、
日本語のローマ字化計画は見送られたそうだ。
もし識字率が低かったら
日本語が消えていたかもしれないんだね。
でも日本語がローマ字って
パソコンで変換間違えた時のあれだよね。
nihonngoga ro-maji nannte arienai
あれ?母の誕生日の話の着地点が何故ここ?(^_^;)
ケーキは娘2号からのプレゼント
初めてケーキにろうそくを立ててお祝いしてもらった!と
すごく喜んでいた。
そう言えばいつもカットケーキだったかも・・・。
でも初めてじゃないと思うよ。
でも喜んでもらえてなにより(笑)
ご近所さんには90才、100才を超えている方もいるが
ポツリポツリと欠けてきているし
いつ順番が来てもおかしくない年だ。
まずは来年のオリンピックを見ようね。
そして冬季オリンピックが見れたら90才。
多分、ピンピンしてる気がする(笑)
子供の頃母に英語の歌教えてあげると
しょじょじの庭の替え歌を教えてもらった。
カムカム・エブリバーディ・ハウドゥードゥー・エンド・ハウアーユー
オンチュー・ハムサム・キャンディ
ワンエンドツーエンドスリーフォーファイブ・・・(笑)
その後の歌詞は思い出せない(^_^;)
でも子供心に英語の歌が嬉しかったのか
50年以上たった今でも
覚えているし
カム~カム~と
口ずさんでしまう事がある(^_^;)
この歌は
誰もが知っていた歌なのか?
何歳以上の人が知っているのか?
Won't you have some candyって
ギブミーチョコレートのノリだよね(^_^;)
証城寺の狸囃子をウィキペディアで調べたら
1946年(昭和21年)から放送された東京中央放送局(のちのNHK)のラジオ番組「英語会話」
(講師は平川唯一)では、テーマソングとして
『証城寺の狸囃子』の替え歌『Come Come EveryBody』が使用された。
とあった。
昭和21年って
終戦が20年だから
翌年から英語会話って
凄い早い切り替えだ。
・・と思ったら
『初等英語講座』として番組は
1926年4月からあったそうだ。
大正15年に英語を勉強する人がいたんだね。
第2次世界大戦期間は中止されていたけど、
戦後、しょじょじの替え歌と共に復活したようだ。
でも戦前はイギリス英語
戦後はアメリカ英語らしい。
その辺の所はよくわからないのだが
戦後はアメリカの意向も入っているのかもしれないね。
昭和21年は
母は14歳
自ら進んで英会話のラジオを聞くほど勤勉では無かったと思うので
この替え歌は友達の間で
流行した物なのだと思う。
と言う事で
現在80才オーバーの人なら口づさめるはず(笑)
私は58才だけど・・・口づさめる(^_^;)
これもウィキペディア情報なんだけど
戦争に負けた後
GHQのアメリカ教育使節団が来て日本語をローマ字化しようとしたらしい。
教育使節団は
日本の教育や文化に対する情報が乏しくて
戦前から識字率、就学率は、
アメリカやイギリスに比べても高かったのに、
「日本は軍事国家で民衆は政府に奴隷化されていて識字率は低いのだろう」と思っていたそうだ。
英語を公用語にする計画もあり、
ローマ字化する事で識字率も高まると一方的な推論を立てていた。
事前調査として15歳から64歳までの国民17,000人を抽出して漢字の読み書き能力テストを行ったところ、
漢字の読み書きができないのは、わずか2.1%という結果だった。
これはアメリカをはるかに超えるだけでなく、
当時の世界水準で見てもかなり高い識字率であったため、
これに困ったGHQの担当者ジョン・ベルゼルは、
日本側の調査官であった言語学者の柴田武に
「字が読めない人が非常に多いという結果でないと困る」と迫ったが
「事実を捏造することはできない」と柴田は拒否し、
日本語のローマ字化計画は見送られたそうだ。
もし識字率が低かったら
日本語が消えていたかもしれないんだね。
でも日本語がローマ字って
パソコンで変換間違えた時のあれだよね。
nihonngoga ro-maji nannte arienai
あれ?母の誕生日の話の着地点が何故ここ?(^_^;)