ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

櫻守 ~ 兵庫県 武田尾 ~

2015-04-20 23:49:38 | 

「虫がいてこそ、鳥が住みます。鳥が住むからこそ、花や果が育ちます。花や果が育つと、山は美しい。このことをようおぼえておいて下さいね」(水上勉『櫻守』より)

 少し前になりますが、兵庫県の武田尾に行ってきました。水上勉の小説『櫻守』のモデルとなった笹部新太郎さんの桜の演習林があったところです。笹部氏は1912年(明治45年)に兄から譲り受け、桜の品種保存や接木の研究に使用したそうで、当時は全国から集められたヤマザクラやサトザクラが30種、5000本以上もあったそうです。現在は、里山として整備され、宝塚市所有の公園になっています。

 自然豊かな長尾山の中にあってハイキングコースになっているのですが、ちょっと面白いのが廃線跡のトンネルをくぐっていくこと。

この上を歩いていくんです(^^)

 小説の中で、桜の森に行くのにトンネルを二個通り抜けないといけなくて、電車の時間を確かめておけば大丈夫なはずだったのに、いざトンネルを歩いてたら臨時便!が走ってきて、笹部氏がモデルの竹田氏と主人公弥吉が壁にへばりついて難を逃れるという(そのかわり煤で真っ黒(^^;))場面が強烈に印象に残って、ぜひ一度来たいと思っていたんです。

一個目のトンネル。ホントに暗くて、懐中電灯つける人多数。

なんか、リアルな砂利です。

 こんなとこ通って桜の世話って、私も桜大好きだけど、その私から見ても、笹部氏はなかなか振り切れちゃってる人だったみたいですね・・・。もちろん、裕福な方だったみたいですが、私財を投げ打って桜の研究に没頭なさったとか。

 前日が雨だったので、桜はかなり散ってしまったらしく、ヤマザクラは少し寂しい感じ。

「損も得もない。先生は自分の財産をつこうて日本の桜を育ててはんのやな」(『櫻守』)

 小説では、日本古来の美しい桜が次々に枯れていくのを見るのが忍びないという思いから桜を守り続ける人々と、戦争そして敗戦から高度経済成長期へと突き進んでいく日本が、古いものをどんどん振り捨てて行く様子とが合わせて描写されていくのですが、そうして得てきた物の上に私たちの生活がのっかってるのかと思うと、胸が痛い。

 ある時、「うちでは食器洗わないの」という子供に出会いました。お家には食洗器があるので、自分で洗う必要がないという訳ですね。今日び、仕事を持っているお母さんも多くて、家事みたいな面倒くさいこと、やらずにすむならそれにこしたことはない、と思うのは人情ですが。

 でも、この子の発言を聞いた時に、私はものすごい危うさを感じてしまった。食器は使ったら汚れるものだし、世の中綺麗なものばっかりではないし。なのに、この子の前から、そんな汚いものが一つ消えてしまった。大事なものを感じるきっかけを一つ奪われてしまった。その子に罪はないんですけどね。

 小説と事実はかなりシンクロしているのですが、でもまあ、小説は小説なので、混同しないようにあくまで小説の中の竹部氏のその後について述べますと、武田尾の演習林は戦争中に木を提供させられたりして打撃を受け、もう一つ、京都の向日町にあった桜の苗圃(各地の桜を実生させ育てていた)は名神高速道路建設の際の砂採取地にするからといってつぶされてしまいます。竹部氏75歳の時です。ちなみに造幣局の桜もここから苗をもらったとか。

――『どうも若い人は乱暴だ。おれの一生もすんでしまった』これはチェホフの桜の園の登場人物が終幕にもらすつぶやきだ・・・(『櫻守』)

  この後、竹部氏は後に「荘川桜」として知られる樹齢四百年のアズマヒガンザクラの移植に挑むことになるのです。

――しかし、桜の移植は、それほど愚挙だろうか。むしろ、祖先の土地、幼時から愛着をもってきた村であるからこそ、菩提寺の庭に育った桜を移植したいのである。四百年近くも生きた桜であればこそ、村の魂ではないのか。おそらく、あの二本の巨桜は、いま、水没反対を叫んでいる人たちよりも古く生き、長いあいだ、庄川の流れを眺めてきているはずだった。大事にしなければならないのが生命だとしたら、あの桜こそ大切なのではないか。(『櫻守』)

鎌倉の鶴岡八幡宮の大いちょうの木が大好きでした。木の下に立って、リスが忙しく駆け回るのを眺めながら、この木はホントにいろんなことを見てきたんだなと思ってました。遠くは公暁の実朝暗殺から、戦争や、バブルまで。そうして、私が居なくなった後も、ずっとみんなを見つめてるんだろうな。そう思うと、私のことを覚えていてほしいと思ったし、彼が見つめた長い歴史の一部になれることが嬉しかったし、だから、大いちょうの木が倒れた時はショックだった。そんなことが起きるなんて信じられなかった。

 結局のところ、人間はよりどころがないと生きていけないんだなと思う。それも、仕事とか、家庭とかそんなちっちゃいものじゃなくて、(もちろんそれも大事だけど)もっと根源的なもの、自分の身体の中に遺伝子レベルで組み込まれているものを欲している。武田尾の景色を見ていると、ふと、いずれ私もこの景色の中に溶け込んでいくんだなと感じる。そこには不安なんかなくて、むしろどっしりとした安定感すらあって、それは、私という存在が、この風土と地続きのところにあるからなんだと思う。

 笹部氏の死後、荒れ果てていた林は多くの方の手によって里山公園として生まれ変わりました。向日町の苗圃も一時は団地などが建って忘れ去られたけれど、現在では笹部さんゆかりの桜20種80本が花を咲かせているそうです。また、笹部氏の神戸市・岡本の住宅あとも岡本南公園となって、毎年美しい桜を楽しめるそうです。

 前を見ることに夢中になって、大事なものを置き去りにしてしまったけれど、やっぱり、大事なものはちゃんと大事にしたくなる。そういうのを目撃すると、人間まだ捨てたもんじゃないな、と思います。来年は、向日町と岡本に行ってみようと思います。

 なお、『櫻守』の文章は新潮文庫版から引用させていただきました。

コメント (5)
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