徒然なるままに、一旅客の戯言(たわごと)
*** reminiscences ***
PAXのひとりごと
since 17 JAN 2005


(since 17 AUG 2005)

DC10 こっちはひと足お先に、ではすまされない

 引用記事にもありますが、名機です。

その美しい姿、ダイナミックな離陸上昇、Body Center Gear を出して Full Flap でアプローチする姿、東南アジア独特のスコールが通り過ぎた夕焼けをバックに駐機する姿、等など、どれをとっても絵になる三発機です。

先に退役した全日空の L1011 トライスターも秀逸な機体で、ロールスロイスのエンジンとも相まって、これまた魅力的な機材でした。

DC10 の後継機である MD11 は既に退役しており、これで日本の航空会社から三発機が姿を消すことになります。

このDC10退役前倒しについては、10月20日に「 DC10退役間近 10月末にライン稼動終了 」として投稿しました。

当初の計画では、DC10のライン稼動終了(退役)は、2006年3月末の予定だったのです。それが証拠に、JAL国際線時刻表 2005年10月30日~12月31日版には、11月・12月共にDC10の稼動が記載されています。

JAL_INTL_Timetable_2005_Winter

この早期退役について、日本航空(会社側)は「8月の日中航空協議が合意に至らず中国線増便が延期され、結果として機材余力が発生したことにより事業計画部門と調整しDC10のライン稼動終了時期を前倒しした」と説明しているようです。

半年もの前倒しを、わずか1ヶ月前に通達する(9月26日の事務折衝において乗員組合に通達してきたらしい)とは、どこぞのお国の首相に似てはいませんか。さしずめ“会社もいろいろ”と言ったところでしょうか。

どうもこの早期退役の裏には、会社経営陣のイメージ先行の硬直化した脳味噌が絡んでいるようです。
DC10では JAZ058/12AUG FUKHNL で、離陸直後に No.1 エンジンのタービンブレード破損により福岡市街地に金属片をばら撒く、というイレギュラー運航がありました。それを受けて、JALグループの最高経営責任者である新町氏は『もう福岡にはDC10を乗り入れない』と、自社社員が精魂尽くして整備し愛着を持って運航している機材に対して「DC10よ老朽化したお前は会社のイメージダウンだ」と見捨てるような発言をしています。
乗員組合が会社側に当該イレギュラー運航が早期退役に何らかの影響を与えたのか?と問いただすと、会社側は、『基本的には影響していない』『ほとんど影響していない』と、これまた現場で努力している方々やDC10に非常に失礼な回答をしています。

この予定外の早期退役により、DC10の FO: First Officer (副操縦士)で稼動できない方々が26名にもなるそうです。その方々は、来月のスケジュールからフライトが入りません。型式限定資格維持のためのシミュレータ訓練も FO の方は対象外とのことです。
※機長の有資格者は半年毎のチェックとそれによる型式限定資格維持が必要なため、ライン稼動が終了しても、機体を売却するまでは SIM 等により資格を維持する乗員が残るようです。

会社の繁栄に寄与し、今日の礎を築いた機種への感謝の思いは何処へやら、老朽化してきて整備コストの切り詰めも限界に達し、トラブルで会社のイメージ・ダウンに繋がるから、との短絡的発想で退役を前倒しする新町氏をはじめとする経営陣と事業計画部門のトップの方々。一日も早く退役を前倒ししなければならないのは、脳味噌の整備のしようが無いあなた方なのではありませんか。

今日も含めて、ライン稼動があと二日になってしまった鶴社のDC10。DC10に魅せられたファンやお客様はもとより、その操縦桿を握ったパイロット、フライトに欠かすことの出来ないプロフェッショナルであるフライト・エンジニア、決して使いやすい Galley ではなかったけれど、お客様により良いサービスをと頑張ったCA、安心して乗務してもらえるように日夜懸命に整備したメカニック、他にもディスパッチやグランドなど、DC10の運航を支えてきた現場のみんなは、決してその勇姿を忘れることは無いでしょう。

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DC10型機が引退へ=30年活躍、消える「3発機」-日航 (時事通信) - Yahoo! ニュース
 垂直尾翼の下にエンジンを搭載した形が特徴の日本航空DC10型機が31日、韓国・仁川発成田行きの便を最後に引退する。一時代を築いた名機だったが、新型機への更新を理由にその役割を終える。エンジン構成から「3発機」と呼ばれ、ファンに親しまれた機体は日本の航空会社から姿を消すことになった。
 日航によると、米ダグラス社が開発したDC10は1976年7月に東京-札幌、福岡便に初就航。ジャンボ機より一回り小さいながら高い航続性能が重宝され、翌年から国際線に投入。83年には中曽根康弘元首相の東南アジア歴訪にも使用され、多い時で20機が活躍した。

(時事通信) - 10月29日15時1分更新
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