オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

何かラクになった。

2010年03月26日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
前記事でウダウダと書きましたが。

昨日あたりから少しすっきりしています。何か憑きモノが落ちたような(笑)。

経験から気づいたり学んだりできる。その経験をするためには行動が必要、と書いていましたが。
それはその通りだと今は思っています。

ただし、「行動しないと経験ができない」と自分にプレッシャーを掛けてしまっていたようです。

一昨日にも書きましたが、「行動」は選択するもの、だと思っています。
それは、自分が本当に望むものであり、したいこと、ですね。
目先のおカネだとかそーいうものが目標ではなくて。

その意味で、今回のココロのゴタゴタは、「そろそろ何か行動しなければ」って焦っていたような感じのようです。

おそらく会社復帰からほぼ半年経って(時短勤務含むけど)落ち着いてきて、メンタルヘルス・マネジメント検定なんかもできて、少し自信が戻ってきたためかもしれません。

「もう大丈夫。じゃあ何かしなきゃいけない。」という「べき思考」(これも認知の歪み10パターンの一つ)に囚われてしまった感じですね。

どうも、「取り越し苦労」や「べき思考」「全力主義」「結果を急ぐ」といった昔の悪い癖も戻ってきてしまっている感じです。

まあ、それに気づけるようになっている、ということですから、これからはそういった認知と上手く付き合っていけると思います。

それと昨日はっきりと気づいたことがあります。
「自分に正直に」というコトバのことです。

ワタシ自身は「もっと正直でいいんだ」ということをリワークで学んですごくラクになったわけですが、社会復帰したらそうも言っていられないよなー、と漠然と感じていたんです。

そこがつながりました。

「自分のココロの底にある本当に自分が望んでいる想い」に正直であれ、ということであって、毎日のその都度の「感情」に正直であれ、ではないということだ、ってことです。

もっともワタシは「感情」は「出来事」と「認知」の関係で生み出されるモノに過ぎない、と思っています。

学びや気づきの元になる「経験」に含まれるものだと。
つまり、感情を感じること(ヘンな日本語)、感情を認知の切り替えでコントロールすること、それらも広い意味で「経験」だと思うようになりました。

だから「自分に正直であれ」というコトバは、「感情に正直に」ではなく「自分の本当の想いに正直であれ」ということであって、そのために「自分のココロをもっと大切にして、ココロの奥底の声を聴こう」、と。

言い換えれば「自分のココロを他人のために使うのではなく、自分のために使おう」ということです。

というと、何か自己中のようですがそうではないんです。
「他人のために自分のココロの底まで抑圧することはない」ということです。

具体的に言えば、仕事の能力を高めて評価されたいという無意識の思いが高じ過ぎて「自分を見失い」、自らわざわざ仕事を作って(開発業務も有ったからねー)長時間労働をし、仕事を広げ、責任感に煽られ、成果が出ても満足せず「まだまだだ。もっともっとできるはずだ。」と自分にムチを入れる。

まあ、「結局は自分のため(仕事の能力を高めて評価されたい)に、他人を中心にして自分のココロを抑圧していた(しかもそのことに気づいていない)」という矛盾した状態ですね。

…って、いつ頃の誰のことだよ?(苦笑)

と言う感じで、これまで漠然としていたコトや別々に気づいたコトが少しずつつながって来たという感じがしています。

何ていうか、それもパズルのようでちょっと楽しかったりもするんですが(笑)。
…と、それぐらいお気楽な方がイイんでしょうね。ワタシの場合はきっと(爆)。

次はお気楽記事にしよっと♪

最新の画像もっと見る

コメントを投稿