オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

大相撲の八百長疑惑から法治国家のあり方について考える。

2011年02月06日 | 時事ネタ(独善的見解)
ほーんと、久しぶりの時事ネタ。

ずっと自分のことで精一杯だったからね(苦笑)
よーやく世の中の出来事に「ツッコミ」入れてみようかな、という気分になったのであります。

んで、

例によって結論から申しますが、今回の一件、「日本相撲協会」に罪はあるのかいなぁ。興行中止や公益法人の認可取り消しというペナルティを受けるほどのことななのかな、と思うのです。

とういうのは、わが国は法治国家であります。

法治国家というのは、人間の精神(良心?)が法律を必要としないまで進化するまでの、次善の社会システムだと思うんですね。

という法律論に基づいて(ってびっきぃは法学の専門家ではありませんが)で今回までの大相撲に関わる不祥事を振り返って検討するとどうでしょ。

「日本相撲協会」に落ち度はあったかなぁ?っと。
協会の構成員に対する監督責任のレベルじゃあないのでしょーか?

罪に問われるべきは、八百長した力士たち個人個人に過ぎないと思うんです。
野球賭博もそう。

法的にはそういう解釈になるのかなあと。ただ公益法人の構成員だから、特別背任レベルの罪には問うべきかもいれませんが、それは専門家が判断すること。

よって、日本相撲協会には監督責任以上の落ち度は無い、少なくとも法的にはね。と思っています。

んじゃなんで、まだ背景もはっきりしてない現段階で、所管の大臣までが認可取り消しに言及するコメントまで出して、諸悪の根源は日本相撲協会にあり、という「空気」になちゃってるんでしょうね。

まさに「空気」だと思うんです。
立て続けに「裏切られた」気分のファンにとっては理屈も論理もなく、怒りの矛先は当然元締の日本相撲協会に向きますわなあ。
その気持ちはびっきぃにもよくわかります。何気に相撲ファンだったりするので。

んで、また大衆迎合主義のマスコミが煽る。
すると、ホントに日本相撲協会が「すべて」悪い、という「空気」が醸成させる。

この勢いで公益法人の認可取り消しなんてことになると、それはもう法治国家の姿ではないと思います。

繰り返しますが、人治国家でもいいとは思うんですよ。ただしそれは国民一人ひとりの心が十分に成長し哲学的かつ根本的・基本的な価値観を共有できるくらいにまで成熟した時、の話です。

今はまだ人類は法を持って価値観の共有化を図っているわけでして。

なので今回思うんです。
このままの「空気」で日本相撲協会の公益法人認可取り消し、なんてことになると、わが国は法治国家ではなくなってしまう、とつい大げさ(でもないよな)に考えてしまうのでありました。



トヨ大変。

2010年02月01日 | 時事ネタ(独善的見解)
あぁオヤジギャグ。
ですがギャグで済まなくなっているのが例のトヨタのリコール問題。

びっきぃの以前の仕事は自動車部品関係。なので自動車メーカーの品質管理の厳しさは身をもって知っているんですが。

その記憶と比べると、今回の北米や欧州でのリコール内容(欠陥の内容・原因)は、従来の日本では考えられない内容だと思うんですね。
「湿気や水分」が部品やその素材に与える影響なんて、部品を採用するときの品質管理の基準に当然載っているはずだと思うんですけどねー。少なくとも日本では、ね。しかもアクセルなんて重要な部品だし。

その厳しさと要望に応えられる技術力を持ったたくさんの部品メーカーの存在が、日本車はオーバースペック(過剰品質)だ、と言われるくらいの競争力を持つようになった所以なんだと思うんですが。

ただ、海外で工場を建てる場合、部品の何割かは現地(その国)で調達すること、という当局との取り決めが大概はあるはず(ずいぶん前の記憶ですが)。
今回の件はどうなんでしょうね。

イヤなのは、外国製の部品のために日本車のリコールが起こり、それによって日本製品全体の品質に対するマイナスイメージが世界に広がってしまうかもしれないこと。
これ以上日本製品の競争力が低下したら大変。

上手く処理してくれることを祈っております。

しかしながら昨年11月末の「タンドラ」というピックアップトラックのリコールはちょっとマズすぎやせんでしょうか?
最初の1、2報以降ニュースになってないんですけど。
「フレーム腐食」というしゃれにならないリコールです。個人的にはトヨタの品質管理部門がそんなお粗末なことをするとは到底思えないんですが。

なんだか米国産業界の陰謀的なものも感じる状況ではありますが、それだけにトヨタには頑張って欲しいですね。
多少皮肉を込めて言うと、日本国内で優越的地位をカサに着て、部品メーカーに無理難題(品質・納期・価格など)を押し付けてきたように、海外でもどんどん部品メーカーの責任を問いただしてくださいね。もちろん上手に世界が納得するカタチで。

それはトヨタの為ではなく、日本製品全体の品質という、「日本製」というブランドイメージを守るためです。頑張ってくださいね。

うーん、ちょっと偏屈な記事になっちゃった(苦笑)。

「資本論ブーム」について考える。

2009年12月29日 | 時事ネタ(独善的見解)
またまた久しぶりの「小沢昭一的タイトル」。
例によって内容は大した事ありませんが。

だってびっきぃは経済学出身のくせに「資本論」読んだこと無いんだもーん(ひらきなおり)。
いや、マルクスやエンゲルスの思想のエッセンスは勉強したよ。一応。あくまで一応(笑)。

なのでタイトルをよく見て頂けると判るかと思いますが、「資本論について考える。」ではありません。
「資本論ブーム」について考える、であります。

つまり、なぜに今「資本論」が読まれているのか。マルクス思想が取り上げられるのか、ということを考えてみようじゃないの、ということです。

あ、最初に断っておきますけど、びっきぃは共産主義者ではありません。といって資本主義者(?)というわけでもないし、まして市場原理主義者では絶対に無い、です。
カッコつけて言うと、「共産主義・資本主義を超えた新たな政治経済システムを模索する者」、であります。世界中の人々が不安に怯えることなく生きていける世の中を望む者です。

さらにお断りしますと約5,500字あります。読まれる方は覚悟?してどーぞ(苦笑)。

んで、最近の「資本論ブーム」。少し前の「蟹工船ブーム」に通じるものを感じますね~。
共産主義が失敗に終わったと思ったら、どうも資本主義も怪しいぞ、と。
特に、最近の金融資本主義、搾取的資本主義、市場原理万能資本主義?てのに限界を感じている人が増えてきたってことなんでしょうねえ。

実際、その手の本が馬鹿売れしているわけですし。

んで、なぜに「資本論」か?マルクスか?ということなんですけど。
以降、いつもどおりの独善的見解。

みんな何も「共産主義を見直すべきなのかなあ?」なんて思っているわけじゃないと思うんです。
マルクス思想については、基本的にそのエッセンスはみな知っているわけです。
ただ、資本主義(初期のアダム・スミス的な経済観)ってのをマルクスがどう考えていたのか、そしてそこから共産主義へ至る論理ってのはどんなのだったのかな、を知りたいと思う人が増えてきたのではないのかな、と思うのであります。

さらにいえば、初めての共産主義国家は旧ソビエト連邦だけど、ソ連は帝政ロシアという封建的な旧体制からいきなり共産主義へ飛躍?した国。
そして、競争を前提としない共産主義国家だけれども、競争を大前提とする資本主義の外国とは競争しなければならない、という大矛盾を抱えていたわけですね。

そのような意味で、失敗したからといって共産主義が100%間違っていたとは言えないんじゃないか、とも思えるんです。細かく言えば「マルクス=レーニン主義」が失敗したんだと。

つまり、構造的に独裁体制に行き着いてしまうとか、科学技術などのイノベーションが進まないとか問題点は多々あって、マルクス思想を100%認めるわけにはいかないけど、100%否定もできないな、と。

特に現代の資本主義の堕落(と言っちゃいます。自分さえ、自社さえ、自国さえよければ…、の蔓延のこと。)を目の当たりにしてるとね。

というか、アダム・スミスの「国富論」を盾に富裕層が好き勝手やっていた時代に先祖帰りしているような気がするんですよね。

アダム・スミスは確かに、経済を動かしているのは「利己心」であると「分析」して「利己心による競争が結果的に効率よく社会に善をもたらす(びっきぃの解釈です)」と「分析」したけれど、それはあくまで当時のイギリスの状況とそれまでの経済の歴史を「分析」したものなんですよね。
つまり、今後もそれが唯一の経済の仕組みだ、などとは言ってないわけで。実際アダム・スミス自身は人間の道徳的感情を大切に考えていたように思います。
ただ、こと経済(お金)に関しては「利己心」が最大の行動原理になるということだと解釈しています。

当然ですよね。学問、特に科学的思考、さらに言えば社会科学というのは、ある分野に特化することで普遍的なルールを見つけようとするもの。当然現実は例外事例(もしくは応用事例)のオンパレードになるわけで。
その上で、先人の考えをもとに「発展」していくものが社会科学であり、広くは自然科学を含めた「科学的」なあり方だと思っています。

ところが経済学に関しては、アダム・スミスの後に続く学者や実際の実業家や政治家には「慈善心など不要で非効率で悪」と解釈されてしまったわけで(これもびっきぃの解釈)。

それがようやくケインズ以降、「慈善心…というより財政出動などで市民(労働者)の購買力を高めることが経済発展につながる」という考え方がやっと出てきた。
そして共産主義の台頭を危惧した政治的判断とあいまって、市民(労働者)に対する福祉などが行われるようになってきた。

ところが共産主義が崩壊して、「やっぱり俺たちが正しかったんだ」という意識が資本主義国家に芽生えた。有名なのはフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」ですよね。当時びっきぃも読んだけど難しくてよくわからなかった覚えが(苦笑)。

ま、その辺の「なんでもかんでも善悪二元論」は欧米白人が伝統的に持っている悪い癖(偏見)。

で、偏見はともかく資本主義国家(特に米国)は、ぶっちゃけた言い方すれば調子に乗っちゃったと。
で、アダム・スミス的(というか「国富論」的)市場原理主義が復活、というか勢いを増してきたと。

でもなんかオカシイぞ、と。

実体経済に従属しているはずだった金融が勝手に暴走してバブル起こして破裂して、本来問題無かった実体経済がおかしくなるという最近の状況。
現実的には、昨年「派遣村」で年越しする人たちの姿を見て、なぜこんなに経済発展した国でこんなことが起こるんだ?という疑問。

その辺りが、歴史に学ぼうという人々を「資本論」に惹きつけているのではないのかな?と思うのです。

ただね、びっきぃが思うのは、資本主義にしろ、共産主義にしろ、新しい政治経済システムにしろ、世界中の人々が、お互いの文化や個性を認め合い尊重しあう、という意識にならないと、これからはもう上手くいかないと思うんですよね。

今、資本主義が行き詰ってきているのもそのためだと思うんです。
「今、自分さえよければ」という「先祖帰りの意識」に覆われた世界。むしろ冷戦時代の方がマシでしたよね。

後で大変になることが判っていながら、デリバティブでレバレッジ効かせて(業者は専門用語使ってるけど、要するに一般市民に投資資金を貸し付けてるだけのこと。本来の「レバレッジ効果」というのとは意味が違う。)バブルを起こし、何を作るわけでもサービスするわけでもなく金を殖やす。

それから、派遣労働が原則自由化された時、当初、工場労働者は医療関係者などとともにネガティブリスト(除外業種)に入ってました。
霞が関はわかってたんですよ。工場労働者まで含めると、生産調整で簡単に首切りされてしまう、と。そうなると失業者が増えて国家全体の購買力を減少させ、経済全体がおかしくなると。

自由化の目的はあくまでも産業構造を変えていく為に労働市場の流動化を促進するためだ、と。だから1年以上派遣労働者を雇うなら正社員にしなさい、という条項もあったわけで。

でも、2~3年したら産業界(どことは言わんけど)からの圧力で工場労働者も派遣OKになっちゃった。
つまり「自分の会社さえよければ」で、いつでも労働者の首を切ってコストダウンできるように法律を変えさせたわけです。

んで、昨年大問題になったのが「派遣切り」。今でもニュースにならないだけで問題はそのままでしょう。
この問題(派遣労働対象業種の拡大、派遣期間の延長)は、切られた派遣労働者の悲劇であるんだけど、マクロ的・長期的にみれば、失業者の増大と収益(つーかGDPって言ってもいい)の減少、さらにそこからの労働分配率の減少に結びつきますよね。

つまり「自分の会社さえよければ」で多くの企業が派遣労働者を切れば切るほど、国内の購買力が減るわけで、そうなるとさらに生産調整で人員カット、消費の減少、生産減少…の悪循環。
そうなることぐらい、大企業の偉いさんなら十分判ってたはず。

判ってても「自社さえよければ」で法律を変えさせる。切りやすくなった労働者をあっさり切ってコストダウンする。その結果国内の購買力が減って、「値段下げないと売れない、デフレだ。政府は何やってんだ。」と叫ぶ。ねえ、大企業の偉いさんたち(笑)。

こういう意識をみんなが変えていかないと、どんな体制も上手くいかないだろうし、むしろ新しい政治経済システムなんて生まれないと思う。

本来人間は、お互いを思いやり尊重しあう生物だったはず。
どこで間違ったのかなあ。
やっぱり世界を侵略しまくった中世ヨーロッパ白人とその文化?(大偏見)

さらに言えば、今の経済学ってまだまだ「利己心=自分さえよければ」を暗黙の前提にしていると思うんですよね。
「人間・企業は最大の(経済的)メリットを享受できるように行動する。」といってもいいかなあ。

これは先に書いたとおり経済学の父、アダム・スミスの「国富論」以来の考え方。といってアダム・スミスを批判しているわけではないですよ。「経済」を「科学的」に研究し基礎を創り上げたわけですからね。偉大な人だと思います。
そして当時はまさに「自分さえよければ」の時代。それに則って研究したのは当然のこと。

ただ、問題はその後に続く経済学者たちだと思うのであります。
アダム・スミスが大前提とした「自分さえよければ」の時代背景。そして「過去に起こったこと」を分析・解明する、という経済学のあり方。
そこからほとんど抜け出せていないことが問題なのではなかろうかと。

例えば物理学で言えば、アダム・スミスに当たるのはアイザック・ニュートンでしょう。
でもその後の物理学者たちは、ニュートン力学を基礎にしながらもそれを鵜呑みにしなかったわけですよね。

「謎の現象」が見つかれば、一旦ニュートン力学を横へ置いて、ゼロベースで考え直す。その結果が相対性理論であり、量子論という世界に結びついていったと思うんです。

それと、研究姿勢の問題。ニュートン力学で地球上や太陽系のほとんどのことは説明がつくようになった。でも物理学者たちはそれで満足しなかったわけです。それよりも深いこと、「先」のことを追求した。そうするとニュートン力学では説明がつかないことがたくさん出てきた。そうした姿勢が相対性理論や量子論を生み出し、結果コンピュータやらなんやらが開発されるきっかけになったわけです。

翻って経済学の場合はどうでしょうね。
「バブルがなぜ起こったか。」「デフレはなぜ起こったか。」「景気はどんな風に循環するのか。」etc…。基本的に過去に起こった現象の分析・研究から抜け出せていないと思うんです。

世界中を豊かにするにはどうすればよいか? そもそも「豊か」とは何か、そういったことは純粋に経済学だけを研究してきた学者からは生まれないよね。経済学が社会全体に及ぼす影響はどんどん領域が拡大していっているのに。

今であれば、「仮定として、全人類は利己心よりも慈善心の方が強い。」と、アダム・スミスの大前提をひっくり返してみたらどうなるか、ということを研究してもいいと思うんですよね。

それこそ物理学の「超ひも理論」なんて10次元という突飛な世界を仮定した理論ですもんね。でもそれでいろんなつじつまが合う、という結果になっている(らしい)。証明はできないんだろうけど。

その意味では、マルクスやエンゲルスといった学者(もともと学者ではなかったけど)の「姿勢」は評価すべきだと思うし、その主張の是非は別として、なぜそういうことを考えたのかということを学ぶ必要はあると思うのです。

資本主義の行き詰まりと書きましたけど、もっと砕けた言い方すれば、先進国においてはもうほとんどの産業が成熟化しちゃったわけです。
例えばテレビ。持ってない人が買う新規需要はもうほとんどないですよね。有るのは買替需要だけ。当然新規需要が旺盛な時代と比べれば今の買替需要ははるかに小さい。

それが「成熟化」ですが、日本初め先進国はほとんどすべての産業が成熟化しちゃったわけです。なら当然国内の総需要も減りますよね。そうすると生産も減る。賃金も減る…。どっかで聞いた悪循環ですよね。デフレの悪循環です。

このすべての産業が成熟化した経済をどうすればよいのか、ということを、これからの経済学者には是非研究して欲しい。

じゃないと、金融機関に金が余って、また金融だけで金を殖やすしかなくなってしまう。するとバブルになって、弾ければ株式市場を通じて実態経済がさらにおかしくなる。

もちろん経済学者だけに頼るわけにはいかないですよね。

だからこそ、自分なりの「ユートピア」を見つけるために、「資本論」に手を伸ばす人が増えているのではないか、と思うんです。

そして、「ユートピア」を考えるために「国富論」やケインズ経済学にも興味を持って、「資本論」と比較してみて欲しいなあと思うのであります。

やっぱ今日のネタは、カーネルおじさんでしょ。

2009年03月11日 | 時事ネタ(独善的見解)
ってここ数日調子悪くて、PCのスイッチさえ入れてなかったんですけど。

それはともかく。

昨日今日、関西のアラフォー男女(男含む、つーか男中心)の話題はやっぱり24年ぶりに道頓堀から発見された”あの”カーネル・サンダース人形ですよね~。

って、他の地域の方すみません。
「それがどうしたのよ」という声が聞こえてきそうなんですが、関西特に京阪神地域の人間にとっては衝撃的な出来事。

って岡田前監督は、忘れてた、なんておっしゃってましたが。ホントかね(笑)。

当時びっきぃは中学3年生。高校受験で大変な時でした。

なので、平日にデーゲームなんかが組まれていた日は、授業の前に先生が、「今6回ウラで1点リードしとおわ。」、生徒「ウォー!」、先生「んじゃ授業始めんで。」

てなノリでしたねー。…受験の緊迫感は???

優勝したときはそりゃもう大騒ぎ。
道頓堀に飛び込む、という儀式(?)が始まったのはこの時からですからね。
といっても、神戸のイノシシ村の中坊にとっては道頓堀なんてはるか彼方の世界(笑)。

大阪に就職して初めて道頓堀(つーか戎橋、通称ひっかけ橋)を見た時は感動したなあ(笑)。「ここにカーネルおじさんは眠っているのね」って。

んで、問題の”カーネル・サンダースの呪い”。

なんでそんなネタができてしまったかなんですが。以降いつもの独善的見解。

まずは、何故か人形が見つからなかったこと。
あんな狭くて深さも大して無く、流れもあるのか無いのかわからんような川なのに、何故か見つからなかった。

これって、結構ミステリーなんですよ(笑)。実際に引っかけ橋(あ、戎橋ね)に行けばわかるけど。

んで、その後のタイガースの低迷。
ファン心理としては、勝てない欲求不満を何かにぶつけたいわけです。

監督や選手、フロントのせい、ということはわかっていても、ファンとしてはなかなか叩けないじゃん(いや、叩いてたけど…笑)。

なので、”謎の失踪を遂げたカーネル・サンダース”に矛先が向いたわけです。
”呪い”だあ、という都市伝説として…(笑)。

勝てなくても、”呪い”なんだからしょーがないじゃん。という理屈(?)で誤魔化してしたと(笑)。

それが”発見された”ってんだから大騒ぎにもなろうってなもんです。
理屈も論理もあったもんじゃない。素直な人間的感情の爆発(笑)。

とにかく、「これで…」という思い。
「…」のところに「勝てる!」とはっきり代入できないのが、アラフォー以上のタイガースファンの哀しい性なんですが(爆笑)。

ま、事件以後の新しいカーネルおじさんは金属製のチェーンでガッチリと建物に繋がれているので、安心して勝ちまくってくださいな。お願い…。

しかし、久しぶりに何か楽しいニュースでした。
政治の、本筋から外れたどうでもいいゴタゴタを伝えるニュースに辟易してたからね。といって見て知っておかないといかんことだしね…。

そんな中で、「意味ねえじゃん」といえば全く意味の無いニュースかもしれんけど、たまには楽しいニュースもあっていいでしょ。うん。

「初の黒人大統領」って枕詞、もうヤメにしない?

2009年01月18日 | 時事ネタ(独善的見解)
…って、みなさんに言うことじゃなくて、マスコミに言いたいんですけどね。

まあ、就任式の中継で「初の黒人大統領の誕生です!」って言うぐらいは許可します(偉そうに。苦笑)。イベントだからね。

でもその後は、もう黒人も白人もなくてあくまでも「(良かれ悪しかれ)世界に冠たるアメリカ合衆国の大統領」として仕事してもらわないといけないんだから…。

いや、もちろんアメリカ(特に南部)の黒人層にとっては特別な想いがあるのは当然だと思います。でも彼らだってわかっているよね。「本当の問題はこれからだ」って。
人種問題はあくまでもアメリカ国内の課題の一つでしかないわけで(いかに深刻であったとしても、ね)。

オバマさんには、黒人も白人も関係なく大統領としてやらなければならないことが山ほどあるわけです。ご本人は当然わかってますわなあ。

だからマスコミ(報道関係)の方には、いい加減「黒人」という枕詞をやめていただきたい。
なぜなら、「黒人」という言葉に秘められたあらゆる歴史が、形容詞的になってしまう。暗黙のうちに。

それは中立中道、ないしは事実を事実として伝えるジャーナリズムの本質の上で、ムダかつ場合によっては誤解を招きかねない形容詞でしょう。

なので、もうヤメようよ。と言いたいのであります。

オバマ大統領はオバマ大統領。それで十分じゃないですか? これからはね。


ま、それはそれとして、例の「Yes,We Can!」のキャッチフレーズはイイですね。
なんか元気が出てきます。語呂も良いし(って英語にもやっぱり語呂ってあるんだろうなぁ…)。

びっきぃは特にオバマ支持ってわけではないけど(誰も支持していない、つーかアメリカの選挙権ないし。笑)、とにかく泥沼化しているアメリカの外交・内政、経済その他もろもろ、頑張って知恵絞って何とかしてね。

やっぱり良かれ悪しかれアメリカの動向が世界を左右することには変わらないんだから…。
そういう意味じゃ、びっきぃもアメリカ大統領選挙の選挙権欲しいな。
個人的に合衆国政府に税金は払ってないけど、ウチ(日本)の財務省が損するの判ってて米国債を買ってるんだから(笑)。


とにかく「Yes,you can!」オバマさん頑張ってね~♪


びっきぃも「Yes,I can!」で、闘病・社会復帰がんばりま~っす。


あと、日本の政治家のみなさま、今日本の国民は「No, you can not!(youは複数形ね)」あえて訳すと「あんた達(特に党という集団)には無理や!」というやさぐれた気持ちになっています。

昭和の初め、5・15事件のころもそうだったようですね。国家国民よりも党利党略を優先する政党政治の腐敗に国民はうんざりしていた、という話も聞いたことがあります。
その時は軍が憲法のスキを付いて実権を握り、しかもそれを国民が歓迎したという話もあるくらいで(どこまでホンマか知りませんが)。

今って同じ状態じゃない?
びっきぃは今年39歳にもなりますが、未だに政党の存在意義がわからない。
政党政治のメリットもわからない。
だって生まれたときから55年体制で、その後は党利党略の戦国時代(?)。
個々の議員さんって何なの?と思うわけです。

当たり前のことですが、議員の皆さんはそれぞれ何万人という有権者の代表なんです。
党の縛りなどに屈せず、「Yes,I can!」で本当に大切なことを考え知恵を絞り実行してください。

ぜひともお願いいたします。m(_ _)m

…あ、またテーマから逸れちゃったf(^ ^;)。

”自由主義”について考える。

2009年01月06日 | 時事ネタ(独善的見解)
お~!久しぶりの”小沢昭一的こころ”風タイトル。
いろいろと考えることもできるようになってきました。

いや、ここ数年来考えることや、読む本といえば「生きるとは」「死とは」なんて哲学的なことばかり考えてたからねー。
それはそれですごく大切な時間だったと思っています。自分の人生の中でね。
本当にいろんな、言葉にはしにくい気付きも多くあったし。

ま、それはそれでいいとして、ホントに久しぶりのびっきぃ風暴論記事です。

あ。ただし!久しぶりだけに(?)超長文です。約3,500字あります。
読む方は覚悟してどーぞ(苦笑)。

テーマは”自由主義”。
いきなりなんだよ。と言われそうなのでびっきぃの思考経路を整理しておきますと。

まあ思考のスタート地点は、今回の金融危機及びそれが引き起こした実体経済の失速、つまり景気の悪化(っていつ良くなってたの?って気もするがね)、失業率の上昇。現実に目につくのは派遣切りの悲劇ですね。

改正労働者派遣法(2000年だったかな?)及びその後の改正については、また改めて考察します(たぶん)。

で、金融危機が実体経済をおかしくしてしまう、という現在の資本主義の構造に対して、びっきぃは昔から疑問、というか違和感を持っていたんです。
1929年~の世界恐慌のこととか、バブル経済時代を思うとね。

どういうことかといえば、ものすごく単純なこと。
「金融」って人間が作ったものなのに、なんでその「金融」に人間(=実体経済)が振り回されないといけないの?ってこと。

ホント単純かつ素朴な質問でしょ(笑)。

その究極の答え(というか原因)が”自由主義”だと思うのであります。
あ、先に補足しておきます。自由主義と言っても”無節操、無責任、自由に伴うべき義務すら無い、自由主義”ということです。

まあここまで書いたら、あと何書きたいかは判りそうなものですけど(苦笑)。

びっきぃの解釈では、
政治的自由主義 = 民主主義
経済的自由主義 = 資本主義 です。

びっきぃは決して資本主義を否定する立場ではありません。
ただ、「共産主義が失敗したから資本主義が正しいんだ」という某超大国に多そうな単純な思想は持っていません。

だって、共産主義と資本主義以外にも経済システムはあるかもしれないじゃない?
発見、開発されてないだけでね。
ということでびっきぃの立場は、「現在の人類文明における経済システムとしては”資本主義”が”ベター”である。」と。ベストかどうかはわからないよね。誰にも。

で、その経済的自由主義である資本主義。
コイツがどーも最近おかしくなって来ているように思うんですよ。

びっきぃの取引先の人でこんなことを言ってた方がいました。もう10年以上前かな。当時50歳くらいの方です。

「お金が、”稼ぐ”ものから”殖やす”ものになってしまった。」って。

言い得て妙ですよね。
例えば株式。本来株式会社といういうのは、多額の資本を集めるために考え出された、本当に良くできた仕組み。
その事業に将来性、そして社会的必要性(が無ければ事業は成り立たんが)を認めたお金持ちが出資し、事業収益から配当(インカムゲイン)を受け取る。

んで、やがて証券化された株式は資産として取引されるようになって、各地に取引所ができた、と。
そうなると、証券自体が有る意味価値を持つようになってしまった。
つまり、安く買って高く売るキャピタルゲイン狙いの投資家が現われてしまった。
彼らにとって、その証券を発行している企業が何を作っているのかは関係ない。
株価のチャートと長短の移動平均線とローソク足と気配値があればいいわけです(笑)。

でもね、まだこの辺までは良かった。いくらキャピタルゲイン狙いだといっても、期待収益率から計算した「適正(と予測される)株価」からは大きく逸脱することはなかったからね。

問題はね~。いわゆるデリバティブなんだと思うんですよ。金融派生商品。
例えば先物取引。
なんだったの?数ヶ月前までの、あの原油先物価格の暴騰。
んでここ2ヵ月ほどの急落。

暴騰時には、「中国やインドの原油需要が高いから供給不足になる(なっている)」とまことしやかに語られ、先物価格はどんどん上がっていった。
実際のところ原油の需給バランスが崩れていなかったことは、今の原油価格をみれば一目瞭然。
だって、暴騰時からこっち産油国は増産してないし、中国やインドの需要が減ったわけでもない。(この金融危機以後の世界実体経済の減速では、減ってるようだけど。)

つまり暴論をいえば、原油先物に関わる投資家は、お金を転がすだけで(ひょっとしたらテレビのコメンテーターなんかに「原油価格はまだまだあがる」なんてしゃべらせていた人もいるかもね)、濡れ手に泡の暴利を貪っていたわけです。

ということはどういうことか。
金融市場(特にデリバティブ)が、実体経済とかけ離れた独自の動きをするようになってしまった、金融市場だけで「お金を殖やす」ことができるようになってしまった、ということです。

と言うと、デリバティブの投資家は言うでしょう。
「何が悪いの? そんなの”自由”でしょ。法律で規制されてるわけじゃないしぃ。」

しかしタチの悪いことに、金融と実体経済は密接に繋がっているわけでね。
彼らのマネーゲームの失敗が実体経済を悪化させることになるから問題なんです。

投資家本人らはいいですよ。「あ~失敗こいた。」で済むわけだから。済まないか。でも投資会社自体が潰れる程のリスクの高いマネーゲームはしない。基本的に。
でもサブプライム・ローンは違った。住宅需要が米国経済を支えているという認識の下に住宅バブルとなっても銀行は貸し出しを続け、債権を引き受けた証券会社、投資会社はマネーゲームで金儲けをし続けた。

で、とうとうリーマンがボロをだした。と。
で、投資家たちは「とうとうバブルは終わったぞ、急いで資金を引き上げろ!」
ですわ。その結果が株式大暴落。

びっきぃの言いたいことわかるでしょ。
要するに、モノも作らずサービスも提供せず、金を転がすだけで大儲けしていた連中の動き一つで、実体経済が大打撃を受ける、ってこと。
しかも、彼らは経済の専門家。自分たちの行動の結果どうなるかの見通しはできるはず。

そこでやっと「自由主義論」に戻るわけです。

つまり金融市場は「自由すぎる」。
いや、言い方悪いな。自由であることはいいんです。

ただね、人間として、道徳としてね、「自由」には、それにともなう「責任」があるんだよ。ってことを投資家の皆さんは忘れていらっしゃるんじゃあ、ありゃあせんかい?

権利があるから義務がある。自由があるから責任がある。当たり前のこと。
自由に行動していいという権利をもっているんだから、その結果起こったことについては責任を持たなければならない。

それが人間でしょ。
でもそれが今の金融市場ではできなくなっている。競争社会だから。
だから、「自由」の美味しいとこ取りをしてあとは知らん顔。
むしろ「不良債権抱えて大変なんです~。」なんて被害者ヅラしたりしてね(笑)。

「自由」。本当にいい言葉でいい概念ですよね。でもそれには「責任」がついていてこそ本当の自由だと。
そんな道徳的なこと、生き馬の目を射抜く競争社会の市場原理の下では顧みる余裕はないよね。ライバル他社がやってれば自分の会社もやらないと仕方が無い。

企業家・投資家の道徳心が期待できない、とすれば「官」による規制しかないんだけど、それはなんかイヤだよなあ。

ああ「経済的自由主義である資本主義」よ。君はいつ「心ある資本主義」に生まれ変わるのか…。

え、そんな気ないって? あ、そう。ゴメン(悲観的…)。

どうやら次のテーマは”成熟経済社会における過当競争”ということになりそうな。

とにかく、人間が人間らしく生きられる世の中にならんかなあ?
って、「人間らしい生き方」って何? 
ああ、また哲学の世界が俺を呼んでいる…(笑)。

あ、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

関西人の漫才と静岡のサッカーと世界平和。

2007年03月10日 | 時事ネタ(独善的見解)
前の記事書いてふと思いました。

結局、関西人にとって漫才ってのは”芸”なんですよね。
だから、”芸”として面白いか、という、ある意味理屈っぽい見方をしているわけです。

だから”単に面白いか”だけを見る他の地方の人に審査をして欲しくない、と。
ま、それはびっきぃの独善的見解でありますが。

それに関して思い出したのが、びっきぃが大学4年間を過ごした静岡でのサッカーの見方、であります。

これ、関西人の漫才の見方に通ずるものがあるなと思ったのです(って、いつも通り大した話ではありません)。

当時はまだJリーグは始まっておらず、JFLの時代。
びっきぃは地元ローカルテレビ局でバイトしてたので、よく試合の取材に出かけたんですが。

その時驚いたことが、関西の漫才に通じるな、と。

どう言う事かというと、静岡のサッカー観戦者ってのは、めちゃくちゃサッカーに詳しいわけです。サッカー王国だからね。

だから声援も、単なる応援ではなくて観客みんながコーチみたいな声援を送るんです。

具体的には。

ディフェンダーに対して(ディフェンダーに声を送ること自体すごいと思う)「(オフサイド)トラップ遅いぞ!」とか。

攻めている時でも、「なんでタテ(パス)なんだよ!そこはクロスだろ!」とか。

選手にとっちゃいい迷惑(笑)。

というわけで、たぶん昔からの静岡のサッカーファンにとっては、最近のJリーグのサポーターの試合の見方ってのは、きっと「おもしろくねぇずら。」って思ってるんだろうな、と思った次第。

ま、それだけの話です。
地方ごとに、こだわりのある文化があるんだろうな、と。

この狭い日本でも地方によってこれだけ文化の違いがあるんだから、世界の文化交流ってホント難しいものなんだろうね。

ただ思うのは、文化の違いが戦争にならないように…ですね。


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NHKにモノ申す。

2007年03月09日 | 時事ネタ(独善的見解)
…と言ってもカタい話じゃ有りません。

「第37回上方漫才コンテスト」の審査結果についてであります。
帰宅後テレビつけたらやってたので見てました。

「上方」ということで以下関西弁(厳密には神戸弁)で。

***

第37回いうことで、びっきぃが生まれた年から始まっている由緒あるコンテストなんやけどな。
今回、115組の中から最優秀賞とったコンビ、全然おもろなかったで。

びっきぃは、生まれも育ちも神戸。自分では生粋の上方人(関西人)やと思てます。
物心ついたころから新喜劇見てたし、’80年ごろの漫才ブームも覚えとおし。

まあ、賞を取ったコンビ名は敢えて記事にせえへんけどな。あいつらにも名誉あるし。

問題はNHK大阪放送局や。

上方漫才のコンテストの審査員に、なんでよそ者(もん)を使うんや。
あいつらに上方の漫才が分かるかい!

「上方漫才」を謳うなら、ホンマに笑いを知っとおベテランの芸人がいくらでもおるやろ。
何でホンマの芸人を審査員に使わんかなあ。

ちょっと前にNHKのプロデューサーだかディレクターだかが使い込みして、受信料の支払拒否が問題になったわなあ。

はっきり言うてあん時より受信料払うのヤになったわ。

ということで、NHK大阪放送局には猛省を求める次第や。頼むでホンマ。

***

ということなんですけど。
読み返してみて、やっぱ関西弁ってガラ悪いなあ(苦笑)。
なんかめちゃくちゃ怒ってるみたいですな。

実際は別に怒ってるわけじゃないんですよ(笑)。

ただ「上方漫才」を汚されたような気分になったもので(やっぱ怒ってるんじゃん・笑)。


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 食べるモノ、今のままでいいの!?

社会起業家(クローズアップ現代より)。

2007年02月21日 | 時事ネタ(独善的見解)
最近TVを見れるようになったびっきぃが、ほぼ欠かさず毎日見ているのがNHKの「クローズアップ現代」。

19:30からの放送ですが、18:00定時に帰れる今のびっきぃ。毎日見ています。

で、今日は「社会起業家」の特集。
「社会起業家」って何よ、ということですが、びっきぃの造語としては「社会貢献型ビジネス」というところでしょうか。

もちろん、世の中の会社はみな何か社会に貢献しているからこそビジネスが成り立っているわけではありますが。

「社会貢献型ビジネス」というのは、例えば障害者や高齢者、大きくは貧困に喘ぐ国の人々を、単にボランティアで助けるのではなく、ビジネスとして成り立つ方法で助ける、というビジネス形態のことであります。

これがなぜびっきぃのアンテナに反応したかというと、ほぼ10年前かな、びっきぃが25、6歳のころ、イメージしていたビジネス形態だからであります。

日々の仕事と”うつ”とですっかり忘れてしまっていたんですが、当時思っていたことを思い出したんです。

つまり、「社会的弱者」をボランティアではなく、ビジネスとして成り立つ方法でサポートすることができないだろうか、と漠然と思っていたのです。

それを思い出すとともに、番組で取り上げられている若い(20代の)起業家たちをうらやましくも感じてしまいました。

でもびっきぃもまだまだ若いぞ(笑)。

あの頃の純粋な思いをもう一度思い出して、そして使えるなら今の会社の経営資源を使って一旗挙げてやろう、とファイトが沸いてきました。

やっぱこの世に生を受けた限りは、「世の中に貢献した」という具体的満足感を持ちたいものですからね。


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柳沢厚生労働相の発言とマスコミの対応について。

2007年02月19日 | 時事ネタ(独善的見解)
例の工場労働に対する「労働時間”だけ”が売り物」という意味合いの発言。

びっきぃとしては、そんな表面的なことに貴重な電波や紙面を使って欲しく無いのであります。

柳沢厚生労働大臣が言わんとしたことは、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプションに絡んで、「労働時間と”仕事の成果”が比例していることを前提にしている、現在の労働基準法を見直す必要がある。」ということであります。

ただ、今だに工場は時間=成果だと認識している大臣はダメダメですけどね。
中国製造業に対抗するため、特に中小製造業で職人芸的な働きをしている人達を理解していないことは事実で。

ただ、それはそれとして、大臣の言葉の上っ面だけを取り上げてニュースにするマスコミは、大臣に輪をかけてダメダメでしょう。

あの言葉のウラに隠れている(それを表現できない大臣はダメですけど)、現在の労働基準法の問題点に触れたニュース・記事がどれだけあったか。

正直、日本のマスコミのレベルの低さを改めて思い知ったびっきぃであります。

って、びっきぃ自身も、労基法が現代にそぐわなくなっていることは理解できるけど、ホワイトカラー・エグゼンプションが”正しい解”なのかどうかは、勉強不足でよくわかりません。

言いたいのは、びっきぃにも分かるように、掘り下げたニュース・記事を提供して欲しい、ということなのであります。


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プロボクサーが警察官に(ニュース)。

2007年02月16日 | 時事ネタ(独善的見解)
…というニュースを昨日テレビで見ました。

警視庁が、プロボクシング協会に対して、引退などをした選手を警察官として雇いたい、といういわば就職説明会を行ったもの。

警視庁には、これから大量に警察官が定年退職していくので、優秀な若者を採用したいという意図。
プロボクシング協会にとっては、引退選手の再就職先の確保が大きな課題となっていたとのことで、両者の思いが一致して実現したそうです。

すごく良い取り組みだと思いました。
むしろボクシングだけでなく、他のスポーツの選手にも窓口を広げてほしいし、受け入れる方も警察だけでなく、強靭な体を必要とする公務員である自衛隊や消防などにも広がって欲しいと思いました。

というのは、スポーツ選手は常に将来に対して不安を抱えながら選手生活を送っているんですよね。
チャンピオンなどになって、一生金に困らないように成れる選手はほんのわずか。

それ以外の選手は夢半ばであきらめて、一般社会に戻ってくるわけですが、その時には学歴・職歴・年齢などの点でハンデを背負うことになるわけです。

そういうスポーツ選手の、いわば「セーフティネット」として、今回の取り組みは非常に評価して良いと思うんです。

「セーフティネット」があれば、選手は頑張れるところまで頑張れるし、例えば高校を卒業して、選手を続けるか大学に行くか、という選択を迫られている人たちにも、検討の幅が広がると思うんです。

で結果、良い選手が多く出てくることになるのではと。

一方、(プロ)スポーツ選手は一般的に非常に礼儀正しい人柄の方が多いそうです(記者である姉の話)。
そういった人柄で、かつ強靭な肉体を持った人が自分の町の警察官だったり消防士だったり、はたまた自衛官だったりしたら、こんなに安心なことはないですよね。

ぜひこういった取り組みを広げていって欲しいものです。


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 食べるモノ、今のままでいいの!?

”英雄”に思う。

2007年02月01日 | 時事ネタ(独善的見解)
久々の”独善的意見”カテゴリー記事です。

帰宅して今テレビ見てました。テレビ見れるようになったのは以前の記事の通りですが。
「奇跡体験!アンビ○バボー」です。

今日の内容は、アメリカで、爆発物を積んだ無人の暴走貨物列車を町に突入する寸前で止めた3人の鉄道マンのお話。
まあ、内容はどうでもいいんですが(苦笑)。

テーマにしたいのは、この3人を”英雄”として処遇(?)するアメリカの国柄についてなんです。
批判じゃないです。この点だけ捉えればアメリカってなんて良い国だろうと思うのです。

他人の安全を護るために、命を懸けて列車を止めた3人を”英雄”と褒め称える。
素晴らしいと思います。

ひるがえって我が日本。
そんな文化はありませんなあ。

いや、歴史オタクのびっきぃとして言いますと、戦前までは同じような文化があったように思われます。
靖国神社しかり(戦犯合祀の話は置いといて)。名前忘れたけど、警察や消防で殉職した人を祀っている所も東京にあるらしいね。

他人のために何かをする。それも命を懸けてする。それを”英雄”と呼ぶ。
非常に素直なロジックだと思います。

我が国にもそんな文化が甦って来て欲しいものです。
安倍総理、それも「美しい国」の一側面だと思いますよ~(見ちゃいねぇつーの、笑)。


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 食生活の前に、まず、食材を変えよう。

テクノロジーと人間の能力とのバランス?に思う。

2007年01月06日 | 時事ネタ(独善的見解)
少々酔っぱですが(苦笑)。

最近、愛車ビストロにMP3再生可能なCDデッキを装着したことは記事にしましたが。
音楽データをMP3で扱っていて思ったんです。

「テクノロジーが人間の扱える領域を超えつつある」って。

そもそも論で言うと、テクノロジーが人間の力を超えたのは”産業革命”での蒸気機関の発明なんですよね。

でも、産業革命以降現代までは、まだ人間がテクノロジーをコントロールしていたと。
現代文明の象徴とも言える車だって、あくまで人間がコントロールしている。というかコントロールできるレベルに抑えられている。
だから事故は人間のミスでしか起こらない。基本的に。

で、思ったんですMP3で。
MP3形式の音楽データを750MBのCDに書き込むのに必要な時間は5分程度。
で、その書き込んだ音楽を実際に聴くのに必要な時間は10時間以上(笑)。

そこで思ったんです。テクノロジーが人間の”生きるリズム(?)”を完全に超えたな、って。

上手くいえないけど、情報系のテクノロジーに関しては、もう人間がコントロールできる限界に到達しつつあるのではないかと、そう思うのであります。

言っとくけど、びっきぃはまだ36歳だし、コンピュータについても社内では詳しいと言われている人間だからね(笑)。
コンピュータ音痴のオッサンの愚痴ではないですよ。

で、だからどうしたなんですが、これからどうなるんだろう?ということです。
テクノロジーが人間の持つリズム(という表現がいいのか、とにかく人間が人間らしく生きられるペース)を追い越した時、人間はいかに生きるんでしょうなあ?

よくSF小説なんかで描かれている、コンピュータがコンピュータを支配して、人間がそのさらに下位に位置づけられるようなことだけは避けたいですなあ。

なんてことを少々本気で心配になってきた最近のびっきぃなのであります。


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  食生活の前に、まず、食材を変えよう。

”硫黄島”から歴史教育を考える。

2007年01月03日 | 時事ネタ(独善的見解)
年末年始、神戸の実家に帰省していたことは記事にしましたが。

その前に「何で今硫黄島や栗林中将がクローズアップされてるの?」
と恥ずかしながら思っていたびっきぃなのであります。
だってベストセラーに「散るぞ悲しき…」とかがでてるしね。
テレビを見ないびっきぃの弊害がでてしまいました。
映画が作られているのね。それもスピルバーグの。

で、話変わって、年末年始、久しぶりに姉に会いました。
姉は新聞記者でスポーツを担当しているキャリアウーマンです。そのスジではなかなかの人物のようで。

で、姉の自慢をしたいのではないです。

その姉が言うんです「この映画が話題になるまで硫黄島(の戦い)って知らなかった。」
さらには「さすがスピルバーグ監督で、客観的な作品になってるらしいよ。」
とのこと。

姉を馬鹿にしたいのではないです。
だって、日本史専攻して偏差値80以上(マジよ、日本史だけだけど)あったびっきぃの記憶でも、学校で”硫黄島”のことなんか教わった覚えは無いです。

ただびっきぃは、戦国時代や幕末、明治、という興味の延長で大東亜戦争についても興味があって、その関係で”硫黄島”や”栗林中将”のことを知っていただけ。
…であることに改めて気づかされたのであります。

つまり、姉でさえ”硫黄島”を知らない、ということに愕然としたびっきぃなのですが、それが日本の歴史教育の実態なんだろうな、と。

事情は分かるんです。
あの大東亜戦争(太平洋戦争と言わないところですでにびっきぃの思想が見えますが、笑)と、それに至る歴史(日清・日露戦争他)については、文部科学省と日教組の間で解釈の食い違いがあって、当然大学入試の問題に取り上げられるような確固たる解釈ができていない、よって進学校ほど日本の近代史は教えられていない、ということですわな。

まあ、南京大虐殺が事実かどうかなんてことがいまだに議論されていたり、韓国・台湾の併合やその統治がどうだったかなんて、基本的なことに結論が出ていない状況で、あの戦争の個々の事柄についての情報なんてフツーに生活・学生していれば出会うことはないですわな。

で、思うわけです。
このブログでも何度も書いてきたけれど、教師が歴史を教えるとき、何も数学のように”唯一の正しい答え”を教える必要はないんです。

昭和史についても、いろんな考え方(捕らえ方)がある。
とにかく日本が悪かった、という日教組のような考え方もあれば、びっきぃのように、良い(当時の法的に悪くない)ことは悪くない、悪いことは悪い、という思想の持ち主もいる。

だから、過去記事の繰り返しになるけど、歴史の教師には、ぜひ生徒に考えさせてやって欲しい。
日本が悪いという意見にはこういうことが述べられている、一方当時の世界情勢の中では日本が生き残る為にこういう道を選んだのだ、という意見もある。

さあ、君たち(生徒たち)はどう考えるか?
それを考えさせ発表させる、それこそが教育だと思うんです。

大学入試の問題に取り上げられるような画一した歴史観が無いから入試問題にしない。よって、高校も日本の近代史をちゃんと授業しない。
その結果、超インテリであるウチの姉でさえ”硫黄島”を知らない、ということになるんです。

その硫黄島を”客観的”に描けるスピルバーグがエラいのかというと、別にそうじゃない。
米国の歴史授業は、もちろん基本的にアメリカが正しい、という前提の下にすすめられるけど、その一方で相手国からの留学者に意見を求めるような授業が行われているようです。

その留学生だった、某ビール会社顧問の孫娘との手紙のやり取りを本にしたものがあります。
たしかベストセラーになったはずだけど「おじいちゃん戦争のことを教えて」中條高徳著、小学館文庫、です。

この孫娘さんは、戦争に対して、日本人としての意見を教師から求められ、祖父に手紙を書き日本の当時の思い(のひとつ)を学校で発表したんです。
クラスメートや教師からは「視野が広がった!」というように大絶賛をうけたそうです。

このような歴史教育を是非望みたい。

そして、アメリカよりももっともっと客観的に戦争を振り返り、戦争に至った経緯を教師と生徒が一緒になって研究して欲しい。
それが、歴史を学ぶ根源的な目的である「世界平和」に結びつくのでは、と思うのであります。


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消費者物価指数について考える。

2006年12月27日 | 時事ネタ(独善的見解)
いやあPCについて書いていたら、「そーいえばPCの価格が消費者物価指数に与える影響」なんて記事だかコラムだかを読んだことがあったな、と思った次第。

消費者物価指数については、ココをクリックしてもらえばいいんだけど、PCのように技術革新が早い商品の場合、どのように計算しているのか、なんです。

これには、「ヘドニック法」なる計算式が使われているそうです。
具体的には、同じ価格のまま、性能が向上すれば、その分価格が下がったということでしょ。という考え方。

先の記事のびっきぃの古いPCと今のPCを比べると(CPUのみ)、購入価格はほぼ同じ(10万円)でした。

ならば10年前は100MhzのCPUを積んだPCが10万円でした。
で現在(厳密には3年前だけど)、実質1700MhzのCPUを積んだPCが10万円なんですね。

ということは、この10年で消費者物価指数は、1700/100=17 同価格で17倍の能力になった、ということで、消費者物価指数上では1/17=0.059%まで価格が下がった、ということになるんです。

で、何が言いたいかというと、技術革新の早い情報系の商品のお陰で、消費者物価指数が相当押し下げられているのではないでしょうか?ってこと。

消費者物価指数の対象になっている商品数は17年度で584品目。
このうちどれぐらいが「情報系」の商品なのかは知りませんが、影響はどうなんでしょうね。

びっきぃが危惧するのは、「情報系品目の影響」が大きすぎて、消費者物価指数が正しく表されていないのでは(低くなっているのでは)、ということなんです。

これで政策(金利とかマネーサプライとか)をエライ人が考えているならちょっと怖い。
まあ、もちろん他の指数も参考にして政策を決めているんでしょうけどね。

「消費者物価指数はもっと高いぞ(高くなってきているぞ、デフレも終わり!)」なんてことを主張したいわけじゃありません。

だってローンを抱えた身にとっては、あまり景気よくなって金利上がっても嫌だし(苦笑)。


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