もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

きっかけ・・・。 ~ 私とカンボジア

2017年12月09日 | マラソン・ランニング

 寒い日が続きます。

私の住む辺りは大丈夫ですが、高島市でも北の方角を見ると雪雲に覆われています。

来週もしばらく寒そうです。

さて、私はこのところ体調がすっきりしません。

11/30にベトナム・カンボジアへ行くときから、のどにイガイガ虫が生息していたのですが、現地ではイガイガ虫が成長してしまい声が出ない状態に陥ることに。

12/5に帰国し、あまりの寒さも合わさってか、声が枯れたままで、咳と痰がひどくなってしまいました。

病院で診てもらい、服薬治療中ですが、まだスッキリしません。

おかげさまで発熱等はなく、至って元気そのものであります。

 

今朝もそんな状態ですので、とても朝RUNというわけにもいかず、家に引きこもって養生中。

そこで、暖かったというか暑かった1週間前のカンボジア滞在のことを思い出していた次第。

そんな時にふと思い立ち、初めて行った時のことを振り返ってみました。

平成18年の夏、まーとん、ベッチ、さとっちゃんの同級生4人で九州へ旅行に行ったとき、カンボジアの話題がまーとんから出て、それに乗ったのが私。

以前、高島市の合併前の新旭町にある旭化成工場で、当時の町長さんが音頭を取り、地雷処理を行ってました。

その当時、関わっていた人の一人が今回一緒に行ったH氏です。

地雷と言えばカンボジア。

そんなご縁もあり、当時NGOハートオブゴールドの有森裕子さんとの交流も開始。

確かまーとんがその町長さんたちと訪れたのが最初?

そんなことから、まーとんから一緒に行こうとなった次第。

そして、平成18年(2006年)12月にハートオブゴールド主催のツアーに参加しました。

初めてのカンボジア、ツアーの行程では、有森さんと一緒。

色々と普通の観光ではいけないところも訪ねました。

地雷処理の日立建機さん

本当の地雷処理現場。

病院への支援。

水上生活者がたくさん住まわれているトンレサップ湖。

初めての当時は衝撃的でした。

それと、初めてのアンコールワットなので感動。

それから、現地の子供たちとの交流。

こどもたちと一緒に3キロウォーキング

この男の子二人とは、特に仲良しになりました。

今は、どんな大人になっているのかな?

そして、一応マラソンと名のついた4キロミニマラソンに出場しました。

そのときの4キロミニマラソンでも、普段全く走ったことがなかったので、ヒィーヒィーハァーハァーで死にそうなくらいでした。

そんな時に、ほとんど子供たちの参加ばかりで日本の大人なんか私たちだけのような感じでしたので、こりゃせめて10キロに出ないとあかんなぁ~、と話していたことを覚えています。

今から思えばあれから11年、当時43歳だった私も54歳で孫もできました。

ただ、今ではハーフに出場しています。

そして、しばらく月日が経過。

6年後の2012年、2度目のカンボジアです。

まーとんと二人で向かい、個人的に小さな小さな支援などを開始した時です。

この時は、初めてのハーフにエントリーしてました。

大丈夫かな?との不安が大。

まぁ、いつもですが・・・。

そこで、過去のハーフマラソンの軌跡を辿ってみたところ・・・。

2012年 2時間51分。

2013年 2時間34分29秒

2015年 2時間56分54秒

今年   2時間56分51秒

よく見れば、2013年を除き、同じようなタイム。

今年が特別遅かったわけではないということ。

どちらにせよ、完走が目標ですから・・・。

 

何回か訪れているカンボジア、そんな中で親しく交流ができました。

ソフィアさん ➡スナーダイクマエ孤児院出身で最初のころガイドをお願いしました。

        ものすごい努力家で経済的自立を目標に事業を起こしたり、頑張ってます。

スレーニーさん ➡スナーダイクマエ孤児院出身で、ソフィアが連れてきたことから交流が開始。

        勉強熱心で今はプノンペンで勉強と仕事に頑張っています。

ケィンさん  ➡スナーダイクマエ孤児院出身で、今回もとてもとてもお世話になりました。

        何事にも真剣、そして芯が通っていて、頑張り屋。人柄も含めて、とてもいいです。

それぞれに、孤児院で育つ境遇で、努力をし、辛抱をし、向学心に燃えて頑張ってきました。

日本語を勉強し、生活態度のしつけを身につけ、立派に成長しました。

それも、スナーダイクマエ孤児院のメアス博子さんの力だと思います。

 

スレーニーとケィンは、2015年に行った際、「桜が見たいなぁ。」と憧れの日本への夢を語っていました。

もちろん、経済的な理由から日本への渡航は無理です。

それを聞いていた、3人(まーとん、隊長、私)は、2016年の冬、あの二人を日本へ招いてあげようプランを考案。

様々な障害がありましたが、昨年4月に念願の日本へとやってきました。

桜を見たり、京都へ行ったりと夢のような日を過ごせたと、今でも言ってます。

 

そんなこんなと、カンボジアとの縁がある私。

今でも、食べ物が合わないのが情けないこと。

これが克服できると、もっと楽しめるのになぁ。

まぁ、仕方がないか。

 

さて、来年も行けるかどうか?

ハーフが走れるかどうか?

まずは、持病の悪化を防ぎ、健康でいなければなりません。

また、一年、精進です。

 

最後に、NGOハートオブゴールドが関わってこられたアンコールワットハーフマラソン18年の軌跡です。

よろしかったらご覧ください。

     👇

 https://youtu.be/wdoYKXC_0Yg

コメント (2)
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