日々ふさおまき

走って跳んで歩いてます。

ユングフラウヨッホ

2008-08-20 05:07:18 | ふさおまき(オス)日記
氷河見物にユングフラウヨッホへ
登山電車でトンネルくぐって、何にもしないで3454メートル
いくらなんでも、なので、メンフィスフッテという山小屋まで
雪原を往復しました。
もちろん、ついたら、記念品をということで、
シール一枚。
コーヒーもいただきました。
帰りは、アイガーグレチャー駅のレストランで
氷河を背負って昼食後に
あいがーとれいるをハイキングしました。
万年雪と氷河の違いはなんなんだろう?

スイス旅行 チューリッヒ到着 お夕食

2008-08-19 04:31:54 | ふさおまき(オス)日記
スイス旅行記、です。
一日目の宿ではネットに接続できず、遅れてのアップと
なりました。
では・・・


8月16日 12時間のスイス航空フライトから開放され、
まずはチューリッヒで一泊目。ホテルは日本の代理店が
リーズナブルという理由で押さえてくれた宿。伝統的な
作りが売り物、という確かに古いしつらえは堂々として
たとえ乱雑のおかれた観葉植物でさえ、しっとりと溶けこま
せてしまうさすがの包容力がある。で、古い宿は古い裏通りに
ありまして、レストランが向こう三軒両隣、さらに真下にも
ある便利さと、午前2時になっても高歌放吟する若者たち
のにぎやかさがあるという文化度香る感じが印象的です。
夏の週末だからでしょう、世界の金融都市と言われるチューリッヒ
が私にはまったく違うものに感じられました。

夕食は近所。歩いて5分ほど、古い小道をさらに世界ふれあい
町歩き風に家々の間へと分け入ったところです。
インターネットで探した、スイス料理が食べられてスープが
自慢というレストラン。ぶっきらぼうで豊満な妙齢の女性と、
優雅な笑顔と明瞭な英語の発音が心地いいマダム風の女性が
サービスをしてくれます。34度の東京から22度の町へ来て
少々からだが冷えてきた私たちは、迷わずスープを2壷リクエストし、
後はメインにウインナーシュニッツエルと子牛肉のマッシュルームいり
クリームソース煮をチョイス。これが全て正解。
何か、良くイメージがわかなかったスイスの味とは、バターや生クリームの
共通点である「乳脂肪分」のコクと香りだと、○の意味を
自分なりに見つけたということで正解なのです。

フレンチフライと、ジャガイモの千切りをお好み焼きのようにして焼いた
付けあわせがそれぞれにたっぷり載っていておなかはいっぱい。
食後は湖に回って、サマータイムのあと1時間を楽しむ午後7時の
町歩きを楽しんだのでした。


Internationalな成田

2008-08-15 22:29:57 | ふさおまき(オス)日記
写真は、夜闇に浮かび上がるコンビニエンスストア、ではなく
その背後にそびえるインターナショナルという名のつくホテルです。
同じ名詞がつくホテルが、ここ成田市にはたくさんあるようですが。

明日からはスイス旅行。氷河を見て、氷河がつくった地形をハイクします。
チューリッヒに向かう飛行機が午前便のため、初めて成田前泊を
してみようと、早起きが苦手というおうか、人生の寝る権利を
決して手放さないメスのフサオマキと、何かとホテルを覗くのが
好きな私との間で話がついたわけです。ややこしい説明ですね。

お盆にも働く妻と山手線の西部予備校近く駅で待ち合わせたのが、
夕方5時。今回は山へ行くからとスーツケースをやめザックにしたため、
家から20分の歩行といえ、背中15キロ、前に機内持ち込み用
サブザック10キロが肩にめり込み、34度の都心の熱気に
Tシャツも絞るほどの汗で気持ちの悪さを覚えます。
しかも都会の電車は、いつもどこかで事故があるのを忘れていました。
ホームにでると、遅延のアナウンス。
日暮里での京成ライナーへの乗り換えにほとんど余裕を見なかった
スケジュールに不安をおぼおえつつ、遅れてきた山手線に乗り込みます。
乗車およそ25分、ほとんど半周という珍しい山手線長時間乗車を
済ませた後、日暮里の乗換え口に大荷物のよたよた歩きでたどり着き、
初スカイライナー体験です。
からからの喉、きっと車内販売がある、と話つつ乗り込んでみたら
あったのは自動販売機。定価なのが良心的です。
私鉄らしい入り組んだ街中を走る間は、ととえスカイと名がつく特急でも、
地を這う地道なスピードではしり、郊外の田園風景に入るとともに
飛ぶような勢いに変わります。
車内ではスイスの旅行行程や実家の話が入り混じる、つがいらしい
四方山話をしているうちに成田駅着。
18時20分の町は、ビルの間のケヤキにムクドリが集団飛翔、
独特のけたたましい鳴き声をあげて、ブルーグレイに溶け入ろうとする
空に黒い影を、フィッシュボールのごとき威容で埋め尽くします。
目を転じてホテル行きのリムジンバスを待つバス停。
こちらはフサオマキの2人を除けば全てホモサピエンスという
同じ生き物の集団ではありながら、驚くほど表現形に違いがある
人々が並びます。英語ドイツ語は肌が白く、寡黙な女性二人は
スカーフで頭を包み、アジア大陸を席巻する国言葉も聞こえます。

なるほど。
成田駅はお盆前で、たとえ市役所が近くにあっても、地元の人と見える
人はほとんどおらず、インターナショナルな雰囲気でつつまれるのです。
ああ、この雰囲気が感じられるだけでも、成田に前泊した甲斐があった
ものだと納得しつつ、25分送れてやってきたバスに乗り込んだのでした。

終わり・・・・
と思ってたのですが後一言。
ホテルの夕食はバイキング。子供たちがアイスクリームを、力いっぱいスクイズ
して、フリーザーの蓋を閉めずに行ってしまうのは微笑ましい光景ですが、
ある男性のお年寄りが、子供たちの間に割り込んで、ケーキにアイスクリームにとデザートを何度も何度もとりに来る姿には驚くべきものがありました。
食べ物恐い・・・



お盆 サルに帰る

2008-08-14 16:51:33 | ふさおまき(オス)日記
今日から無事夏休み。仕事のことはあっさり忘れ、フサオマキに変身。
夢の島陸上競技場で、大きめでやや年を重ねたサルが、
120M流し2本と、200M90%を1本、夢の島名物
海風に乗ったり立ち向かったりしながら走りぬけ、
待望の走り幅跳び練習に入る。
ここは、トンボや踏み切り板一式をリヤカーに乗せて
貸してくれるのに200円を払います。
キュートな事務窓口のお姉さんに支払いを済ませ、砂場へGO。
大学生らしき2人の3段とびジャンパーと左右の助走路を分けあって、
ほぼ2時間、日よけもないのが当然の陸上競技場で、立ち幅跳び、短助走、
31Mの全助走と、サル跳びに興じたのでありました。
意識はサルなので、駆け抜ける感じより、踏み切り板で蹴り上げ、
ジャングルのツタに飛びつくくらいのつもりを体得すべく
練習を重ねたのですが、いかんせん足首や踏み切り足の右全体に
支える力が不足していて、踏み切り板に乗ったとき、助走の勢いは
ご破算にしてベクトル改変をすることがあたわず、体は勢い良く
前ばかりに進むのでありました。
そうなるとどうなるか。
つんのめったような着地になり、下を向いた顔には勢い良く砂が舞い上がり、
口で砂をかむことになってしまうのでありました。
ああ。
悔しくて時間を重ねるほどに、筋肉の力はなくなり、砂は大量に口へ。

練習が終わって浴びたシャワーはどろどろ。石鹸をつけて体を拭くと、
タオルが真っ黒になったのでした。

思わぬ夢の島

2008-08-14 00:30:50 | ふさおまき(オス)日記
午後からの仕事の前に
久しぶりに跳びたいと新木場へ。
目指すは夢の島陸上競技場で、今日は一般開放だと
サイトで調べておいた、つもり。
入り口に近づくと、高校生らしき一団がホームストレートを
駆けているのが見える。
ところが・・・
利用券売機には白い札。「貸切使用。個人開放は午後2時から」
どうやら急に団体が入ったらしい。
それにしても、弟まで引き連れた私は立場がない。
物分りがいい兄弟なので文句を言う気にもならないし。

とりあえず、外へ。
滅多に来ない夢の島。
せっかくだから、何か見るべきものを見ようと、
どこまでも平らで、海際の暖かい気候を生かした
照葉樹が歩道沿いに並ぶ公園を歩き回る。
土の陸上競技場、すり鉢型の「コロシアム」と標された
芝生の広場を抜け、気になる立て看板の誘導に従うった。
「第五福竜丸展示館」
船の名と、ビキニ環礁での水爆実験にまつわる
放射線被爆はすぐに思い出したが、
それが夢の島にあることも、いつごろの出来事かも
よくは知らなかった。
夏休みで、学生さんらしき人の姿や、子供連れもいるが、
それほど混んではいない。はっきりいえばすいている。
それでも、ちゃんと解説員のガイドツアーもあるようで、
熱心にメモを取りながら聞き入る団体もあるところに、
8月の現代日本の現状と良心を同時に見た思いがした。

展示の大部分は、室内に見上げる140.86トン、長さ28.56mの
木造船。1954年、母港の焼津からマグロを追って
太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁まで漕ぎ出していた。
延縄を失いながら、戦後日本の栄養不足を補う使命を負った
船と船員。
被爆の日の日誌。
語らぬものが語りかけてくる。
あくまでも核実験の影響と、福竜丸の人々の発病を
認めなかったアメリカ。
40歳で闘病する無線長と家族の写真。
福竜丸の被爆をひとつのきっかけとして、ノーベル賞を受けた
アインシュタイン、湯川秀樹をはじめとする科学者たちの宣言。

展示の力を真摯に受け止めるだけの1時間を過ごし、
建物を出た。
夢の島はただごみを埋めただけの浮島ではない。



東京体育館サブトラック

2008-08-12 22:20:57 | マスターズ陸上(オス)
11日(月)、快晴です。ウチからウォーミングアップを兼ねて30分歩き、千駄ヶ谷の東京体育館サブトラックへ。夏休みのお盆の平日、どんな人が来ているやらと思ったら、マッチョなお兄さん軍団20人ほどがトラックをランニング中。ここは一周200Mと、ふつうの半分しか距離がない分、カーブがきつく、大男が群れているとわっさわっさしてしまい大迫力に近づけません。しばらくは人工芝の上でストレッチにいそしみ、お兄さんたちが肩で息をしながらグランドから出て行くのと入れ替わって走路に入りました。100Mの軽い流しを3本。近頃はヤリのトムテレツ→福島大・川本氏翻訳ポンピュンランを頭に描き、路面をプッシュして反発の力を感じ、足を軸に腰で受けるタイミングを覚えるようにしました。ただ、まだまだ反力を推進力のベクトルに利用するすべがわからず、浮いた体は、着地に時間がかかり、足の回転が遅くなっているような気がしてしますのです。これは筋力不足が弱点となっている証なのかと考えつつ、答えの検証をする前に、腰や膝に疲労と若干の痛みを感じてしまうのが、マスターズ世代の限界なのでしょう。もうしばらく、丹念に練習を積み上げ、9月の宮崎・全国マスターズ陸上全競技選手権をめざします。