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ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち【国立国際美術館】

2016-11-02 22:32:39 | アート

 

先月末に始まった国際美術館の特別展に行ってきました。

ルネサンスという言葉に魅かれて観に行ったのですが、実はまったくもってこの時代の絵画には詳しくありません。

解説書によればデッサンや構図を重視した様式美のフィレンツェ派に対して、色彩や自由な線に詩的な感性でより人間のナマな感情を描きだしたのがヴェネツィア派なんだとか。

確かにその迫力ある動きと表情はとても人間臭く、肉体の重さを知っている人たちの絵だと思いました。

久しぶりに西洋画を見たので(最近は草とか月とか鮒とか(笑)そういう景色ばかり見ていたので^^;)

これこそが人間だーっ! と、画面前面に押し出された主張には気圧されましたが、貿易で栄えた独立国家ヴェネツィアでは、陰謀渦巻くどろどろの人間模様が展開されていたに違いなく、蠢く激しい感情を吐き出すこのような器が必要だったのかもしれません。

まったくもって個人的な感想ですが、大画面になればなるほど人間がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、どんだけ人間好きなんだ、とちょっと笑ってしまいました。

印象に残ったのは『アベルを殺害するカイン』。

「嫉妬」という、例えば食物を得るために止むを得ずといった理由でなく、人間の欲望や見栄による動機で犯された人類最初の殺人に至るまで、アダムとイブの時代から人間の感情はどのように「進化」していったのか、思わず考え込んでしまいました。

この絵の隣に『動物の創造』が展示されていて、この世に生まれた喜びに満ちて躍動する動物たちを同時に眺めていると、人間は業の深い生き物だなと思います。

けれど、そういうネガティブな感情を正面から受け止めて、素直に画面上に表現するこの時代の画家たちは、人間として凄くまっとうな気がします。

圧倒的に多い宗教画で、死のイメージが『昇天』だったのも興味深かったです。

私自身が持つ死のイメージは『土に還る』、つまり、すべてをありのまま包含するグレートマザーへの回帰ですが、一方、天にいる神様のもとへ『召される』ことは、ただ1つの絶対的な善へ寄り添いたいと願う、とても父親依存的イメージです。あまりにもかけ離れた感覚で、色彩や人の表情など芸術としての美には心が動かされますが、私自身の立ち位置はどこまでも傍観者で、こうして絵を鑑賞しても、信仰として内側に沁みこむことはない気がしました。

素朴な人間臭さや鮮やかな色彩は大好きなんですけどね。

なんだかとりとめのない感想になってしまいましたが、全体的には見応えのある展覧会でした。開幕から10日ほどで既にけっこうな混雑だったので、興味のある方は早めのご来場をお勧めします


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