オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

水泳のこと

2008年12月26日 | 徒然雑草(水泳のこと)
昨年、心臓病とともに”うつ”がぶり返し何にもできない状況で実家に帰ったびっきぃ(びっきぃのお世話になっている病院では精神科では入院できないからね)。

’07年8月半ばに退院したものの、家ではほとんど寝たきり状態。
憂鬱感、疲労感、意欲減退…、とあらゆる?うつの症状が続いてまして、「なんかしたい、でも何もする気が起きない、寝てよ。」で毎日一日中過ごしておりました。自己嫌悪の塊りでね(苦笑)。ま、本は時々読んでたけど…。

で、そのまま12月。ようやく「何とかしないとダメだ。」と思えるようになってきて、近所のスポーツジムに入会しました。

とりあえず体力を回復しないとね。8ヶ月以上寝たきりだったわけだから。

で、なんでわざわざジムに入会したかというと、「会費とられていれば、嫌でも通うだろう。」と、自分にプレッシャーをかけるためです。

それとプールの存在ね(ようやく本題に入ってきた)。

びっきぃは子供のころスイミングスクールに通っていて、高校では(弱小)水泳部でバタフライおよび自由形(リレー要員)の選手でした。
なので泳ぐのが大好きなんですわ。

医師(循環器)からは、「運動はウォーキング程度までね。ハアハアいうような運動は絶対ダメよ。」と指導を受けていたんです。つまりは軽度の有酸素運動ならOK。パワー系筋トレなど無酸素運動はNG、ということ。

で、水泳に関して。
医師は、「ちゃんと負荷をコントロールすること」を条件に一応OK(黙認?)をもらいました。

で、それからもう一年経つんだね~。

最初は心臓への負荷以前に上腕の三頭筋(力こぶのウラ側)が50mもたない(苦笑)。もちろんクロールでですよ。
つまりはプッシュ重視の伝統的泳法で泳いでいたわけで(当時は最近のいわゆる二軸泳法なんか知らんかった)、寝たきり生活&日常生活ではほとんど使わない上腕三頭筋をいきなり使ったもんだから、あっという間に筋肉が悲鳴をあげて退散。

でも、どうこう言いつつ1年ジム&プール通いできました。
体力もそれなりについてきたかと。

うつ的にも、軽い運動は気分がスッキリするしね。

正直ジムに行くのが億劫で仕方が無い時、休んだときも多かったけど、「行けば気分が良くなる。」と自分に言い聞かせて続けることができました。

ま、そんなこんなで水泳を再開したと。
しかし、「心臓に負担をかけずに”マスターズ水泳への道”」って…。

「マスターズ水泳”選手のコーチ”への道」になるのかもね(笑)。

今日はここまで。
一年間試行錯誤した二軸泳法のこととか、また書きますね。

入院中のこと

2008年12月24日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
いやぁ、ようやくキーボードに向かう気になりました。何ヶ月ぶり?(笑)

とりあえず、入院までの経緯は書いたからその後だよね~。
とりあえず入院期間は3ヶ月半でした。(昨年4月末から8月お盆のころまで)

治療は、まず体中にうっ血している水分を抜くこと。
一日900ccをポットに入れて、それで過ごす、と。
あとは酸素呼吸器、心電図、点滴の3点セットを体に装着。
薬は利尿剤および、血液をサラサラにするあの有名な薬。何だったっけ。
そう、ワーファリン。例の心臓内の血栓を溶かすためのものです。

これが約一ヶ月。それで10kg体重がおちました。
つまり、10kgの水分が体中にうっ血していたってこと。
そら呼吸困難にもなるわなあ。

で、体の水が抜け、血栓が無くなった1ヵ月後くらいから拡張型心筋症自体の治療に入りました。
といっても、基本は「βブロッカー」という種類の薬を飲むだけ。
ただ、副作用の関係で、最初から目標量まで飲み始めることはできないので、少量から始め、2週間ごとに量を増やし最終目的量に持っていく、という方法。

で、今も(つーか生きてる間)その量を毎日飲み続けているわけであります。

…と書くと何だか大した病気じゃないじゃん、てな感じを受けるかも知れません。
でもβブロッカーがこの病気に効くということが発見されたのは確か1980年代。
ほんの4半世紀前なら治療法もなく、ただ死を待つだけの病気だったんですよね。

それにびっきぃの場合はβブロッカーがしっかり効いてくれて、とりあえず心臓は元の通りにもどったけど、効かない患者さんにはもう心臓移植しか道は残されていない、というやっぱりとても恐ろしい病気には変わりありません。

で、入院生活。
最初の一ヶ月は「3点セット」が体にまとわりついているし、移動は車椅子指定だったので、一番困ったのはトイレ(笑)。
小はシビンでいいけど、「大」はねぇ。。。
ナースコール押して、「あのぅ、トイレ行きたいんですぅ。。えぇ”大”です…」。。。

ま、それはそれ、普段の生活は当然ずっとベッドの上。
周りの患者さん達は「退屈だぁ~」っていつも言ってたけど、びっきぃの場合、”うつ病”が完全にぶり返してしまっていましたからね。

憂鬱で何もする気が起きない、よって寝る。起きてたのは夕食から消灯までの3時間くらいじゃなかったんだろうかな。それでも夜寝られるんだよね(苦笑)。
そのうち病院内は散歩OKになって、売店で本買って読んでましたね。

この時期うつ病の影響もあって、生きてるのがヤダ、という状態にあったこともあり、読む本は「生きるとは。死とは。苦しみとは。」みたいな哲学的な(でも軽くて読みやすい)本ばかり読んでました。

夜中までいろいろ考え込んだこともしばしば。

ただずっと信じていたことは、「全ての出来事には理由がある(隠れている)」ということ。
理由といっても病気になった原因という意味ではなく、今回でいえば長年患っているうつ病がようやく良くなってきたなあ(とか他にもいろいろあり)、という時点で、難病に罹る、ということには何か意味があるはずだ。と。

それが神様の配剤なのか、守護霊(指導霊?)の導きなのか、何かの因縁なのかは判りませんがね。

とにかく入院2ヶ月ごろというのは、今回病気になった意味を見つけようと一生懸命本を読み、考えていました。

まあ、結果的にはそんなことは判るはずないんですよね。
でも、小さな気づき(悟り、というと大げさだな)はたくさんありました。
それは自分を大きく育ててくれたと思っています。

で、ようやく退院。諸事情あって神戸の実家へ戻り養生することになりました。
うつの方は全然ダメダメな状態だったし、3ヶ月以上入院してりゃ体力的にも仕事できる状態じゃないので休職延長。それからもう一年半近く経ったのね。

会社のびっきぃの机、いったいどうなっていることやら…。
とはいえこのご時世、クビ切らずにいてくれる会社には本当に感謝しております。ハイ。

ま、薬のおかげで繋がった命、社会復帰できればなんかの役に立てたいと思っております。
逆に言えば、日本の医療制度が破綻して薬が手に入らなくなればハイそれまでよ。ですからね。いつでも死ぬ覚悟はできているつもりです(って悲壮感は無いですよ。何だかわからないけど、いつのまにか”死”に対する恐怖が無くなってしまったから…)。

あ~、久しぶりに書いたらめっちゃ長文になってしまった…。読んでくださった方、ありがとうございます。

でも、いつものびっきぃ節とは雰囲気がちがうなあ。
次回からはいつも(以前)のように、お気楽節で書きますね。