オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

認知療法のワナ?

2010年11月29日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
決して一般論ではありません。
あくまで私自身のハナシです。

認知療法って何よ?…というお話はブログの記事で書ける量ではありませんし、私も専門家ではございませんので、詳しくは書きません。
とにかく、出来事をどう感じるかには個人差があるわけで、その差は、「出来事→その人なりの感じ方→感情」という仕組みになっているからだそうです。

この「その人なりの感じ方」を「認知」と言うわけですが、思考パターンとか砕けた言い方もできます。その人の基本的な性格・価値観といったもの(スキーマ=中核信念)に影響を受けています。

んで。
嫌な感情が湧いてきた時など、「何が起こって→どう考えて(自動的に湧いてきた思考)→どんな気持ちになったか」、を分析(紙に書き出す、とか)して、自動的に湧いてきた思考(自動思考と言います)=そのときの認知、とそれによって起こった感情を把握します。

で、他の考え方は無いかな、とブレーンストーミング的に探します。
その結果、「こう考えれば(こう出来事を捉えれば)」嫌な気持ちにならなくてすむ、という「考え方」が見つかれば、自動思考をその思考(適応思考と言います)に置き換えます。

これはそもそもの「認知の傾向が歪んでいる」人の為のものです。
なんでもネガティブに見てしまうとか、取り越し苦労のクセがあるとか、たくさんあります。
その原因もたくさんありますが。
この「認知の歪み」が、うつ病患者など精神疾患の人に多く見られるということで、認知療法は治療に取り入れられたりしています。

んで、私は復職支援センター時代にこの認知療法に取り組み、今ではいちいち紙に書き出さなくても、とりあえず認知の切り替えができるようになりました。
これがときどき出てくる「びっきぃ流プチ認知療法」なんですが…。

いやあ、「慣れ」ってコワイもので。
この「プチ認知療法」にコワイ落とし穴があることに気づきました。
というか「すでに落ちている」コトに気づきました(苦笑)。

あ、繰り返しますがあくまで私個人のハナシですから。認知療法の一般論ではありません。

んで何が問題かというと。
この「プチ認知療法」に慣れてきてしまうと、嫌な気分になり「そう」という段階で「適応思考」を探して、本来の自然な感情を抑え付けてしまう場合がある、ということ。

つまり本来ならば、「嫌な気分」になってから、その理由は?他に考え方は?という段取り(?)を追うことで意味があるわけなんですが、途中を端折ってしまっている、と。

例えば、誰かの話にカチンと来た場合。
(この例の場合、客観的に見てカチンとする必要も無い話なのに、という状況と思ってください。「認知の歪み」を持っているが故にカチンと来てしまっていると。)

本来なら、「何を言うねん。ムカつくわぁ。」と自動的に怒りを感じてから、「まあまあ、奴も○○なのかもしれないよ。他にも…」ってな適応思考を考え出して、怒りを抑えていく(自分を納得させる)、というのがスタイル。
で、そういうことを繰り返すことで、基本的な認知の歪みを直していきましょう、と。

ところが最近のびっきぃ。
カチンと来た瞬間に自動思考を追い払って、適応思考に置き換えてしまっています。
これは認知の歪みが治ったのではなく、適応思考の作り方が上手くなった(?)だけ。
だって、一瞬「カチン」と来ているわけですから。

自動思考による感情(この場合は「怒り」ですね)は一旦しっかり感じて、自分でその感情を受け入れた上で、適応思考を考えなくてはなりません。
なぜなら、「自動的な適応思考(ややこしいな)」では、かつて感情を抑圧していた頃と、本質的に同じだからです。

かつては「怒り」を感じても、それを表現できずただ我慢した。
今は「適応思考」という理屈で抑え付けている。

自分の認知の傾向の結果である「怒り」を、自分で認めず受け入れていない、つまり「抑圧している」ということでは同じだと。

日々の出来事に対する「対応法」としてはそれでいいかもしれないけど、本質的に自分の感じ方を改善しようと思ったら、それではダメですねえ。というか逆効果。
まず、自分で自分を認めるコト(精神疾患の人間にはものすごく深~い意味があります)がすべての始まりですからねー。

というコトに気づいた最近なのでした。
うつ病治療の基本中の基本である、「まず自分を認めること。」に逆行してしまっているぞ、と思ったのであります。

それで最近調子悪かったのかな…。

って、結局仲間内にしかわからん話になってしまったような。まいっか(苦笑)。

大蔵海岸ガシラ好調。アイナメの気配も。

2010年11月29日 | 徒然雑草(釣りのこと)
何の情報誌だよ(苦笑)。

まあタイトルの通りです。
護岸際をシラサで探れば、1時間で3~4尾は釣れてます。ついでに一時間で2~3個は針かオモリをロストして針を結びなおしたりしてましたが(笑)。捨石周りを攻め過ぎ(苦笑)。

あと、あくまで感覚のものですが。
アイナメっぽいアタリが何度か…。いわゆる(?)アイナメの「前アタリ」です。
「?」と待ちましたが本アタリは出ず。

うーん。アイナメだったのか、フグが突っついただけなのか…? いやいや、あれはアイナメだ。本アタリに気づかなかっただけだ(笑)。
もうそろそろ護岸際にアイナメの姿が出てきてもいい時期(水温も)だと思うしねー(単なる希望じゃん)。

どっちにしてもフグの姿も少なくなって(上中層にはまだまだ居るようですが、エサと針を一気に底まで落とし込めば大丈夫)、安心して好きな探り釣りができる時期になりました♪

今度は現場で針結びしなくていいように、たくさん結んで持っていきましょう。オモリもね。
…って探り釣り師なら当たり前か(笑)。

ああ青春の喫茶店。

2010年11月26日 | 徒然雑草(びっきぃのこと)
なんだか一昔前(2~3昔前?)の歌謡曲みたいですねー。

先日、近所の某喫茶店に行きました。
ココは、びっきぃが高校3年の夏休み、近くの塾で一日中受験勉強をしていた頃に友人とよくお昼ご飯を食べに来ていた場所です。もう20年以上前かあ…(遠い目)。

高校生ごときがサ店で昼メシぃ? とツッ込まれそうですが。
いやあ、とっても可愛いというかお綺麗なアルバイトのお姉さまがいたもので(笑)。

高校生男子としては充分な理由でございましょ?

で、近くで用事があったついでに20数年ぶりに寄ってみたと。
いやあ驚いた、全く変わってないんだもんね。
といって古臭くなっているわけじゃなし。もともとセンスの良いインテリアなんでしょうね。

で、「いらっしゃいませ~♪」とお水を持ってきてくれたのが、60歳前後?のお母さん。

「え?? あのお姉さんがこうなっちゃったの??」…なわけなく(笑)。

コーヒーを頼みました。出てくるまでチョイと時間が掛かって、「?」と思ったのですが。
飲んですぐわかりました。美味い。いれたてのコーヒーだ。ひょっとしたら挽きたてかも。

いやあ久しぶりに美味いコーヒーを頂きました。
つーか高校生のころはコーヒーの味なんて、全然判ってなかったんだねーと思った次第。

で、あのお姉さまは今どこに???(苦笑)

初コブ、初タモ、初刺され。

2010年11月24日 | 徒然雑草(釣りのこと)
また語呂良く?まとめてみました。
コブはコブダイ。タモは玉網。のコトです。

あ、釣りのことです。ハイ。

で、コブダイ。
幼魚はこれまでに釣ったことはあるんですが、成魚は初めてでした。
コブの無い雌で25センチくらい。
まあ成魚になったばかりでしょうかね。コブダイにしてはかなり小さいですが。

それでも胴回りは立派なもの、自分としては魚屋さんに置いてもおかしくないサイズのお魚を初めて釣ったという感じです。

ただびっくりしました。
だって釣れたのは大蔵海岸の護岸際。そろそろガシラでも掛かるかな~、って探っていたら突然ゴゴンッ!
2.4mのグラスファイバー100%の愛用探り竿(笑)の穂先が50センチくらい引き込まれた感じでした。

な、なんじゃあ?と思いつつ水面まで引き上げると(その後の引きはそんな強くなかった)、赤くて丸々した魚体が…。
コブだあ、とは判ったものの。大蔵の高い足場からではサイズがわからん。ゴボウ抜きして大丈夫かなあ、と周りをきょろきょろしますと。

近くでカレイ狙いの投げ釣りをしているグループのそばに玉網(タモ)が立て掛けられています。
「すみませーん! タモ貸してくださーい!」とお願い。
「はいはい~」とお兄ちゃんがヘルプしてくれました。

ということで初タモ。

ですが上げてみたら25センチ(汗)。ゴボウ抜きできたなあ。。。騒いでちょっと恥ずかし。

まあそれはどもかく、大蔵の護岸際にも居るんだねー。垂水漁港の波止際には居るってきいてたけど、あっちはかなり水深があるから。。。

んで、初刺されってのはその垂水漁港。
カワハギ狙いで行ったのですが撃沈。キスとハゼがちょい投げで釣れました。…今海の中の季節はいつなんだ??

という状況の中、足元でココンとアタリ。引き上げるとマイクロガシラ。
針はずしながら「何かガシラとは違うなあ」と海に返そうとしたら。
魚体を掴んでいたタオルに引っかかってしまいました。
あらら、と外そうとしたら。

痛! あー指先にヒレの先が刺さった。

にしては異常に痛い。しかもなんか痺れてる??
で、ようやく気づきました。

ハオコゼだぁ。ヒレの先に微毒の棘を持つ小魚です。

つーことで初刺され。気をつけないとねー。
というかなんか垂水とは相性悪いのかね。

現実を生きる。現実に生きる??

2010年11月24日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
毎度よくわからないタイトルで。
今回は本人すらわかりません(笑)

ただねー、ここ数年(というか心筋症で入院して以来)哲学的?な思考を繰り返してきたわけですが。
最近ちょっと囚われすぎているかな、と思い始めたのであります。

もちろん、そういった思考や学びをする過程で本当にたくさんのコトに気づいたし、人間としても少しは成長できたのかな、と思うことも多々あります。
そのおかげで苦しみから解放されることもありましたしね。
なので、それはそれで有意義だったと思うのですが。

一方で、社会復帰して一年以上経った今、もっと現実をまっすぐありのままに見つめる時期が来たのかな、なんて思ったのです。

そういう段階なのかもしれませんねー。

正直なところ、これまで現実をしっかりありのまま見つめてきたか、と問われれば、ノーです。
そんな心のパワーがないというか、どうでもいいというか、そんな勇気がないというか…、また壊れてしまいそうで(苦笑)。

…って、無意識に思っていたようです。

それが、少し気合が戻ってきたような感じ。
過去の現実、今の現実をしっかり見据える時期が来ている感覚がします。
見据えるといっても“闘う”わけでは無いんですが、苦しかったことを思い出すのはやっぱりパワーがいるからね。

で、話が前後しちゃいましたけど、なんでそんなコトをしなければならないのか。

ここ数年間というのは、哲学的(というより認知療法的?)に過去を見ることで、苦しみのウラで得たものばかりを常に意識するように生きてきたんですね。
放っておいたらココロは勝手に苦しんでくれます(?)ので、思考としてはプラス面ばかり意識するようにしていた、とでも言えばよいのでしょうか。

もちろんこれまではそれで良かったんだと思います。
過去の苦しみと真正面に向き合えるほどのパワーが無かったわけですから。

ただ、結果的にはココロの中の苦しみを、ただ見ないようにしてきただけとも言えるわけですよね。
ということは、いつまで経ってもこの苦しみは消えない、ってコトだと思うんです。

ですから、少しパワーが戻ってきたこれから、少しずつ苦しみを見つめていってみよう、それで「苦しみ君」の行き場を探してやろう、そうすれば哲学的思考に頼らずとも生きていけるようになるかな、と。

で、なんでそうなりたいかというと、哲学的思考でココロの安定を保つのって、それはそれで結構エネルギーを食うんですよね。最近気づきましたけど。

なので、ココロの安定を保つために通常必要以上のエネルギーを使いたくない。
というか、そんなエネルギーがあるならば、今どう生きるか、ということに使いたい、というコトです。

そういう段階に入りつつあるような気がする(はっきりしろよ、苦笑)、最近のびっきぃなのでした。

で、タイトルの「てにをは」の話。

びっきぃのココロの師匠の一人(多すぎて困ってます、笑)の中村天風師は、講演録などをみると、「人生を生きる」ではなく「人生に生きる」という言い方をされています。

おそらく何か意図があってそういう言い方をされているのだろうと勝手に思っていたのですが、最近なんとなく“に”の意味が判ってきつつあるような気がする、のは気のせいだろうか?(だからはっきりしろって)という状態です。

どちらにしても、言葉で表現できるものではありませんねー。だから?はっきりできません(逃げ)。

Twitter始めました。

2010年11月14日 | 徒然雑草(びっきぃのこと)

タイトルそのまんま、なんですが。

はっきり言って、どーゆーコトが出来るのかあんまり解っていません(苦笑)。

だから始めてみました、ということなんですけどね。

年齢的にも、そろそろ意識して新しいモノを吸収しないとね。時の流れもドッグイヤー(死語?)になって久しいし。

びっきぃが25歳くらいの頃Windows95が発表されて、以後一気に個人的な仕事にもコンピュータ化が進んだんですね。

その時、4~50歳代の上司や先輩は、はっきり分かれました。
つまり、新しい技術についていっている人と、よー解らん、で済ました人。

まあ後者は大体部長級以上の偉いさんでした。自分自身が操作する必要はない、って決め込んでましたねー。

実際は偉いさんが使えた方がより良い技術だったし、少なくとも何が出来るのかは勉強してて欲しかったなあ(遠い目)なんて思います。

つーことでTwitter。

ずっと、また何や新しいモンが流行ってんねんなー、程度の認識だったんですが、ここまで大展開(?)すると、ちょっとは触っておかないと、と思った次第。

まだまだITリテラシー(死語?)を低下させるわけにはいかんしね。

ということで、TwitterのIDです。
このブログと同じbicky_tynでございます。

良ければのぞいて下さいね…と言いたいトコですが、何をどう"つぶやく"んでしょうなあ?(笑)

久しぶりのサービスエリア。

2010年11月12日 | 徒然雑草(クルマのこと)
高速道路のSAのことです。久しぶりに利用しました。
といいますか、阪神高速以外の普通の(?)高速道路を使ったこと自体が久しぶり。

奈良にある病院へ行くのに、普段は阪神高速を使っています。もしくは大阪の会社から電車。
んで昨日。阪神高速神戸線はリフレッシュ工事で摩耶~京橋間が通行止め。

行きは摩耶から乗って行ったんですが、帰りは「摩耶出口は大渋滞だろ」との予想のもと、東大阪から近畿道~吹田~中国道とちょいと遠回り。

ということで、久しぶりに本物の(?)高速道路。

で、ふとSAに寄ろうと思いました。
なんとなく好きなんですよねー。SAの雰囲気って。旅情とまでは言いませんがそんな感じ。

で、途中唯一のSAである西宮名塩SAに寄り道。

…あれ? 何も感じないぞ??
うーん、そうか。どうこう言っても過去何度も利用しているSAだもんなあ。車停める場所選びにしても、「トイレにはこっちが近かったな」状態だもんね(苦笑)。

…ということでトイレだけ利用して、とっとと帰りましたとさ。

ま、久しぶりの100km/h巡航(といっても吹田から少しの間だけですが)。愛車ヴィヴィオ・ビストロちゃんも5速4,000rpmほど(だったかな)でキモチ良さそうに走ってくれました♪。まだまだ元気♪♪

あ、やっぱり??

2010年11月12日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
…タイトルに困ったんですが。

昨日病院へ診察に行ってまいりました。
月一回の定期診察です。循環器内科とメンタルヘルス科。

で、循環器は問題なくお薬も変わらず(変えようが無い)なんですが。

メンタルの方でのコト。
最近の状況として以下のようなことを報告。

・ 気分の変動が毎日コロコロ変わっている感じ。(以前のような周期性の「波」ではない)
・ 気分の日内変動があまり無い。(良い日は一日良いし、悪い日は一日悪い)
・ 夕方~夜の疲労(感)が強くなっている感覚。おかげで「つい夜更かし」は減っている。(本読んでても、気が付いたら寝てしまっている)
などなど。

で先生の見解。
「…うつの症状ではなくなってますねえ。。。」  あ、やっぱり??

ということで、先日アップした記事のようなことを話ました。
つまり、
・ 自分もそういう感じであること。
・ 過去の苦しみがトラウマ的になっていること。
・ それが、何かのきっかけがあれば表面化しやすい状態であること。
・ 表面化すると「もーどーでもええ」の憂鬱状態に陥ること
などなど。

んで先生。
「薬はまだやめられないけれど(薬で保たせているし、やめるにしても少しずつ)、カウンセリングで、ココロの整理をつけていく必要があるかもしれないですね。そうなるとカウンセリングを併用している病院に移る必要がありますが…。」
とのこと。

うーん。カウンセリングねえ。
実はカウンセラー選びって結構難問(経験上)。

それに、あくまで薬物治療との併用ということなので病院併設のカウンセリング、つーかカウンセリングを治療に応用している病院、を探す必要があります。

まあ、とりあえずここ1ヶ月程度の状況からの見解ですし、しばらくは様子見です。

とにかく毎日スムーズに会社に行き(←一応→)仕事が出来ているコト(凹んだ時はトイレでプチ認知療法、笑)を喜びましょう。

さあて週末だ。

2010年11月05日 | 徒然雑草(釣りのこと)
…ハイ、また山を降りて海に行きます。おサカナを釣りに行きます。
狙いはここしばらくカワハギ続きです。狙って釣るとなると結構難しいお相手です。

一応釣果は出してます。具体的な数字は言いませんが(笑)。
キモ和えはやっぱ美味しいっす。

夏に「俺には胴突仕掛けでの竿下探りでカワハギ釣りはムリ」と悟って(笑)、ちょい投げ釣法に切り替えています。

ちょい投げして道糸を張り、常に誘いを入れます。すると「比較的」アタリが判りやすくなります。エサ盗り名人のカワハギ君も動くエサに十八番の「突っつき攻撃」はできないようで、パクリと食いつくようでして(でも微妙)。

なので、ちょい投げしつつ小さなアタリを取るために磯竿(2号)とスピニングリール使用。オモリは道糸を張っておくために6号と重め(竿の許容範囲をちょいと超えてます…。まあフルキャストしないから大丈夫、かなあ)。

風が強くて糸ふけが出るようなら即アウトの釣法であります。

明日は風も穏やかみたいだし、キモ和えのこってり旨みを想像しつつ楽しみましょ~♪

治ってる?

2010年11月05日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
何を突然? ですが。
ここ数ヶ月、というか数年を振り返ってみて思いました。

もう「うつ病」そのものはほとんど治ってるって。

多少説明致しますと、ここで言う「うつ病」とは「脳機能の異常」のこと。

つまり、原因不明の憂鬱感、イライラ、倦怠感、意欲減退…といったうつ症状を起こす脳の病気、のこと。
いわば、西洋医学的?な捉え方での「うつ病」です。

で、そういう意味での病気は、ほぼ治った(というか治っている)と思うようになりました。

確かに、毎日憂鬱だったり楽しめない、といったようなことはあります。
でも、それはもう「脳」の問題ではほとんど無くなったのでは、と思えるんです。
まあ、食欲や(正常な)性欲があまり無い(ほとんど無い)というのは、「脳」の異常がまだ残っているんでしょうけど、そんなに大した状態ではないし。

んじゃ毎日の憂鬱感とかって何?なんですが。

たぶん心の底にこびりついている、かつての苦しいときの記憶が、何かの都度(まあいろいろ)よみがえって、当時の気分に戻ってしまっている、というように思えるんです。最近。
もちろんその度に「プチ認知療法」で対処してやり過ごしているんですが、対処できない場合が結構あるんです。

たとえばオカリナ。
オカリナそのものは最近、また吹こうかな~、と思う時が出てきたりしているんですが、あの「オカリナ公園」には足が向かない、という状態。

正直に言うと「怖い」。

なんせ、心身共にボロボロになった後、リハビリ目的で毎朝あの公園に通ってオカリナを吹くようになったんですね。生活リズムの再構築が主目的です。
まあその頃は音楽に興味が戻って来たくらいには回復していたんでしょうけど。。。

だからオカリナ演奏自体はともかく、あの公園に入ると、あの頃感じていた今とは比較にならない程の強い不安感・むなしさ・寂しさ、そして例の「もう何もかも嫌んなったちまった。どーでもええわ。」という苦しくて苦しくてどうしようもないキモチをリアルに思い出してしまうんではないかと「怖い」んです。

もうあんな思いはしたくない、というキモチが強い(強すぎる)んでしょうなあ。トラウマ?

それが心の底にこびりついたままだから、脳が正常になってもちょっとしたことで「あの苦しみ」を思い出してしまい、「もうどーでもええ」という憂鬱状態に陥ってしまう、と。

うーん、書いていて思ったけど、それはそれで精神的に十分オカシイぞ(苦笑)。

調子が良くなってからは、できるだけ過去とも向き合うよう意識して頑張ってきたつもりだったけど、まだ不十分というか、どこか「逃げてる」「目をそらしている」ってコトなのかな?って感じましたねえ、書いているたった今(笑)。

そろそろ腰を据えて真っ向勝負?を挑みますかね。
つーか、生き方にしろ仕事(商売も経理も労働組合もその他も…)にしても、「真っ向勝負」しか闘い方を知らない、ってのがそもそもの問題なんでしょうかねえ。

さらに言うと、そういうことを「闘い」だと思っているコトがオカシイとも感じましたねえ、書いているたった今(また)。

結局は、ここ数年で学んだ「今の自分をありのままに(評価せずに)認めて受け容れること」と同じで、「過去の自分もありのままに認めて受け入れる」ってことが鍵なのかなあ。

良いこと、悪いことなんて評価をせず、ただありのままにあの頃を見つめられるようになること。

そうすれば、今の自分も本当にありのまま見つめるコトができるのかも…、って思いました。書いているたった今(もういいって、笑)。

ま、それはそれとしてオカリナ。
また吹きたくなってきたのは事実なので、吹きますかね。
とりあえずどこで吹こうかな~。

いずれはあの「オカリナ公園」に戻れるでしょうけどね。きっと。