ディミトリー/岩崎京子訳 , 大平真木子訳『ぼくのユモファント』草風館1996年

著者のJ.M.ディミトリーは1935年スイス生まれの世界的に著名なクラウン(clown)。彼の絵と文による絵本。巻末の解説に、「著者ディミトリーについて」「岩崎京子 ディミトリーさんのこと」「西田敬一 現実社会とずれたもうひとつの世界――ディミトリー雑感」が掲載されている。
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高木仁三郎『プルトニウムの恐怖』岩波新書1981年

特に書き写しておきたい箇所は次の通り。
・「プルトニウムは自然界には存在せず、人工的にのみ作られる。同位体(アイソトープ)のうちプルトニウム239の半減期は約2万4千年(表紙裏から抜粋)。
・「今では、とくにプルトニウムを生産しようとしなくても、原子力発電を行えば必ず副産物としてプルトニウムが生成する(19頁)
・「核燃料サイクルの見取図」(64頁)を見ると、軽水炉サイクルと高速増殖サイクルをつなぐところに「再処理工場」があることがわかる。再処理(工場)については82~85頁に記述されている。
・日本が1980年にウランを輸入している国は、カナダ、ナミビア、オーストラリア、南アフリカ、ニジェール(101頁の図)。
・プルトニウムの「毒性が生じる最大の原因はアルファ線……のもたらす生体に対する悪影響」(109頁)。
・「原子力という科学技術システム……を問い直すことは、とりも直さず現代の文明を問い直すことにもなるのである。」(209頁)その理由は「閉鎖的なシステム」(210頁)、「誤りの許されなさ」(211頁)、「近づき難さ」(212頁)。
・「そもそもの問題はエネルギーそのものではなく、より人間的な、解放された社会をどうつくるか、ということにある。……まずエネルギー依存型でない文化をどう創るか、ということに大きな関心がある。」(223頁)
・「問題はひとりひとりの生活から発して、どんな社会を構想するか、という点に帰着しよう。……どんな技術に頼るかは、その構想の出発点ではなく、その帰着から導かれるもののはずである。いま求められているのは、明日の食卓に一切れでも多くのパンを確保しようとする努力ではなく、子や孫たちの食卓をとりまく環境に思いを馳せる気持ちではないだろうか。」(同前)

(所感)
日本の電力発電量は、約20年前に比べ約2倍に増えている。この間の国内総生産(GDP)の伸びを上回っている。2002年では、日本の電力発電量の3割を原子力発電が占める。(以上は、『統計でみる日本2005』日本統計協会2004年、p.222)
鉄腕アトム世代にとっては、ウランは単なる“妹”というイメージでは済まされないことがわかる。節電が肝要だ。本書に記述された反原発の運動家に対する怪事件は、映画『ペリカン文書』(1993年アメリカ)を思い出させた。北東アジアの国際関係を考える上でもプルトニウムの基礎知識が必要だろう。

本書の続編として
高木仁三郎『プルトニウムの未来――2041年からのメッセージ』岩波新書1994年
が書かれた。特に序章が興味深い。
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