日々ふさおまき

走って跳んで歩いてます。

お盆 サルに帰る

2008-08-14 16:51:33 | ふさおまき(オス)日記
今日から無事夏休み。仕事のことはあっさり忘れ、フサオマキに変身。
夢の島陸上競技場で、大きめでやや年を重ねたサルが、
120M流し2本と、200M90%を1本、夢の島名物
海風に乗ったり立ち向かったりしながら走りぬけ、
待望の走り幅跳び練習に入る。
ここは、トンボや踏み切り板一式をリヤカーに乗せて
貸してくれるのに200円を払います。
キュートな事務窓口のお姉さんに支払いを済ませ、砂場へGO。
大学生らしき2人の3段とびジャンパーと左右の助走路を分けあって、
ほぼ2時間、日よけもないのが当然の陸上競技場で、立ち幅跳び、短助走、
31Mの全助走と、サル跳びに興じたのでありました。
意識はサルなので、駆け抜ける感じより、踏み切り板で蹴り上げ、
ジャングルのツタに飛びつくくらいのつもりを体得すべく
練習を重ねたのですが、いかんせん足首や踏み切り足の右全体に
支える力が不足していて、踏み切り板に乗ったとき、助走の勢いは
ご破算にしてベクトル改変をすることがあたわず、体は勢い良く
前ばかりに進むのでありました。
そうなるとどうなるか。
つんのめったような着地になり、下を向いた顔には勢い良く砂が舞い上がり、
口で砂をかむことになってしまうのでありました。
ああ。
悔しくて時間を重ねるほどに、筋肉の力はなくなり、砂は大量に口へ。

練習が終わって浴びたシャワーはどろどろ。石鹸をつけて体を拭くと、
タオルが真っ黒になったのでした。
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思わぬ夢の島

2008-08-14 00:30:50 | ふさおまき(オス)日記
午後からの仕事の前に
久しぶりに跳びたいと新木場へ。
目指すは夢の島陸上競技場で、今日は一般開放だと
サイトで調べておいた、つもり。
入り口に近づくと、高校生らしき一団がホームストレートを
駆けているのが見える。
ところが・・・
利用券売機には白い札。「貸切使用。個人開放は午後2時から」
どうやら急に団体が入ったらしい。
それにしても、弟まで引き連れた私は立場がない。
物分りがいい兄弟なので文句を言う気にもならないし。

とりあえず、外へ。
滅多に来ない夢の島。
せっかくだから、何か見るべきものを見ようと、
どこまでも平らで、海際の暖かい気候を生かした
照葉樹が歩道沿いに並ぶ公園を歩き回る。
土の陸上競技場、すり鉢型の「コロシアム」と標された
芝生の広場を抜け、気になる立て看板の誘導に従うった。
「第五福竜丸展示館」
船の名と、ビキニ環礁での水爆実験にまつわる
放射線被爆はすぐに思い出したが、
それが夢の島にあることも、いつごろの出来事かも
よくは知らなかった。
夏休みで、学生さんらしき人の姿や、子供連れもいるが、
それほど混んではいない。はっきりいえばすいている。
それでも、ちゃんと解説員のガイドツアーもあるようで、
熱心にメモを取りながら聞き入る団体もあるところに、
8月の現代日本の現状と良心を同時に見た思いがした。

展示の大部分は、室内に見上げる140.86トン、長さ28.56mの
木造船。1954年、母港の焼津からマグロを追って
太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁まで漕ぎ出していた。
延縄を失いながら、戦後日本の栄養不足を補う使命を負った
船と船員。
被爆の日の日誌。
語らぬものが語りかけてくる。
あくまでも核実験の影響と、福竜丸の人々の発病を
認めなかったアメリカ。
40歳で闘病する無線長と家族の写真。
福竜丸の被爆をひとつのきっかけとして、ノーベル賞を受けた
アインシュタイン、湯川秀樹をはじめとする科学者たちの宣言。

展示の力を真摯に受け止めるだけの1時間を過ごし、
建物を出た。
夢の島はただごみを埋めただけの浮島ではない。


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