ぶらっとJAPAN

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『櫻守』番外編 ~兵庫県西宮市 白鹿記念酒造博物館~

2015-04-22 20:48:36 | 

 先日アップした『櫻守』の記事のモデル、笹部新太郎氏が生前所蔵していたという桜グッズコレクション展に行ってきました。故八木西宮市長と笹部氏が懇意だったことから、笹部氏の死後、そのコレクションは西宮市に寄贈されましたが、この白鹿記念酒造博物館が、開館にあたって5000点以上あるという桜コレクション全部の寄託を受けて「笹部さくら資料室」が付設されました。以来、毎年春になると「笹部さくら展」が催されているそうです。上のチラシは今年のもの。

←ちなみにこれは過去の展覧会のチラシ。笹部氏のご尊顔を拝せます(^^)/ 

 タイトルの「頌桜(しょうおう)」とは、花の時期だけ注目を浴び、それ以外の季節にはかえりみられないにもかかわらず、その堅い材質を生かして版木や鼓の胴など古くから日本の文化を支えてきた櫻の木への感謝をこめて、笹部氏が吉野山に建立した「頌桜の碑」からきています。

 少なからず、耳の痛い話ですが(^^;)、そういうことで今回の展覧会は桜の木を使った道具や、頌桜の碑建立申請の笹部氏の直筆の書とか、設計図、さらには、桜にまつわるさまざまな絵や道具などがお披露目されていました。

 それこそ版木とか、箱とか桜の皮でできたたばこ入れ?みたいなのがあったのですが、印象に残ったのは笹部氏が使っていたという桜のステッキ。2本ありましたが、どちらもつやつやと滑らかな木肌で、人工的でない味わいあるカーブを描き、どっしりとした握りの部分はとてもさわりごこちが良さそう。笹部氏もお気に入りだったらしく、ステッキを持った写真が一緒に飾られていました。つやつやしてるのは使い込まれたからっていうのもあるんでしょうね、きっと。

 それと床枕(とこまくら)ってのも凄かった。いわゆる床の間の、なんていうんでしょう、立ち上がりのところ、舞台でいう「蹴込み」の部分が特殊な漆塗りでできていて、普段は単色の漆塗りなんですが、光をあてると桜の模様が浮かびあがるんです! そんな難しいことムリ、と渋る職人をくどき落として特注で作らせたといいますから、思い込んだらとことん一途、という笹部氏の性格が如実にあらわれた逸品です。ちなみに、今回は手前に巨大な懐中電灯が置いてあって(笑)、それで照らせば浮かび上がる桜を楽しむことができます。夜に、ろうそくの灯りとかでみたらさぞ美しかったことでしょう。

 笹部新太郎氏は、大阪府立第一中学(現 北野高校)、第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学法科大学政治学科に入学と言いますから、かなりの秀才。でも結局一度も仕事をせず一生を桜にささげた方でした。桜に関する資料や美術工芸品の蒐集は、後世にできる限り桜のことを残したいという思いからだったようですが、展示を見ているとあんまり気に入らなくてもこの種類の桜の絵がないから、とか、こんなデザインの茶器は見たことがないから、とか、とにかくあらゆるデータを集めなければ気が済まないという感じで、そういうところはインテリっぽい学者魂が垣間見えます。だから桜の絵は、どの種類の桜を描いたかわかるものがお好みだったみたいですね。打ち掛けまであるんですよ! 高かったけど、家で改めて見て、やっぱり買ってよかったと思った、みたいなコメントがついてましたが、確かに、桜に鶴があしらわれて(刺繍かな、アップリケ(笑)かな)豪華で綺麗な打ち掛けでしたけど、男の方が打ち掛けを眺める図なんて、そうとう高等な風流という気がします。

 一方で、武田尾の演習林を手入れするときの道具なども展示されていて、タネをいれる籠とか、木に名札をつけるための針金を入れる筒とか、枝や蔓をはらったりするさまざまな鉈など驚くほど種類があり、自らの足で木を見て回り、一本一本、なでるように慈しんで育ててきたということがよくわかります。頭でっかちなんかではなく、十分に地に足のついた土着の人間というイメージもあるのです。記念館には笹部氏に関する新聞記事の切り抜きのスクラップが置かれていてました。写真を拝見するかぎり、若き日の実業家のように貫録ある顔から、年を重ねるにつれ、どんどん柔らかく「桜男」という異名にふさわしいお顔になっていった感じですね。91歳というご長命でしたから、晩年は徳もあるお顔だったのでしょう。

 そうそう、先日『櫻守』の記事をアップした時に、冒頭に引用した「虫がいてこそ、鳥が住みます・・・」の部分が偶然にも展示されていました。笹部氏を知る人によれば、笹部氏ご本人はまさにこんなしゃべり方だったそうです。ほのぼのとしたあたたかな人柄が本当によくわかると書いてありました。ついでに、この続きをさらに引用しておきますと

「世の人は、この道理を、あんまり知らない人が多すぎます。いまは非常時やから、濫伐、濫伐で、山をはだかにしてます。かなしい時節やといえます。けど、むかしの山というもんは、鳥が育てました。鳥が果をたべて、タネをウンチにつつんで落します。タネはウンチを養分にして、地めんに根を張ります。桜の木も、みな、こうして、日本の山にふえたもんですわ。ところが、木イを伐る。伐ったままで、植林はわすれる。これでは鳥がきまへん。山は赤むけのまま」(水上勉『櫻守』(新潮文庫刊)より)

 けっこう、きついこともおっしゃってますが、はんなりした関西弁とあいまって、ひょうひょうとした、どこか人を食った茶目っ気のある感じが伝わってきますよね。

 笹部氏は明治20年生まれの昭和53年ご逝去。私は昭和生まれで、祖母は明治生まれです。だから、かろうじて笹部氏とは同時代の接点があるわけです。(「かろうじて」ですよ!)そういう意味で、笹部氏の人生観とか生活感覚というのは実感としてわかるところもありますが、平成になって30年近くたった今、「昭和」はもう歴史上の過去の時代となったのを感じずにはいられません。ごく日本的な風土を守るために一生を捧げるのは、やはり今の時代にはなかなか難しいのではないでしょうか。土の冷たさや重み、葉っぱの青臭さ、雨の後のしっとりと包まれるような空気、そういうものは遠くなってしまいました。私も普段の生活は、最新テクノロジーに支配されてます。ブログ書いてる時点でもう、電脳バーチャル世界にどっぷり(^^;ですよね。

 平成の生活も楽しいし、別に不満はないんですけれども、やっぱり自分の肉体の重みというかそういうの感じていたいから、桜の追っかけは続けていきたいと思います。あとは、もう少し桜に恩返しできるといいな。

日本のあちこちに、笹部氏ゆかりの桜はあるそうです。見たい桜が増えて、来年の春は忙しくなりそうです。

 

 

コメント (4)
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