オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

ビストロちゃん大手術。

2010年12月27日 | 徒然雑草(クルマのこと)
久しぶりのクルマネタです。

びっきぃの愛車、平成8年式 スバル ヴィヴィオ ビストロ(形式E―KK3 自然吸気SOHC直列四気筒 最大トルク…もういいって)。

ずっとヘッド周りからオイル漏れがあったんですが、ようやく修理してきました。

というか、メインはタイミングベルトの交換。
平成8年式で、まだ換えてなかったの? と言われそうなんですが(苦笑)。

とにかく、タイミングベルト+ファンベルト類、ヘッドカバーガスケットとカムシール&クランクシール(リア側のみ)、ついでにウォーターポンプ。

よーするに、一度にやった方が工賃が安上がり、というコト。

んで。

一週間経ったトコロ。
オイル漏れ完全にストップ。

これで安心してピークパワーまでブン回せるぜ、と20代の若造が思うよーなコトを嬉しく思う、不惑のびっきぃなのでありました(苦笑)。

自分を誉めまくってみました。

2010年12月27日 | 徒然雑草(びっきぃのこと)
ま~た酔っぱですが。

先々週かな?
自分を徹底的に誉めてみました(笑)。

自分の感情を素直に感じるコトを繰り返してると、自分を誉めてみたくなったわけであります。

と言うか、ようやくそーゆー気持ちになれたと言うか。

あんな経験して、よく今生きてるな、から始まって。

気が付けば遥か昔の自分をも誉めまくってました(苦笑)。

もちろん自分なんかより辛い思いをしてる人が数え切れない程居るのはわかってる上でね。

そーすると。

これまで他人の評価に依存してた自分から卒業して、自分で自分を認められるよーになったよーな。

それに伴って、気合いというか、生きる気力が甦った感じ。

鏡みて、眼に力が戻って来たなあと感じる状態です。

そろそろ、ここらでまた一花咲かせようと言うか、もう一度会社(いや、社会に)に一泡吹かせてやろうか、という気合いが戻って来ました。

ようやく、ワタシのスキーマであるファイターの血が甦った感じですねー。

というコトで日本人の皆様、覚悟してね(笑)。

タイコリールにハマってしまいました。

2010年12月15日 | 徒然雑草(釣りのこと)
まーた釣りネタです。

明石海峡大蔵海岸の探り釣り師(自称)の最近のお気に入りはタイコリール。

両軸リールの方が何かと便利ではあるんですが。

つい買ってしまった超格安タイコリールが気に入ってしまいました。

お魚とのダイレクトな感覚というか、糸の出し入れの面白さというか。

つーことで、竿とリール合わせて5千円しないタックルで、ガシラ二桁上げてる週末です。

でもそろそろアイナメが欲しいなあ。

感情に苦しむ。感じる。感情を感じる。

2010年12月15日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
えー、多少酔っぱですが(久しぶり)。

最近わかったコト。

やっぱり自分の感情をありのまま受け容れていない、ってコト。

例えば「悲しみ」。
悲しみをそのまま感じるのではなく、「悲しむべきじゃない」とココロを無意識に抑えつけていたこと。

だから「悲しい」ではなくて「苦しい」になってたコト。

「悲しい」を素直に悲しいと感じるコトで、自分のココロが安心するコト。

感情を抑えつけることで自分を苦しめていたコト。

素直に感じるコトで、悲しまずに悲しむコトすらできるってコト。。。

人間のココロって不思議なモノです。

てゆーか、それは「適応思考」とちゃうやん。

2010年12月08日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
前記事への自己ツッコミです。読み返してちょっと考えて思いました。

> んで何が問題かというと。
> この「(びっきぃ流)プチ認知療法」に慣れてきてしまうと、嫌な気分になり「そう」という段階で「適応思考」を探して、本来の自然な感情を抑え付けてしまう場合がある、ということ。

いや、あのね。
そもそも感情を抑えつけなくてすむ考え方のことを「適応思考」と言うのであって。

…ま、いいや。これからこれから。

それよりも、「感情をありのままに感じる」ことをまず意識しないとね。ワタシの場合。
そんなフツーのことが出来ない(知らない)ままこの歳、というかココロが壊れるまで生きてきたわけでして。

感情を感じる、というのは自分を大切にすること。
自分を大切にするというのは、表面的なことではなく、自分の存在とか尊厳?とかいう本質的なものを「無条件に自分が認められる」ようになること。

ずーっと、周りの評価だけで自分が出来上がってた状態だったからね(あ、まだ進行形でもあるか、苦笑)。
で、評価されるためにあらゆることに完全を期したい、でもそんなの無理だから、とにかく批判されないよう限界まで頑張る。
というか、ワタシみたいなタイプの人間は、ココロに「限界」があるなんて考えもしなかったわけだし。
「大したことじゃない、もっと頑張れるはず。」
んで、「よくやったな」って自分を褒めるどころか、「まだまだやな、もっともっと上手いことやれたで」とハッパをかける。

そーゆー自分を縛り付けている思考(これはもう中核信念=スキーマだね)から、自分を解放していくことが、これからの目標です。
それはきっと、ゴールの無い目標なんでしょうね。でもそれだから(ってどれだから?)生きていけるのかもね。

…てなことでここ2~3日すごしているんですが、なんか気分が安定している感じ。
自分で自分の感情を、まずはそのまま認めてあげることで、自分自身が安心しているよーな。

なんか、自分の中に2つの存在があるみたい(笑)。
一つは感情を生み出したり体動かしたりする、いわば計算機(演算機?)としての脳。
もう一つは、その計算機を制御している良くわからない実体。現れたり消えたり。

でもこの良くわからない実体が本質的な自分自身のような気がするなあ。

…って、何のハナシだったっけ(苦笑)。
それに、メンタル異常の経験のあるヒトじゃないと、何を言っているのか判らんかもねえ(苦笑)。
「感情を感じる」だの、「自分を大切にする」だの…(苦笑)。