ババァの小言に耳を貸せ!

ババァである私が日々感じたことや体験したことを綴ります。

転院

2013年05月26日 | Weblog
トントン拍子に父の転移先の病院が決まり
転院することが出来た。
前の病院は家から5分の好条件だったのだが
今度の病院も家から20分なので好条件と言えるだろう。
20床に満たない小さな診療所で
大きな急性期病院を出された人の受け入れ先となっている病院だ。
タイミング良く空きが出たので入ることが出来た。
入院費は1ヶ月で19万ほど掛かるのだが
今まで個室で差額ベッド代が高かったので
今よりは安くなる。
しかし国民年金しかもらってない父には色々辛い金額だ。
老人が病院に入院するのもお金が掛かるんだね。
今度は2人部屋なのだが
隣のベッドには
やはりどこかの病院を出されたっぽいボケ老人がいる。
明るいボケ老人で看護婦さんたちと冗談を言い合っていた。
しかし、手にはミトンをハメられベッドにベルトで繋がれている。
点滴を抜いて怒られたりしていた。
でも明るいので父の様な悲壮感はない。
父も入る草々
点滴を抜きオムツを外し寝巻まで脱いでしまったそうだ。
今はちょっとやそっとで脱げないつなぎのパジャマを着せられている。
でもベルトで固定されたり手を柵に結わかれたりの拘束は無い。
このままずっと拘束されることが無い事を願うばかりだ。
寝巻やタオル、オムツ、日常品はすべてレンタルが決まりで
毎日洗濯物やオムツを届ける必要もない。
だからなのか見舞いに来る人もほとんどない。
私が面会簿に記入した時、
私の前に記入した人の日付は5日前の日付だった。
いつも病院はシーンとしている。
耳の遠い父に大声で話しかけるのもためらってしまう。
だから大声で一度、呼び掛けた後は背中や腕や痛くない方の足を摩って
30分ほどで引き揚げてくる(^_^;)
病院にいる時間も短くなったし
洗濯物もなくなりオムツや尿パットを買いに走り回らなくていいので
私は楽になった。
ひとつだけ誤算と言うか思い通りに行かなかった事がある。
前の病院では
父が食べられなくなってから
末梢静脈点滴(腕からの点滴)で栄養を摂っていたのだけど
抹消静脈点滴ではわずかなカロリーしか摂れないので
徐々に栄養不足が起こり
あまり長くは生きられない治療だった。
足の壊疽・嚥下障害・痴呆
何より足の壊疽は治る事がなく
これから辿る道は
壊疽の毒で敗血症を起こして死ぬか
壊疽の毒が全身に回るのを防げたとしても
血液の通わない足は・・
草木が枯れるようにミイラ化して行くそうで
いつかポロリと落ちると聞かされている。
そんな状態なら
もう長く生きなくてもいいんじゃないかな・・と
積極的な延命は極力しないでとお願いしていた。
口から物が食べられなくなったら
胃ろうにするか
中心静脈カテーテルを入れて太い静脈にハイカロリーの輸液を入れる点滴をしないと
長くは生きられない。
それを拒否していたのだが
今度の病院は
中心静脈点滴を拒否するなら入院を受け入れる事が出来ないと言われてしまった。
延命はしたくないと何度も伝えたのだが
病院で餓死させるわけにはいかない。
中心静脈点滴は延命じゃないから・・・と言われてしまった。
中心静脈点滴を入れたから絶対に長く生きると言うことじゃないかもしれない。
寿命だったら、入れても死ぬときは死ぬのだろう。
でもいたずらに長く生きてしまう可能性が出てくる。
痛いのが長く続いても父は長生きしたいだろうか?
前の病院を退院する時
先生に「父の余命はどれくらいですか?」と聞いたら
先生は「分かりません。もう余命を超えている状態ですから」と答えが返ってきた。
父はまだ生きたいから頑張ってるのかな?
もう頑張らなくていいよって言うのは私のエゴなのかな?

手詰まり

2013年05月13日 | Weblog
前回父の事を書いてからひと月ほどたったが
父に大きな変化はない。
入院当初の治療計画が順調に行っていれば
カテーテルで血管拡張して血が通うようになり
足の親指先の切断手術が終わって
リハビリでもしている頃なのだが
順調に行かないのが世の常で
年寄りとなると尚更なのだろう。
カテーテルで広げるはずだった血管は
手術の前準備として行った
細いカテーテルを入れての造影検査で
足の付け根、右足と左足に分かれる分岐点で完全に詰まっていた。
「ここに血管があるはずなんですけどね~」と先生が示した場所は
ポッカリと空白で右足に向かう血管は影も形もなかった。
CT検査ではかろうじて血管が映っていたらしいのだが
それは血管の抜け殻のような物だったようだ。
ここまで詰まっているとカテーテルで広げるのは難しいらしい。
年齢も年齢だし、血管もボロボロなので、ちょっと無理をすると破いてしまうかもしれないそうだ。
足の壊疽部分を切断しても血が通っていなければ
傷が治らない。
血が通っているのは右足と左足の分岐点前部分で
そこから切断となると胴体半分にしなくてはダメで
そんなことは無理なので
結局、打つ手なしとなった。
おまけに、入院してから、
誤飲性の肺炎を繰り返し、
口から食べ物を食べることは無理と判断されて
もう10日ほど何も食べていない。
点滴だけで生きている状態だ。
ガリガリに痩せて
体力も落ちているはずなのだが
それでも父は
相変わらず色んな装置を外そうとするし
起き上がってしまうのでベッドから落ちないように
拘束も外してもらえない。
相変わらず大声で騒ぐので個室から出る事も出来ず
差額ベッド代がけっこうな金額になっている。
まぁそれは仕方ないと思っていたのだが、
もう治療の術がないので
退院か転院して欲しいと言われた。
今入院しているのは急性期の病院で、短い期間しか居られないそうだ。
4月のはじめに入院した父はもう1か月半ほどになる。
治療することがなくなれば、退院か中期か長期対応の病院に移る決まりらしい。
退院はどう考えても無理なので
転院をお願いしたいと、
病院のケースワーカーさんに相談する予約をしてきた。
ボケて、暴れて、食事がとれなくて、足が壊疽を起こしていて
痛いと騒ぐ父親を受け入れてくれる病院はあるのか?
もの凄く心配だ。
近くで転院出来れば良いのだが・・・
とんでもない遠い病院に行く事もあるらしい。
足の壊疽は急激な進行はないが
徐々に広がっている。
体中に毒が回れば敗血症を起こすだろう。
何も食べれず点滴だけなので
体力が落ちて肺炎や心不全を起こすかもしれない。
要するにいつ死んでもおかしくない状態なのいだが
低いレベルのまま体調を保ち続けて
もう少し長生きするかもしれない。
それは父親の生命力次第なのだが
一日でも長く生きて欲しいとは
家族の誰も思っていない。
出来れば今の病院にいる間に亡くなって欲しいとさえ思っている。
今の病院なら
毎日見舞いに行けるし
いつ容態が悪くなっても駆けつけられる。
せっかく82才まで生きたのに
早く死んでくれと願われているなんて
父もきっと悲しいだろうなぁ~。