オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

また大蔵海岸。

2009年12月30日 | 徒然雑草(釣りのこと)
今日から会社休みです。

早速釣りに行って来ました。場所はいつもの明石・大蔵海岸ベランダ。
とりあえず釣り自体に慣れるまで、ココでいいかあという感じです。

とか言いながら、エサ屋さんでアイナメの魚影の濃い場所をリサーチなんかしてたりするんですが(笑)。

釣果は、お持ち帰りはコブダイのコドモ1尾(18cm位)、ガシラ1尾(15cm位)。
リリースは10cm程度のミニガシラがそこそこ(憶えてない)。

今日は釣果よりも何かヘンな感じの釣行でした。
調子が悪いっていうのかなぁ…。いや体調が悪いわけじゃないんだけど。
うーん、思ったように竿やリールを操作できないっていうか、そもそも糸を結んだりといった作業がどーもスムーズじゃない。

なんだったんでしょ???

そんなわけで楽しいのは楽しかったんだけど、なんかノドの奥にサカナの骨が引っ掛かってるような感じの一日でした。

あ、ひょっとしたら釣りの神様が不機嫌になったのかも。
だって今日のポイントは朝霧川西側の磯浜に近いところに陣取ったんだけど(まあ探り釣りだからウロウロするけどね)、その選定理由は「駐車場&トイレに近いから」(笑)。

「舐めた釣りするんじゃねぇ!」という天の声?

「資本論ブーム」について考える。

2009年12月29日 | 時事ネタ(独善的見解)
またまた久しぶりの「小沢昭一的タイトル」。
例によって内容は大した事ありませんが。

だってびっきぃは経済学出身のくせに「資本論」読んだこと無いんだもーん(ひらきなおり)。
いや、マルクスやエンゲルスの思想のエッセンスは勉強したよ。一応。あくまで一応(笑)。

なのでタイトルをよく見て頂けると判るかと思いますが、「資本論について考える。」ではありません。
「資本論ブーム」について考える、であります。

つまり、なぜに今「資本論」が読まれているのか。マルクス思想が取り上げられるのか、ということを考えてみようじゃないの、ということです。

あ、最初に断っておきますけど、びっきぃは共産主義者ではありません。といって資本主義者(?)というわけでもないし、まして市場原理主義者では絶対に無い、です。
カッコつけて言うと、「共産主義・資本主義を超えた新たな政治経済システムを模索する者」、であります。世界中の人々が不安に怯えることなく生きていける世の中を望む者です。

さらにお断りしますと約5,500字あります。読まれる方は覚悟?してどーぞ(苦笑)。

んで、最近の「資本論ブーム」。少し前の「蟹工船ブーム」に通じるものを感じますね~。
共産主義が失敗に終わったと思ったら、どうも資本主義も怪しいぞ、と。
特に、最近の金融資本主義、搾取的資本主義、市場原理万能資本主義?てのに限界を感じている人が増えてきたってことなんでしょうねえ。

実際、その手の本が馬鹿売れしているわけですし。

んで、なぜに「資本論」か?マルクスか?ということなんですけど。
以降、いつもどおりの独善的見解。

みんな何も「共産主義を見直すべきなのかなあ?」なんて思っているわけじゃないと思うんです。
マルクス思想については、基本的にそのエッセンスはみな知っているわけです。
ただ、資本主義(初期のアダム・スミス的な経済観)ってのをマルクスがどう考えていたのか、そしてそこから共産主義へ至る論理ってのはどんなのだったのかな、を知りたいと思う人が増えてきたのではないのかな、と思うのであります。

さらにいえば、初めての共産主義国家は旧ソビエト連邦だけど、ソ連は帝政ロシアという封建的な旧体制からいきなり共産主義へ飛躍?した国。
そして、競争を前提としない共産主義国家だけれども、競争を大前提とする資本主義の外国とは競争しなければならない、という大矛盾を抱えていたわけですね。

そのような意味で、失敗したからといって共産主義が100%間違っていたとは言えないんじゃないか、とも思えるんです。細かく言えば「マルクス=レーニン主義」が失敗したんだと。

つまり、構造的に独裁体制に行き着いてしまうとか、科学技術などのイノベーションが進まないとか問題点は多々あって、マルクス思想を100%認めるわけにはいかないけど、100%否定もできないな、と。

特に現代の資本主義の堕落(と言っちゃいます。自分さえ、自社さえ、自国さえよければ…、の蔓延のこと。)を目の当たりにしてるとね。

というか、アダム・スミスの「国富論」を盾に富裕層が好き勝手やっていた時代に先祖帰りしているような気がするんですよね。

アダム・スミスは確かに、経済を動かしているのは「利己心」であると「分析」して「利己心による競争が結果的に効率よく社会に善をもたらす(びっきぃの解釈です)」と「分析」したけれど、それはあくまで当時のイギリスの状況とそれまでの経済の歴史を「分析」したものなんですよね。
つまり、今後もそれが唯一の経済の仕組みだ、などとは言ってないわけで。実際アダム・スミス自身は人間の道徳的感情を大切に考えていたように思います。
ただ、こと経済(お金)に関しては「利己心」が最大の行動原理になるということだと解釈しています。

当然ですよね。学問、特に科学的思考、さらに言えば社会科学というのは、ある分野に特化することで普遍的なルールを見つけようとするもの。当然現実は例外事例(もしくは応用事例)のオンパレードになるわけで。
その上で、先人の考えをもとに「発展」していくものが社会科学であり、広くは自然科学を含めた「科学的」なあり方だと思っています。

ところが経済学に関しては、アダム・スミスの後に続く学者や実際の実業家や政治家には「慈善心など不要で非効率で悪」と解釈されてしまったわけで(これもびっきぃの解釈)。

それがようやくケインズ以降、「慈善心…というより財政出動などで市民(労働者)の購買力を高めることが経済発展につながる」という考え方がやっと出てきた。
そして共産主義の台頭を危惧した政治的判断とあいまって、市民(労働者)に対する福祉などが行われるようになってきた。

ところが共産主義が崩壊して、「やっぱり俺たちが正しかったんだ」という意識が資本主義国家に芽生えた。有名なのはフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」ですよね。当時びっきぃも読んだけど難しくてよくわからなかった覚えが(苦笑)。

ま、その辺の「なんでもかんでも善悪二元論」は欧米白人が伝統的に持っている悪い癖(偏見)。

で、偏見はともかく資本主義国家(特に米国)は、ぶっちゃけた言い方すれば調子に乗っちゃったと。
で、アダム・スミス的(というか「国富論」的)市場原理主義が復活、というか勢いを増してきたと。

でもなんかオカシイぞ、と。

実体経済に従属しているはずだった金融が勝手に暴走してバブル起こして破裂して、本来問題無かった実体経済がおかしくなるという最近の状況。
現実的には、昨年「派遣村」で年越しする人たちの姿を見て、なぜこんなに経済発展した国でこんなことが起こるんだ?という疑問。

その辺りが、歴史に学ぼうという人々を「資本論」に惹きつけているのではないのかな?と思うのです。

ただね、びっきぃが思うのは、資本主義にしろ、共産主義にしろ、新しい政治経済システムにしろ、世界中の人々が、お互いの文化や個性を認め合い尊重しあう、という意識にならないと、これからはもう上手くいかないと思うんですよね。

今、資本主義が行き詰ってきているのもそのためだと思うんです。
「今、自分さえよければ」という「先祖帰りの意識」に覆われた世界。むしろ冷戦時代の方がマシでしたよね。

後で大変になることが判っていながら、デリバティブでレバレッジ効かせて(業者は専門用語使ってるけど、要するに一般市民に投資資金を貸し付けてるだけのこと。本来の「レバレッジ効果」というのとは意味が違う。)バブルを起こし、何を作るわけでもサービスするわけでもなく金を殖やす。

それから、派遣労働が原則自由化された時、当初、工場労働者は医療関係者などとともにネガティブリスト(除外業種)に入ってました。
霞が関はわかってたんですよ。工場労働者まで含めると、生産調整で簡単に首切りされてしまう、と。そうなると失業者が増えて国家全体の購買力を減少させ、経済全体がおかしくなると。

自由化の目的はあくまでも産業構造を変えていく為に労働市場の流動化を促進するためだ、と。だから1年以上派遣労働者を雇うなら正社員にしなさい、という条項もあったわけで。

でも、2~3年したら産業界(どことは言わんけど)からの圧力で工場労働者も派遣OKになっちゃった。
つまり「自分の会社さえよければ」で、いつでも労働者の首を切ってコストダウンできるように法律を変えさせたわけです。

んで、昨年大問題になったのが「派遣切り」。今でもニュースにならないだけで問題はそのままでしょう。
この問題(派遣労働対象業種の拡大、派遣期間の延長)は、切られた派遣労働者の悲劇であるんだけど、マクロ的・長期的にみれば、失業者の増大と収益(つーかGDPって言ってもいい)の減少、さらにそこからの労働分配率の減少に結びつきますよね。

つまり「自分の会社さえよければ」で多くの企業が派遣労働者を切れば切るほど、国内の購買力が減るわけで、そうなるとさらに生産調整で人員カット、消費の減少、生産減少…の悪循環。
そうなることぐらい、大企業の偉いさんなら十分判ってたはず。

判ってても「自社さえよければ」で法律を変えさせる。切りやすくなった労働者をあっさり切ってコストダウンする。その結果国内の購買力が減って、「値段下げないと売れない、デフレだ。政府は何やってんだ。」と叫ぶ。ねえ、大企業の偉いさんたち(笑)。

こういう意識をみんなが変えていかないと、どんな体制も上手くいかないだろうし、むしろ新しい政治経済システムなんて生まれないと思う。

本来人間は、お互いを思いやり尊重しあう生物だったはず。
どこで間違ったのかなあ。
やっぱり世界を侵略しまくった中世ヨーロッパ白人とその文化?(大偏見)

さらに言えば、今の経済学ってまだまだ「利己心=自分さえよければ」を暗黙の前提にしていると思うんですよね。
「人間・企業は最大の(経済的)メリットを享受できるように行動する。」といってもいいかなあ。

これは先に書いたとおり経済学の父、アダム・スミスの「国富論」以来の考え方。といってアダム・スミスを批判しているわけではないですよ。「経済」を「科学的」に研究し基礎を創り上げたわけですからね。偉大な人だと思います。
そして当時はまさに「自分さえよければ」の時代。それに則って研究したのは当然のこと。

ただ、問題はその後に続く経済学者たちだと思うのであります。
アダム・スミスが大前提とした「自分さえよければ」の時代背景。そして「過去に起こったこと」を分析・解明する、という経済学のあり方。
そこからほとんど抜け出せていないことが問題なのではなかろうかと。

例えば物理学で言えば、アダム・スミスに当たるのはアイザック・ニュートンでしょう。
でもその後の物理学者たちは、ニュートン力学を基礎にしながらもそれを鵜呑みにしなかったわけですよね。

「謎の現象」が見つかれば、一旦ニュートン力学を横へ置いて、ゼロベースで考え直す。その結果が相対性理論であり、量子論という世界に結びついていったと思うんです。

それと、研究姿勢の問題。ニュートン力学で地球上や太陽系のほとんどのことは説明がつくようになった。でも物理学者たちはそれで満足しなかったわけです。それよりも深いこと、「先」のことを追求した。そうするとニュートン力学では説明がつかないことがたくさん出てきた。そうした姿勢が相対性理論や量子論を生み出し、結果コンピュータやらなんやらが開発されるきっかけになったわけです。

翻って経済学の場合はどうでしょうね。
「バブルがなぜ起こったか。」「デフレはなぜ起こったか。」「景気はどんな風に循環するのか。」etc…。基本的に過去に起こった現象の分析・研究から抜け出せていないと思うんです。

世界中を豊かにするにはどうすればよいか? そもそも「豊か」とは何か、そういったことは純粋に経済学だけを研究してきた学者からは生まれないよね。経済学が社会全体に及ぼす影響はどんどん領域が拡大していっているのに。

今であれば、「仮定として、全人類は利己心よりも慈善心の方が強い。」と、アダム・スミスの大前提をひっくり返してみたらどうなるか、ということを研究してもいいと思うんですよね。

それこそ物理学の「超ひも理論」なんて10次元という突飛な世界を仮定した理論ですもんね。でもそれでいろんなつじつまが合う、という結果になっている(らしい)。証明はできないんだろうけど。

その意味では、マルクスやエンゲルスといった学者(もともと学者ではなかったけど)の「姿勢」は評価すべきだと思うし、その主張の是非は別として、なぜそういうことを考えたのかということを学ぶ必要はあると思うのです。

資本主義の行き詰まりと書きましたけど、もっと砕けた言い方すれば、先進国においてはもうほとんどの産業が成熟化しちゃったわけです。
例えばテレビ。持ってない人が買う新規需要はもうほとんどないですよね。有るのは買替需要だけ。当然新規需要が旺盛な時代と比べれば今の買替需要ははるかに小さい。

それが「成熟化」ですが、日本初め先進国はほとんどすべての産業が成熟化しちゃったわけです。なら当然国内の総需要も減りますよね。そうすると生産も減る。賃金も減る…。どっかで聞いた悪循環ですよね。デフレの悪循環です。

このすべての産業が成熟化した経済をどうすればよいのか、ということを、これからの経済学者には是非研究して欲しい。

じゃないと、金融機関に金が余って、また金融だけで金を殖やすしかなくなってしまう。するとバブルになって、弾ければ株式市場を通じて実態経済がさらにおかしくなる。

もちろん経済学者だけに頼るわけにはいかないですよね。

だからこそ、自分なりの「ユートピア」を見つけるために、「資本論」に手を伸ばす人が増えているのではないか、と思うんです。

そして、「ユートピア」を考えるために「国富論」やケインズ経済学にも興味を持って、「資本論」と比較してみて欲しいなあと思うのであります。

来年はJAZZ&BLUES。

2009年12月29日 | 徒然雑草(オカリナ・ハーモニカのこと)
久しぶりのオカリナ記事です。

ここのところ釣りばっかになってましたからね~。
まあ趣味の世界なので好きにしてればいいんですが。

ということでオカリナの来年のテーマ。
んなものいちいち決めなくてもいいんですけど。

前々から演りたい演りたい、と思っていたジャズとブルース曲に手を出してみようと思っています。…て、思ってるだけ。
だって最近、楽譜作る(オカリナの音域に合わせて移調する)のが面倒なんだもん。
もっとも、メンタル的に回復して楽譜でも作ろうかという気分がでてきたら、当然社会復帰。よって時間が無くなったという状況ではあるんですが。
前の記事の通り、疲労を取るために平日は少しでも早く寝るようにしてますからねー。

まあそれはともかく。
そもそもはメロディー楽器が演りたい、できればテナーサックスが演りたい、というところから始まった今回の音楽生活(?)。

サックスは肉体的に無理ということで、紆余曲折の挙句オカリナに行き着いたのも以前書いたとおりなんですが。
テナーサックスに興味を持つ位なので、もともとジャズやブルースが好きなんです。
といってもまったく詳しくないんですが(苦笑)。

というのは、ジャズ&ブルースって(聴くよりも)演ることが面白そう、という風に個人的に感じているんですよね。

んで、メンタル的に落ち着いてきているし、来年はちょっとずつ楽譜作って吹いてみよう、と。

ただし問題は音色がねぇ。
少なくともノリの良いスウィング系の曲には合わんわなあ(笑)。
ブルースにしても、オカリナの音色の「透明感」とは対極にあるような気もするし(苦笑)。

ま、遊び遊び。

これまで「本当の遊び方(自分の心の底が喜ぶ遊び方、とでも言えばいいのかな)」を知らずに生きてきて、それだけが原因じゃないけどうつになっちゃったわけですからね。

逆に言えばうつで苦しんだおかげで「自分(の心)を大切にすること」の大切さと、それが出来て初めて「他人(の心)も大切に出来るようになる」ことを学んだわけで。

なのでずっと自分のすべてを支配してきた「何をすべきかという思考パターン」は当面封印、というか優先順位を下げます。
「封印」までしちゃうとさすがに社会人としてマズいもんね。

よって(?)、遊びにおいては「オカリナでブルース?ジャス?」という先入観は無視。とりあえず面白そうだから、面白そうに思えたからやってみる。
つまんなかったらやめたらいいだけだし。

今ならハーモニカという手もあるしね。あの頃はテクニックを練習するのが面倒だったけど。。。

とりあえずジャズバラードから曲探しでもしますかね。ぽ~。

釣果情報。大蔵海岸。

2009年12月27日 | 徒然雑草(釣りのこと)
馬鹿の一つ覚え(笑)。

とりあえずご報告。
釣行日は昨日土曜日(12月26日)。
潮は長潮(干満の差が少なく、かつだらだらとした潮流が続く日です)。
天気は曇り時々晴れ。風は西~北西の風、気象庁の表現では「やや強く」。釣り人にとっては「結構強く」(笑)。ただ気温は暖かかったかな。

場所はまた馬鹿の一つ覚えで、明石の大蔵海岸公園ベランダ。今回は朝霧川東。
ケーソン(護岸の基礎になるコンクリートブロック箱)の継ぎ目に陣取って、探り釣り開始。エサはアオイソメ。

一投目いきなりHIT!
「今日の水深はどれくらいかな…」状態のびっきぃはびっくりしつつ、軽くアワセてから、護岸と平行に降ろしている竿を、沖向きに水平に突き出します。こうしないと底の石の間に潜られちゃうからね。

んでリールを巻き巻きすると、クンクンという引き。
おお、これはアイナメが掛かったときの「首振りダンス」じゃないっすか。
…て、結構いろいろ覚えてきたでしょ(笑)。

取り込んだら20cm弱のアイナメちゃんでした。幸先いい~♪

が。

後が続かん。ミニガシラが時々相手してくれる程度。全部リリースです。もっと大きくなってから相手してね♪

結局もう一尾アイナメ(20cm程度)を上げて納竿。
まあ自分としては十分な釣果です。

それよりアイナメとミニガシラ以外はもう岸から離れた深場か暖かい所へ行っちゃったのかなあ。アタリの回数も一月前から比べると全然少なくなってしまいました。あ、メバルはいるんだろうけど昼は相手してくれない(らしい)。

それと底の捨石の上しか狙ってないからね。中層あたりならウミタナゴとかはいるかも(らしい)。

それはともかく、美味しくお刺身で頂きました。
釣りよりも「三枚おろし」の方が上手くなってきているような気がするこのごろ(笑)。

一応持ち直してます。

2009年12月27日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
病気のことです。

そーいえば一週間ぶりの記事になりました。
まああえて病気のせいにすれば、意欲減退という症状のため、ということになるんだろうけど、いちいち病気のせいにしません。単に書く気がおきなかっただけ。うん。

実際火曜日にはほぼ持ち直してきていたし。
ただ疲れやすさは残っています。

こればかりはどうしようもない、というのも事実でして。

というのは、うつの症状というよりも、心筋症の方で処方されているお薬の副作用も原因にあると思われるんです。
もちろん、社会復帰して三ヶ月ですから、これまで気が張っていて自覚しなかった疲れが出ているのも事実でしょうけど。

心筋症のお薬は、βブロッカー(厳密にはαβブロッカー?)とACEブロッカーというのを毎朝飲んでいます。
これの働きは、心臓に「働くな」という指令?を出すこと。
もともとは高血圧のお薬らしいんですけど。

ということで、カラダが疲れてもそれに見合った分の働きを心臓がしてくれないということ。つまり、血液が疲労物質を取り込んで栄養や酸素を運ぶ機能が制限されているということ。

なので当然運動制限があるわけですがそれはそれ。
カラダやアタマの疲れを回復させる機能が限られているので、疲れやすかったり、憂鬱になったり、眠くなったり…という、「うつ症状」的な副作用が起こるんです。

なので自分でも判断がつかん(苦笑)。

ただ、ここ1~2週間(先週末の凹みは別)、朝は気分も体調も元気、夜はダメという状況が続いています。

ということで、状況証拠?的には心筋症のお薬の副作用が疲労感の主要因と思われるんですが。
15時までの時短勤務のころはそんなに疲労感は強くなかったんですけどね。
18時までのフルタイム勤務との三時間の差が大きいのか、単にまだ心身ともに慣れてないだけで、副作用が強く出ている(感じている)だけなのか。

まあね。素人判断は一番いけないこと。
年明け早々に診察があるので、循環器の先生とよく話してきます。
これまでは、疲労感についてはメンタルの先生としか突っ込んだ話はしてなかったんですよ。「これはメンタル的なもんだ」って勝手な思い込み。

ただ、副作用が原因、と仮説が立ったとしてもどうしようもないんだけどね。お薬は減らせないし。
でも副作用も原因の一つと言われれば、疲労感を感じても気分的にもラクだしね。

もういい加減「うつ」は卒業して(何年留年?してるんだか)、心筋症のことに集中?したいものです。

やっぱり一ヶ月。

2009年12月21日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
一昨日土曜日の夕方から急激なメンタルの凹みに襲われてしまいました。

ホントに一番ひどい時に近い状態(泣)。
わけもわからずとにかく落ち着かない、不安、でも何も出来ない(体が動かない)、そんな自分がイヤ…。
うつ症状のオンパレード。

日曜にはなんとか持ち直して来ました。今日月曜日はまあまあ。まだ少し引きずっているかなあ、という程度。良かったよぉ。

やっぱりフルタイムに変わって一ヶ月、想像以上に疲労が蓄積していたようです。
メンタル的には全然負担感じていなかったのですが、体の疲労でしょうね・・・。
それと金曜日の晩、薬飲めなかったのが引き金になったかと。

時短勤務での復帰から3ヶ月、凹みがありつつも調子よく(心)きていたので、調子に乗って(体)しまっていたようです。
休日も釣りだのオカリナだのと出かけてしまってましたからねー。気分はそれでリフレッシュしていたのは間違いないんですが。体の疲れがたまって一気に心に影響がでた、というような感じです。
心と体のつながりを改めて実感した次第であります。注意しなきゃ。うん。

今日は何曜日?

2009年12月17日 | 徒然雑草(釣りのこと)
さて、今日は木曜日。木曜日は土曜日の二日前です。ということはそろそろ準備と情報集めを始める日ですな。

なんの?

釣りに決まってるやん。今のびっきぃは。
超ビギナーだけに、いろいろ試してみたいことがあるんですよ。

んで、まずはお天気と潮まわり…、がーん。
予想天気図みたら、土曜日って今回の寒波のピークみたいじゃないっすか。まるで絵に描いたような(いや、実際絵だったけど)西高東低の冬型。
近畿どころか四国・九州までキレイな等圧線の縦じま模様。

この等圧線の込み具合だと風速10m超えるんじゃ…。雨雲(雪雲)も中国山地越えてくるかも…。普通の冬型なら瀬戸内~大阪湾界隈は晴れるか薄曇なんだけどね。

で、潮はというと大潮の終わり。がーん。
明石海峡が河になる日だよ…、いやもちろん一日中じゃないけどね…。

予想天気図が、ダメな“未来予想図”になってきた。
…ってまた古い歌を。 でもドリカムは昔の方が良かったなあ。って単に自分がそういう年頃だっただけじゃん(笑)。

で、ドリカムは置いといて。

大蔵海岸で北西~西風をかわせるとしたら一番東端の、朝霧駅正面の護岸かあ。
あそこなら、満ち潮は潮表、引き潮は潮裏になるんだったよな…。満潮は11:24(明石港)。
でもそんなデータよりも、どーもあそこは個人的に釣れる気がしない(笑)。なによりも駐車場から遠いし(爆笑)。

んじゃ大蔵以外。
兵庫突堤のいわゆるB、Cポイントなら北東~南東向きで後ろには大きな倉庫があるから風除けになるかなあ。
でも兵突B、Cなんて天気悪くてもきっと大混雑。それに兵突ってあんまり根魚の話は聞かないよなあ。びっきぃが知らないだけの可能性が高いけど。
う~ん、困った。

んじゃ今週は止めればいいじゃん。

それができれば苦労(?)はしないのっ!

…コドモだよ…。

フルタイム復帰一ヶ月経ちました。

2009年12月15日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
…というタイトル通りなんですが。
順調に来ていると思います。メンタル的な好不調の波も含めてね。

ただ、ここしばらく異常に疲れやすい(- -;)。
会社に居る間はそうでもないんですが、帰宅中から就寝まではもうヘロヘロ状態。

休日に釣りしたりオカリナ吹きに行ってもすぐ疲れる。
前回プールに行った時は300mで終わり。目安にしている心拍計の数値的にはまだまだ平気なはずなのに、異常に体が重い。
いつもは逆なんですけどね。体はまだまだいける、と感じるけど心拍数の上がり具合下がり具合を見て切り上げてたんですが。

もちろん二つの病気を通して、心と体に敏感になっているのは確かなんですが。
しかしなあ…。
と思ってはた、と気づきました。

そう、タイトル通り「一ヶ月」なんです。
それがどうした? なんですが。

過去の経験上、状況が変化すると(リワークに通う、プログラム正式利用になる、時短復帰、などなど)、だいたい「一ヵ月後」に何か変調があるんです。
だいたい、最初の一ヶ月はハイな状態になって、その疲れが噴出す感じなんですね。

ただ今回(フルタイム勤務への変更後)は、特にハイになることもなく、マイペースで来れていたように思っていたので「一ヶ月の罠(笑)」を忘れていたのでは、と。

おそらく無意識にハイになっていたんでしょうね。フルタイム勤務に戻れてやっぱり嬉しかったもの。ものすごく。

ということでどうしましょ。ってどうしようもないよなあ。
とりあえず「疲れ易いこと」を必要以上に気にしないことでしょうね。日にち薬です。

まあ時短復帰の一ヵ月後は強烈なメンタルの凹みがありましたからね。それから比べればマシ?かなあ。
今度は肉体の疲れって感じですから、とにかく睡眠時間を確保することですね。
お子ちゃまのように早寝しましょう。うん。

久しぶりのポ~♪

2009年12月14日 | 徒然雑草(オカリナ・ハーモニカのこと)
日曜日、久しぶりにいつもの森林公園へオカリナを吹きに行ってきました。

1ヶ月ぶり?もっとかな。
いつものベンチに座って、目の前の木々たちにご挨拶(笑)。
「おはよー。久しぶり。葉っぱ無くなっちゃったねー。」なんて。

冷えてるオカリナを胸元に入れて暖めながら譜面台の用意。
びっきぃは基本的に暗譜しない派。理由は面倒だから(苦笑)。

で、久しぶりに吹き口くわえて息を入れます。
ポ~♪
あれ? なんかおかしい…。

そりゃそうか1ヶ月吹いてなかったんだから。
で、自分の楽譜ファイルの一番最初に綴じてある吹き方の基本を読み返します。

そうそう、背筋伸ばして、腹式呼吸で、吹くんじゃなく息を入れる感じで唇の力抜いて…。

んー、ちょっとマシになったかな?
で、ウォーミングアップのロングトーンとスケールを少しやって、アップ用の曲を吹きます。

「威風堂々」であります。

なぜ? うーん、なんとなく(爆)。
とりあえずオカリナの音域のほとんどを使うし(特に最高音まで)、高音から低音までのジャンプ?も多いので息圧コントロールのアップにもなるし。
前にも書いたけど、オカリナって高音になるほど息圧を上げていかないと、ピッチ(音程)がずれるからね。

で、その後は気分次第で楽譜ファイルの曲を吹きます。
「涙そうそう」とか「ハナミズキ」とか。とりあえず簡単(指使いはね)な曲を。

うーん。やっぱなんかヘン。まあしょうがない。

例のサビから♭6個に転調する「Truth(伊藤由奈)」は、指も動かねえ。特にD♭E♭の続くとこ。替え指という方法を使ってるんだけどいまいち(全然?)動きがスムーズじゃない。
まあいいや。

それから「栄光の架橋」を勢いだけで吹いて、「時代」「川の流れのように」などなど。

「川の流れのように」は本当にいい曲ですよねー。
美空ひばり先生の声のイメージならアルトF管(低音)使ってもいいんだけど、それはそれ。
びっきぃはお気に入りの風雅改・アルトC管で吹きます。

で、ようやくカンが戻ってきたころに終了。なんか疲れたからね。

最近すごく疲れやすい。純粋に肉体的なものか、メンタル的なものが絡んでいるのか…。
なので少しでも疲れを感じたら無理しないようにしています。

で、日曜日の昼過ぎからはベッドに横になってごろごろ読書。月曜日以降に備えます。

あー、この疲れどうにかならんかなあ。ストレッチとかメンタルトレーニングとかいろいろ試しているんだけどね。。。

ま、そのうち落ち着くでしょう。心臓は問題ないみたいだし。

やっぱりアイナメだったみたい(^^;)。

2009年12月14日 | 徒然雑草(釣りのこと)
昨日とこの間のお魚。
アイナメ?クジメ?と思ってましたら。
どうやらアイナメでよかった?みたいです。

ものの本でアイナメは側線が5本、クジメは1本で見分ける、とあったのでそれで昨日は判断したんですが。

側線ってどれだかよくわかんねー。とにかく5本も線が見えないのでクジメだろ、と思ったわけで。
でも、もう一つ見分ける特徴がありました。尾びれの形です。
アイナメはまっすぐ、クジメは扇型。もっとも扇形のアイナメもたまにいるらしいですが。

ということになると、前回も今回も尾びれはまっすぐ、もしくは上下がとがった凹み形。
しかもクジメは食べると磯臭く、釣ると引きが強い、とのこと。
ということは、どうやら両方アイナメで正解だったようです。

やっぱりね(何が?)。だって滅茶苦茶美味しかったんだもーん。

しっかり側線を見れるようにならねば。

本日の釣果報告。大蔵海岸。

2009年12月12日 | 徒然雑草(釣りのこと)
何だかホンモノの釣り師のブログのようなタイトルですが(苦笑)。

超ビギナーが何を言う!というツッコミは無視して進めますよ~♪

クジメ1尾(20cm弱)、ガシラ(カサゴ)1尾(15cm位)、カワハギ1尾(17~8cm)、以上お持ち帰り。リリースは無し。つまり今日は3尾しか釣れませんでした。反省会は後ほど(笑)。

ところでクジメってのはアイナメにそっくりな魚。取り込んだ時に「よっしゃアイナメやぁ!」と思ったのもつかの間、針外しながらよく見るとクジメでした。

あーあ、と思ったものの、帰ってから刺身にして食べたら、この間のアイナメと同じ味。
??? あ、この間は全く判らなくて隣で釣ってたおいちゃんに「アイナメだよ」って教えてもらっただけだった。ということはあれもクジメだった可能性が濃厚(苦笑)。

う~む。結構というかかなり美味しかったんですけど。

ものの本によると、アイナメはクジメとは比較にならないほど美味しい、らしい。
それなら釣ってみたいけど、びっきぃの舌にはクジメで充分なようで(笑)。

で本日はと言うと。
9時過ぎに明石市の大蔵海岸に到着。今日は西の駐車場に止めて朝霧川西側の河口部でスタート。

の前にお隣さんにご挨拶。ビギナーのたしなみです。というか、迷惑掛けてしまった時のこと考えて先に顔見知り(?)になっておく作戦(笑)。いろいろ教えてくれたりもしますしね。

んで、
びっきぃ「おはようございまーす。お隣失礼しまーす♪」と愛想良く。
隣のおいちゃん「おはようございまーす。どうぞ~♪」
おお、感じの良いおいちゃんだ、良かった。

と思っておいちゃんのバケツをふとみると、10cmくらいのミニガシラがいっぱい。
びっきぃ「釣れてますねー。」
おいちゃん「いやぁ、ちいちゃいのばっか。でもこいつらのサイズなら出汁をとったらめっちゃ美味しいで。」
びっきぃ「へぇ~。そうなんですかあ。」
と言ってる間にまた1尾。おいちゃんすごい。

あ、釣り関係の検索でこのブログにたどり着いた方の為に報告しますと。

おいちゃんの仕掛けは(びっきぃの仕掛けは参考にならん)普通の胴突仕掛けでした。エサはオキアミだったと思う。活き餌ではありませんでした。かなり河口のコーナーに近い川沿いの際を攻めていました。

で、びっきぃですが。
おいちゃんから15mほど上流側に離れて、アオイソメで護岸際を探ります。
が、ウンともスンとも、アタリすらありません。

つまんないので、南向き(海側)の護岸に移動。
いきなりクジメGET。
「おお、幸先いいじゃん♪」と思ったのもつかの間。

「なんでこんなに風がつよいんだよぉぉぉ。」という西風。
「天気予報じゃ風力3だったぞ!」と思っても仕方が無い。
潮はゆるい(明石としては)ものの東向き。ということで仕掛けがどんどん東に流されていきます。
というより、そもそもびっきぃの軽仕掛けでは底まで沈まん(苦笑)。
しょうが無いのでオモリ足して底は取ったものの、今度はアタリがわからん(苦笑)。

む、と思ったらエサだけキレイになくなっています。(--;)
とかやってたら、底に針かオモリが引っかかったようです。
これまでの経験上、糸緩めてしばらく放っておけば潮流で流れて外れることが良く有ったので、しばらく放置。

で竿をあおると、外れた~、ラッキーと巻き上げると、あれ? 何か掛かってる。
それがガシラ君でした。
あぁ、根ががりじゃなくて、君が針くわえて岩の隙間で(胸ビレで)踏ん張ってたのね。
ということで、ガシラ君が気を抜いた瞬間にびっきぃが引き上げたようで(笑)。
フェイントでびっきぃの勝ち。

んで後は、風と謎のエサ取りとの戦い。
いい加減うんざりしたびっきぃは、「もうなんでもいいから釣れて。アタリのピクピクを味わわせてぇ!」と小さめでスリムな針(キス針)に交換。

すると交換後の一投目。ゴンと強いアタリ。アワセも上手く決まったようです。
しかも結構強い引き。
「なんだこいつは?」と巻き上げると平べったい魚体が水面下に。
「?こんなとこ(捨石の上)にカレイなんか居ないよなあ。それにカレイにしては小さいよなあ。」と思いつつ引き上げると。

「エサ取り名人」の異名を取るカワハギ君でした。
「お前かぁぁぁぁっ!エサ返せ!」と思いつつ氷締めの刑。もとい、手を合わせて締めさせて頂きました。

で、エサ取りも退治したし、といってもカワハギで護岸にしてはまあ良いサイズ(?)。
と気分一新…と思いきや。

雨!

なんで?今朝の予報でも雨の気配はなかったぞ。
と文句言っても仕方が無いので護岸奥の軒下(?)へ。
で、「まあ今日はもういいか。ちょっと疲れてきたし。」と納竿(釣りを終わること)。15時ごろでしたかね。

しっかし今日の大蔵海岸は空いてました。この間はカレイ狙いの投げ釣り師がわんさか居たんですけど、今日はびっきぃと同じような護岸際の根魚狙いの人がちらほら。

???

魚の動きも釣り師の動きもまだまだ判らないことだらけのびっきぃなのでした。

診察報告。その他。

2009年12月11日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
昨日は月に一度の通院の日。
同じ病院で、循環器科とメンタルヘルス科の掛け持ちです。

循環器科は今回は検査なし。血圧と聴診、脚のむくみが発生していないかのチェック、と問診。
で、すべて問題なし。

メンタは基本的にこちらからの報告が主になります。
だって心の話ですからね。検査してわかるもんじゃなし。

で、診察前(前日ごろから)には「何を報告しようかな?」と考えます。
これがなかなか良い習慣になりつつあります。

診察があるおかげで、ゆっくり落ち着いて過去1~2ヶ月の自分の状況を振り返ることができます。
そうすると、当然いろんな出来事があって、それに対しての感情を感じたなあと思うわけですが。認知の話ね。

で、その認知についてもいろいろ考えるわけです。
良い悪いではなくて、そういう風に感じたのはなんでかなー?というゼロベース思考。
そうすると、自分が囚われているいろいろな「自動思考(認知の傾向)」に気づきます。
そして、これは改善したほうがいいな、と思うこともあれば、そうでないこともある。

例えば苦しいなあという思い。苦しいのは苦しい。それは事実だから肯定も否定もしない。
ただ自分に問いかけるわけです。
「お前さん(ご自分さん)、何に苦しんでいるんだい?」
「○○のこと。」
「ああ、あれは苦しいねえ。辛いねえ」と自分で自分を認めてあげて、
「で、○○の何がお前さんを苦しめているんだい?お前さんの心の中の”どこ”が苦しいんだい?」と問いかける。
これを掘り下げていくとその苦しみの正体が見えてくる(場合がある)。

結局、自分のどうでも良いような部分の自尊心(尊厳とかいうような本当の自尊心ではなく単なる自意識)が傷ついただけだったり、単なる取り越し苦労の不安だったり…。

それに気づくとすこし楽になれます。

逆に楽しかったとかうれしかったとかの感情は掘り下げません。

下手に掘り下げて、「たいした問題じゃねえじゃん。」ってなったら最悪(笑)。
なのでそういう感情は「堀り上げ」ます。
どうすればもっと楽しめるかな?と少し思うくらい。「考える」までいかない。

…ということ(まあプチ認知療法です)を診察前に合わせて月に一回やる習慣になってきています。
頻度としても月一くらいでちょうど良いかと。
もちろん、スポット的にプチ認知療法をやることはあるけどね。

孔子先生の弟子の曾子先生は「吾日に吾が身を三省す。」と仰ったけど、俗人がそんなに反省してたらまたおかしくなる(笑)。
もっとも曾子先生の三省と認知とはまったく関係ないけどね(苦笑)。とにかく認知療法もマイペースで、ってことです。

まあ問題は、診察前に自分で問題を解決してしまっていることが(とりあえずね)まま有るということで、病院にはお薬をもらいに行っているだけのような(苦笑)。もちろん問題に応じて、どんなこと考えたかを報告して医師の意見を頂いたりもしています。

それはともかく、重大な事実が発覚しました。
びっきぃの心臓病は厚生労働省指定の特定疾患なので、自己負担する医療費の上限を設けてくれる(その代わり、カルテ等のデータを研究機関に提出してもイイです、という同意書を出す)「特定疾患受給者証」というのを持っています。
まあ、月一の診察では上限を超えることはあんまり無いんですが。

ただ、これを持っていれば、いろんな公的施設の利用料が割引になることを一昨日知りました(笑)。

なんてこったい。いつも行くプールとかも安くなってたのかも(知れてるけど…)。
うーむ。従来のびっきぃであればその手の情報は絶対に逃さないはずだったんだが…。
やはり、恐るべし「うつ病」。

それとも「年」のせい? いや~!!!(笑)

最近のヴィヴィオ。

2009年12月08日 | 徒然雑草(クルマのこと)
びっきぃの愛車、ヴィヴィオ・ビストロ(平成8年式)のことですが。

最近オイル漏れてます。ガレージの地面にコゲ茶色のシミができてます(笑)。

あーあ、確かにずいぶん前からオイルの「にじみ」はあって、エンジンの天辺にあるヘッドカバーとシリンダヘッドとの間のガスケット(水道なんかで言うパッキンのこと)は交換してたんだけどねー。
実際この部分からのオイル漏れはヴィヴィオの持病のようなものらしく、そんなに気にして無かったんだけど。

でも交換後もエンジンまわりが何気にオイルまみれ。
こりゃあヘッドカバーだけじゃねぇな、と思っていたところだったんです。
でも、にじんでるだけだしまあいいか、と。

ただ気にはなってたのでどこから漏れてるのかのアタリはつけておこうと、以前カーボンクリーンでお世話になった自動車工場へ持ち込んでました。
いったんエンジンまわりをキレイにして、しばらく走ってからまたチェック。
メカニック「ヘッドまわりみたいですねー。」
びっきぃ「ヘッドカバーじゃなくて?」
メカニック「はい。それかカムシャフトのオイルシールかも。」
びっきぃ「がーん。それは修理代がお高い…。」
…というのが当時の記憶。

で、来年4月の車検まではごまかしながら乗って、まとめて整備することにしました。
タイミングベルトとかウォーターポンプなんかも交換するつもりだったし。

ま、それはそれでいいんですが。
漏れた分、オイル足さないといけません。で1リットル売りのオイルを買いにオー○バックスへ。
ありゃあ、1リットル売りはあるけど、ふたできない容器のものばっかだよ。それは困る。漏れた分だけ少しずつ足すわけだからね。

で、バイク用品屋に行きました。粘度(10W-40とかいうやつ)合わせりゃ問題ねぇだろ、と。
そこで見つけたのが、クラシックカー用の(つまりエンジン内も磨耗しているのでその保護と燃焼室の密閉力を高めるための)高粘度のオイル(10W-60)。
「そっか、どうせ足すなら高粘度のを入れれば少しは漏れ対策になるな。」と思い、パッケージに「二輪専用」とも書いてなかったので購入。

んで、減ってた分入れました。オイルゲージの一番下の印まで減ってたので上の印まで足そうと。
…思ったら入る入る。「え~?」と思ったら1リッター缶の半分近く入ってしまいました。エンジン全部で3リッターちょっとのはずなんだけどな~???

というわけで現在、オイルの6分の1は超高粘度になってしまいました。

んで、確かにオイル漏れはずいぶんマシにはなったんですが、エンジンの吹け上がりが悪くなってしまいました(当たり前)。
あーん乗ってて面白くないよう! つまんないけど車検までのガマンですな…。

ただ、なぜか燃費は落ちていないのが不思議。
あ、エンジンが高回転まで軽く回らないから、回さずにトロトロ乗ってるだけか…。
最近よく、後ろの車にあおられる理由がわかった(苦笑)。

それとシフト(ギア)。本格的に2速が入らなくなってきました。理由はシンクロメッシュという機構の不具合。
といってもこちらは問題なし。シンクロってのはいわばギアケース内のエンジン側(クラッチ側)と車輪側の回転数の差を自動的に調整してくれる機構。つまり大昔の車から比べれば単なる「便利機構」ですから。実際、最近までポルシェには付いてなかったし。
以前も少し書いたけど、ダブルクラッチという方法で変速すれば問題ありません。

てなこと言うと、「なんで買い換えないの?」と言われそうですが。

修理した方が安上がりだし、というか修理代プラスαで買えるような安い中古車じゃ、どうせ同じようなトラブル起こすだけだろうしね。といって新車買える余裕なんてないし。欲しくなる車種もないし。

それ以上にやっぱヴィヴィオが好きなだけだったりするのでした。


新カテゴリー「徒然雑草(釣りのこと)」追加。

2009年12月03日 | 徒然雑草(釣りのこと)
なぜに釣り?

いつだったかなあ。オカリナで遊べるようになったのが確か昨年の秋。
その翌年(つまり今年)の春ごろだったか、ふとバスフィッシングをやってみたくなったんです。

釣りは小学生のころ近くの川でマブナを釣るつもりがブルーギルばっかだった、という覚えがあるぐらいで。
当時はルアーでのバスフィッシングが流行り出す前だったのかな。

てなことで、自然の中で遊ぶのも気持ちいいなあと。で、バスフィッシングなら手軽だなと(エサつける必要ないし、荷物も少なくていいし)。
あと、これだけ流行ったんだから一回やってみるか、という気持ちも有り。←メンタル的に非常に良い傾向ですな。

んで、某大手釣具チェーンにて格安のバスロッドとリールのセット、及びド定番のゲーリー山本の4インチグラブ(ルアー)+#1オフセットフック(針ね)とを購入。

んで、ドライブ兼ねて近場の野池へ出かけたりしてました。
ま、それなりに釣れたりしてバスのファイトも面白いと思ったのだけど、なんとなくイリーガルな感じがぬぐえない。
だって野池って言ったって、びっきぃの近所の野池はほとんどがため池。つまり地元の農家の人がお金出し合って作ったもの。そこで釣るのはいわば不法侵入なわけで。しかも車停める場所なんてない池が多いし。有っても路駐。

それとそもそもの目的である、自然の中で…という感じが、野池では味わえない。
んで、びっきぃとしては「あんまり面白くないな…」という感じ。

あ、バスファンのために弁護しておくと、一般論としてはかなり面白い釣りだと思いますよ。場所や季節に合わせてルアーや仕掛け(リグって言います)を選び、バスの居そうなポイントにルアーを送り込むというテクニック。
上手になっていく楽しみもある釣りだと思います。

んでここ一ヶ月ほど。きっかけは忘れたけど海で釣ってみよう、と思い立ちました。もちろん海釣りとなれば荷物も増えるし面倒だなとは思ったんだけど。

で、ドライブがてら神戸港の兵庫突堤というところに行ってきました。びっきぃが子供のころは兵庫港と言われてたエリアです。
んで、ぼーっと海を眺めるとこれが最高に気持ちいい!
左手からメリケンパーク(ポートタワー)、中突堤先っちょのオリ○ンタルホテル、神戸大橋、ポートアイランド、右手は和田防と呼ばれる沖の一文字堤防の向こうに淡路島。

こりゃいいやあ、ということで海に目覚めてしまいました。
で、どうせ海辺でリフレッシュするなら釣りするか、という経緯。

それからあれこれあって、今は明石の大蔵海岸というところがホームグラウンド(?)。
釣り方はベランダ(岸壁が公園のように整備されているようなところを言います)の際に沈められているテトラポッド周りのお魚を狙うヘチ釣り(ミャク釣りとか探り釣りとかいろんな呼び方がありますが、まあ探り釣りの一種です)。

これまでの釣果は20cmほどのアイナメ一尾。あ、持って帰って食べたのがね。
リリースしたのは数知れず。ウミタナゴとか石鯛?の子供とか良く連れる場所です。

アイナメの刺身、抜群に美味しかったあ。自分が釣ったからとかじゃなくて、まるで新鮮な鯛のような歯ごたえに、コクと旨みがあるという感じ。
地元でアブラメ(脂魚)という意味がわかりました。
しかも「明石海峡の天然モノ」(笑)。

探り釣りの楽しさは、ウキを使わないのでダイレクトにお魚とやりとりできるところかなあ。竿先の動きや場合には手元にコンコンとアタリがあって上手くアワセて針がお魚に掛かった時はなんとも言えません。
まだまだアワセが空振りに終わることがほとんどで悔しい思いもしますが、それもまた楽し。

んで疲れたらボーと明石海峡と明石大橋と淡路島を眺める。
でもさすがは明石海峡、潮が動き出すとまるで河のよう。海面はそうでもなくても、2号の錘が流されて底まで沈まない(ベランダ際で)。まあ2号って軽いんだけど。
でもそういうのに、あー地球って生きているんだあなんて改めて感動したり(大げさ?)。

あ~なんてゼイタク!

と、いいつつエサ代ケチりたいので次回はルアーを使ってアイナメを狙ってみる予定です。
セオリーにとらわれず好きなように仕掛け考えて釣ってます。

フルタイム勤務しています。

2009年12月02日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
またまた久しぶりの記事でございます。
復帰後、午前中勤務から開始して2ヵ月後にフルタイム勤務に戻れることが出来ました。

ところでフルタイム勤務、時短勤務って結構専門用語?
最近多くの企業が採用している方法の一つで、長期休職から復帰する場合に、まず昼まで→15時まで→終業(フルタイム)まで、というように段階的に復帰させる方法です。
んで。

復帰後1ヶ月ごろ精神状態がへこんでしまい、頭痛・疲労感が強かった時期がありましたが、休日にゆっくり1ヶ月を振り返ることでまたいろいろと気づくことが有り、なんとか乗り切ることが出来ました。

今はフルタイム勤務に体を慣らしているような状態です。
会社での9時間(内1時間は昼休み)は問題なく過ごせているのですが、神戸のイノシシ村から大阪までの長距離通勤(特に帰り)が結構辛いものがあります(泣)。

早いとこ尼崎か西宮あたりのアパートでも借りたいのですが、お金が無い(苦笑)。貯金は闘病中に使い切ったし(苦笑)。
4月に愛車の車検があり、今回はちょっと込み入った整備をする予定なのでその資金を貯めている状態。

なので引越し出来るのは4月以降かなあ…。
それまで体持つかしらん(笑)。

昔はねえ、通勤時間は知れていたけど毎日遅くまで残業してたから、帰宅時間という意味では今の方がずいぶん早いんですけどね。
ま、だから病気になったともいえる?し、昔のように若くないんだから、ともいえるわけで(苦笑)。

とにかく今は、生活リズムを維持すること、睡眠時間を十分にとること、焦らないこと、不必要な責任感(自責感・罪悪感)を感じないように「認知」をコントロールすること、そのあたりをテーマに過ごしています。

あ、仕事はどんどん変わって行っている会計基準のお勉強がメイン。

時に会計基準、変わりすぎ。つーか国際会計基準とやらも、結局何がしたいの?という状態のようです。つまりまだまとまってないってこと。
米・英・ユーロ圏で自分らに都合のいいような基準にしようと綱引きやってる状態。その中で我が国は相変わらず右往左往(苦笑)。

本来は、世界経済を一つのまとまりにすることが最終的な目的という70年代の崇高な理想のはず。
そのために、各国の財務諸表を同じ土俵で比較できるように会計基準を統一しましょう、という手段。

それが、例によって目的と手段が入れ替わり、「どんな基準なら自国が得か」というレベルの話で綱引きしてる。
なので今後もどう変わるか判ったもんじゃねえ、というのが実態みたいです。

実際、アメリカなんて前回の決算で、これまで日本に導入を押し付けてきていた「時価会計」の基準を、自国の金融機関のために基準緩和しちゃいました。国際会計基準なんて「無視」です。
で、例のサブプライム絡みを含むデリバティブ中心の不良債権の含み損が決算書に(ほとんど)出なくなった。で、ほとんどの金融機関が黒字決算。うーむ。

何やってんだろうね人間って。金融に限ったことじゃないけど…。

まあ、理想は理想、現実は現実だもんね。仕方がない。
でも金融システムに関してはね。。。現在のシステムのまま放置して対処療法で誤魔化していると、それこそ話題の2012年あたりで大崩壊するんじゃない?
で、実体経済も崩壊すると。

あ、実体経済が崩壊して「お薬」が手に入らなくなったらびっきぃは病気が悪化して死んじゃうかもしれないんだった(苦笑)。

それは大変だあっ!!!

って結局は自分かい!
…だって人間だもの(笑)。

つーことはやっぱり世の中が変わるには、政治や経済のシステムを変えることではなくて、人々の意識(価値観?)が変わった結果として政治や経済システムが変わっていくのかもね。

んで、例のマヤのカレンダーに当てはめると、その日が2012年12月23日だと(爆笑)。

あ~、また単なる報告のはずが哲学的?になってしまった。
これも病気の後遺症、なのか病気のお陰なのか。

ただ、病気のお陰で世の中を少しは深く見れるようになったようには思います。
どんなふうに?という質問に大しては、おいおい書いていこうかな、と思います。