何を突然? ですが。
ここ数ヶ月、というか数年を振り返ってみて思いました。
もう「うつ病」そのものはほとんど治ってるって。
多少説明致しますと、ここで言う「うつ病」とは「脳機能の異常」のこと。
つまり、原因不明の憂鬱感、イライラ、倦怠感、意欲減退…といったうつ症状を起こす脳の病気、のこと。
いわば、西洋医学的?な捉え方での「うつ病」です。
で、そういう意味での病気は、ほぼ治った(というか治っている)と思うようになりました。
確かに、毎日憂鬱だったり楽しめない、といったようなことはあります。
でも、それはもう「脳」の問題ではほとんど無くなったのでは、と思えるんです。
まあ、食欲や(正常な)性欲があまり無い(ほとんど無い)というのは、「脳」の異常がまだ残っているんでしょうけど、そんなに大した状態ではないし。
んじゃ毎日の憂鬱感とかって何?なんですが。
たぶん心の底にこびりついている、かつての苦しいときの記憶が、何かの都度(まあいろいろ)よみがえって、当時の気分に戻ってしまっている、というように思えるんです。最近。
もちろんその度に「プチ認知療法」で対処してやり過ごしているんですが、対処できない場合が結構あるんです。
たとえばオカリナ。
オカリナそのものは最近、また吹こうかな~、と思う時が出てきたりしているんですが、あの「オカリナ公園」には足が向かない、という状態。
正直に言うと「怖い」。
なんせ、心身共にボロボロになった後、リハビリ目的で毎朝あの公園に通ってオカリナを吹くようになったんですね。生活リズムの再構築が主目的です。
まあその頃は音楽に興味が戻って来たくらいには回復していたんでしょうけど。。。
だからオカリナ演奏自体はともかく、あの公園に入ると、あの頃感じていた今とは比較にならない程の強い不安感・むなしさ・寂しさ、そして例の「もう何もかも嫌んなったちまった。どーでもええわ。」という苦しくて苦しくてどうしようもないキモチをリアルに思い出してしまうんではないかと「怖い」んです。
もうあんな思いはしたくない、というキモチが強い(強すぎる)んでしょうなあ。トラウマ?
それが心の底にこびりついたままだから、脳が正常になってもちょっとしたことで「あの苦しみ」を思い出してしまい、「もうどーでもええ」という憂鬱状態に陥ってしまう、と。
うーん、書いていて思ったけど、それはそれで精神的に十分オカシイぞ(苦笑)。
調子が良くなってからは、できるだけ過去とも向き合うよう意識して頑張ってきたつもりだったけど、まだ不十分というか、どこか「逃げてる」「目をそらしている」ってコトなのかな?って感じましたねえ、書いているたった今(笑)。
そろそろ腰を据えて真っ向勝負?を挑みますかね。
つーか、生き方にしろ仕事(商売も経理も労働組合もその他も…)にしても、「真っ向勝負」しか闘い方を知らない、ってのがそもそもの問題なんでしょうかねえ。
さらに言うと、そういうことを「闘い」だと思っているコトがオカシイとも感じましたねえ、書いているたった今(また)。
結局は、ここ数年で学んだ「今の自分をありのままに(評価せずに)認めて受け容れること」と同じで、「過去の自分もありのままに認めて受け入れる」ってことが鍵なのかなあ。
良いこと、悪いことなんて評価をせず、ただありのままにあの頃を見つめられるようになること。
そうすれば、今の自分も本当にありのまま見つめるコトができるのかも…、って思いました。書いているたった今(もういいって、笑)。
ま、それはそれとしてオカリナ。
また吹きたくなってきたのは事実なので、吹きますかね。
とりあえずどこで吹こうかな~。
いずれはあの「オカリナ公園」に戻れるでしょうけどね。きっと。
ここ数ヶ月、というか数年を振り返ってみて思いました。
もう「うつ病」そのものはほとんど治ってるって。
多少説明致しますと、ここで言う「うつ病」とは「脳機能の異常」のこと。
つまり、原因不明の憂鬱感、イライラ、倦怠感、意欲減退…といったうつ症状を起こす脳の病気、のこと。
いわば、西洋医学的?な捉え方での「うつ病」です。
で、そういう意味での病気は、ほぼ治った(というか治っている)と思うようになりました。
確かに、毎日憂鬱だったり楽しめない、といったようなことはあります。
でも、それはもう「脳」の問題ではほとんど無くなったのでは、と思えるんです。
まあ、食欲や(正常な)性欲があまり無い(ほとんど無い)というのは、「脳」の異常がまだ残っているんでしょうけど、そんなに大した状態ではないし。
んじゃ毎日の憂鬱感とかって何?なんですが。
たぶん心の底にこびりついている、かつての苦しいときの記憶が、何かの都度(まあいろいろ)よみがえって、当時の気分に戻ってしまっている、というように思えるんです。最近。
もちろんその度に「プチ認知療法」で対処してやり過ごしているんですが、対処できない場合が結構あるんです。
たとえばオカリナ。
オカリナそのものは最近、また吹こうかな~、と思う時が出てきたりしているんですが、あの「オカリナ公園」には足が向かない、という状態。
正直に言うと「怖い」。
なんせ、心身共にボロボロになった後、リハビリ目的で毎朝あの公園に通ってオカリナを吹くようになったんですね。生活リズムの再構築が主目的です。
まあその頃は音楽に興味が戻って来たくらいには回復していたんでしょうけど。。。
だからオカリナ演奏自体はともかく、あの公園に入ると、あの頃感じていた今とは比較にならない程の強い不安感・むなしさ・寂しさ、そして例の「もう何もかも嫌んなったちまった。どーでもええわ。」という苦しくて苦しくてどうしようもないキモチをリアルに思い出してしまうんではないかと「怖い」んです。
もうあんな思いはしたくない、というキモチが強い(強すぎる)んでしょうなあ。トラウマ?
それが心の底にこびりついたままだから、脳が正常になってもちょっとしたことで「あの苦しみ」を思い出してしまい、「もうどーでもええ」という憂鬱状態に陥ってしまう、と。
うーん、書いていて思ったけど、それはそれで精神的に十分オカシイぞ(苦笑)。
調子が良くなってからは、できるだけ過去とも向き合うよう意識して頑張ってきたつもりだったけど、まだ不十分というか、どこか「逃げてる」「目をそらしている」ってコトなのかな?って感じましたねえ、書いているたった今(笑)。
そろそろ腰を据えて真っ向勝負?を挑みますかね。
つーか、生き方にしろ仕事(商売も経理も労働組合もその他も…)にしても、「真っ向勝負」しか闘い方を知らない、ってのがそもそもの問題なんでしょうかねえ。
さらに言うと、そういうことを「闘い」だと思っているコトがオカシイとも感じましたねえ、書いているたった今(また)。
結局は、ここ数年で学んだ「今の自分をありのままに(評価せずに)認めて受け容れること」と同じで、「過去の自分もありのままに認めて受け入れる」ってことが鍵なのかなあ。
良いこと、悪いことなんて評価をせず、ただありのままにあの頃を見つめられるようになること。
そうすれば、今の自分も本当にありのまま見つめるコトができるのかも…、って思いました。書いているたった今(もういいって、笑)。
ま、それはそれとしてオカリナ。
また吹きたくなってきたのは事実なので、吹きますかね。
とりあえずどこで吹こうかな~。
いずれはあの「オカリナ公園」に戻れるでしょうけどね。きっと。
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