オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

診察報告。その他。

2009年12月11日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
昨日は月に一度の通院の日。
同じ病院で、循環器科とメンタルヘルス科の掛け持ちです。

循環器科は今回は検査なし。血圧と聴診、脚のむくみが発生していないかのチェック、と問診。
で、すべて問題なし。

メンタは基本的にこちらからの報告が主になります。
だって心の話ですからね。検査してわかるもんじゃなし。

で、診察前(前日ごろから)には「何を報告しようかな?」と考えます。
これがなかなか良い習慣になりつつあります。

診察があるおかげで、ゆっくり落ち着いて過去1~2ヶ月の自分の状況を振り返ることができます。
そうすると、当然いろんな出来事があって、それに対しての感情を感じたなあと思うわけですが。認知の話ね。

で、その認知についてもいろいろ考えるわけです。
良い悪いではなくて、そういう風に感じたのはなんでかなー?というゼロベース思考。
そうすると、自分が囚われているいろいろな「自動思考(認知の傾向)」に気づきます。
そして、これは改善したほうがいいな、と思うこともあれば、そうでないこともある。

例えば苦しいなあという思い。苦しいのは苦しい。それは事実だから肯定も否定もしない。
ただ自分に問いかけるわけです。
「お前さん(ご自分さん)、何に苦しんでいるんだい?」
「○○のこと。」
「ああ、あれは苦しいねえ。辛いねえ」と自分で自分を認めてあげて、
「で、○○の何がお前さんを苦しめているんだい?お前さんの心の中の”どこ”が苦しいんだい?」と問いかける。
これを掘り下げていくとその苦しみの正体が見えてくる(場合がある)。

結局、自分のどうでも良いような部分の自尊心(尊厳とかいうような本当の自尊心ではなく単なる自意識)が傷ついただけだったり、単なる取り越し苦労の不安だったり…。

それに気づくとすこし楽になれます。

逆に楽しかったとかうれしかったとかの感情は掘り下げません。

下手に掘り下げて、「たいした問題じゃねえじゃん。」ってなったら最悪(笑)。
なのでそういう感情は「堀り上げ」ます。
どうすればもっと楽しめるかな?と少し思うくらい。「考える」までいかない。

…ということ(まあプチ認知療法です)を診察前に合わせて月に一回やる習慣になってきています。
頻度としても月一くらいでちょうど良いかと。
もちろん、スポット的にプチ認知療法をやることはあるけどね。

孔子先生の弟子の曾子先生は「吾日に吾が身を三省す。」と仰ったけど、俗人がそんなに反省してたらまたおかしくなる(笑)。
もっとも曾子先生の三省と認知とはまったく関係ないけどね(苦笑)。とにかく認知療法もマイペースで、ってことです。

まあ問題は、診察前に自分で問題を解決してしまっていることが(とりあえずね)まま有るということで、病院にはお薬をもらいに行っているだけのような(苦笑)。もちろん問題に応じて、どんなこと考えたかを報告して医師の意見を頂いたりもしています。

それはともかく、重大な事実が発覚しました。
びっきぃの心臓病は厚生労働省指定の特定疾患なので、自己負担する医療費の上限を設けてくれる(その代わり、カルテ等のデータを研究機関に提出してもイイです、という同意書を出す)「特定疾患受給者証」というのを持っています。
まあ、月一の診察では上限を超えることはあんまり無いんですが。

ただ、これを持っていれば、いろんな公的施設の利用料が割引になることを一昨日知りました(笑)。

なんてこったい。いつも行くプールとかも安くなってたのかも(知れてるけど…)。
うーむ。従来のびっきぃであればその手の情報は絶対に逃さないはずだったんだが…。
やはり、恐るべし「うつ病」。

それとも「年」のせい? いや~!!!(笑)