オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

現実を生きる。現実に生きる??

2010年11月24日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
毎度よくわからないタイトルで。
今回は本人すらわかりません(笑)

ただねー、ここ数年(というか心筋症で入院して以来)哲学的?な思考を繰り返してきたわけですが。
最近ちょっと囚われすぎているかな、と思い始めたのであります。

もちろん、そういった思考や学びをする過程で本当にたくさんのコトに気づいたし、人間としても少しは成長できたのかな、と思うことも多々あります。
そのおかげで苦しみから解放されることもありましたしね。
なので、それはそれで有意義だったと思うのですが。

一方で、社会復帰して一年以上経った今、もっと現実をまっすぐありのままに見つめる時期が来たのかな、なんて思ったのです。

そういう段階なのかもしれませんねー。

正直なところ、これまで現実をしっかりありのまま見つめてきたか、と問われれば、ノーです。
そんな心のパワーがないというか、どうでもいいというか、そんな勇気がないというか…、また壊れてしまいそうで(苦笑)。

…って、無意識に思っていたようです。

それが、少し気合が戻ってきたような感じ。
過去の現実、今の現実をしっかり見据える時期が来ている感覚がします。
見据えるといっても“闘う”わけでは無いんですが、苦しかったことを思い出すのはやっぱりパワーがいるからね。

で、話が前後しちゃいましたけど、なんでそんなコトをしなければならないのか。

ここ数年間というのは、哲学的(というより認知療法的?)に過去を見ることで、苦しみのウラで得たものばかりを常に意識するように生きてきたんですね。
放っておいたらココロは勝手に苦しんでくれます(?)ので、思考としてはプラス面ばかり意識するようにしていた、とでも言えばよいのでしょうか。

もちろんこれまではそれで良かったんだと思います。
過去の苦しみと真正面に向き合えるほどのパワーが無かったわけですから。

ただ、結果的にはココロの中の苦しみを、ただ見ないようにしてきただけとも言えるわけですよね。
ということは、いつまで経ってもこの苦しみは消えない、ってコトだと思うんです。

ですから、少しパワーが戻ってきたこれから、少しずつ苦しみを見つめていってみよう、それで「苦しみ君」の行き場を探してやろう、そうすれば哲学的思考に頼らずとも生きていけるようになるかな、と。

で、なんでそうなりたいかというと、哲学的思考でココロの安定を保つのって、それはそれで結構エネルギーを食うんですよね。最近気づきましたけど。

なので、ココロの安定を保つために通常必要以上のエネルギーを使いたくない。
というか、そんなエネルギーがあるならば、今どう生きるか、ということに使いたい、というコトです。

そういう段階に入りつつあるような気がする(はっきりしろよ、苦笑)、最近のびっきぃなのでした。

で、タイトルの「てにをは」の話。

びっきぃのココロの師匠の一人(多すぎて困ってます、笑)の中村天風師は、講演録などをみると、「人生を生きる」ではなく「人生に生きる」という言い方をされています。

おそらく何か意図があってそういう言い方をされているのだろうと勝手に思っていたのですが、最近なんとなく“に”の意味が判ってきつつあるような気がする、のは気のせいだろうか?(だからはっきりしろって)という状態です。

どちらにしても、言葉で表現できるものではありませんねー。だから?はっきりできません(逃げ)。

あ、やっぱり??

2010年11月12日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
…タイトルに困ったんですが。

昨日病院へ診察に行ってまいりました。
月一回の定期診察です。循環器内科とメンタルヘルス科。

で、循環器は問題なくお薬も変わらず(変えようが無い)なんですが。

メンタルの方でのコト。
最近の状況として以下のようなことを報告。

・ 気分の変動が毎日コロコロ変わっている感じ。(以前のような周期性の「波」ではない)
・ 気分の日内変動があまり無い。(良い日は一日良いし、悪い日は一日悪い)
・ 夕方~夜の疲労(感)が強くなっている感覚。おかげで「つい夜更かし」は減っている。(本読んでても、気が付いたら寝てしまっている)
などなど。

で先生の見解。
「…うつの症状ではなくなってますねえ。。。」  あ、やっぱり??

ということで、先日アップした記事のようなことを話ました。
つまり、
・ 自分もそういう感じであること。
・ 過去の苦しみがトラウマ的になっていること。
・ それが、何かのきっかけがあれば表面化しやすい状態であること。
・ 表面化すると「もーどーでもええ」の憂鬱状態に陥ること
などなど。

んで先生。
「薬はまだやめられないけれど(薬で保たせているし、やめるにしても少しずつ)、カウンセリングで、ココロの整理をつけていく必要があるかもしれないですね。そうなるとカウンセリングを併用している病院に移る必要がありますが…。」
とのこと。

うーん。カウンセリングねえ。
実はカウンセラー選びって結構難問(経験上)。

それに、あくまで薬物治療との併用ということなので病院併設のカウンセリング、つーかカウンセリングを治療に応用している病院、を探す必要があります。

まあ、とりあえずここ1ヶ月程度の状況からの見解ですし、しばらくは様子見です。

とにかく毎日スムーズに会社に行き(←一応→)仕事が出来ているコト(凹んだ時はトイレでプチ認知療法、笑)を喜びましょう。

治ってる?

2010年11月05日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
何を突然? ですが。
ここ数ヶ月、というか数年を振り返ってみて思いました。

もう「うつ病」そのものはほとんど治ってるって。

多少説明致しますと、ここで言う「うつ病」とは「脳機能の異常」のこと。

つまり、原因不明の憂鬱感、イライラ、倦怠感、意欲減退…といったうつ症状を起こす脳の病気、のこと。
いわば、西洋医学的?な捉え方での「うつ病」です。

で、そういう意味での病気は、ほぼ治った(というか治っている)と思うようになりました。

確かに、毎日憂鬱だったり楽しめない、といったようなことはあります。
でも、それはもう「脳」の問題ではほとんど無くなったのでは、と思えるんです。
まあ、食欲や(正常な)性欲があまり無い(ほとんど無い)というのは、「脳」の異常がまだ残っているんでしょうけど、そんなに大した状態ではないし。

んじゃ毎日の憂鬱感とかって何?なんですが。

たぶん心の底にこびりついている、かつての苦しいときの記憶が、何かの都度(まあいろいろ)よみがえって、当時の気分に戻ってしまっている、というように思えるんです。最近。
もちろんその度に「プチ認知療法」で対処してやり過ごしているんですが、対処できない場合が結構あるんです。

たとえばオカリナ。
オカリナそのものは最近、また吹こうかな~、と思う時が出てきたりしているんですが、あの「オカリナ公園」には足が向かない、という状態。

正直に言うと「怖い」。

なんせ、心身共にボロボロになった後、リハビリ目的で毎朝あの公園に通ってオカリナを吹くようになったんですね。生活リズムの再構築が主目的です。
まあその頃は音楽に興味が戻って来たくらいには回復していたんでしょうけど。。。

だからオカリナ演奏自体はともかく、あの公園に入ると、あの頃感じていた今とは比較にならない程の強い不安感・むなしさ・寂しさ、そして例の「もう何もかも嫌んなったちまった。どーでもええわ。」という苦しくて苦しくてどうしようもないキモチをリアルに思い出してしまうんではないかと「怖い」んです。

もうあんな思いはしたくない、というキモチが強い(強すぎる)んでしょうなあ。トラウマ?

それが心の底にこびりついたままだから、脳が正常になってもちょっとしたことで「あの苦しみ」を思い出してしまい、「もうどーでもええ」という憂鬱状態に陥ってしまう、と。

うーん、書いていて思ったけど、それはそれで精神的に十分オカシイぞ(苦笑)。

調子が良くなってからは、できるだけ過去とも向き合うよう意識して頑張ってきたつもりだったけど、まだ不十分というか、どこか「逃げてる」「目をそらしている」ってコトなのかな?って感じましたねえ、書いているたった今(笑)。

そろそろ腰を据えて真っ向勝負?を挑みますかね。
つーか、生き方にしろ仕事(商売も経理も労働組合もその他も…)にしても、「真っ向勝負」しか闘い方を知らない、ってのがそもそもの問題なんでしょうかねえ。

さらに言うと、そういうことを「闘い」だと思っているコトがオカシイとも感じましたねえ、書いているたった今(また)。

結局は、ここ数年で学んだ「今の自分をありのままに(評価せずに)認めて受け容れること」と同じで、「過去の自分もありのままに認めて受け入れる」ってことが鍵なのかなあ。

良いこと、悪いことなんて評価をせず、ただありのままにあの頃を見つめられるようになること。

そうすれば、今の自分も本当にありのまま見つめるコトができるのかも…、って思いました。書いているたった今(もういいって、笑)。

ま、それはそれとしてオカリナ。
また吹きたくなってきたのは事実なので、吹きますかね。
とりあえずどこで吹こうかな~。

いずれはあの「オカリナ公園」に戻れるでしょうけどね。きっと。

愚痴。

2010年10月25日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
タイトルそのまんま(苦笑)。

少し前の大凹みからここ一週間弱立ち直ってきています。やれやれ。
しかし、本当にかなりヤバイ状態でした。
もちろん休職中の「極期」に比べれば問題ない程度ともいえるんですが、一方では「希死念慮(死んでしまいたい、という気持ち。自殺願望とは違う。)」なんかもぶり返しかけてたりね…。

んで、一週間ぐらい前かなあ。とにかく心の中のものを吐き出そうと思って、気持ちを思いつくままに書き出しました。
それが以下の左側。

で、それが済んだあと、それぞれの「気持ち」にツッコミを入れてみました。
そーすると少しラクになりまして。

読み返すと先に進むにつれて、前向きなツッコミに変わっていっている感じでもありましたねー。

んで、なんでそんなもんアップしようと思ったかというと、友人などに「調子悪い」としか伝えていなかったもので、こんな状態「でした」(一応過去形)という報告であります。

矢印の左が「気持ち」、右が「ツッコミ」になっています。

・うんざり → 自分? 世の中? とりあえず仕事そのものではないな。
・何もかもイヤ → すべてつまらん。一日中適応思考を探してる。
・おもしろくない → 釣りもオカリナも車の運転も。仕事を覚えることも。
・つまらない → 冷めちゃった?って何に?
・楽しくない、楽しく思えない → すぐに疲れる。飽きる?これは脳と体の機能異常?
・やってられない → 他人の倍以上の努力をしてきて、それから倍以上の苦しみを味わって、まだ次の世界が見つからない。…って思い込んでいるだけ? いろんな思想や哲学には出会ったけどね。
・さみしい → やっぱ、街中で娘ぐらいの子ども連れの家族をみると寂しい。それだけが原因ではないけどいつも孤独感でいっぱい。
・かなしい → んー。まあ一応という程度。もう悲しさなんて感じなくなった気がする。
・なんでやねん → 他人の倍以上の努力をしてきて、結果、倍以上の苦しみを味わうことになった。今思えば得たものも多いし、この苦しみがなければ得られなかったこともとても多いのではあるけれどね。。。どこかでまだ「むなしさ、ばかばかしさ、もうどうでもいい」というような、やさぐれた気持ちが心の底に居座っている。
・何かくやしい → この世的(物質的・経済的)な視点でみれば、やっぱり失敗の人生でしょ。今のところ。
・しんどい → 肉体的精神的両方
・もう疲れた → いつまで苦しみと闘わなくちゃならん? 忘れることは不可能だから、上手く共存できるよう努力してきたけど、もう手詰まり感。
・意味? → この世って何。何の為にあるの?
・眠い → そのまんま。
・苦しい → そのまんま。
・ゆううつ → そのまんま。
・何もする気がしない → 最近やばい。意欲はようやく回復してきた感じだったが、ここのところ低下傾向を感じる。
・孤独 → いつでもどこでも。なんでだろ。
・もうどうでもいい → もうやってられねえ。死ぬこと自体は怖くないし、どーもこの世の後にはあの世が有るのは確実のようだし(?)。まあそれを前提にした場合、この世はどう生きるのがいいのかねえ?つーかこの世は何のためにあるのかねえ。
・生きているのがしんどい → いつまで苦しみと闘わなくちゃならん? 忘れることは不可能だから、上手く共存できるよう努力してきたけど、もう手詰まり感。
・安心感が欲しい → 復職支援施設のような、お互いに無条件に人間として認め合う安心感が欲しい。
・どうしても元気がでない → 睡眠不足? 脳機能の低下?
・休みたい → そのまんま。長期間ボーとしたい。でもそうなるとまた苦しいんだよな。
・もうだめだ → 手詰まり。
・限界 → もうこれ以上頑張れない。カウンセラー(的な人)は頑張らなくてもいい、と言うけれど、実際社会復帰した限りそれなりには頑張らないとね。うつにしろ特定疾患にしろ、そういう病気を抱えている人間の気持ちなんて理解できる人はほんの少数。…の割には恵まれているか。。。(上司とか)
・ここまで来たのに → うつも心筋症も乗り越えて(つーかそれらにまつわるたくさんの苦しいと感じる出来事)ようやく、会社に復帰して何とか働ける状態にまで持ってきたんだけどねえ。無理なんか?
・あんなに頑張って生きてきたのに → それとこれとは関係ねぇ、とはわかっちゃいるんだけどね。もっと苦労している人もいっぱい居るのもわかってるけどね。
・大切なものをすべて失った → まあ論理的に言えば、「失う」ためには前提として「所有」しているコトが必要になるんですが。そういう意味では女房も娘も健康などなども「自分の所有物」では無いわなぁ。
・昔のような、頑張る充実感を感じたい → 他に充実して生きる方法を知らない。
・毎日釣りでもしてボーと過ごしたい → まあ、今のところは釣りぐらいしか思いつかん、ってな感じか。家島諸島か小豆島みたいな自然の多いところがいいなあ。でもすぐダメになるんだろーな。
・やってられねぇ → 世の中(マクロもミクロも)見てるとイヤんなる。こんな世界で頑張る必要があるか?本来の個々の人々ならともかく、こんな世界に染まってしまっている連中の為に(って自分もそうだったじゃん)貢献する必要があるか?
・なら、革命でも起こす(笑)? → って何の革命(爆笑)?
・もうヤダ → もう頑張れねえ
・くそう → 俺が何をした
・バカヤロ → 俺が何をしたああ!
・おもいっきり泣いてみたい → 泣く感情も無くなった。泣きたくなるほど悲しくもならん。
・おもいっきり怒ってみたい → 人生に一度ぐらいはねえ。
・おもいっきり他人を傷つけてみたい → 気づかずにいっぱい傷つけているんだろうけどね。確信犯的にブチ切れてみたい。後で後悔するのはわかってるけど、何だろ、破壊願望?
・自分を傷つけた人々や世の中に復讐したい → …てなコトを書くだけで、ものすごく罪悪感を感じる小心者(自嘲)。
・どうしようもない → 手詰まり
・無力感 → 自分に力が無い、というより、この世に意味が無い、と感じてしまう。という思考に逃げ込んでいる?
・わくわくしたい → そりゃ誰でもね。年齢の問題もあるか。
・もうどうでもいい → って、やさぐれて拙いことをしでかす前にどうにかしたい。
・何しよ → ホントにねぇ
・何したら楽しい? → うーん。その質問の仕方自体が何か違うような。。。楽しく感じる力が無くなってる感覚なんだよな。
・何したら幸せ? → 同上
・幸せって何? → そう感じるかどうか、だろーな。
・何かしたら幸せになるの? → だからそーゆー問題じゃないって。
・「心ひとつの置き所」、じゃなかったっけ → 中村天風師はそうおっしゃったけどね。
・ってそんな簡単じゃねぇし、俺はそんな強くないし → まあ、「置ける」時もあるんだけどね。そういう意味では昔よりもずいぶん強くなったのかな。
・弱さをさらけ出したい → さらけだせる強さが欲しい。
・どうにかしたい → どうにかなると信じるしかないか。
・でも当分無理そうだ → つーか、当面は無理って思ってた方が、焦らずにどうにかなると思えるかもよ。
・この世の後には何か有るんやろな、無かったらホンマにやってられんで → それとこれとは関係ないぞ。思考が逃げに入ってる。
・この苦しみが糧になるあの世があるんやろな。 → この世にもあると信じたいね。
・この世で”糧”にすることはできん? → できると信じるしかないね。それと、その機会を待っていてはダメだわなあ。
・できんことはないけど、それに何の意味があるのかと思ってしまう。こんな世の中に貢献して何の意味がある? → 「こんな世の中」にすら貢献できるかどうかわからんのに、偉そうに言うもんじゃねえ。
・「愛すること」と「愛」とはかなり違うよな。さらに「愛で在ること」なんて哲学もある。 → それは、本一冊書けるテーマだ。
・疲れた → 疲れてないやつはいない。
・何が必要? 生きるためにどんな哲学が必要? ただ漫然と生きるのはもう無理。 → 「心ひとつの置き所」、か。
・自分のこれまでの人生・ドラマを愛する(浸る?「アタシは悲劇のヒロイン」みたいな)ことから卒業しろ、か…。(「神との対話」より) → 生きてるうちにそうしようとすると究極に難しいテーマだけど、死ぬ瞬間にはほとんどの人が自然に無意識に「卒業」しているんだろうなあ。
・まあ、「幸せを経験するためには、先に苦しみを経験しなければ理解できない。」ってことだわな。世界が相対的に存在している限り真理には違いない。何事も、「そうじゃない」ものがあって初めて存在できる、と(「神との対話」より)。

てなコトうだうだと吐き出してました。
おかげでここ数日は復調気味。このまま普段の調子の波に戻りたいものです。

とにかく、心の底にこびりついてしまっている「もうどうでもいい」を何とかしないとね。

苦しみのウラで、貴重な経験と学びをしてきているんだから。ね。

生活リズムってやっぱり大事ですね。

2010年10月15日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
どーも皆様、ご無沙汰いたしております。ちゃんと生きてますよぉ。

前回の記事から約2ヵ月半経ちますねー。
最近調子悪くって悪くって(泣)。

あ、メンタルの方ね。心臓は問題なく動いてくれています。

もー最悪でした。
何もかもヤダ! もーどーでもエェねん、状態。

…といっても一応仕事はできるし、復帰以後の気分の波の中での最悪の落ち込み、という感じですね。

調子が悪くなった直接の原因はまあ想定できるんですが、それよりも生活リズムが乱れて来ていたのが問題だ、と一昨日(苦笑)気づいたわけでありまして。

復帰後、それなりに順調だった(と思う…)ので油断してたんでしょうね。
具体的には睡眠時間がどんどん短くなっていました。

なんだかわからないんですが、眠くなってきているのに「眠るのがヤダ。起きていて本でも読んでいたい。」という感覚。
んでズルズルと夜更かし。

これじゃイカン、と(心底)思ったのが一昨日でありました。

んで。
かつて(復帰前)のように、「遅くとも23時就寝」を目標に掲げ、布団に入ったら、「筋弛緩+自律訓練+メンタルトレーニング(イメージング)」というびっきぃオリジナル(つーかそれぞれをごちゃまぜにしただけ)のリラクゼーションをしながら寝付く。と。

いやぁ、効果てきめん。
特に期待してたわけじゃないのでプラシーボ(効いてる気がするという勘違い、かな?)ではないと思います。

寝起きスッキリ。
朝の通勤時の眠気も全然違います。

何より「記事書こう」と思えた位ですからねー。

まあ、気分の落ち込み自体はまだ続いておりますが今回の凹みは「生活リズムを整えなさい!」という心身の声だったんでしょう。
素直に従います(笑)。

エコー検査。

2010年07月25日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
…といっても、もちろん妊娠しているわけではありません。オトコだし(笑)。

って、一ヶ月ぶりの記事の冒頭に何をつまらないボケかましてるんだろうね。まったく。

気を取り直して(?)、心臓超音波検査のコトです。
一年ぶりですね。それだけ間が開くということは、予後がかなり良いと言うことなんでしょう。…と思う。。。

んで、ベッドに横になると、技師さんがマイクのようなモノ(超音波の送受信機とでも言うんでしょうか)を胸にあてがってモニターを見ています。

このモニターが被験者からも見えるので、なかなか面白いんです。
もちろん、超音波の反射影なので素人が見てもよく判らないんですけど、それでも「あ~、何かどっくんどっくんしてる~。」というのは判ります。
あと、何か弁のようなモノが規則的に動いていたり。

うーん。生命の神秘を感じますなあ。
…って何でそんなに他人事のような(苦笑)。

で、その後主治医の診察。
問題なく元気に動いているそうです。もちろん薬を飲み続けているからなんですが。

まあ、少なくとも当面は悪化する兆候はないようです。
運動制限はありますけどねー。

というわけで、そのデータを含めて記入してもらえるように、特定疾患医療受給者証の更新申請に必要な診断書用紙を先生に預けてきました。

特定疾患のみなさーん。更新申請は9月末までですよー。忘れると面倒なコトになりますよー。
…面倒でした。。。(遠い目)

特定疾患医療受給者証で携帯基本料割引-ソフトバンク

2010年06月20日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
いやあ、久しぶりの記事だというのになんだかソフトバンクの回し者みたい(苦笑)。

ま、もちろんそんなコトはありませんし、ソフトバンク的商法はどうも気に食わないびっきぃなのですが(じゃあ何で使ってるんだろうね、苦笑)。

とにかく、ソフトバンクでの「障害者割引」の対象に、「特定疾患医療受給者証」所持者も含むということを発見致しましたのでご報告など、と思いまして。

くわしくはこちら

まあ、パケ放題に入れという縛りはありますが(0円スタートになるので使わなければいいんだけど)、とにかく特定疾患でも割引になるのはありがたい話。

他のキャリアを利用されている方も、「ソフトバンクは特定疾患も含んでるよ!」とアピールすれば割引してもらえるかも…。。。

んで、最近の状況ですが。

うーん。復帰以来の落ち込み中(おいおい)。
最初は体の疲れだったんですけどねー。ちょっとココ半月ほどヘンな感じ。

でも、ここで焦って何かしようとすると余計にヘンになってしまいます(経験則)。

静かな音楽や腹式呼吸したりして、とりあえず表面的にでも落ち着くことが大事です(経験則)。


予想通りに凹んでます…もとい、ました。

2010年05月04日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
な~にが「予想」かと言うと。

新部署に異動してちょうど一ヶ月なんですね、この連休が。

で、過去の状況を振り返ると、何かしらの環境が変わってだいたい一ヵ月後に凹みが来ていたんです。
リワークに通いだした時、本プログラムに参加し始めた時、復帰した時、フルタイム勤務になった時…などなど。

なので、今回もおそらく気分の凹みは大なり小なり起こるだろーなー、と予想はしてたんです。

まあ結果的に、今回の凹みは「中なり」くらいでしょうかね。
「もう何もかもイヤ。」までいかない。「何しても何かつまんねぇ。」程度。
もちろんそういう気分は誰にでもあることではありますが、それが少々病的な感覚がするかどうかがポイント。

ポイントと言いつつ主観的にしか判断つかないものではありますが(苦笑)。

原因は過去と同様でしょう。
新しい環境で、多かれ少なかれ緊張状態が続き、一ヶ月くらいでその疲れ(脳の疲れ)が表面化すると。

ただ、以前(というか昔)と違うのは、疲れはあくまで「脳」であって「心」では無いということ。
ここ数年間で学んだことは、突き詰めて言えば「心を疲れさせない生き方」なわけでして、それは上手く応用できているようです。

もっとも「脳」と「心」を分けて把握していること自体、びっきぃ独自(?)の生きる技術(??)と言えるのかもしれませんが。。。

とりあえず、今回の凹みはあくまでも「脳の疲れ」だと自分には感じられているということ。
つまり、緊張状態が続いて脳が疲れて、セロトニンだのノルアドレナリンだのの脳内ホルモンの働き(量)が減って気分に影響を与えている、と。

もちっと説明すると、緊張状態という環境が直接脳を疲労させているだけ。
環境が「心」を疲労させて、それが脳に影響を与えているわけではない、ということ…なんですが、わかりにくいですね。
ま、あくまでびっきぃの主観ですから(苦笑)。

まあとにかくそういう状態なので、まだまだお薬を減らすというわけにはいかないでしょうねぇ。
早く止めたいのはヤマヤマですが、こういう風に凹みが起きるというコトは、現実的にまだ薬に頼っていて(脳内ホルモンのコト)、ちょっとしたコトで薬が追いつかなくなる状態だと、お医者様がおっしゃっていらっしゃいました。

でもまあそれはそれ。
実際今回の気分の凹みは昨日から今日がピークのごく短期間でした。以前は一週間くらいは続いたモノなのですが。

ということで明日の連休最終日はのんびりとあさってに備えましょう。

どうやら新部署は、第一営業日が月中で一番忙しい日らしい(笑)。

久しぶりの公園でオカリナ。

2010年03月29日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
日曜日のことです。
久しぶりに「オカリナの公園」へ行ってまいりました。前日でしたか、うだうだと書いているうちに、久しぶりに吹きたくなったものでして。

今回は、ノルディック・ウォーキングのポールも一緒。少し歩いてから吹こうと。

で、ホント何ヶ月ぶりだろー?ひとしきり吹いてきました。
でもブランクは大きい。

いや上手く吹けないとかじゃなくて(吹けないけど)。
そーゆーのはもう気にしないで気持ちよく吹けりゃいいや、って思えるようになったからね。
もっとも、上手く吹ければさらに気持ちイイわけではありますけど。

何にブランクを感じたかといいますと、譜面台を広げる時。
一番下はスライドさせて3方向に脚が広がる仕組みなんですが、広がる脚に顔を突かれてしまった(苦笑)。
そーだ、コイツ広げる時は注意が必要なんだった…。

それと、オカリナを持つ手が震える。久しぶりだけにヘンに力が入ってる感じ。
前は必要最小限の力で支えて、オカリナの音の振動を指で感じられたんですが。
まあ、そんなもんでしょ。

で、のんびり休憩しつつ吹いていたら、オカリナを始めた一昨年の10月ごろを思い出したのです。

心筋症その他もろもろのショックから再発(増悪?)した「うつ病」から立ち直れず、心筋症での入院で弱ったカラダのリハビリもどきだけを、なんとかプールでこなしていた頃。

社会復帰のメドも立たず、何かあるとすぐに、「何もかも嫌んなった。もうどうでもええわ。」と思ってしまっていた頃。

それから、毎日この公園のこの場所に通うようになって、周りの木々と友達になって(笑)いろいろ話し合ったこと。…って「アンタ何者?」って言われそうですが(苦笑)。
でも、そこでのいろんな気付きが、「どうでもええわ。」から命を守ってくれたこと。

気がつくとオカリナ置いて、ベンチに座ってそんなことを考えてました。

で、久しぶりに木々に声を掛けました。
「会社に戻れたよ。ありがとうね。」って。
それ以上は何も言う必要はないかなって。

んで、なんとなくお手製の楽譜集(つーかただのバインダ-)繰っていたら、中島みゆき先生の「時代」が目にとまってしまいました。

あああぁ~。なんて「ベタ」な選曲(苦笑)。…書いてて恥ずかしくなってきた(笑)。

でもその時は、何かに動かされるように吹いていました。
しかも、いつも(以前)は頭の中では音階を追いかけていたのが、そのときは歌詞を思いながら吹いていました。

「…生まれ変わって、歩き出すよ…」、なんてね。

そしたらさあ。(何だよ。)

…うるうる来ちゃったのよ。
自分の演奏でさあ…。

ナルシスト極まれり?(苦笑)。

でも、それが今の自分のココロの底の正直な想い。
以前の記事の通り、大切にしようと思いました。

そして生きている限り、これからも「生まれ変わり」続けたいな、と思ったのでした。

楽しめない理由。かな?

2010年03月28日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
えーと。
今回は「お気楽記事」にしよう、とか言ってましたが。
まあいいや。

ときどき考えていたんです。
オカリナにしろ他の事にしろ、趣味的なものが何で面白くなくなっちゃったんだろう?って。

昨日、釣り糸を垂れていてふと思いました。
「そのコト自体を素直に楽しんでいないからだ」って。

説明しますと、オカリナの場合。
吹ける様になることと、良い音が出せるようになること、つまり上手くなることが楽しかったんだ、って。
オカリナの音色や演奏すること自体を楽しんで(楽しめて)いなかった、って。

だからそこそこ吹ける様になると興味が無くなってきてしまったという感じでしょうか。

釣りも同様。
最初は何かが釣れれば楽しかったけれど、だんだんと魚を獲ることが目的になってきちゃってる。
「釣れないと面白くない。ボウズは恥ずかしい。」と言うように自分で自分にプレッシャーをかけちゃってる。そうなるとこの季節面白くないわなあ(苦笑)。

もともと、自然を相手に遊ぶことが楽しみだったはずなんですよね。
だから仕掛けや作戦を考えたりして、それをやってみて…というプロセスが楽しかったはず。釣れるか釣れないかは結果に過ぎなかったはずなのに。

そんなことを昨日某所でミニガシラ一匹釣って思ったのです(笑)。

それで気付いたのは、ワタシは何かを「競う」とか「上達する」と言うようなことを楽しんで来ていて、そのコト自体を楽しむことを知らない。というか「忘れてしまった」と言うべきか。

それで、今は全く泳ぐ気持ちになれない、という理由も判りました。
全力で泳ぐことはドクターストップだし、長時間(長距離)泳ぐのもNG。
もちろん歳をとれば少しずつ衰えていくのは仕方が無いけれど、その時々での全力を出すことができない。…つまり「達成感」が無い、というコトかなあ?

ここでもやっぱ、「泳ぐこと」自体を楽しんでいない、ってワケで。

もちろんね、「上手くなることが楽しい」はそれはそれで良いことだとは思います。
向上心の裏返しだもんね。

ただ、今のびっきぃは「ただ”ありのままに”楽しむ」というコトを思い出したいな~、コドモの頃のように、などと思ったわけであります。

で、また少しラクになりました(笑)。

そう考えれば「生きること」も究極的にはそう考えればラクなのかもね。
「目的も手段も無い。ただ、ありのままに生きる」という事がハラに収まれば、毎日ココロが平安で、幸せなのかも。

…って、もう、ここ数週間考えすぎ!!
とりあえず落ち着いて来たんだからしばらく休憩(?)しましょう。

会社に入って2,3年のころ先輩(つーか実質的に上司か)に言われたじゃん。
「お前は物事を難しく考えすぎるクセがあるぞ。」って(苦笑)。
判っちゃいるんですけどね。。。

それはともかく、今は部下を「お前」って呼んだらパワハラになるらしいですね。
問題はそーゆー表面的なことじゃないと思うんですが。
だから、単に教育的指導を受けただけなのに「パワハラだ!」と叫ぶ社員もいるわけで。まあ、逆の方が多いんでしょうけどね。
パワハラはセクハラより扱い(というか該当するのかの判断)が難しいなあ、なんてヒトゴトのように考えているびっきぃなのでした。

って何のハナシだ?(苦笑)

何かラクになった。

2010年03月26日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
前記事でウダウダと書きましたが。

昨日あたりから少しすっきりしています。何か憑きモノが落ちたような(笑)。

経験から気づいたり学んだりできる。その経験をするためには行動が必要、と書いていましたが。
それはその通りだと今は思っています。

ただし、「行動しないと経験ができない」と自分にプレッシャーを掛けてしまっていたようです。

一昨日にも書きましたが、「行動」は選択するもの、だと思っています。
それは、自分が本当に望むものであり、したいこと、ですね。
目先のおカネだとかそーいうものが目標ではなくて。

その意味で、今回のココロのゴタゴタは、「そろそろ何か行動しなければ」って焦っていたような感じのようです。

おそらく会社復帰からほぼ半年経って(時短勤務含むけど)落ち着いてきて、メンタルヘルス・マネジメント検定なんかもできて、少し自信が戻ってきたためかもしれません。

「もう大丈夫。じゃあ何かしなきゃいけない。」という「べき思考」(これも認知の歪み10パターンの一つ)に囚われてしまった感じですね。

どうも、「取り越し苦労」や「べき思考」「全力主義」「結果を急ぐ」といった昔の悪い癖も戻ってきてしまっている感じです。

まあ、それに気づけるようになっている、ということですから、これからはそういった認知と上手く付き合っていけると思います。

それと昨日はっきりと気づいたことがあります。
「自分に正直に」というコトバのことです。

ワタシ自身は「もっと正直でいいんだ」ということをリワークで学んですごくラクになったわけですが、社会復帰したらそうも言っていられないよなー、と漠然と感じていたんです。

そこがつながりました。

「自分のココロの底にある本当に自分が望んでいる想い」に正直であれ、ということであって、毎日のその都度の「感情」に正直であれ、ではないということだ、ってことです。

もっともワタシは「感情」は「出来事」と「認知」の関係で生み出されるモノに過ぎない、と思っています。

学びや気づきの元になる「経験」に含まれるものだと。
つまり、感情を感じること(ヘンな日本語)、感情を認知の切り替えでコントロールすること、それらも広い意味で「経験」だと思うようになりました。

だから「自分に正直であれ」というコトバは、「感情に正直に」ではなく「自分の本当の想いに正直であれ」ということであって、そのために「自分のココロをもっと大切にして、ココロの奥底の声を聴こう」、と。

言い換えれば「自分のココロを他人のために使うのではなく、自分のために使おう」ということです。

というと、何か自己中のようですがそうではないんです。
「他人のために自分のココロの底まで抑圧することはない」ということです。

具体的に言えば、仕事の能力を高めて評価されたいという無意識の思いが高じ過ぎて「自分を見失い」、自らわざわざ仕事を作って(開発業務も有ったからねー)長時間労働をし、仕事を広げ、責任感に煽られ、成果が出ても満足せず「まだまだだ。もっともっとできるはずだ。」と自分にムチを入れる。

まあ、「結局は自分のため(仕事の能力を高めて評価されたい)に、他人を中心にして自分のココロを抑圧していた(しかもそのことに気づいていない)」という矛盾した状態ですね。

…って、いつ頃の誰のことだよ?(苦笑)

と言う感じで、これまで漠然としていたコトや別々に気づいたコトが少しずつつながって来たという感じがしています。

何ていうか、それもパズルのようでちょっと楽しかったりもするんですが(笑)。
…と、それぐらいお気楽な方がイイんでしょうね。ワタシの場合はきっと(爆)。

次はお気楽記事にしよっと♪

何かヘン。

2010年03月24日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
昨日、昼過ぎから就寝までにかけて、久しぶりに「あー、もう何もかもヤダ。」というヤサグレ状態に陥ってしまいました。

なんだったんだろーなあ。薬飲み忘れたわけじゃないし。あ、循環器の薬は初めて飲み忘れたけど(苦笑)。

とにかくツマンナイ。といって以前のように、「何もする気がしない」というのとは違う。
強く興味を惹かれるコトが無い、というか。
…まあ年齢的にも、無邪気に「アレやってみたい~♪」という歳ではないんですが。。。

とはいえ一方では、「何かがしたい。」という気持ちがすごく強くなっている。
それにブレーキを掛けていることの一つが、拡張型心筋症。
でも「何かがしたい。」という気持ちは、カラダが動くうちに(つーか生きてるうちに)できることをしたい、という気持ちでもある感じかなあ。焦ってる感じなんだろーか。

生きていればいろいろな経験ができる、そこからの学びや気づきが自分を高めてくれる。というのが、今現在、私が生きている理由であり目的でもあるんですが。

んじゃ何を経験したいの???

趣味のハナシでは無いんだろうなあ。
オカリナとか釣りとか。最近なんかツマンナイ。大げさに言うとどこか虚しい。釣りは海を見るのが気持ちいいというだけになりつつあるし…(単にオフシーズンで釣れないから?苦笑)。

…というと、また「うつ病」再発のサインか?と考えられそうだけど、そうではないですね。
もともと、やりたくて始めた、というよりも「何か、自分の時間を大切にして楽しみを見つけよう」という気持ちで始めたものだし。

ノルディック・ウォーキングも、まあ同様。楽しそう、面白そうというよりも、今のカラダの状態でできるベターな運動だ、というだけのこと。
心筋症は仕方が無いとしても、カラダの他の部分のために運動は必要だと、循環器に無理を掛けない運動を見つけた、という理由。

「何かがしたい」の「何か」ってのは、そういった趣味や仕事のコトではないんだろーか?
じゃあ他に何があるんだよ?と言われても答えに困るんですが。

ところで、コーチングなどで「お約束(?)」の質問があります。
「一切のしがらみから自由なら、何がしたいですか?どんな自分でありたいですか?」って類の質問。
いわば、クライアントに自分自身の心の底を探らせる質問ですね。

こいつを自分に問いかけたりもするんですけどね。
答えは、
「何がしたいかは判らない。ただ、人間としてもっともっと成長したい(人格を高めていきたい)。」
という感じ。
…で、その為にはいろいろな「経験」が必要だし、「経験」するには「行動」が必要。
といって、どんな経験をしたいか、なんてことを予想して行動を選ぶことは不可能ですよね。この歳になると。
そもそもどんな「経験」がしたいか、なんて前もってわかるもんじゃないし。

となると、「行動の選択(何をするか)」は、「自分がココロの底で何をしたがっているか」を見つけることしかないと思うんです。
そういった「行動」から得られた「経験」は、きっと自分を成長させる為に役立つものだと思うんです。

となると、さっきのコーチングの「お約束質問」に戻るんですが(苦笑)。

…と、ここでトイレ休憩(笑)。考えたってわからないことあるもんね。リフレッシュ(?)です。

するとオフィスの入り口で親しい先輩に出会いました。
何気に雑談していたんですが、つい愚痴ってしまいました。「なんかしんどいんです。」って。

これまでのびっきぃにとってはありえないことでした。人に愚痴を聞いてもらうなんて。
まあ、そういう価値観が「うつ病」の原因の一つであったわけですが。

それで一つ自分が望んでいることに気づきました。
「本当の人間関係」です。
これまでのワタシの人間関係というのは、自分がガマンしてれば上手くいく、というような調子。
自分をさらけ出して認めあう、というような人間関係はリワークの仲間と初めて経験したんだよなあ、と思い出したんです。

それをもっと経験したい。
もちろん、その先輩のように優しく聞いてくれる人ばかりじゃないだろうし、逆にワタシの言葉に傷つく人もあるかもしれない。
でもそれを乗り越えて、「本物の人間関係」ってのが生まれるのかなあ、と思うのです。

と、また先走って「結果」を求めようとしている。悪い癖だ。

とにかく、今したいことの一つは「他人とたくさん話をすること。聴くこと。(結果として)そこから大切なことを学び、気づくこと。」のようです。

ならば、とりあえずは今の方向性でイイでしょう。
職場でもできるだけいろんな人とコミュニケーションとるように意識しているし、釣りに行ってもまず隣の釣り師とはおしゃべりするし(笑)。

無理なく、そしてコミュニケーションをとる理由は、自分と相手が両方良い気分になれること。
まあ、雑談ベースのレベルではありますが(苦笑)。

もちろんイヤな気分になることも、相手にさせることもあるでしょうけど、それは「練習」ですね。
この歳まで、まともなコミュニケーションの仕方(テクニックではなくて心の持ち様)を知らなかったわけですから(苦笑)。

まずは、「自分の気持ちに正直なコミュニケーション」を目指しましょう。
それから「自分も相手も尊重する」アサーティブなコミュニケーションへステップアップしていく、と。

当面の「行動指針」はコレかなあ?
なら、人と出会える場所(何かのサークルとか)への参加なんかも有りかもね。無理はせずに。

やっぱ体育会系なのね。

2010年03月19日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
どーも。
なんだか昨日あたりから「体育会系ノリ」が気持ちイイ。って「ノリ」ってもどう言ったらいいのかなあ。

例えばあいさつ。
「おはようございます。」から「おはよーっす!(ボリュームも約1.5倍)」てな感じ。
「気合いれるぞお!」ってな感じが気持ちイイ。

一応良いことでしょうね。本来の自分が“自然に”戻って来ている、ってことで。

うつと心筋症でボロボロになってからこっち、そういった「気合系」はできるだけ避けてました。
むしろ抑えてました。
「ここで調子にのったらあかん。」って。それは大正解でしたが。

昨日からの気分はこれまでとは違う感じ。ものすごく自然です。
なので気持ちイイ程度にやろうかな、と。

ただ、もう体育会系のノリで仕事できる体じゃないからね。年齢的にも(笑)。
カラダの求める「気合系」に振り回されないように注意です。

気分は気分、現実はのんびりマイペースで、自分(のココロとカラダ)を大切に無理なくやりましょう。

セルフトーク?

2010年03月18日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
ここ二日間ほど「すごく落ち着かない気分」でした。あ~疲れた。
例によって、もう落ち着いて来たので記事書けているんですけど。

何が落ち着かないのかなあ、と寝る前に布団の中でびっきぃ流セルフケア。
胸に両手をあてて、そこに「もう一人の自分」がいるようにイメージします。いわばココロですね。アタマは理性とでも言えばいいのかなあ。そんなイメージです。

んでココロさんに話しかけるんです。いわゆるセルフトークとかいうやつなんでしょうか。
「ご自分さん、ご自分さん。なんか落ち着かないようだけどどうしたの?」って話しかけます。
んで、ぼーっとしてるとココロの声が聞こえてきます。潜在意識の声なのかなあ。

「なんか焦ってる。」
「そうなんだー。辛いね。何か心当たりはあるの?」

「うーん。気になってるコトは、車検でいくら掛かるか、とか特定疾患受給者証の更新がトラブってることとか、大したことじゃないんだけど。」
「いやいや、気になることは気になるもんね。それはそれでイイと思うよ。で、それが“焦り”になってる理由は判る?」

「うーん。(沈黙)オカネがいくら残るか、とか特定疾患の更新は最悪また心臓カテーテル検査しないといけないのかなあ、なんて考えちゃう。」
「なるほどねー。確かに気になるオレももちろん(苦笑)。でもそれが“焦り”になってる理由は何かなあ?」

「あれかなあ。“認知の歪み”で習った10パターンの一つの“取り越し苦労”ってヤツかなあ。」
「そうだねー。確かに今考えてもどうしようもないコトだもんねー。できることはやって、待ちの状態だからね。」

「あ、それ。“待ち”がイヤなんだ。とっとと早くケリ着けたい、って焦ってるんだ。」
「なるほどね。確かに“オレたち(笑)”は昔から“待ち”がキライだよね。基本的に短気だし。」

「うん。そういう短気さとか待ちがキライとか、気になるコトは早くケリつけたい、っていう感情も戻ってきた感じなのかも。」
「うん。オレもそう思う。戻ってきたこと自体は歓迎してもイイと思うよ。」

「そうだね。その気持ちに振り回されなければね。」
「うん。“短気さ”自体は良くも悪くもないんだしね。上手く使いこなせるようになろうな。」

「そうだね。でも“待ち”はキライだ。落ち着かない。」
「あはは。ま、そりゃそうだ。オレもキライだ。こればかりは少しずつ馴れていくしかないね。」

「そうだね。」
「特に、これからの仕事は事務方だからね。営業の時みたいに自分で100%近くコントロールできるわけじゃないし。“待ち”にも慣れておかないとね。その練習だと思えるかな。」

「うーん。思ってみる。」

ということでおやすみなさいでございました。

ツライ時は(今回はホントに大したことじゃないけど。逆にホントに辛いことは内容的にブログには書けない)こんなことして気持ちを落ち着けているこのごろなのです。

メンタルヘルス・マネジメント検定 解答速報出ました!

2010年03月11日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
こちらのページ日本マンパワー。です。

んで、早速採点。。。

よっしゃ!
Ⅱ種47問、3種48問正解です(各50問中)。
配点はわかりませんが(たぶん1問2点だと思いますが…)、まあ間違いなく合格でしょう。嬉し♪

何より、この一ヶ月マイペースで勉強できたこと(集中するときと休憩とを上手くバランスさせること)ができた、ってことが、本当に何より自信になりました。

こういったリズムで仕事をしていけば、昔のように何かに追われているような切迫感というか、意味もなく焦って常にアクセル全開!、というようなこともなくやっていけそうです。

まあ、もちろんイザって時にはいつでもフルパワーにできるようにはしておかなきゃイカンとは思ってます。

ということでびっきぃのETCS(笑)はちゃんとドライバーの意図通りに反応してくれるようになったようです。

T社のはもう、よーわからん(苦笑)。