オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

続 あるがままに。

2011年08月26日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
…続くのかよ(笑)。

という自己ツッコミはおいといて、真面目なお話です。

「あるがまま」の意味がわかったというよりは、「今の自分のあるがまま」が、ようやくココロに受け入れられた、という感じでもあります。
具体的には心筋症であることが根本。

少し前思ったように、受け入れられたつもりだったけれど全然そうではなかったことに気づき、ようやく病気と正面から向かい合うことができてきて、受け入れられたような感じがしていたけれど、それはアタマ(思考)のレベルだったのかな。

今回はココロに収まってきたという感覚。

なので、これまでは何かあるとすぐ心筋症であること(それもネガティブ面ばかり)に感情がリンクして「もうどうでもええわ、うんざり」というようなネガティブな気分がおこり、それを認知の切り替えで処理してきたわけですが。

だが、今はネガティブな気分があまり起こらなくなってきている。

そもそもを考えると、ここ10年程の間に、ネガティブなスキーマ(中核信念=認知の傾向の根本)が形成されてしまっていたようです。それに気づいているようでいなかった。
ま、それは仕方が無いわ。いろいろあったし。

今は、その内側から新しいスキーマが現れて、脱皮しつつあるような感覚。

だから、「元に戻った」というだけでなく「別のものになった」感じもします。

ただ、まだ脱皮中。ときどき古いスキーマが顔を出し、憂鬱になることはあります。
でもそれは仕方が無い。こういう変化に時間が掛かることは数え切れない程経験してよく判ってるから。
とにかく、その気分に振り回されないこと。一方抑圧はしないこと。

正面から見つめていれば自然に収まっていく。収まらん時はとっとと寝る(笑)。瞑想をする。まあ、そういう時は瞑想に入りにくいだろーけどね。形だけでもやってみる。

10年近くかけて、沈みきったトコロからようやく浮上したら、まったく別の世界だったという感覚を感じています。

というかその世界(観)は自分のココロが創り上げているんだよね。

とにかく焦らないこと。ココロの変化は急に起こるけど、根付くには時間が掛かるからね(私の場合ですが)。

あるがままに。

2011年08月23日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
お久しぶりです。
お盆の頃にかけて、ドン底状態にありました。間違いなく復帰以来最悪。
何もかも嫌、というかうんざり。完全にココロが“折れた”ような感じでした。

が。

お盆があけるなり、なんだか好調だよ。(いや、お盆は関係ないんでしょーけど。)
んで、その状態が続いています。さらに安定してきています。

で、これはちょっと分析?しておこうと思いましたので書いてみます。

***

「あるがまま」ってのがようやく判ってきました…よーな気が。どっちだ(笑)。

というのは、ここ何年間もずっとココロに留めていたことなんです。
「あるがまま」とか「ありのまま」とか。

そもそもは中村天風師の本(講演録)でこの言葉(あるがままに生きる)を見た時、言葉の意味はまったくわからないのに妙に安心感を感じたコトなんです。
(過去記事みてみたら‘06年の12月以来、足掛け4年か。笑)

で「あるがまま」って何?って漠然と、でもず~っとココロにあったんです。

それが何となく理解できて来た。ココロに根付いてきた。それにつれて毎日がラクになってきた、という状態です。

んで、「“あるがまま”って何?」なんですが。

びっきぃの文章力では説明できません(苦笑)。

ただ復職支援センターで認知療法を学ぶ中で、自分なりに思っていた(いる)ことは、
「出来事は出来事に過ぎない。それの善悪を評価したり、なんらかの感情を生んでいるのは自分に他ならない。」って。
ついでに、「出来事に反応するのではなく、できるだけ客観的に観察して、そこから何を学べるかが勝負?でしょ。」って。

この「客観的な観察」が一番感覚的に近いかなあ。それがココロに根付いてきたと。

出来事(人生に起こるありとあらゆること)に対して一切の評価をせず、こころの“反応”で生まれた感情が静まるのを待って(抑圧ではない→重要)、ただ見る。

だから、「あるがまま」。

…あかん。やっぱり説明できんわ(苦笑)。

ただ補足しますと、それがココロに根付いて来たきっかけは「ブッダの哲学(いわゆる初期仏教)」に手を出した(笑)ことでした。

一切皆苦、諸行無常を大前提として、いかにすれば幸せを感じる生き方ができるか、という思想。ってそんな簡単にまとめられるものではありませんが(苦笑)。

で、蛇のお話(怒りなどのネガティブ感情)やら中道、無我の概念やらに触れているうちに、以前から思っていた「出来事は出来事に過ぎない。」がココロの中にしっくりと来た感じなのです。ってブッダの教え自体は難しくてわかりませんが(苦笑)。まあ今はいいや。

とにかく「出来事は出来事に過ぎない」が、ようやく信念化してきた、という感じなのかなぁ。

あと、ここしばらく瞑想を真剣にやっています。いわゆるヨーガ系の瞑想です。
真剣に「何も考えない」状態にトリップ(笑)します。
具体的には、呼吸に意識を集中することで他のことを考えないようにする、という感じでしょうか。

ココロや体に振り回されない「ありのままの自分」を作り出すというか。
天風師が「真我」っておっしゃっている状況だと思うんですが。ブッダの言う「無我」もこれなのかなぁ???

そんなこんなで、気が付けば「認知の切り替え」が楽に、さらにはあまり頼らなくて済むようになってきている気がします。

心理学的にも説明は付きそうなんですけどね。信念(中核信念=スキーマ)の傾向が、認知の歪みの根本なわけですから、信念が「積極化(絶対的積極化)」すれば、ココロの反応である自動思考も積極化していくわけです。

あ、「絶対的積極」と「相対的積極」の概念は中村天風師の教えです。
興味のある方は自分で調べてね。書き出したらきりがないし、マチガイを書きかねない(苦笑)。

み~んな「ありのまま」。出来事も人も「ありのまま」。

ということで、ありのままにまとまりなく。。。(笑)