魚住昭『渡邉恒雄――メディアと権力』講談社,2000年

中央公論社に不採用となったことがあった由(p.84-85)。興味深い。
”社会部の読売新聞”の社会部への入社を希望したものの入る余地がなく、新人時代は『読売ウイークリー』(週刊読売の前身)編集部へ預けられて修行したこと、のち、政治部記者として自民党幹部へ深く深く食い込み、政局にたくみに絡み、読売新聞社の独裁者にのしあがっていく過程、1999年に日本新聞協会の会長になるまでが描かれている。
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