少し前の記事(徒然雑草4)で書きましたが。
私にはもともと常に頑張っていなきゃいけない、という強迫観念があるようだ、それを克服して普通(?)に戻さないと、本当にうつ病を治したことにはならない、というようなことを書きました。
そして、それは私の持つ「思考パターン」によるものだろう、ということも書きました(徒然雑草2)。
まあ、本を読んでそんなことに気づいたわけではありますが、心理系の医学の世界ではそんなことは常識のようですな。
ネットで「強迫観念」他の単語を検索していて気づきました。
①ものごと→②思考パターン→③感情
という流れですね。
で、うつ病ってのは③がおかしくなってしまった状態のことを言うわけです。
そして薬は、おかしくなった③感情を"とりあえず"正常にしましょ、というものに過ぎなかったわけです。
つまりは不良債権を溜め込んだ銀行に対して、その原因はともかくとにかく助けろ!と税金をつぎ込んだようなもんですな(例えが古いな、笑)。
というわけで(やっぱり)重要なのは②の思考パターンなわけです。
私にどんな思考パターンがあるか、結果から思いつくままリストアップしてみると、
・ヒマが苦痛。
・休日や早退して家にいても落ち着かないのが苦痛。
・本が読めないことが苦痛。
・テレビ見れないことが苦痛。
・子どもと遊ぶのが苦痛。
・将来ゆとりを持って生きていけるかと心配・不安。
・だから、何か努力してエンプロイアビリティ(被雇用能力)を高め続けていないと不安。
・なのに何も手に付かない焦りが不安。
・何も楽しめない(最近少しマシかな)ことが苦痛。
・何もしない、できないことは落ちこぼれていくことのように感じる不安。
・つまりは"生きる"ということそのものに対する不安?。
ん~リストアップしても何も掘り下げて考えることができないなー。
ただ上記のような状態は、医学的に「強迫性人格障害」というらしい(そうだと医師に言われたわけじゃないけど)。
ちょっとすごい言い回しだけど、「強迫性神経症」や「強迫性障害(潔癖症みたいな、自分でおかしいと思っているのに止められないという本格的?な精神病)」とは違って、もっと軽い、有る意味ポピュラーなモノらしい。
つまり「強迫性人格障害」でも、それが周りとマッチしていれば、それと気づかず普通に生活できるという程度のもの。
いわば私も、以前はそれが普通で問題なかった、ということですね。
ただ、ここへ来て頭と心が疲れきってしまったと。
で、③の感情がおかしくなって、とりあえず薬で抑え込んで普通の感情の状態に"なんとか"持ってきているのが今の状態。
でも②の思考パターンは手付かずだから、ちょっとしたことでまた③の感情がおかしくなる。
その繰り返し。。。
思考パターンってどうやって変えていけばいいんだろ、と思っていると、なんでも「認知療法」ってのがあるらしい。
ズバリ思考パターンを変えましょう、という心理療法のようです。
うーん、そういう心理療法をやってくれるトコを探すかなあ。
今の主治医は信頼できる人だから変えたくはないけど。
ただ、②思考パターンに関することは、「そんな風に考えないように。」もしくは「考えないためにどうすれば良いか考えてね。」というスタイル。
まあ、そんなことを言える状態まで戻してくれたのはその先生だから贅沢はいえないけどね。。。
以前読んだ「クヨクヨしなくていいんだよ」という本には、「思考パターン」は「それまでの人生の生き方の集大成を映した『習慣』にすぎない」「習慣であるからその変革は難しくない」というようなことが書いてあったけど。
やっぱ30数年生きてきた、少なくとも社会人になって10数年やってきた「生き様」を変えていくのは自分ひとりでは難しいように感じるよ。
結局、うつ病の発症とそのぶり返しの原因(②思考パターン)はずいぶんはっきりしてきたと思う。
でもそれをどうやって、現状にマッチさせていけばよいのかがわからない。
というか、頭(意識上)ではわかる、気がする。
でも心の底(潜在意識というか無意識というか)から、現状にマッチさせる必要があると感じている。
そうなるともうどうしてよいやら全くわかりましぇん。
なんか良い知恵が浮かばんものかな~。
*******************************************
supported by 自然堂本舗
安全と美味しさは食材の「当たり前」です。