ぶらっとJAPAN

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談志『芝浜』の思ひ出

2017-12-30 21:57:36 | アート

今年も残すところあと2日となりました。

「大晦日」で思い出すのは落語『芝浜』です。

<あらすじ> 酒好きで怠け者の漁師が芝浜で財布を拾い、その金を当てに仲間を集めて大宴会。酔いつぶれて目覚めた翌朝、妻から財布を拾ったのは夢だと聞かされ支払に困って青くなり、これを機に心を入れ替えて真面目に働くと妻に誓います。3年後の大晦日、すっかり働き者になって生活も安定した男は、妻から、実は財布を拾ったのは本当で、金で身を持ち崩すことを恐れ、「夢だ」と嘘をついたと告白され…。 

人気の演目ですが、談志師匠の『芝浜』を、一度だけ生(ナマ)で聞いたことがあります。大病をされてしばらくたった頃ですから、当時、師匠は60歳代半ばくらい。病気のせいで声がしわがれて出にくくなっていて、高座でも「聞き取りづらくてごめんなさい」とおっしゃっていました。往年の勢いに翳りが出てきた頃かもしれません。それでも談志人気は相変わらずで、有楽町・よみうりホールは超満員。マクラでしゃべる時事ネタ絡みのブラックな「くすぐり」に、客席前方から野太い笑い声があがります。マクラ目当ての人もいるそうで随分長い。もしやこのまま終わってしまうのではと思った時、さらりと始まったのが『芝浜』でした。 

それまでのお気に入りは志ん朝の『芝浜』。しっかり者の女房に、ちょいと頼りな気な旦那夫婦の情愛が明るく品良く語られ、しみじみとしたラストで心にぽっと灯がともります。CDでしか知りませんが、極上のおとぎ噺な世界は、年末にぴったりの一席です。

談志師匠の『芝浜』はまったく違いました。妻は、自分で十分な稼ぎを得るほどの才覚はなく、さりとて苦界に身を沈める度胸もないから、こんなだらしない男にでもすがりつくしか生きる術がない。なにより一緒にいたい。だから死ぬ気で「夢だ」と嘘をつく。そこに「かしこさ」や「機知」はありません。2人が居る空間は生臭く昭和の場末感が漂い、苦しいほどのリアリティがありました。貧乏はきれいごとではないのです。

こんな『芝浜』いやだな。

なんか惨めすぎる。息が詰まって眉間にしわを寄せていたら、突然、師匠の身体がぐらりと前に傾き、噺が中断してしまいました。

「ごめんなさい、ちょっと目がくらんで……」

額を押さえながら素に戻った師匠が詫びています。しばらく無言で堪えたあとに再開、サゲまで語り切りましたが、再開後は、素人目に見ても師匠の集中力が途切れて出来は良くなく、そのせいか、翌日見た公式サイトでも『芝浜』の演者は談志師匠ではなく、全く別の、弟子らしき人の名前になっていました。

あれから月日がたって、師匠が目指していたものは、現代人が自分の生活と照らし合わせてリアルに共感できる「生きた」噺だったのではと感じています。最近知りましたが、『芝浜』は、師匠が大病後、永年にわたって取り組み続けた噺だそうですね。おそらく私が聞いた当時、思った以上に師匠の体調は芳しくなかったのでしょう。その中で、なお新しい戦いに挑もうとしている、まさにその現場を目撃したのかもしれません。

会が終わって、客が席を立ち始めてからも、師匠は高座に残って「ありがとうございます」と繰り返しながら見送ってくれました。「昔の寄席は靴を脱いで上がるから、終演後に下足番で時間がかかるんですよ。でもって、こういう風に噺家が高座から見送るってのは当たり前のことだったんだ」。一席終えた高揚の中にぽつりと座る師匠の、優しく、そしてどこか物寂しげな姿が心に残っています。

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